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     気付かないけど傍に… -第4話-
作者:吉田 樹さん

 辺りを夕闇が覆っていた。
 真っ赤に染まる夕焼けと違って、一面が黄色い世界で覆われるこういう空気は。寂しさよりも、もっと単純に、懐かしさを感じさせる。
 子供の頃、親に怒られる事を心配しながら遊んでいた時間。
 大きくなって、時間の割に明るいんだな、と空を見上げて。思ったよりも暗い事に気付いた時間。
 そんな世界の中の、並木道の下。俺の隣を由悠が歩いている。
 確かに、由悠なんだよな。何か不思議な感じがして、俺は由悠の事をぼんやりと見ていた。
「なに?」
 こいつに、あんな才能が眠っていたなんて、想像もつかなかった。
「どうしたの?」
 じっと見られて照れ臭くなったのか、俺の腕をばしばし叩きながら、由悠が言っていた。そう、だよな。何を俺は戸惑っていたんだろう。
「いや、まあ。それで、やるんだろ?」
「なにを?」
「今度の舞台のヒロイン」
「うーん…多分、やんない」
 何か含みを持たせるようにして笑うと、由悠は人差し指を唇につけて片目を瞑った。
「演劇部に、あの役をやりたがってる人がいるからね」
「勿体無いぞ。その気が無いのを、無理に薦めたりしないけど」
 正直、由悠があんなに演技が上手かったなんて、初めて知った。細かい技術的な事はともかく、天賦の才能とでもいうか。惹きつけられるものがあった。
 由悠の事だから、あがったり、とちったりはしないとは思っていた。それなりにこなすだろうとも思っていた。けれど、まさかあんなふうに感じるなんて、思ってもみなかった。
「じゃ、無理に薦めない事」
「あ、ああ」
「それより、お兄ちゃん、来週から林間学校でしょ。準備とか終わってる?」
「終わってると思うか?」
「ごめんね、聞いた私が悪かったよ」
 どういう意味だ、おい。
 こんなふうに気楽に笑って、喋って。自然な空気で一緒にいる。まあ、生まれた時からのつきあいなんだから、当然と言えば当然なんだけどな。
 けれど、それでも知らない面がある。
 何がどうというよりも、俺はその事がショックだったのかも知れない。由悠の事なら、何でも分かっているつもりだった。けれど実際は、俺よりも、部長の方が由悠の才能を見抜いていたって事なんだろうし。
「どうしたの? なんか暗いけど」
「由悠。お前、好きな奴が出来たら俺に言えよ」
「え? なんで言わなくちゃいけないの」
「な、なに? 既にいるのか? どこのどいつだ。とりあえず、家に連れて来い。両親にも会わせて、いや、向こうの親への挨拶が先なのか?」
「なに言ってるのよ。いないわよ、そんな人」
「いや、正直に言え。誰だ?」
 半分冗談で流しながら、俺はやっぱり気になっていた。それは、由悠の好きな奴が誰かという事じゃ無くて。俺の知らない由悠がいる、という事に。それは当然、俺の知らない面もたくさんあるんだろうけれど。
「いないってば。私の好きな人、って言ったらそうだねえ…お兄ちゃん、かな?」
 そう言って、俺の腕にからみついて笑ってひっぱる由悠の笑顔に。何故だか、胸が高鳴った。
 って、ちょっと待て。相手は由悠だぞ? 何考えてんだ、俺は。

「お兄ちゃん、電話だよ」
「きゃっ。えっち」
 部屋でドライヤーを使っていた俺は、唐突に開けられた部屋の扉に向かって言ってやった。顔中、いや、体全部を使って呆れた事を表現しながら、由悠が子機を差し出してくる。
「なんで呆れてるんだよ」
「他にどうしろって言うのよ」
「少しは申し訳無さそうな顔しろよな。見ろ。俺なんか、パンツ一枚なんだぞ。お前がパンツ一枚の時、部屋に入ったら怒るだろうが」
「そりゃ怒るわよ」
 呆れながら子機を差し出してくる由悠を、何とかやりこめてやりたかった。どうも、由悠の芝居を見てから、俺は自分で自分のペースを乱している気がしてならない。
 子機を受け取りながら、もう一方の手で由悠の腕を掴むと、俺の胸を触らせてやった。これで、きゃあ、と叫んで。って、なんでだよ。
「きゃあ! お兄ちゃんのえっち」
 …何故?
 ぱっと手を引っ込めると、顔を赤らめて、ぱたぱたと由悠が走り去って行った。
 男の俺の胸を触ったところで、楽しい事なんて一つも無いと思うんだけどな。女心の不可思議さを考えながら、保留になっていた子機に気付いて耳に当てる。
「もしもし? お電話代わりましたけれど」
「あ、春日部君?」
「おお、源太か」
「…」
 冗談の通じない奴だ。
 どうせまた、電話の向こうで、怯えきったような目で恨みがましそうにしてるんだろう。黙ったままだと、俺はこのままパンツ一枚でいる事になり。湯冷めして風邪をひきかねないから、促す事にした。他に理由は一切無いぞ、うん。
「で、何だ? 直美」
「あ、う、うん。あのね、春日部君。私…」
 余計な茶々を入れると、また話が長くなるので黙ってじっと待っていた。別に、それ以外に待ってやっている理由は無いんだけどな。
「あのね…」
「分かった。ヒロインがやりたいんだな? 俺から由悠と部長には話しておく。だから、何の心配もしないでいいぞ」
「え?」
 俺が結論を言った事が気に食わないのか、直美は黙ってしまった。全く。あれだけ露骨な態度を見せられてれば、気付かない方がおかしいだろうが。
「やっぱり、わかっちゃうんだな…」
「当たり前だろう。お前のような奴の考える事くらい、見当がつく」
「そ、それじゃ。やっぱり、手紙の事も分かっちゃってた?」
 手紙?
「あ、え、えとえと。切るね、うん。じゃ、また」
 俺に一言も挟ませず、直美は電話を切ってしまった。いや、ちょっと待て。それじゃ何か? つまり、あの手紙は、直美が出したっていう事なのか?
 まあ、あいつが真っ白なラブレター書いている、怯えた目なら簡単に想像出来る。ただ、分からないのは、なんだって今日唐突に告白…
 あ。
 なんだって今日だったのか、俺は見当がついた。つまり、ヒロイン役をやりたいと意思表示するための、助走が欲しかったんだろう。それが、あの一言だけ加わった手紙だったんだな。
 そこまで考えて。俺はふと、一番重要な事を全く考えもしなかった事に思い至った。
 俺、直美の事、どう思ってるんだろう?


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