2003.12.30

師走の里山

2003.12.13−14


12月の里山


2003.11.22−24


11月の里山

2003.10.26


新規導入 2題

2003.10.11−13


10月の里山

2003.9.13−15(9.27追加更新)

9月の里山(2)

2003.9.7


9月の里山

2003.8.13−17


お盆休み

2003.8.10

台風一過の朝、新聞を取りに出ると玄関の前が木でふさがれています
ゴールドクレスト、この木は茂り具合に対して必要な根が張らないようです
これまでも台風のたびに傾いて他の2本は丈の半分ほど切り落としていたのですが
玄関の横のこの一本は今回みごとに倒されました
処分して軽トラに積み込むと、玄関の前が見違えるほど明るくなりました

台風通過直後の、といっても五時間ほど経っているのですが木津川の水は
流域の雨を残らず集めて木津から加茂のあいだ川幅一杯に流れています
ふだんは草木が茂り河原がほとんどなのですか、今は水塊だけ

いつも休日はキャンプ、焼き肉会などでいっぱいの笠置の河原は今日は流れの中

笠置町有市と南山城村大河原の二つの潜水橋は今二つとも水の中
水のわずかな盛り上がりでそこにあるのだろうということはわかります
もちろん道が川の中に消えているのでそれとわかるのですが
今日はその道もゲートを閉じています
知人の身内が無理に渡っていて流されて命をなくした橋、
そんな犠牲の上にシステムができたのでしょう

大河原で国道163号と別れ木津川に沿ってのぼります
大石がごろごろしている小峡谷、今日は濁流で石も見えません
弓が淵、発電用水取水用の堰はいつもはきれいな水のカーテンで目を楽しませてくれますが
今日は濁水が猛々しく堰を溢れています

里山らんどに到着するとまずカブトムシのチェック
ステンレスのドラム缶でさなぎから孵っていないか、蜜のゼリーがなくなっていないか
食べ物がないとかわいそうなのでたくさん入れています
いました
ちょっと小型ですが、まだこれから大きくなるのかなあ


2003.8.3

初風呂

2003.7.26

梅雨明けはまだか


2003.7.9

梅雨の里山U

2003.6.28

間伐作業

2003.6.17

梅雨の里山

2003.6.8

枕木の橋の上から池を眺めていると飽きない。
何か変化がないか池の面を眺めている。

金魚を放したが生きているのやら。

お隣の南さんは、この池は昔からの農薬やらが堆積してて魚なんかは棲めないわよ、
と棲息には否定的で、
遠くの南さん(近くの茶畑のオーナーでお隣の南さんの親戚)は、

この池は金魚を入れたらいいよ、
と意見が分かれる。

遠くの南さんの意見を採って金魚を放したのだが。

ときどきミズカマキリが藻の上にあがり体操をしている、腕を後方に大きく伸ばし背中をかくような仕草が面白い。
水棲昆虫を増やそうと先週自宅近くの小川、池、田んぼに網をもってでかけたのだが、
昔なじみにはお目にかかれなかった。
季節が早いのだろうか、かえるだってまだおたまじゃくしなのだから。

ちいさな赤くないザリガニを数匹捕獲。
落ち葉と一緒にすくい上げたとき、いくつかの小さな動きをみとめたので、
幼虫、たまごがいて、いずれ姿を現すかもしれない。
夏の暑い頃にまた網を持って田んぼ、池をチェックしてみよう。

ホトトギスが鳴いている。
見上げると、飛びながら鳴いている

ウグイスのように枝の上で落ち着いて声を絞り上げているのかと思っていたのだが、
あわただしいことだ。
ウグイスと交替するようにホトトギスの鳴き声が増えた。
ほかの鳴き声はなかなか同定出来ない。
図鑑で特徴のある声でいくつか憶えておいて、
それらしいのが聞こえたらCDで番号を指定して再生、確認するのだが。

池の端に花菖蒲を植えた。天女の冠、雷雨、天の??。
紫陽花、花菖蒲、睡蓮の池は管理された公園のようで、ビオトープから離れているような気もするのだが、
これらをひっくるめてビオトープだととりあえず納得している。
ホテイアオイ、ハイドロビザが増え始めている、この浮き草の生長も楽しみのひとつ。

藻のうらに赤いものを認識した。
金魚は生きていた。動きが早い、さっと別の藻のうらに移動する。

放されてから危険な目に遭ってきたのかもしれない。
どうやら遠くの南さんの意見が正しいようである。
仲間を入れてあげようか。
それじゃおいらは棲息のパイロットだったんかい。と金魚に噛みつかれそうである。

2003.5.20

里山らんどには2本の栗の木がある
一本は最近高いところに植えた苗木である。
もう一本はもとから平地のなかほどにあって、ややくたびれた様子の目立たない存在であった。 
里小屋を建てるときにじゃまになる枝を躊躇なく切り落とし、今となっては樹形を乱している。

この栗の木に実を付けているのをまだ見たことがない。
ここ2年は毛虫にやられている。
昨年の今頃は屋根仕事の真最中で、毛虫をよけながら、
若葉がみるみる蹂躙されていくのを横目に見ながら作業をしていた。
何とかしてあげたいと思いながらその余裕がなく、
来年こそは薬を散布してして助けてあげなければと考えていた。

その今年、毛虫がまだ出ていないかチェックしていたときに、毛虫の幼虫を見つけた。
毛虫自身が幼虫なのだから毛虫の幼虫はおかしな表現だけれども、
一枚の葉に小さな孵ったばかりの細い細い幼虫がぎっしりきれいに並んでいて、
この集まりをいくつかみつけた。
非常に効率の良いことである。
いざ出陣を待つという気色であり、翌週も気を付けてまた同じ状態の葉をいくつかみつけた
薬を散布する必要はなかった。

今毛虫はほとんどいない。
栗の木は青々しい若葉を風にそよがせて見違えるようである。
いままでくたびれたように見えたのは葉がほとんどなかったから?。
来月になるとあの独特の青臭い匂いをまき散らしながら花穂を下がらせるのだろうか。

そうしたら次はの栗の実を期待できる。大きさも期待しておこう。

2003.5.13

4.6 に紹介したおばあちゃん(おふくろ)から手紙が来た。
嬉しい便りだった。
人に元気を与えられるのではないかと思い、あえて紹介する。
(実は米寿を迎えてなお、この行動的な母親を誇らしく思っているからである)
プライベートには遠く離れた兄弟、甥姪に知らせるという意味もある。

風薫る五月、新緑にひかれてあっちこっち旅をしています。
帰福してから4月12日は長崎の九十九島にツアーで行って来ました。
4月28日はかんこく寺の火渡りと言ふ行事があって護摩焚き行事の後、
火の上を(消した後)はだしで歩くのですが熱くはありませんでした。


5月3日は鹿児島の霧島高原をまわって温泉に行って後、
宮崎の生駒高原のアイスランドポピーがとてもきれいでした。
日帰りで8時30分出発で帰宅9時30分でした。

明日5月10日は久留米の石橋文化センターに筑前琵琶大会を聴きに行きます。
昔、高宮の哲雄叔父さんが親戚の人から習ってあって、
私も炊事場で聴きながら二、三曲憶えていて、とても好きでしたので行ってきます。

今日は家のガーデニングをしているのを入れておきます。(写真)
由布ちゃんに言っていたワンちゃんを大きく写しました。
人の気配でワンワンとなきますから可愛いですよ。
花も今とてもきれいです。

 
小みかんとビワをくぐりてバラの門

 手にあまる仕事にときの経つばかり

 明け切れぬ庭にたたずみ思い出の
       楽しき夢を振り返り見る

 細長き花壇に一人たたずみて
     バラ咲く夢を画きつつあり

 甘酒の声にかこちて友を呼び
     色とりどりの花に酔わしむ

 居間よりはまたひとめぐり花のみち

     拙句ですが心境のまま詠んでいます。

京都の里山、今頃どんなになっているのでせうね。
お野菜もできているでせう。花も色々咲いているでせう。
家のライラックも今年はたくさん咲きました。
ピンクのアメリカ花みずきも可愛くたくさん咲きました。

では皆様 御身体大切に御過ごし下さいませ。

2003.5.10

五右衛門風呂の釜を手に入れた。

南さんの畑に雨水を溜めておいてあったものだが、
もったいないなあ、と横を通るたびに眺めていた。
南さんとの親睦焼肉会のなかで話題になり、
突然に(断じて下心があったわけではない)ドラム缶との交換トレードが成立して、
スチールがアイアン(鋳物)に代わった。
ビフォーアフターではすぐへんなものを拵えてしまうが、
(最近は作者の訳のわからないこだわりが番組を面白くなくしている?)
そんなことはしない。風呂釜は風呂釜である。

中のさびや付着物をワイヤブラシで落とし磨く。
弥次さん喜多さんが悩んだすのこもつくらなければ。

今年の夏は仕事のあと汗を流すのに月ヶ瀬温泉までいく必要がない。

次は天日温水器
温水器をつくれば薪の節約になるし、屋根の灼けも多少は防げる。
屋根のたわみをにらみながら水をためるのも冷却効果が期待できるだろう。

2003.5.2

連休はずっとではないけれども時々は里山に泊まっている
明け方はまだ寒い
早く起きデジカメと長柄の草払い鎌を持って里山の奧にはいる
里山には枝分かれするほそい山道が幾筋もあるがほとんどは行き止まってしまう
まだ先に道は見えているのだけれども藪状態で進めないのである
草払い鎌で切り開いてみようかなと持ってきてはいるが密度の濃さにあきらめる
戻り、次の枝道にはいる
道を離れ雑木林に入り込むと暗く腐葉土が厚い
ふかふかと足が沈み込むような厚さである。
昔、肥料や燃料を山の中に求めなければいけなかったときはもっと利用され道も生きていたのだろう。
子供の頃の記憶にある入会権の問題(小繋事件など)などなかったように
腐葉土はさらに厚くなり林は暗くなる。


山桜蔓 その後

切った山桜の蔓を見たナオ子さんは、「まだいけるわ。取って」とわかりやすい判断(指示)を下す。
蔓細工は冬にしかできないといっていたのに。


登ってあらためて見ると大枝ごと枯れている部分が目立つ。

昨年はデッキから間近に、小振りで品のいい薄いピンクの花びらが見えたのにそんなところにはもうない。
蔓細工はナオ子さんの領分であるが作品ができたらコーナーをつくらねばなるまい。

2003.4.27

里山らんどのやまざくらがようやく咲いた。

本当に咲くのだろうかと思ってしまうほど、待たせ期待させて可憐な花を付ける。
大きな幹が3本あるが一本は笹藪のなかに倒れ苔むしていて、
今年はもうだめかなと思っていると笹籔の奥の方で花を付けている。

昨春にくらべると下の方につく花が少なくて寂しい。

あけび、藤がからまって桜の樹をいじめているから。

むかし山を渡り歩いていた木地師は木にからまる蔓はかたはしからはらっていた。
いま蔓から木を守る人はいない。

蔓を切り落としたいのだがナオ子さんは冬に蔓細工に使うのだとしぶる

デッキに寝転がって花を付けた樹を見上げるとあまりにひどい。
もう許せない。
大小十本以上の蔓を切り落とした。

立ち直るまでは数年かかるのだろうが、もっと桜守をしなければ。

2003.4.20

こんにゃくの種芋をお隣の南さんにもらった。
南さんの畑に伸びているこんにゃくの茎葉を見てうらやましく思っていたのでうれしかった。
3年育てるとおおきないもが収穫出来るそうだ。

ナオ子さんの菜園計画に入っていなかったので、新しく畑を開く必要が出来た
里山らんどの一番高いところ
ここは一時期クヌギ、コナラの雑木林をつくる計画だったが、
西側斜面で下の畑の日当たりをさまたげることに気が付き、やめた。

自給自足計画がなにより優先。優先しすぎもあじけないなあ。
ということでしっかり一日百姓。

桃栗3年ならともかく、芋3年とはなんとのんびりした話
こんにゃくつくりを紹介できるのはまだまだ先になる。

2003.4.13

明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ

桜が満開になるといつもこの歌があたまに浮かぶ。
明日ありと思う怠惰な気持ちをいつも反省しながら、
しかし桜はまた嵐に吹かれ 散る

4月12日奈良の桜は散り始めと落花の中間、まだ花見に耐える状況にあるが、
この雨でまもなく花びらのピンクが緑におきかわるだろう。
奈良奥山の更に奧、月ヶ瀬の桜はまさに見頃である。

願わくば花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃


と望んで西行はまさにその時に望みを遂げた。
この情景をイメージするとき大きな桜の樹はボリューム一杯にやはらかく満開である。

限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山かぜ

これも好きな歌、織豊期の武将蒲生氏郷が病に倒れた無念さをうたっている。
氏郷の出身地滋賀蒲生郡日野町はしゃくなげの野生群落で知られる。
鎌掛谷、まもなくこちらが満開になる

http://www.biwa.ne.jp/~youhen/kaigake.htm


2003.4.6


里山におばあちゃんがきた。春と一緒にきた。

おばあちゃんといっても子供達のおばあちゃんでわたしにはおふくろである。
今年米寿であるが、福岡から新幹線に乗ってひとりでやってきた。
いたって元気である。というよりいたりすぎるくらい元気である。
ありがたいことだ。


なくなったおじいちゃんとともに旅行が大好きで、子供達には
とてもまねができないほど地球上を歩きまわっている。
帰るとすぐ九十九島へバスツアーだそうな

彼女の草取りで畑は現時点では完璧に緑色が消え、
近くの野道のつくしんぼもきれいに掃討され玉子とじになった。
わらびはまだ土の中にねむっていて被害に遭っていない。

彼女は福岡ではガーデニングにはまっていて
土曜日里山は雨だったので彼女の庭の表札をつくった。

2003.3.30

里山はひがな一日静かである
約4キロ離れて走っている関西線の列車の音が昼間でも聞こえる。
4キロといえば大阪梅田と難波ほどの距離である。
(このたとえは大阪の人しか理解できないか、おまけに長崎駅から大学まで)

汽車ではないから汽笛が聞こえるわけではない、
木津川の鉄橋を2両編成の列車の車輪がたたいている音なのだろう。


春の里山は鳥のさえずりがBGMとなる。
しばらく前、まだ寒い頃はジョウビタキが訪れていた。
珍しそうに小屋の周りを離れない。
舌打ちするようにさえずり、こちらもつい舌打ちで応えてしまう。

小ぶりで人なつっこくてかわいいなと思っていたら、
実は彼(彼女かも知れない)は畑を起こしたあと姿を現す虫がお目当てなのである。

今はコジュケイが遠くで「ちょっとーこい、ちょっとーこい」と呼びかけているが、
忙しくて相手はできない。

ウグイスはまだ調整段階か拙い。これから本番。
それからしばらくすればホトトギスが「てっぺんかけたか、てっぺんかけたか」と問いかけてくるが、
小屋の屋根はかけたので「もうかけたよー」とこたえよう。


ホトトギス自由自在に聞く里は、酒屋へ三里、豆腐屋へ二里

 と古人は詠んだが、
酒屋と蒟蒻屋へ半里の里山らんども自由自在である。

2003.3.23

春の訪れ
ようやく薪ストーブにたよらなくても快い暖かい春が訪れた。
里山は春の香りに満ち始めた。
薪ストーブは使い方がようやく会得できたが、なかなかの力を持っていることがわかった。
炎がでているときよりも、熾き火の状態がじわっと暖かい。
けれどもしばらくはお休み、また次の冬に備えての薪つくりが待っている。

水仙は来週が満開か、里山の梅の花はまだこれから。
 

2003.3.15

月ヶ瀬の桜と梅

月ヶ瀬は梅渓と呼ばれているように桜よりも梅で有名である。
これまでも梅の頃に何度もきていたのだけれども梅渓がどこなのかわからなかった
先週の日曜日ようやく行き着いた

近畿では南部(みなべ)や賀名生(あのう)青谷などが知られているが、
これらは梅林で梅渓と呼ばれるところは他にあまりないようである

渓谷の梅林ということであろう。
里山の紹介ページに水上勉の月ヶ瀬紀行で引用しているように昭和35年から
高山ダムの工事が始まり、その頃現在の場所に移ったのであろうか。

月ヶ瀬梅渓が名勝地に指定されたのは大正11年であるから、
山の上にのぼり茶店、土産物屋がならんだ梅林にいにしえの人は何を思うだろう。


わたしには月ヶ瀬は梅よりも桜のほうがずっといい。
湖の周りに咲きわたるが、八幡橋をわたって上る道の途中で振り返るけむったような眺めがいい。
地元の人に聞くと梅の頃は大勢の人が来るけれども、
桜の時分はひっそりしているということである。

その頃、吉野は人で埋まっている。



2003.3.9

話題として少し古くなったが、1月に鉄腕ダッシュ村の古民家が失火で焼けた。
すくなからずショックだった。

移築とはいえ地道な作業の積み重ねでできあがったことが実感としてわかるだけに、
ダッシュ村民はもちろん、建てることに関わった人は辛かっただろうと思う。

鉄腕ダッシュ村は大のファンで日曜夜7時に間に合うように軽トラをとばし帰っている。
もっとも暗くなるのが早い季節だけで、夏場は放映時間くらいまで月ヶ瀬にいて
見ることはできなかったのだが。
ときどきのテーマから同じようにやりたいことがでてきて、参考にもなる。
井戸掘り、露天風呂、竈つくり、果樹の植え付け、石臼でひく蕎麦つくり、などなど。
やりたくてもやれないこともたくさんあるのだが・・・

石臼でひく蕎麦つくり

私の場合、ここで石臼をどのように手に入れようかと考え始める。
本来ならば蕎麦を植える場所をどこに手当てし、種をどう手に入れどう収穫するかという
順序で考えるべきなのだろうが、意識が道具にすぐつながってしまう

道具を使ってやることが目的ではなく、道具を手に入れるということが目的になっている
かもしれない。

たとえばチェンソーを手に入れて喜びを感じるとか。 
男子の楽しみ。子供がおもちゃをほしがるのと大差はない。
こんなときにインターネットは強い味方になる。
これまでインターネットで探し出したもの
薪ストーブ、ステンレスの煙突、ドラム缶、柿渋、床用塗料、シングル屋根の
施工マニュアル、ドラム缶利用の竹炭の焼き方、ポリカ波板の施工マニュアル、耐火モル
タルの施工法などなど

と、話が火事から、ダッシュ村からそれてしまった。

古民家は再建して、またつくる工程を楽しませてほしいのだが。

2003.3.8
ふきのとうが顔をだした。ふきで収穫するつもりで見守ることにしていたが、
ナオこさんがみごとに摘み取ってしまった。薹は花になり、茎(葉柄)は別だから
摘み取っても大丈夫とのたまう。
本当にそうなのだろうか。
ふきのとうはしっかりみそ和えになった。


2003.3.1
最近関心を持って見ている、ビフォーアフター。

先週は古民家の再生、ということで160年の歴史を持つ播磨福崎の大庄屋三木家の
改造をテーマにしていた。

柳田国男が子供の頃1年間預けられていたというので、翁の「故郷70年」をあらためて
開いてみるとその頃の思い出があった。

となるとそのような建築物にあのように手を入れて良いのだろうかとの思いがわいた。
正田家とか豊郷小学校以上の歴史の重みがある。

一人住まいだったおばあちゃんはすてきなスーパーグランママで、
一緒に同居する家族とともに、土壁をぶち抜き明るくなって、
三和土に床を張って快適になった我が家に満足されていた。

が、やはりひっかかるものがある。
偉大な民俗学者、柳田国男の縁を考えたとき納得できない気持ちがあった。
翁が今生きて見たら、なにを思う。
テレビでは居住者が申し込んだようにいっているがそんなことはあるまい。

調べてみると三木家は昭和47年に兵庫県の県指定重要文化財に指定されていた。
指定がはずされた?それとも無視された?そんなことがあるのか。

気になったので福崎町へ問い合わせた。こんなときインターネットは本当に便利。
柳田国男とのつながりへの思いが誤解につながり、また明らかになった。
嬉しかったので親切に返事を戴いた出田さんに了解をもらって、回答を紹介する。

 
お問い合わせありがとうございます。
三木家住宅の件ですが、福崎町のこの地区には確かに兵庫県指定文化財の三木家住宅がございます。
先日、放送されました、三木家住宅はこの指定物件とは別物です。

お考えの通り、県指定文化財になっているものに関して、あのように手を加えることは出来ません。
修理となると、元の形にするのが原則となっています。


ただ、今回放送された物件に関しては、未指定であり制約を加えられるものではありません。
しかし、そちら様のご心配の中で歴史的建造物に云々とありますが、
その考え方も成り立つとは思います。
ただ、現在、歴史的建造物の保存や活用の中で、全てを指定し守っていくことは困難な面も有して
いることは確かです。
国にしても登録文化財制度を持ってその保存と活用を目指しているものもあります。
その中では、改修も認められている所もあります。いかに、文化財を守っていくかという
課題があると思われます。

 今回の三木家も、かなり手を入れられているように思われますが、根本的な部分では残されており、
住む人が守り伝えていこうとする気持ちの現われでもあると理解できようかと思います。


もし、理解無く行われれば、全てを壊し新築することになると思われます。

今後も、保存と活用の中でいかにあるべきか、どう理解してもらうべきか考えなければならないと思います。
以上、私見も交え述べさせていただきました。
 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
             福崎町教育委員会 社会教育課 出田

2003.2.23

今年も花粉の季節がきた。
私はじつは花粉症である。
発症してから約20年、大ベテランである。(自慢してどーするの)。
毎年2月中頃に鼻がぐずぐずし始める。
初めは目にきて、朝起きてもいつまでも眠く、
なるほど、春眠暁を覚えず、とはこんなことかと納得していた。
そのうちに鼻みずが水のようにながれ、仕事中でも鼻栓をし、
会議には資料を忘れてもティッシュとくずかご持参をチェックする時代が続いた。

これから里山は花粉のまっただ中、どうなるのでしょう。

ところが近年はコントロールできない鼻みずたれながしの状態はなくなった。
ぐずぐずはするけれども、我慢できない時に鼻炎カプセルを服用すればだいたいは収まる。
体質が変わったのだろう。
ところがよく効いたカプセルの名前は今年もう忘れている。


2003.2.16

長く積んでいた牛糞堆肥を畑に撒こうと、かえしていると中から白い大きな芋虫
が転がりででてきた。
カブトムシの幼虫。
製材所のおがくずの中、林の朽ち木の中にいることは知っていたけれども
牛糞堆肥の中にいるとは・・
寝ていたらしいのがコロコロとでて、そのたびにナオ子さんはギャー。
キャーと黄色い声を上げる年ではない。
幸い畑の中のカエルとちがい被害者?はいなかった。
結局10匹ほどの幼虫を保護し成虫になるまで見守ることになった。

畑のカエル事件については昨年の早春、池の近くの畑をこれもナオ子さんが耕耘
機で荒起こしをしているときに起こった。
意外なことであったが畑の中で冬眠なさっていたのである。
このときもギャーの連続で、早く起きなさいと声をかけて通じる相手でもなく
あはれカエルたちは白い腹を見せて寝たままなのである。

今年の春は対策を考えねばなるまい。
カエルに学習能力があるかどうかわからないが、少なくとも学習したかもしれな
いカエルはもういないのだから。

2003.2.11

今日(2月11日)朝テレビを見ていた。
長崎五島の無人島を紹介するものだったが民放特有のリポーターのハイテンションに
うんざりしながらも横目で見ていた。
かつて1000人の住民が生活し、美しいレンガの天主堂が残るキリシタンの島、野崎島。
意外にも無人島である島に一人、島の管理人が住んでいた。
横目に見た瞬間どこが見た顔だなと思いながら近寄って見ると、なんと西本五十六さんだった。
彼は京田辺の人。
森林ボランティア「みどりの会山城」の立ち上げ仕掛け人で
正規のボランティア募集の選定にはずれた人たちに呼びかけ「みどりの会山城」は生まれた。
私も呼びかけに喜んで応じ、里山への関心、活動につながった。
同年であるけれども、そのエネルギーは凄いとしかいいようがない。
http://www.yamashiro-kodo.gr.jp/contents/hito/h3_nisi.html

一時は地元の小学校の自然教室の指導員をやっていた。

むらまち交流協会に関わりを持ち、

http://www.channel-e.tv/muramati/office/staff.html

こんな所にも顔を出していたんですね
http://www.t-tat.or.jp/kondankai_h12.htm

そして今は

http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200104/18.html#03

http://www3.ocn.ne.jp/~mikio/sisatu.htm

http://www.linkclub.or.jp/~daya/3d-ph/0204/ng_2.html
がんばって下さい。
というのもおかしいかな、自然に生きているのだから。