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     気付かないけど傍に… -第2話-
作者:吉田 樹さん

 非常階段は、風通しがひどく良かった。
 黙って座っているだけで、額にびっしりと汗をかくくらいの陽気が続いているというのに。ここは相変わらず、涼しいを通り越して寒かった。
 日陰だとか、風がいつも吹いているとか。それだけでは説明しきれない事かも知れない。ま、でも。俺にとっては人がこない場所という事だけが重要で、他の事はどうでも良かったりするんだけど。
 土曜の放課後は、場所を選ばないと生徒の大群に当たってしまう。そこでこんな、いかにもな封筒を開こうものなら、いい晒し者だろう。少なくとも俺だったら、真っ先に囃し立てる側に回ると思う。
「…いつもの、だよな」
 朝、源太の視線から隠した封筒は。宛先が俺になっている事といい、差出人が書かれていない事といい。封筒も同じなら、封をしているシールまでが一緒だった。
 いちいち確認するのも馬鹿らしく思った俺は、無造作に開いてみる。中から出てきた、既に見慣れてしまった便箋は、いつもと同じように…

『あなたが、好きです』

 …いつもとは違っていた。
 何かの気まぐれを疑うように、封筒の中を逆さに振ってみる。はずれの券も当たりの券も、別に出てくるわけでは無いけれど。何か、こう。普段とは違う状況に追い込まれて、どうしたらいいのか分からなくなっているんだろう。
 いつもは、真っ白な便箋が入っているだけだった。何の文字も書かれていない。
 回を重ねる毎に、文字が増えていったり。あぶり出しをすれば出てくるというのなら、って違う。また考えがあさっての方にいってる。
 避けよう避けようとしていたけれど。
 一月以上も、ずっと届いていた白紙の手紙。それが脅迫では無く、ラブレターなんだと分かった瞬間に。俺は犯人を見つけなければならなくなったのだ。
 そう。
 俺にこんな悪戯をした奴を見つけ出して、思い知らせてやらなければならないんだ。
「春日部君?」
「うをっ!?」
 唐突にかけられた声に、俺は大慌てで手紙を胸ポケットにしまう。何というか、相手が知人である事が分かっただけで、落ちつきが無くなっている気がする。
「な、なにか用か、源太?」
「どうやったら、私と源太君の声を間違えるの?」
「それもそうだな、由悠」
「なんでそこで妹さんが出てくるの?」
 冗談のわからない奴だ。いや、確かに俺はかなり本気だったけれど。
 非常階段のところから、直美はいつも通りの怯えたような視線を向けてくる。本人の弁によれば、別に怯えてはいないらしいが。口元に手をやって、上目遣いにおどおどしているのを見る限り。どう見ても、怯えているようにしか見えない。
「早く行かないと、部長が怒るよ?」
 おどおどもじもじした、見るからに鬱陶しくて殴りたくなるような態度とは違って。直美の奴は、意見をはっきりと言う。多少不機嫌な顔を向けても、いつものような怯えた顔を見せるだけ。
 いつもそうだから、怯えてるかどうか分からなくなってくるんだけどな。
「大丈夫だ」
「根拠は?」
「勘だ。俺の勘が大丈夫だと告げている」
「当たった試し、あったっけ?」
「知らない」
「急がなくていいの?」
 お前も少しは急げよ。

「はあ、はあっ、ぜえっ、ぜえっ」
 切れた息をわざと強調するようにしてから、俺は部室の扉を大きく音を鳴らして開いた。さっと覗いた限り、誰も来ていなかった。
「早かったわね」
 部室の奥から唐突に聞えた声に、俺は余り驚かなかった。部長がそこに隠れているだろう事は、入り口から見た時に、見当がついていた事だからだ。
「当然ですよ。俺は真面目な演劇部員なんですから」
「そう」
 声はすれども、姿は見えず。君臨せしとも、統治せず。まるで立憲君主のような部長が、演劇部の部長だった! …なんて事だったら、面白いんだけどな。
 生徒数が減った為に使われなくなった、元は三年生の教室。その一室を、小さな部室棟に収まり切らないうちが、占有していた。
 体育館までの距離は、ざっと、思い出したくないくらいあり。舞台で発表する、なんていう時には男子部員達に辛い仕事が待っている。それが原因かどうかは知らないが、演劇部はほとんど女子の部員ばかりだった。
「…部長?」
 部室に何故か飾られている狸の置物に話しかけて見る。返事は無い。これはどうやら、部長の変身した姿では無かったらしい。意表をついて、黒板に化けているとか?
「…ねえ、ちょっと」
「はい?」
 あえて何かを見なかった事にしたかったのだけれども、どうやらお許しは出なかったらしい。俺は諦めて、書類の束だのダンボールだのが積み重なった場所へと歩いていく。そして、山から突き出てさ迷う腕を眺めた。
「だから、引っ張って」
「どこをですか?」
「あ、そう」
「さあ、しっかり掴まってて下さい」
 もう少しからかいたかったのだが、部長の声が明らかに匂わすものに俺は屈していた。今年の文化祭の大道具運びが、俺一人の役になってしまう気がしたからだ。
「しかし、どうやったら埋まれるんですか?」
「才能ね」
 ある意味天才かも知れない。
 よほど妙な体勢で転がり込んだらしく、妙な方向に突き出た腕をしっかりと掴む。そのまま反動をつけてひっぱり上げると、悲鳴と抗議の声に続いて、急に抵抗がなくなった。
「え? ちょ、ちょっと」
 書類の束をどかせば良かったのでは?
 こうなって初めて名案を思いついた頃には、鈍い音と衝撃が後頭部から広がっていた。血がひいていく感覚と、一瞬だったはずの落下感が続いているようで。鉄錆びのような匂いと一緒になって、俺の視界をはっきりさせなくしている。
「はあ、はあ。ひどいよ、春日部君。なんで走って先に行っちゃう…の?」
 入り口から聞える直美の絶句が、俺と部長がどういう体勢にあるのか教えてくれたけれど。少なくとも俺には、部長の胸がどうだとか味わう余裕は、微塵も無かった。

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