むろう再発見
室生の見所  むろう再発見  目的別室生村めぐり  道の駅  おすすめの店・宿
スポーツ・レジャースポット  村の匠  お祭りイベント情報 
>マップにもどる >A.笠間 >B.多田 >C.向渕 >D.大野 >E.三本松 >F.西谷 >G.室生 >H.田口
染田石仏群(染田)
 正式名称を穴薬師といいます。(向渕の穴薬師とは別です。)染田バス停のすぐ近く、県道沿いの小さな木かげにこの石仏があります。もともと耳や鼻など、人の身体の穴の病を癒してくれるといわれる穴薬師ですが、言い伝えでは、錐を供えるとご利益があるということです。普段通っていてもなかなか気が付かない場所にありますが、ちょっとのぞいてみると、12体の小さな石仏が素朴な微笑みをみせてくれています。
染田連歌発祥地(染田)
 染田は中世文学の里と呼ばれています。その理由は室町時代中期から150年余りの間、天神講が結成され毎年盛大な染田天神連歌会が催されたからだといわれています。もともとこの連歌会には当時豪族であった多田順実が深く関わっていたと伝えられています。この天神講は宇陀・山辺地方の豪族や南都興福寺の僧侶などから結成されていました。またこの連歌会も染田をはじめ多田、笠間、白石などの主に寺院で行われ、その連衆の住居が都介野・山辺・天理まで広がり、当時としてはかなり大規模なものであったといわれています。
九頭神社(多田)
 旧多田小学校に隣接する九頭神社。村内には複数の九頭神社がありますが、ここは多田氏が郷中五穀豊穣を祈願のため、毎年正月四日に祈願したところといわれ、元禄元年頃(江戸時代初期)染田や無山が分村するまで、この神社が中心であったといわれています。多田氏は天正18年(安土桃山時代)筒井伊賀守に属し、小田原に出陣して、北条氏と戦いを交えていましたが、利あらず多田一門は討ち死にされたそうです。多田の九頭神社造営の勧進として、棟札に名を留めているのは武将として最後のものであろうといわれ、この棟札はそうした意味でも神社にとっても多田氏にとっても大切な遺例といえます。拝殿の前には風変わりな黒い石の狛犬が目につきます。
これは、一体なんでしょう?(無山)
 先日、無山の交差点の近くで崖崩れがあり、そこからなんと、龍とも狐とも区別のつかないような彫刻が発見されました。この彫刻は、急な崖の上の方に彫られていたため、なかなか近づいて見ることができませんでした。また、何の彫刻であるのかも現在調査中です。
無山寺(無山)
 無山から多田へ向かう道の左側の、石段を上ると、本堂に続いて左手に庫裡、少し離れて宝蔵があり、本堂の右に西念堂、その前に弁才天社を祀る小さい池があります。本尊は薬師如来に日光・月光両像を配し、小さい十二神将像が左右に守護しています。西念堂に祀られている西念は、鎌倉時代の人であり、室生山の龍穴に千日の願をかけ、善女竜王の御姿を拝したい念じたそうです。応安元年の大干ばつに雨を祈り、その霊験によって大雨があったといわれています。そのことから、西念さんの木像をかついで室生の竜神さんへ雨乞いをすれば、必ず雨が降るともいわれています。
西光寺(無山)
無山の集落を登りつめたところに、西光寺があります。この寺はかなり古くからあったそうですが、明治時代に火事で全焼してしまい、近隣の古い寺の堂をここに移築し、再興したものだそうです。この寺といえば、ずいぶん昔から何百年・何十年と歴史を見続けてきた銀杏の大木があります。この大木には、先の火災の際、地域の方が御本尊を助け出そうと燃えさかる火の中に飛び込んだ時、自ら水を吹き出し、その方と御本尊を助けたという言い伝えがあります。今や胴回りが5m近くもあり、見事な姿をみせてくれます。
九頭神社(無山)
 無山東のバス停のすぐ近く、県道の端に一対の灯籠と大きな石の鳥居があります。ここから参道を通り集落の方に向かっていくと、やがて山裾にゆるやかな石段がみえてきます。そこから山に向かって静かな参道を行くと森の木々に囲まれた境内に出ます。祭神はタカノオオミカミ他で、山の中に静かに鎮座しています。昔は拝殿の隣りに霊泉があって、清らかな水をたたえていたともいわれてます。周囲の田園風景と石鳥居の風景、また参道がとても美しく調和しており、室生村らしい素朴ながらも美しい景観を創り出しています。
>マップにもどる >A.笠間 >B.多田 >C.向渕 >D.大野 >E.三本松 >F.西谷 >G.室生 >H.田口
Homeヘもどる
 >>室生の見所 >>むろう再発見 >>目的別室生村めぐり >>道の駅 >>おすすめの店・宿
 >>スポーツ・レジャースポット >>村の匠 >>お祭りイベント情報