2005年8月の独り言。
日記というほど頻繁には書けないと思いますので。


2005年8月30日(火) まだ日本海1号(^^;)

目が覚めるや否や車内放送が耳に入ってきた。新潟と山形で大雨が降ったため、到着時刻が予定より1時間半ほど遅れるらしい。まあ遅れて困るようなスケジュールを組んでいるわけではないからそれほど気にはならない。急ぐくらいなら寝台特急を使ったりしない。
新潟と山形で大雨が降ったとのことだが、車窓から見える風景に雨の跡はない。

秋田駅に6時半に到着し、15分ほど停車する。ここでは常設のKIOSK以外に駅弁を売っているスペースがあったのだが、客が殺到してあっという間に売切れてしまった。もっと用意しておけよ…JR、本当に商売が下手。大阪で無理やり買っておいて正解だった。
東能代では向かい側のホームに止まっている弘前行きの普通に高校生がびっしり乗っていた。皆が怪訝そうな顔をしてこっちを見ている。普段学校へ通う時間にこの車両を見ることはないのだから、不思議だっただろう。

秋田駅を過ぎてから車内販売が始まり、コーヒーを買ってひたすら窓の外に目をやる。
線路とホームの高低差が小さい、人のいない、時刻表に空白の帯が見える駅をいくつも通り過ぎる。早い話ドラマやプロモーションビデオに出てきそうな駅。以前飛行機から見た地上の道路とそこを通る車が血管めいて見えたものだが…この地ではまだ電車が生命線なのかもしれない。
日本は広い。


大館と大鰐温泉の間で車窓にリンゴ畑が飛び込んできた。一度飛び込むと、立て続けにリンゴ畑が眼に入り、青森県に入ったことがわかる…というか、青森県に入っているんだよな?まさに青森=リンゴをそのまま表現したような光景。
青森駅では青森止まりの車両を切り離すために少し長い間停車するので時間つぶしにホームへ降りる。青空に白い鉄橋が映え、その先に海がある様子。予定外の遅れのため、先に発車する札幌行き特急へ乗り換える乗客も結構いるが、私はそのままとどまる。
壁を隔てた隣の寝台は70才前後のご夫婦と、外国人男性の二人連れで、たどたどしい英会話が聞こえてくる。男性二人は地名や固有名詞、数ぐらいの日本語はわかるようで、四国から関東から中国地方から旅をしたことがあるというなかなかの旅マニア。確かにそれくらいでないと、この電車を使うことは思いつかないか。
青森を過ぎてから単線の区間が多いのか、途中停車して反対方向の列車や同じ方向の列車の通過を待つ回数が急に増えた。先の札幌行きとの差は結構大きいかもしれない…札幌行き特急への乗り換えのアナウンスを聞きそびれたご主人はむくれ顔。時間の遅れは一向に構わないが、こう頻繁に途中停車をされると何かリズムが狂ってあまり気持ちのいいものではない。

青森を過ぎて2、30分ほどたったところでトンネルを連続して過ぎ、青函トンネルに入る。
実はこの青函トンネルに入る時は車内アナウンスも外の表示も何もない。あれだけセンセーショナルな存在なのに、気が利かないというべきか…まあこれででかでかと表示されていたら逆に旅の気分を損ねられるものかもしれないが。

3、40分ほどトンネルを通り、いよいよ北海道へ。

雨降ってるじゃん!しかも水煙上がってるし!!

進行方向の左側は山、右側が海。ひたすら海岸線に沿って走っていく。鉄腕DASHの世界だなー。
同じ山あいの田舎なのに家の立ち並び方やたたずまいが何か違っていて、「北海道」という雰囲気がある。別にログハウスが並んでいるわけではないのだが、この違和感は…家が平べったいのか。典型的な「三角形の瓦屋根」がなかなか見当たらない。
ここでも何度か特急列車の通過待ちで途中停車した。そのうちの1回、車体にドラえもんのキャラクターがいっぱい書いてある特急が通り過ぎる。何だろう?
(注:函館と吉岡海底駅を往復する特別仕立ての特急らしい)


北海道南の玄関口、函館駅のホームは6つと意外に少なく、完全な吹きさらし状態。冬どうするんだ。
ホームを過ぎるとガラス張りの短い通路があり、自動ドアを抜けて改札へ行くあたりはなんだか空港のようだった。

2005年8月28日(日) 函館前日:日本海1号

乗るつもりだった電車を1本逃してしまい、寝台特急「日本海1号」が発車する大阪駅の10番ホームに滑り込んだのは出発4分前。晩ごはんを買っておこうとホームの売店を見るが、弁当がない。仕方がないのでおにぎりとスナック菓子を買って電車に乗り込む。夕方発寝台特急の始発駅。絶好の駅弁販売チャンスだというのに…。新幹線新大阪駅といい、JRは商売が下手だ。
ホームには中級クラスの一眼レフを持ったいかにも鉄道ファンという風体の男性や家族連れ。この時点での乗客率はせいぜい2割。


大阪と函館を結ぶ寝台特急日本海1号はA寝台個室とB寝台があり、私はB寝台の下段を予約した。
B寝台を予約する場合は上段と下段、喫煙者か禁煙車かを指定でき、予約者の性別は問われない。
つまり、カーテンと少しのスペースを隔てた向かい合わせの寝台に男性がいるということもあるわけである。女性であってくれ!という願いも届かず、向かい側の寝台に乗ってきたのは中年の男性だった。

飛行機や特急列車と違い、寝台列車はある程度プライベートのスペースが確保されている。その状態で見知らぬ異性がすぐそばにいるという状況は、理屈抜きに怖い。前回の寝台急行「銀河」はほとんど乗客がいなかったので、この可能性がまったく頭になかった。
こうなるとカーテンを閉めていても神経がざらついてくる。耐えられなくなったので、空いている寝台があれば換えてもらうつもりで車掌のところに訊きに行ったのだが、8−9割の席がふさがっているという。
それだけ人がいるのなら大丈夫か。家族連れもいることだし。
(注:旅の途中、膝をつき合わせた状況でのふれ合いこそがB寝台の醍醐味の一つ。向かい側の寝台の人間の性別を気にするようなキャラクターはB寝台向きではなく、個室にしておいた方が無難だろう。寝台列車の一人旅を計画する女性はこの点を考慮しておいた方がいい。)

そんなこんなで落ち着いた時にはもう滋賀県に入り、暗くなっていた。


滋賀県といえば目の前に琵琶湖が広がる広々とした空間がイメージにあるが、窓から見える風景は鬱蒼とした木に不規則な形の田んぼ、ぽつりぽつり見える明かりという山あいの風情。思っていたより山の多い県なのかもしれない。
近江塩津でいったん止まり、大阪発金沢行きの特急「雷鳥」の通過を待つ。
単線区間があるということか。


車内販売は京都を過ぎてから福井までの約3時間しかない。かろうじて売れ残っていたかにめしと缶ビールを買って晩ご飯。
できるだけ長く起きていたかったのだが、ビールを飲んだのがまずかったのだろう。9時半頃金沢で力尽きた。

2005年8月26日(金) 帰宅報告

出かける時に残す謎のセリフ、「はるばる北へ」はわかりやすすぎたかなと書いてから後悔。
「いつか雪が積もる頃に二人で行きたい街へ一人で行ってきます」とか、「朝市で三色丼食べに行ってきます」とか、「某大河ドラマ続編の先取り取材に行ってきます」とか、「北の大地で尼僧の世界に触れてきます」とか、ちょっと考えれば浮かぶことだったのですが。

ということで、大阪発の寝台特急「日本海」で函館へ行ってきました。
ちなみに上の謎のセリフ達のネタ元は、北島三郎「函館の女」、GLAY「Winter, again」、函館駅前朝市、五稜郭、トラピスト寺院です。

以前東京−大阪間の寝台急行「銀河」に乗ってからもっと長い寝台列車に乗りたくなり、JRの時刻表を開いたのが全ての始まり。車内2泊、宿2泊の4泊4.5日の完全一人旅。いやあ、楽しかったです。
余裕があればぼちぼち話もしていきますね。

2005年8月22日(日) ハマるとエスカレートするもの。

ヒールの高さ。
口紅の色。
寝台列車の距離。

ということで、はるばる北へ行ってきます。戻るのは26日です。

2005年8月16日(火) 地震

遭われた方や影響を受けた方々にお見舞いを申し上げる次第です。

それにしてもここ一年は本当に地震が多いですね。覚えているものだけ並べても関東、東北、九州、北陸、近畿…。

2005年8月14日(日) お盆の叔母馬鹿トーク

世間はお盆休みということで、姉一家が泊まりにやってきました。大人ばかりの家なので、甥っ子達はめいめいの遊び道具を持ってきます。人生ゲームの話は以前しましたが、今回は遊び道具の新作を持ってきました。

マグネットの将棋板。

将棋を指す小学校2年生……。義兄が教えてあげたそうです。
ただし明日は義兄と上の甥が甲子園を見に行ってしまうので、誰も下の甥の将棋の相手をしてやることができません。いや父はできるのですが、「おじいちゃんはつよそうやからいやや」と下の甥。
負けず嫌いで、自分が負けそうになると怒ってすねてゲームを投げ出してしまうところが2番目特有の気質だそうで……。(うちの2番目の姉もそうだったらしい)

2005年8月11日(木) 続報

宏博兄さんは10日の午後に無事退院したそうで、その写真がこちら。家に帰ってからオフィシャルサイトの伝言板に激励の書き込みをしてくれたファンへのお礼の書き込みをしたそうです。「!」や顔文字があったりと、テンションの高さがうかがえる文章。まめです…。

一方ハオ君、丹ちゃん、パンちゃんによる宏博兄さんへのお見舞いのメッセージがこちら。それぞれのキャラが表れているようです。丹ちゃんとハオ君にとって宏博兄さんは本当に大先輩なんだな…とも思ったのですが、一番印象が強かったのがパンちゃんの「加油加油再加油!」
「がんばれがんばれったらがんばれ!」と、訳すことにします。何かパンちゃんの意外な一面が見えたような……(笑)。

2005年8月9日(火)その2 鎮静剤

中国冬季スポーツ界のスーパースター、趙宏博の突然の重傷ということでスポーツシナで出てくる記事は雨後のタケノコ状態。現時点でわかっていることは限られているので内容は結構かぶっているのですが、それでも少しずつ違いがあることはあります。ファン的に保存する価値があると思った記事をピックアップ。

その1 有名な運動医学の医師、田先生の4時間の手術を受け、結果は良好。
切開の位置について話し合ったことや四大陸から現在までの宏博兄さんについて
ヤオビン先生のコメントがあります。(ジャンプの練習を再開したのは先月?だったとか…)

(2) 宏博兄さんがケガをした時の詳細や(3+3をトライしてたのね…)記者との一問一答が載っています。
雪ちゃんはどうするのか?という質問もあり。(←記者的には他の人と組みかえるのか?と訊きたかったのかも)
ペアには長年かけて積み上げてきた感覚的なものがある、とにかく宏博兄さんの回復を待つということのようです。

(3) こちらは宏博兄さんの電話コメント。石膏(ギプス?)を完全に外すのに5週間かかるとか。
練習再開まで半年、完治まで一年という医師のコメントも。退院は一週間でできるそう。

例のパクリサイトより。
(4) ヤオビン先生による雪ちゃんの様子が少し。昆明でのトレーニング中調子が悪かった?(低焼)らしく、この日宏博兄さんが練習をしていた時にも休息をとっていたそう。
現在雪ちゃんは落ち着いていて、その「低焼」もなくなっているらしい。

(5) 手術前に宏博兄さんは田先生に「まだジャンプを跳ばなければいけないから」とあることをお願いしたようです。わからないのであとはよろしく。
ちなみに本来なら5日の午後は丹ちゃん&ハオ君の練習時間、雪ちゃん達の練習予定は夜だった様子です。

(6) 宏博兄さんはここのサイトのBBSに書き込みをしているのですが、入院中にもかかわらずファンからの励ましの書き込みにお礼のレス。


2005年8月9日(火) 暗転

宏博兄さんが5日にジャンプの練習の最中に左足の靭帯を切ってしまい、6日に手術を受けたそうです。(こちら
ヤオビン先生による発表では氷に戻る(?)のに3ヶ月、フィギュアスケートの通常の動作ができるようになるまでに5ヶ月、完治には1年かかるとのことで、オリンピックまでの試合をすべてキャンセルしたとのこと。
手術中の宏博兄さんの写真がアップされていたりします(こちら)。また宏博兄さん、こんな時までポーズとるし…。オリンピックがわからない状況になってきましたが、宏博兄さんは2003年、ワシントン世界選手権の直前で大怪我をしたにもかかわらず滑りぬいて優勝した雪ちゃんの例を出してあきらめない意思を表明しています。



落ちついているのか、凍りついてしまっているのか。
嘆くより心配するより先に、何に視点を定めれば…と据わった目でネットサーフィンをしている。変に手慣れた自分の反応がある意味うとましい。

願いを言葉にするには6ヶ月という時間はあまりにも短い。

2005年8月7日(日) パソコン、帰還。

やっと戻ってきました。
なんでもパソコンを冷やすファンの部分がおかしくなっていたのとバッテリーが完全に上がっていたので交換してくれたとのこと。まあ初期化というオプションつきですが、メーカーが長期休みに入るお盆の前に戻ってきてくれてよかったです。

さて、あれとあれとあれをアップして、あああのニュースも入っていたな……。

2005年8月5日(金) シーズンインの準備

ジャパンインターナショナルチャレンジ、アイスクリスタルでの先行発売が今日あったそうですね。
本格的なシーズンインはもうすぐ。そうだ、それぞれの試合にバナーを持っていってもらう人を探さないと…と考えて気がついてしまいました。

写真撮影そのものが禁止なんですから、フラッシュ撮影の禁止を訴えるバナーはもういらないんですよね………。

いらないに越したことのなかったバナーでしたが、こんな形でいらなくなるというのも空しいことです。

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