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カアンヘイシュク何晏平叔曹爽の腹心 何進の孫
カイエツイドカイ越異度劉表の幕僚 カイ良の弟
カイリョウシジュウカイ良子柔劉表の幕僚 カイ越の兄
カウン夏ツ乱世を招いた十常侍
カエイ花永王経の将
カカ賈華呉の部将
ガカショウカ俄何焼戈羌族の大将
カキ賈逵魏の諌議大夫
カギ何儀黄巾の残党
カギョウ何ギョウ南陽の人物評
カキン華キン呉の幕僚
カクブンワ賈ク文和曹操の軍師
カクエキ郭奕郭嘉の子
カクカホウコウ郭嘉奉孝曹操の軍師
カクシ董卓の部将
ガクシュウ楽就袁術の部将
カクシュンチュウバク霍峻仲バク劉備の部将
カクショウハクドウカク昭伯道魏の勇将 鉄壁の守り
カクショウ郭勝乱世を招いた十常侍
ガクシンブンケン楽進文謙魏の勇将
ガクチン楽チン楽進の子
カクト郭図袁紹の幕僚
カクボウ郭萌呂布の将
カクユウシエンチョウ郭攸之演長蜀の侍中 先帝亡き後の国内政治の筆頭
カクヨク霍弋蜀の将 霍峻の子
カクワイハクセイ郭淮伯済魏の行軍司馬
カコウイキケン夏侯威季権夏侯淵の次男
カコウエンミョウサイ夏侯淵妙才夏侯淳の従弟 弓の達人
カコウオン夏侯恩曹操の側近 青スの剣の番人
カコウカギケン夏侯和義権夏侯淵の四男
カコウカン夏侯咸魏の将
カコウケイガケン夏侯恵雅権夏侯淵の三男
カコウケツ夏侯傑曹操の部将
カコウゲン夏侯玄魏の大常卿
カコウゴウ何皇后霊帝の正室
カコウショウハクジン夏侯尚伯仁夏侯淳の甥
カコウソン夏侯存魏の部将
カコウトク夏侯徳夏侯淳の甥
カコウトンゲンジョウ夏侯淳元譲魏の大将軍 夏侯嬰の末裔 片目の猛将
カコウハチュウケン夏侯覇仲権夏侯淵の長子
カコウボウシキュウ夏侯楙子休夏侯淵の子
カコウラン夏侯蘭曹操の部将
カコウレイ夏侯令曹文叔の妻の父
カジュウコウリョ賈充公閭賈逵の子 司馬昭の腹心
カショク何植呉の司徒
カシンスイコウ何進遂高何皇后の兄 霊帝の時の大将軍
カダゲンカ華佗元化三国志の名医
カタイゴウ何太后孫皓の母
ガタン雅丹西羌の丞相
カハン賈範公孫淵の副将
カヒノウ軻比能鮮卑の国王
カビョウ何苗何進の弟
カヘイ何平蜀の将
カマン何曼黄巾の残党 截天夜叉
カユウ華雄董卓の都尉 水関の猛将
カンイ関彝関興の子
カンイン韓胤袁術の部下
カンウウンチョウ関羽雲長三国志の軍神 青竜円月刀の使い手
カンエイ韓瑛韓徳の長男
カンカ桓嘉魏の将
カンガイ管亥黄巾の残党
カンキ韓h韓徳の四男
カンキュウケンチュウキョウ毋丘倹仲恭魏の臣
カンキュウデン毋丘デン毋丘倹の長子
カンケイ韓瓊韓徳の三男
カンゲン韓玄長沙の太守
カンコウ関興関羽の次男
カンコウ韓浩曹操の部将 韓玄の弟
カンサク関索関羽の三男
カンジュン韓純韓馥の別駕
カンスイ韓遂并州の刺史
カンスウ韓嵩劉表の幕僚
カンソウ韓綜魏の将
カンタクトクジュンカン沢徳潤呉の幕僚
カンチュウ韓忠黄巾の残党
カンテイ桓帝後漢11代皇帝
カントウギコウ韓当義公呉の重臣 薙刀の使い手
カントク韓徳西涼の大将 大斧の使い手
カンネイ甘寧呉の勇将
カンネイ関寧関平の兄
カンハンゲンソク桓範元則魏の大司農
カンフクブンセツ韓馥文節冀州刺史 董卓討伐軍第二鎮
カンフジン甘夫人劉備の第二夫人
カンペイ関平関羽の養子
カンモウ韓猛袁紹の部将
カンヨウケンカ簡雍憲和劉備の幕僚
ガンリョウ顔良袁紹の大将
カンロコウメイ管輅公明人物評に通じた易者



何晏平叔 カアンヘイシュク
曹爽の腹心 何進の孫
出身地:洛陽
生没年:190〜249年
容姿 :後漢の大将軍カシンの孫。母の尹がソウソウの側室になった時にいた子。     文帝・明帝には風流公子きどりを好まれず、重用されなかった。

〜列伝〜  シバイとソウソウが、ソウホウを皇帝に即位させた時、カアン曰く、 「大権は他人に任せるものではございません。かつて、蜀軍に破れた時、シバイ に殿の父上が辱められて病となってお亡くなりになったのをお忘れですか。」  ソウソウははっとして魏主ソウホウに進言し、魏主がこれに従って、シバイを 権力から遠ざけようとした。シバイは病と偽って屋敷に引き篭った。  ソウソウが周りの反対を押しきってカアン等の腹心を率いて巻き狩りに出ると、 その隙にシバイが兵権を奪った。その後、カアン達が簒奪を企てていたのが露見 し、ソウソウともども処刑された。


俄何焼戈 ガカショウカ
羌族の大将
出身地:羌
生没年:??〜253年
容姿 :羌族の大将。

〜列伝〜  蜀のキョウイが北伐を開始した時、キョウイの策で蜀の援軍として5万の兵を 出し、ガガショウカを先鋒として魏の南安を攻めた。しかし、魏のチンタイの羌 への偽りの投降によって大敗し、捕らえられた。  そして、その場で自ら首を刎ねた。


郭攸之演長 カクユウシエンチョウ
蜀の侍中 先帝亡き後の国内政治の筆頭
出身地:南陽
生没年:179〜243年
容姿 :才幹と学識によって当時から人から名を知られた。     誠実で良識のある忠義の士であり、劉備玄徳が抜擢した。

〜列伝〜  劉備玄徳の死後、第一次北伐に出る諸葛亮孔明に命ぜられて、宮中のことを司 る。  諸葛亮孔明の「出師の表」に   国内政治において、進み出て忠言を具申する事は郭攸之演長、董允休昭、費   イ文偉らの任務です。   私(諸葛亮孔明)に賊(魏)を討伐して、漢王室再興の功績をあげよとお命   じ下さい。そして、功績があげられなかった時には、その罪を量刑し、先帝   (劉備玄徳)の霊にお告げ下さい。もし、国内政治において郭攸之演長、董   允休昭、費イ文偉らが進言できなかった場合は、彼等の罪を咎め、その怠慢   を明らかにしてお責め下さい。  と記されている。  第九十六回に登場した。  「正史」ではリョウリツが長水校尉になり、リゲン達の下に就いたことを意見 し、 「郭演長は人の後をついて行くだけで、大事をなすには不足であるのに侍中にな っている。」 と言葉した。しかし、ショカツリョウは、この結果、リョウリツを庶民に落とし た。


韓馥文節 カンフクブンセツ
冀州刺史 董卓討伐軍第二鎮
出身地:潁川
生没年:??〜191年
容姿 :冀州刺史。董卓討伐軍第二鎮。     臆病者。

〜列伝〜  董卓討伐軍第二鎮として駆けつけた。エンジュツの猛将ユショウがカユウに討 ち取られると、カンフク曰く、 「身どもの手の大将が討ち取るでしょう。」  エンショウはハンホウに出陣を命じるが、討ち取られてしまった。  董卓討伐連合軍が解散した後は冀州に戻った。そこにエンショウからコウソン サンが冀州を狙っていると言われて、長史コウブの諌めも聞かずに冀州をエンシ ョウに守ってもらうために州牧をエンショウに譲った。エンショウには権力をこ とごとく剥ぎ取られて、後悔しながら妻子を棄てて陳留のチョウバクのもとに身 を寄せた。  正史ではその後、エンショウの使者がチョウバクのもとに来てなにやら耳打ち をしたのを自分に対する処置を話しているものと思って、しばらくして席を立っ て厠へ行って自害したとある。