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ヨウキ楊懐劉璋の部将
ヨウキ楊g献帝の侍中
ヨウギ楊儀蜀の将軍 魏延の反乱を平定した将軍
ヨウコシュクシ羊コ叔子晋の都督
ヨウコウ楊昂張魯軍の将
ヨウシュウ楊秋韓遂軍の大将
ヨウシュウトクソ楊修徳祖楊彪の子 鶏肋に死す
ヨウシュウ楊醜張楊の部下 主を斬り曹操に投降
ヨウショウ楊松張魯軍の幕僚 主を売り漢中を曹操に与えた幕僚
ヨウジン楊任張魯軍の将
ヨウソウショハク楊綜初伯魏の主簿
ヨウタイショウ楊大将袁術の幕僚 長史
ヨウハク楊柏張魯軍の大将 楊松の弟
ヨウヒョウブンセン楊彪文先少帝の時の司徒 楊修の父
ヨウフギサン楊阜義山涼州の参軍
ヨウホウ楊奉後漢の騎都尉
ヨウホウ楊鋒南蛮銀冶洞二十一洞の主
ヨウミツ楊密後漢の中郎将
ヨウリョウ楊陵魏の参軍 楊阜の族弟
ヨウレイ楊齢長沙の管軍校尉



楊松 ヨウショウ
張魯軍の幕僚 主を売り漢中を曹操に与えた幕僚 楊柏の兄
出身地:
生没年:??〜215年
容姿 :張魯軍の幕僚。主を売り漢中を曹操に与えた幕僚。楊柏の兄。

〜列伝〜  蜀のリュウショウからの使者コウケンが、領土割譲を条件にリュウビ討伐を依 頼してきた事を喜んでチョウロに勧めた。  しかし、リュウビの使者のソンケンが金銀を持ってくると、チョウロと客将の バチョウとの仲を裂いた。  漢中攻めのソウソウは、バチョウ配下のホウトクを味方に付けようと、金品を ヨウショウに贈った。ヨウショウはチョウロとホウトクの仲を裂いてソウソウに 従った。  漢中がソウソウのものとなると、ヨウショウは己の栄華のために主を売った者 としてソウソウに処刑された。  「正史」には登場せず、チョウロとバチョウの離間は弟のヨウハクが行ってい る。


楊任 ヨウジン
張魯軍の将
出身地:
生没年:??〜215年
容姿 :張魯軍の将。

〜列伝〜  ソウソウの漢中進撃の際、陽平関をヨウコウと共に固めた。しかし、ソウソウ 軍のキョチョに敵わず逃げた。  その後、カコウエンの軍に敗北し逃げ帰り、再び南鄭から2万の軍勢でカコウ エンと戦ったが、配下のショウキを斬られ、自らカコウエンと30合い打ち合っ たが斬られた。


楊綜初伯 ヨウソウショハク
魏の主簿
出身地:
生没年:??〜??年
容姿 :魏の主簿。義の人。

〜列伝〜  大将軍ソウソウが兵権をシバイに渡して命乞いをしようとした時、諌めたが聞 き入れられなかった。大将軍ソウソウが処刑された後、シバイによって義の人で あるとして現職に留任された。


楊大将 ヨウタイショウ
袁術の幕僚
出身地:
生没年:??〜??年
容姿 :袁術の幕僚。長史。

〜列伝〜  エンジュツがソンサクを討とうとした時に、リュウビを討つことを進言し、リ ョフがリュウビに加勢しないように食料を送ることを進言した。しかし、エンジ ュツはリョフに食糧を送らずに大敗した。  ソウソウが攻めて来た時、淮水を渡って逃げることを進言し、同行した。  「正史」には、長史でエンジュツのもとにいた楊弘という人物が見られる。  楊弘は、エンジュツが死んだ後、チョウクンらと共にソンサクのもとに身を寄 せようとしたが、廬江太守リュウクンに待ち伏せ攻撃を受けて捕らえられたとあ る。その後、ソンサクが廬江を攻め取りリュウクンの配下は皆降伏した。チョウ クンはソウソウの元に落ち延びた。


楊柏 ヨウハク
張魯軍の大将 楊松の弟
出身地:
生没年:??〜214年
容姿 :張魯軍の大将。楊松の弟。

〜列伝〜  チョウロの娘とバチョウの縁組に反対し、バチョウと敵対した。  リュウビとの戦いに出陣するバチョウの目付け役となった。ギエンと打ち合う が適わず逃げた。  リカイによってリュウビに降伏するように説得されたバチョウに呼び出されて 斬り殺された。


楊彪文先 ヨウヒョウブンセン
少帝の時の司徒 楊修の父
出身地:弘農郡華陰
生没年:142〜225年
容姿 :少帝の時の司徒。楊修の父。

〜列伝〜  十常侍によってカシンが謀殺された時、外に連れ出された少帝と陳留王を出迎 えた。  トウタクの政権の下、遷都に反対して太尉コウエンと司徒ジュンソウと共に庶 民に落とされた。  トウタクがリョフに殺された後に太尉に復職しリカク、カクシの誅滅を大司農 シュシュンとともに献帝に上奏した。リカク、カクシはヨウヒョウの計略で互い に争い始めたが、リカクが献帝を虜にしたため、リカク、カクシの和睦を勧めた。  献帝は長安を抜け出て安邑県に移った。ソウソウを呼び寄せ献帝の保護を求め た。そしてソウソウの天下になったが、太尉のヨウヒョウはエンジュツの縁者で あることからソウソウに投獄された。北海太守コウユウの諌めで命は助けられた が罷免されて国許に放逐された。  「正史」ではその後、魏の文帝が即位した時に太尉に任命しようとしたが、固 辞したので、光禄大夫の礼遇を授かった。


楊阜義山 ヨウフギサン
涼州の参軍
出身地:天水郡冀県
生没年:??〜??年
容姿 :涼州の参軍。

〜列伝〜  イコウを涼州刺史に推挙し、共に冀城を固めてバチョウに備えた。  その後、バチョウに攻められてカコウエンに救援を求めたが、カコウエンはソ ウソウの許しがないために駆けつける事ができなかった。そして参軍ヨウフの再 三の諌めも聞かずにイコウはバチョウに降伏した。イコウはバチョウに一族を殺 されヨウフはバチョウに現職のままとされた。  ヨウフはリョウカンとチョウクを武官に取り立てた。その後、妻の葬儀を理由 に休暇を得て、途中の歴城で従兄弟のキョウジョ、インホウ、チョウコウと結託 してバチョウに反旗を翻した。兄弟7人はバチョウに殺され、自分も槍で刺され たが、そこにカコウエンの軍が加わりバチョウに勝利した。  許都でソウソウに関内侯の爵位を与えられた。  「正史」では、その後、益州刺史、武都太守などを歴任し、明帝の時に将作大 匠から少府に昇進し、朝廷の会議では常に剛直さを発揮し、天下のことを自分の 任務とした。  たびたび諫言し聞き入れられないと何度も官位を辞退した。直言の士として硬 骨ぶりをうたわれた。  没後、家には財産を残さなかった。孫のヨウホウがあとを継いだ。


楊奉 ヨウホウ
後漢の騎都尉
出身地:??
生没年:??〜197年
容姿 :後漢の騎都尉。

〜列伝〜  リカクの配下。  トウタク亡き後の政権を握ったリカクとカクシが仲違いを始めた。  カクシからの和議の使者を斬ろうとしたのを諌めた。リカクに重宝されず、同 胞のソウカとともに反乱を企てた。しかし、リカクに露見し、ソウカは捕えられ て殺され、自分は西安に落ち延びた。その際、弘農へ行く献帝の警備に加わった。  援軍に駆けつけたソウソウに対して、カンセンとともに戦うが、配下のジョコ ウがソウソウに寝返り、大敗した。そして、エンジュツを頼って落ち延びた。  エンジュツのリョフ討伐軍に加わったが、リョフからの使者チントウの誘いに よって寝返り、エンジュツ軍の陣に火を付けて、それを合図にリョフ軍に攻め込 ませて大敗させた。  その功でリョフから瑯揶郡の牧に任ぜられた。しかし、その行いが悪く、徐州 に駐屯していたリュウビは、用談に事寄せて宴席を設けて、二人をもてなし、そ の中でカンウ、チョウヒに討たせた。リュウビは、その首をソウソウに献じた。



楊鋒 ヨウホウ
南蛮銀冶洞二十一洞の主
出身地:南蛮
生没年:??〜??年
容姿 :南蛮銀冶洞二十一洞の主。

〜列伝〜  蜀の南蛮侵攻の時、南蛮王モウカクに加勢した。モウカクは大いに喜んで彼等 をもてなした。陣中で酒を受け、その瞬間にモウカク、モウユウ、ダシ大王を取 らえた。 「我ら一族は丞相に一命を助けられ、ご恩返しの時を待っていたのだ。」 と言って、蜀の陣中におもむき、ショカツリョウにモウカク達を差し出した。  ショカツリョウから数々の恩賞と官爵を与えられて洞へ帰った。



楊密 ヨウミツ
後漢の中郎将
出身地:??
生没年:??〜??年
容姿 :後漢の中郎将。

〜列伝〜  トウタク亡き後の政権を握ったリカクとカクシが仲違いを始めた。  カクシのもとにおり、リカクからの和睦の使者ヨウヒョウをカクシが斬ろうと したためこれを止めた。



楊陵 ヨウリョウ
魏の参軍 楊阜の族弟
出身地:??
生没年:??〜227年
容姿 :魏の参軍。楊阜の族弟。

〜列伝〜  南安太守。  蜀のショカツリョウが捕えた魏将サイリョウが降伏を勧めに来ると、彼ととも に蜀軍を城内に誘い込んで討ち破ろうとした。しかし、ショカツリョウに見破ら れて、カンウの子カンコウに斬り殺された。


楊齢 ヨウレイ
長沙の管軍校尉
出身地:??
生没年:??〜208年
容姿 :長沙の管軍校尉。

〜列伝〜  リュウビ軍が長沙のカンゲンを攻めた際、コウチュウが出ようとした所に、進 み出て、 「ご老体が出馬ぜずとも、それがしが手捕りにしてまいりましょう。」 と言った。カンゲンは大いに喜んで兵千騎を与えた。  カンウに槍をしごいて立ち向かうが、3合ほどで討ち取られた。