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モウカイコウセン毛カイ孝先魏の水軍都督
モウカク孟獲南蛮の王 諸葛亮に七度擒にされる
モウコウコウユウ孟光孝裕蜀の諌議郎 劉備を皇帝にした男
モウセツ孟節孟獲の兄 万安渓の隠者
モウタツシケイ孟達子慶蜀の将 関羽を見捨て魏に降る
モウユウ孟優南蛮の将 孟獲の弟



毛カイ孝先 モウカイコウセン
魏の水軍都督
出身地:陳留郡平邱県
生没年:??〜??
容姿 :清潔公正。魏の水軍都督。

〜列伝〜  マンチョウ、リョケンの推挙でソウソウに仕官した。  農耕を重用して軍需物資の確保をソウソウに進言して、功曹に任じられた。  濮陽のリョフと戦いでソウコウ、リテン、リョケン、ウキン、テンイとともに 2万の兵で夜襲した。しかし、それを見破ったチンキュウがギゾク、コウセイに 待ち伏せられて敗れた。  水軍大都督サイボウ、チョウインが処刑されるとその後にウキンとともに水軍 大都督に任ぜられた。そして赤壁の戦いに挑むが、ホウトウの「連環の計」のた め火計を受けてソウソウ軍は大敗した。途中、ブンペイを救い、ソウソウに合流 した。


孟獲 モウカク
南蛮の王 諸葛亮に七度擒にされる
出身地:南蛮
生没年:??〜??
容姿 :南蛮の王。諸葛亮に七度擒にされる。

〜列伝〜  蜀のリュウビ没後、シバイの策で魏のソウヒから官爵を賜り、蜀攻めに乗り出 した。しかし、ショカツリョウの疑兵の策により、ギエンの軍勢を見て逃げた。  その後、建寧太守ヨウガイとともに蜀に謀反するが、ヨウガイはショカツリョ ウの策に破れ、配下のトウトナはチョウギョク、アカイナンはチョウヨクに、自 分はギエンに生け捕られた。  しかし、ショカツリョウに 「山道が狭かったので誤って捕らえられたのだ。もう一度捕らえられたら降ろう。」 と言って降伏せず、釈放された。  再び戦うも、トウトナはバタイに先の恩を忘れたのかと罵られ兵を退いた。そ れに大いに怒りトウトナを打ち首にしようとしたが周囲に諌められた。しかし、 蜀に恩を感じたトウトナ、アカイナンに捕らえられてショカツリョウの前に引き 出された。  ショカツリョウは、 「再び捕らえられたら降ると言ったがどうじゃ。」 と問うと、ショカツリョウに 「貴様の力に敗れたのではない。配下が裏切ったのだ。」 と言って降伏せず、釈放された。  帰ってトウトナ、アカイナンを処刑し、弟モウユウを蜀に偽投降させて内応を 謀った。しかし、ショカツリョウはモウユウに薬を飲ませて泥酔させた。それを 知らずに攻め込みバタイに捕らえられた。  しかし、ショカツリョウに 「弟が貴様に毒を盛られたので討ち損じたのだ。弟ではなくわしが来ておれば確 実にわしが勝っていた。運が悪かっただけでわしが負けたのではない。」 と言って降伏せず、釈放された。  その後、銀坑洞に戻り各地から屈強の精鋭を集め進軍した。蜀軍が退いていく のでそれを追うが、背後から攻められ血路を開いて逃げ出した。しかし途中落と し穴にかかってギエンに捕らえられた。  しかし、ショカツリョウに 「誤って貴様の計にかかったのでは死んでも浮かばれぬ。もう一度解き放つなら 四度も恨みを晴らす。」 と言って降伏せず、釈放された。  弟モウユウの進言で禿竜洞のダシ大王のもとに身を寄せ、毒泉を盾に蜀軍を待 ち受けた。しかし、蜀軍は兄モウセツの助けで解毒の法を得て進軍した。蜀軍の 進撃と援軍と思った銀冶洞のヨウホウに大敗し、ヨウホウに捕らえられた。  しかし、ショカツリョウに 「貴様に負けたのではない。裏切り者にこんな目に合わされたのだ。」 と言って降伏せず、釈放された。  戻って妻の弟タイライ洞主に紹介されたボクロク大王とともに蜀軍と戦った。 ボクロク大王の妖術と猛獣で戦ったが、ショカツリョウの作った巨獣の前に敗走 した。しかし、偽投降でショカツリョウのもとに行き殺そうと企むが、ショカツ リョウに見抜かれて隠していた武器を取られた。  しかし、ショカツリョウに 「わしが自ら殺されに来たのであって、貴様の力ではない。」 と言って降伏せず、釈放された。  烏戈国のゴツトツコツに力を貸してもらい藤甲軍で蜀軍に挑むが、地雷を受け て火攻めにされた。血路を開いて逃げ出すも、捕らえられた。  涙を流してショカツリョウに 「七度捕えて七度許すとは古来より聞いた事がありませぬ。南蛮の者は二度と背 きませぬ。」 と言って降伏した。  蜀へ戻るショカツリョウを濾水まで送り南蛮に帰っていった。


孟光孝裕 モウコウコウユウ
蜀の諌議郎 劉備を皇帝にした男
出身地:河南郡洛陽
生没年:??〜??
容姿 :蜀の諌議郎。博学で古代の事に通じており、あらゆる書物を読破した。     孟郁の子である。孟郁の兄孟賁は中常侍である。

〜列伝〜  後漢の混乱を避けて蜀に逃れ、リュウエン、リュショウ、リュウビに仕え議郎 に任じられた。  常に直言して憚らないので爵位は昇進せず、人々から嫌われた。  リュウビが帝位に即く時に式典のとりなしを行った。  リュウゼンが跡を継ぐと大司農に昇進した。  90余歳で死んだ。


孟節 モウセツ
孟獲の兄 万安渓の隠者
出身地:南蛮
生没年:??〜??
容姿 :孟獲の兄。万安渓の隠者。

〜列伝〜  モウカク、モウユウの悪行を諌めたが聞き入れられなかったので万安渓で隠者 として暮らしていた。南征した蜀軍が毒泉に被害を受け、ショカツリョウが山の 神に導かれて訪れた。蜀軍に解毒を教え、 「この度の弟の謀反、それがしお詫びのいたしようもございませぬ。なにとぞご 勘弁のほどお願い申し上げます。」 と、ショカツリョウに詫びた。  ショカツリョウは天子に上奏して南蛮王に取りたてようと提案したが、 「功名を嫌い隠匿しております故に、二度と富を得たいとは思いませぬ。」 と辞退し、ショカツリョウが金帛送ろうとしたが、それも固く辞退した。


孟達子慶 モウタツシケイ
蜀の将 関羽を見捨て魏に降る
出身地:扶風郡
生没年:??〜228
容姿 :蜀の将。

〜列伝〜  リュウビが西川に来る時出迎えた。  その後、カクシュンとともに葭萌関を守った。チョウロのもとにいたバチョウ に葭萌関を攻められてチョウヒとギエンの援軍に助けられた。  魏のチョウコウに葭萌関を攻められてコウチュウとゲンガンの援軍が来た。し かし、援軍の老将2人を見て「こんな老人をよこすとは。」とショカツリョウの 不手際を心の中で笑った。しかし、コウチュウとゲンガンは魏軍を撃退し、定軍 山のカコウエンを討ち取った。  リュウビが漢中を手にすると、上庸をリュウホウ、オウヘイとともに守った。  その後、カンウが荊州で呉の将リョモウと戦って敗れた時、カンウのもとから リョウカが援軍を求めてきたが、 「荊州にはソウソウも4、50万の軍で押し寄せている。援軍に行っても無駄だ ろう。」 とリュウホウとともに援軍を派遣しなかった。リョウカは成都に援軍を求めた。 カンウは呉に捕らわれて処刑されると、リョウカは、 「敗戦とカンウ殿の死は、モウタツ、リュウホウが援軍を送らなかった事にあり ます。」 とリュウビに2人を誅するように進言した。  これをいち早く察知してシンタン、シンギに勧められて魏に投降した。先の汚 名を返上すべくリュウホウが攻めてきたので、魏に投降する事を勧めた。しかし リュウホウはこれに応じず戦い、魏のジョコウが加勢してリュウホウを退けた。  リュウビが死んでリュウゼンが跡を継ぐとソウヒが蜀伐を始め、第4軍として 十万の軍を率いた。しかし、ショカツリョウの策で、蜀の友リゲンからの偽手紙 を掴まされて漢中で足止めされた。  ソウヒが死んでソウエイが跡を継ぐと重く用いられなくなり、再び蜀に寝返る 事を考えた。そして、リゲンにショカツリョウへのとりなしを求めた。ショカツ リョウは、これに応じて魏のシバイには十分に注意するようにと言った。しかし、 腹心のリホとトウケンが裏切ってシバイに密告した。先方のジョコウに攻められ て城に篭った。降伏せよと城外から叫ぶジョコウに矢を放ち、額に命中させた。 ジョコウはその夜に死んだ。翌日、シンタンとシンギが兵を率いて来たので城門 を開けて迎え入れた。しかし、シンタン、シンギに攻めかかられて城内に逃げ込 んだ。そこに城門の上からリホ、トウケンに矢を射掛けられて、シンタンに槍で 突き落とされた。  部下は降伏し、モウタツの首は洛陽に送られてさらし首にされた。


孟優 モウユウ
南蛮の将 孟獲の弟
出身地:南蛮
生没年:??〜??
容姿 :南蛮の将。孟獲の弟。

〜列伝〜  ショカツリョウの南征の時、兄モウカクの策で蜀に偽投降し、内応して蜀軍を 撃ち破ろうとしたが、逆にショカツリョウの策で酒に薬を入れられて泥酔した。  そして、蜀軍に攻め込んだモウカクともどもショカツリョウに捕らえられた。 その後釈放され、再びモウカクとともに攻めるが捕らえられて、禿竜洞のダシ大 王のもとに身を寄せた。  禿竜洞には4種類の毒の泉があり、蜀軍も近づけないと思って毎日宴会を催し た。しかし、銀冶洞のヨウホウに裏切られてモウカクともども捕らえられてショ カツリョウの前に突き出された。ショカツリョウはまたも釈放した。  その後、モウカクが七度目に捕らえられると、モウカクとともに心から帰順を 誓った。