戻る
ハイゲンショウ裴元紹黄巾の残党
ハイショ裴緒諸葛亮の仕立てた偽魏将
バウ馬宇後漢の侍中
バエン馬延袁尚の部将
バカン馬漢劉璋の部将
バガン馬玩韓遂軍の大将
バキュウ馬休馬騰の次男
バキン馬鈞不老不死を知る博士
ハクジュ白寿蜀の将軍
バゲンギ馬元義黄巾の頭目 宦官と手を結ぶ
バジュン馬遵天水の太守 魏の部将
バショクヨウジョウ馬謖幼常馬良の弟 諸葛亮泣いて斬る
バタイ馬岱馬超の従兄 蜀の猛将
バチュウ馬忠潘璋の部将 関羽を捕らえた部将
バチュウ馬忠蜀の大将
バチョウモウキ馬超孟起馬騰の長男 五虎将軍の一人
バテツ馬鉄馬騰の3男
バトウジュセイ馬騰寿成西涼太守 董卓討伐軍第十三鎮
バリョウキジョウ馬良季常馬家5兄弟の一人 白眉の軍師
ハンイン万イク呉の左典軍
ハンイン潘隠霊帝の時の司馬
ハンキ樊岐蜀の武略中郎将
ハンキョウ范疆張飛の配下 張飛の寝首をかいた将
ハンケン樊建蜀の文官
ハンショウブンケイ潘璋文珪孫権の部将 関羽を捕らえた部将
バンセイ万政郭淮の部将
ハンチュウ樊稠董卓の配下 右将軍万年侯
ハンホウ潘鳳韓馥軍の大将 大斧の使い手



白寿 ハクジュ
蜀の将軍
出身地:??
生没年:??〜228年
容姿 :

〜列伝〜  後出師の表に、すでに没した将軍として名を挙げられている。


万政  バンセイ
郭淮の部将
出身地:??
生没年:??〜??年
容姿 :郭淮の部将。

〜列伝〜  カクワイの部将として、カクワイとともに箕谷へ兵を再び返した。蜀軍は兵を 退きはじめたが、チョウウンが後を引き受け、カクワイの軍勢を蹴散らした。チ ョウウンがそのまま進むと、バンセイが追いすがった。チョウウンと対峙するが、 チョウウンの姿を見ると先に進めず、蜀軍は30里あまり先へ行った。チョウウ ンが日が暮れるまでそこに立って馬を返して退いた。カクワイの軍が追い着くと バンセイはチョウウンの武が昔と変わらぬことを告げた。カクワイは急いで追う ように下告し、バンセイも数百騎に追討ちを命じた。  やがて大きな森の端にさしかかった時、背後から、 「趙子竜ここにあり。」 と一喝され、魏兵は逃げ去った。バンセイはチョウウンに立ち向かったが、チョ ウウンに兜の緒を射切られ、胆をつぶして谷にころげ落ちた。チョウウンは、 「ここはひとまず助けてやる。早くカクワイに追ってくるように言え。」 と言った。バンセイは命からがら逃げかえった。


樊稠 ハンチュウ
董卓の配下 右将軍万年侯
出身地:西涼
生没年:??〜192年
容姿 :董卓の配下。

〜列伝〜  トウタクの配下で、トウタクに従って洛陽入城し、虎牢関を守った。  トウタクの死後、192年、リカク、カクシ、チョウサイ、ハンチュウは長安 を占拠し、朝政を動かした。これに軍を興した西涼のバトウ、カンスイ連合軍と 同胞のチョウサイととともに戦った。  バトウ、カンスイ軍は2ヶ月せぬうちに兵糧が困窮して兵を退いた。これを追 撃したチョウサイとハンチュウであったが、チョウサイはバトウの子バチョウの 奮闘によって退けられた。カンスイは、追手のハンチュウに 「身どもと貴公は同郷の者であるのに、ここまでの仕打ちをされるとは。」 「これも命とあらば仕方あるまい。」 「身どもがこうして参ったのも、漢のため。お察しくだされ。」 と、カンスイが言うと、ハンチュウは馬首を返して陣へ引き上げた。  これをリカクの甥リベツが見ており、帰って叔父に報告した。リカクは大いに 怒って、ハンチュウを謀反の罪として斬首された。ハンチュウの配下はチョウサ イに納められた。



潘鳳 ハンホウ
韓馥軍の大将 大斧の使い手
出身地:??
生没年:??〜190年
容姿 :韓馥軍の大将。華雄に立ち向かった将。

〜列伝〜  ソウソウのトウタク誅滅の檄に呼応して兵を起こし、第二鎮として洛陽に攻め のぼったカンフク軍にいた。ソンケンを破ったカユウが鉄騎を率いてくると、エ ンジュツの猛将ユショウが出陣するが討ち取られ、カンフク曰く、 「身どもの手の大将が討ち取るでしょう。」 エンショウが直ちに出陣を命じたので、大斧を引っさげて馬を進めた。  しかし、待つほどなく討ち取られたと知らされた。