【聖徳太子の使ったお箸?】
                  
                  聖徳太子に関して、太子がお食事で使った箸を、食後地に突き立てたら、
                それが根付いて、下向きに枝が繁った「逆さ杉」が、大阪府南河内郡太子町の
                「叡福寺」に植わっていると聞いておりますが、ご存じですか?
                物部氏と蘇我氏の仏教公認争いで、太子が蘇我馬子と図り、仏教非公認派の物部
                氏討滅を四天王に祈って、勝利の暁に寺院建立を誓い、その達成により実現した
                のが四天王寺ですが、当寺の西門は極楽の東門の中心に当たると言われ、春秋の
                お彼岸の日の夕日は、西門の真西に沈むそうですが、その日の夕日を西門から見
                られましたか。また、四天王寺には太子が書かれた「未来記」なるものが有り、
                「太平記」巻5で「天王寺ノヨウレボシ」が北条高時の末路を
                「未来記」が予告していて、また、巻6では楠正成がその「未来記」を見たとか。
                なお、四天王寺の講堂の前に「亀の池」が在ります。奈良の猿沢池にも仰山いて
                はりますが、ここの亀が「鶴は千年、亀は万年」の元祖で、昔々聖徳太子さんが
                煎ってない生の硬い大豆を亀にやって「どないや、うまいこと食べられるか?」
                と聞いたら、亀が甲羅から首をぬ〜と出して言うには「へぇわて、噛めまんねん
                (亀万年)」、これは大阪は、難波(なにわ)の四天王寺の亀にしか言えまへん。
              
              また、JR大和路線・王寺駅から大和川を渡った南、王寺町王寺の片岡ノ里に在る
                「達磨寺」の境内には、聖徳太子と達磨大師との問答石や、太子が杖を土に差して
                置いたら一夜で竹になった「一夜竹」。
              また、愛知県三河宝郡赤坂(現在、音羽町)の正法寺には、聖徳太子お手植えの
                「八房梅」在り、その実を妊婦が食べると安産、患った人が食べると快復します。
                その他、法隆寺、橘寺、世尊寺などは、皆さんもよくご存じなので割愛致します。