むろう再発見
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辻堂(三本松)
 この辻堂は、堂の前に「女人高野室生山」と江戸時代後期の石標があるとおり室生への町石の出発点にあたり、古くはここで室生への参拝者にお茶湯を出して接待をしていました。堂の正面には、室生山内を描いた絵馬(縦約1m×横約2m)が、また堂内には正面に弘法大師の坐像が安置されており、以前には安土桃山時代(天正12年)の絵額がありましたが伊勢湾台風の際に流失してしまったといわれています。辻堂はかつての伊勢街道宿場町にあり、今でもその往時の面影を垣間見ることができます。また石標には「是より50丁(約5.5km)」とあり、ここから滝谷・砥取と「大師の道」といわれる参拝道を通り室生へお参りしたものと思われます。
大福寺カヤの木(三本松)
 古大野岳の中腹に位置する大福寺。この境内には樹齢約千年と推測されるカヤの木が立っています。高さ約30m。幹周り約6.7mという常緑針葉樹の巨木でカヤとしての幹の太さは県内でも随一といわれ、奈良県の巨樹古木100選にも選ばれています。カヤは9月から10月にかけて大きさ約2cm位の褐色の実をつけ、昔は子どものおやつ代わりや非常食として保存されていました。毎年秋になると褐色のじゅうたんのように木の実がこぼれ落ちることでしょう。どっしりと根をおろし、のびのびと枝を広げる勇壮な姿に魅了されます。
安産寺(三本松)
地蔵菩薩立像(通称・子安地蔵)が安置されていることで知られている安産寺。この寺は集落の中心部に位置し、現在では公民館としても利用されており、離れた道路から見ても、線路の近くから見上げても、素朴で美しい田園風景の中にあります。ここでは毎年8月第4週の日曜日に会式が行われます。この日はお昼頃から、子安地蔵の一般公開が始まり、3時頃から祈祷や法要が、そして夕方からは地域の夏祭りが行われるそうです。昔からこの寺と地蔵菩薩は地域の信仰の中心として親しまれており、この場所の話をする時、地域の人はとても誇らしげに、そして畏敬の念を込めて話されます。いつまでも地域のシンボルとして人々の生活の中にあってもらいたいものです。
子安地蔵(三本松)
 本名は、三本松中村の安産寺の本尊地蔵菩薩立像です。立像は平安時代初期の桧材一本造りで、昭和25年に、国の重要文化財に指定されました。穏やかな顔つきが親しまれたのか、いつの頃からか子安地蔵として厚い信仰を受けるようになり、今も安産を祈願する人々が参詣しています。
鎌倉の滝(三本松)
 伊勢街道の宿場町跡である元三地区から北へ登っていくと「鎌倉の滝」があります。このあたりは古くから鎌倉といわれており、この滝はこの集落から少し北に位置し、また三本松にある白鳥神社の上流になっています。この滝は道を歩いていると滝の流れる音はするけれど、なかなか見つけることができないことでも知られています。つまり、道の下に滝が流れており、あまり目に付きにくいことから普段から人が立ち入らず、どこか現実とかけ離れた一種独特の雰囲気があります。
琴引峠(三本松)
 室生東小学校の東方、近鉄線に沿った小道を登った所に長命寺があり、その境内に、『琴彈峠跡』の碑が建てられています。琴引峠は、旧伊勢街道(青越道)の大和から伊賀へ越える最初の峠で、茶屋があり、また、伊賀国境への標石、制札場、藤堂藩の倉屋敷もありました。当時は、芭蕉や宣長などの文人や、多くの行人が行き交ったそうです。現在は鉄道掘削により、往時の姿は全く消えてしまいましたが、行人に親しまれた琴引峠の名を留め、歴史を偲ぶためにと、この碑が残されています。
白鳥神社(三本松)
 白鳥神社は三本松琴引の旧国道沿いにあります。祭神はヤマトタケルノミコトであり、ミコトが東国を平定されて伊勢で崩御された時、ミコトの神霊が白鳥と化してこの地に飛んできて止まったため、この名前がついたという伝説が残されています。今も「白鳥の仮屋の宮」といわれています。
青葉の滝(三本松)
 源平合戦の一の谷の戦いのとき、平家の若き武将 平敦盛が所有した「青葉の笛」は、この滝の近くにあった籔の竹を用いたという伝説があります。三本松長瀬地内、国道165号より少し山手に入った青葉寺の境内の中に、この青葉の滝があります。寺の奥、山道を少し歩き石段を登ると、そこには鳥居に祭られとても神々しく流れる美しい滝を見ることができます。隠れた名所は村のいたる所にあります。みなさんもいろいろ散策されてはいかがでしょうか。
神明神社(三本松)
 古大野の中央西よりのところに、鎮守の神明神社があります。祭神は天照皇大神が倭笠縫邑から伊勢へお移りのとき、ここでお休みになったという伝説が残っています。後に伊勢の神宮から天照皇大神を勧請して社をつくったといわれ、周囲の山を岩戸山といい、前の小川を五十鈴川と呼んでいます。
伊勢街道宿場町(三本松)
 初瀬街道または青越之伊勢街道とも呼ばれ、かつては伊勢参りの旅人が切れ間なく行き交った伊勢街道。その街道筋の三本松には、元の旅籠などが今も往時さながらに軒を連ね、宿場町の風情を色濃く残しています。海神社(三本松)の入口から西へ県道を進むと、道の北側に庭らしい岩組があります。これは、徳川時代、伊勢街道の本陣(諸大名、旗本の休泊所)をつとめた家の庭の一部が道路で分断されながらも残っています。大野から三本松長瀬にかけては宿場が多かっただけに、幕末の騒乱には関係が深く、人馬の継立てなどをさせられたそうです。
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