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ロウゲンショウセン桜玄承先呉の大司農
ロウシハク婁子伯終南山の仙人 曹操に氷城の策を授けた仙人
ロキ魯馗後漢の太僕
ロシセイエイ魯芝世英魏の大将軍曹爽の司馬
ロシュクシケイ魯粛子敬呉の温和な軍師
ロショウ路昭曹操の部将 劉備の監視役
ロショクシカン廬植子幹後漢の中郎将 劉備の学問の師
ロスイブンウツ路粋文蔚後漢の尚書郎
ロソン廬遜諸葛亮の連弩で戦う蜀将



桜玄承先 ロウゲンショウセン
呉の大司農
出身地:沛郡キ県
生没年:??〜272年
容姿 :呉の大司農。歯に布を着せぬ物言いと高い名声の持ち主。

〜列伝〜  鳳凰元年(272年)呉主ソンコウの無道な振る舞いに対してみかねて、丞相 バンイク、将軍リュウヘイとともに諌めて殺された。  ソンキュウの時代に監農御史になった。ソンコウが即位すると、オウハン、カ クタク、バンイクらとともに散騎中常侍になり、会稽太守になった。その後、朝 廷に戻って大司農になった。  歯に布を着せぬ物言いでソンコウの反感を買って、広州に送られた。  その後、息子のロウキョとともに交阯に強制移住させ、交阯の部将チョウエキ に身柄を送られた。息子のロウキョは交阯に着いた後、病死した。  ソンコウは名誉回復のために戦いで手柄を立てるよう命じた。一方でチョウエ キに二人を殺すように命じた。しかし、ロウゲンは不服従民の討伐で功を上げ、 チョウエキに礼をとっていたので、チョウエキにはロウゲンを殺すことができな かった。そんな中、チョウエキが急死しロウゲンが葬儀を執り行った。その際に チョウエキの元にあったロウゲンを殺すように命じた勅を見つけ、家に戻るとそ のまま自害した。


婁子伯 ロウシハク
終南山の仙人 曹操に氷城の策を授けた仙人
出身地:京兆
生没年:??〜??年
容姿 :終南山の仙人。曹操に氷城の策を授けた仙人。

〜列伝〜  ソウソウがバチョウと戦う際、土を運んで水をかけて一晩で氷の城を築く策を 授けた。  礼の贈り物を受け取らず、そのまま立ち去った。


魯馗 ロキ
後漢の太僕
出身地:??
生没年:??〜192年
容姿 :後漢の太僕。

〜列伝〜  リカク・カクシがトウタクの仇討ちで長安に入城した際に殺された。


魯芝世英 ロシセイエイ
魏の大将軍曹爽の司馬
出身地:扶風
生没年:??〜??年
容姿 :魏の大将軍曹爽の司馬。

〜列伝〜  シバイが反乱を起こした時に、シンショウを訪ねて天子ソウホウに知らせよう としてシンショウとともに数十騎を率いて門を固める軍勢に斬って出た。  大将軍ソウソウがシバイに誅殺されると、シバイはソウソウに従っていた者の 罪を許し、復職させた。


路昭 ロショウ
曹操の部将 劉備の監視役
出身地:??
生没年:??〜??年
容姿 :曹操の部将。劉備の監視役。

〜列伝〜  リュウビが許昌に滞在していた時、リュウビがエンジュツ討伐を申し出て兵を 借りて出陣した。その時、シュレイとともにリュウビの監視をした。  エンジュツとの戦いに勝利した後、リュウビにシュレイともに許昌に先に帰る ように言われて許昌に戻った。ソウソウは大いに怒って2人を殺そうとした。し かし、ジュンイクのとりなしで命を救われた。 「正史」では、名を路招と記してある。


路粋文蔚 ロスイブンウツ
後漢の尚書郎
出身地:??
生没年:??〜214年
容姿 :若い頃、サイヨウに学んだ。後漢の尚書郎。

〜列伝〜  コウユウがデイコウを推薦する時に、ゲンショウとともにその才能を比べるた めに名を出した。 「正史」では、ソウソウがコウユウを殺そうとした時、その意向を受けて、コウ ユウを罪に陥れた人物である。


廬遜 ロソン
諸葛亮の連弩で戦う蜀将
出身地:??
生没年:??〜263年
容姿 :諸葛亮の連弩で戦う蜀将。

〜列伝〜  南鄭関を守り、魏軍の侵攻をいち早く知り、関の前の木橋の左右に兵を潜ませ た。兵にはショカツリョウの残した兵器連弩を持たせた。魏軍の先鋒キョチョの 子キョギが寄せかかってくると一斉に矢石を浴びせ掛けた。キョギが兵を退いて ショウカイに伝えると、ショウカイが自ら幕下の荒武者を率いて寄せかかってき た。これも連弩で撃退し、ショウカイを5百騎率いて追撃した。逃げるショウカ イの馬が倒れた所へ追いつき、槍で仕留めようとした瞬間、魏将ジュンガイの放 った矢を受けて落馬して死んだ。  そして、すぐさまショウカイが関に切り込み、関の兵は味方が関の前にいるの で連弩を撃てず、たちまち南鄭関を乗っ取られた。