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     気付かないけど傍に… -第3話-
作者:吉田 樹さん

「そんなわけで、自薦他薦を問わずに聞いてみたい。誰かいないか?」
 部長のお言葉を、部員一同が黙って聞いている。教室として充分に使えるスペースを部室にしている割に、部員が集まると狭く感じる。道具類が多い事もあるだろうけれど、ざっと見た限り人の占める割合の方が多い。
 大半が女の子だけれど、クーラーの無い教室で暑さにもだえている人の群れは。はっきり言って、色気だのとは無縁の世界だった。
 さっきから無駄に流れる汗を拭っている俺の肘を、何者かがぐいぐいとひっぱっていた。脇見をすると、部長にありがたい使命を命じられるので。俺はあえて無視している。
 隣に座ったは直美だし。どうせいつものように、怯えきった涙目で恨みがましそうに俺の事を睨んでるんだろう。
「ごめんね、さっきは。怒ってる?」
「なんで怒る必要があるんだよ」
「なんでかな?」
 いや、俺に聞かれても。
 例えば。俺と部長がそういう関係で、部室で情事をする気になったとしても。ものの数分で部員達がやってくるのが分かっているのだから、我慢すると思うけどな。
「推薦の結果は、直美。お前だが、やってみるか?」
「え、えと。わ、私はちょっと」
 部長に声をかけられて、何の話だか確認もせずに直美が条件反射で応えていた。今の議題は何なんだろう、と。俺はゆでっている頭を無理に集中させながら、黒板を見る。
 ヒロイン
 ああ、これは駄目だ。直美の奴は、確認した上で断ったのかも知れないな。
 直美の顔は、ほとんどの奴が可愛いと言っているのだから、可愛いのだろう。同じクラスの女子の水泳の授業後の証言によれば、スタイルも良いらしい。ただ、
 いつもいつも怯えている事からしても。こいつは、舞台に上がる度胸が無い。
 何かあっても、いつも影でこそこそやっているような奴で。どれだけ台詞の覚えが良くても、どれだけ演技力があっても。舞台度胸の無い役者なんてものは、はりぼての木ほどの役にも立たないものだ。
「しかし、困ったな」
 部長が尋ねる口調だったのも、結果がわかっていたからだろう。
 他にやりたい、という奴がいれば問題は無いのだけれど。主役には部長の容赦無いしごきが待っている事を知っている部員達は、なかなか名乗り出ようとはしなかった。
 もしくは、やりたいのだけれど、恥ずかしがってるのかも知れない。これは、時間がかかりそうだな。
「春日部」
「…い、いくらなんでも、俺は嫌ですよ」
 女装した自分の姿が思い浮かんで、一気にげんなりとしながら俺が応えると。周囲と部長から、はっきりとした苦笑がもれてきていた。
 不思議に思った俺が、振り返って入り口の方を見ると。由悠が弁当箱を手に持って、ひらひらと振っていた。あ、そういや、弁当を持ってきた覚えが無い。
「…いるじゃないか」
 ちょっと。いや、かなり嫌な予感にかられて部長の方を振り向くと、既にその姿は無かった。視界をすり抜けて通り過ぎた人影を追うと、部長が由悠に話しかけようとしていた。
 それを見て、怯えた気分になった俺は。怯えることにかけては大先輩である直美に、意見を伺ってみる事にした。
「本気、だと思うか?」
「え?」
 ぱっと顔を上げた直美が、俺の事を怯えた目で見る。
 いま、ちょっとだけ違和感を感じたのは、俺の気のせいなんだろうか。違和感というか、なんというか。どうも、直美がおかしかったんだけどな。

 人のいない体育館は広い。広かろうが、暑いものは暑い。
 外から容赦なく押し寄せて来る、蝉の声につられるようにして。蜃気楼が見えるくらいの暑さが、体育館を埋め尽くしていた。少なくとも俺の視界は、額から流れ込んできた汗で滲んでいる。
「照明!」
「はいはい」
 暑かろうが元気な部長に聞こえないように呟くと、俺は暗幕を降ろしにかかる。体育館の中二階通路にそって、窓が並んでいて。そこにある暗幕を一枚閉める度に、体育館の温度が上昇していくように感じた。
 感じただけじゃなくて、本当に上がってるのかも知れない。
「よう」
「うん?」
 向こうから暗幕を閉めながら走ってきた直美に声をかけると、不思議そうな顔で見返してきていた。こいつの偉いところは、怯えた目が筋金入りだという事だろうな。どんな表情をしてみせようと、目だけは常に怯えている。
 自分を通すというのは、なかなか出来る事じゃ無いからな。
「頑張れよ」
「うん?」
 分かっていない顔の直美を励ますと、俺は内心頷きながら持ち場に戻った。
 いきなり通し稽古をやると言っても。台本も、まだ全部は書き上がっていない。当然、部員の誰もが台詞なんて覚えていない。
 つまり今日のこれは、由悠が本当に使えるかどうかのテストなんだろう。
 舞台上から俺の方に大きく手を振ってくる由悠に、目に入るようにライトを当ててやる。手をかざして眩しそうにしている由悠を見て、俺はちょっとだけ勝ったような気がした。
「それじゃ、台本見ながらでいいから。やめと言うまで続けるように」
 嵌り役の主役をやっている源太と、ヒロインをやる由悠。こうして見ると、制服を着てるから、雰囲気も何もあったもんじゃ無いな。
 部長が手を叩いて、台本を見ながらの芝居が始まる。台詞をものにしていない舞台は、役者が感情を込める事なんて出来無い。これは、由悠のテストというだけなんだろう。それも、由悠が使えるかどうか、が目的じゃない。
「それでは、参りましょうか?」
 スカートの端をつまみ上げた由悠が、恭しくお辞儀をする。凛とした表情が、遠く離れたここからもよく見えるようだった。慌てて、きりっとして頷く源太。
 由悠が使えるという事を、部員達に知らしめる為のものなんだよな、これは。
「行く? どこへ行くというのだ。私は、彼女と約束したと言うのに」
「何故ですか? 私はあなたに、この世をもっと見せなければなりません。あんな小娘の一人や二人、どうなったっていいじゃありませんか」
「しかし…しかし、何の妖かしだろうか。私には彼女が見える。ほら、あそこに。首に赤い布を巻いて、立っている。これは、虫の報せと言えるのではないか?」
「いいえ。気のせいですよ、さあ」
 背筋が震えた。
 照明に反射された髪が舞う毎に、目が惹きつけられ。耳は彼女の台詞の微妙な調子を聞き逃さないように、研ぎ澄まされる。舞台からここまで、かなりの距離があるはずなのに。ありありと目の前に、彼女の表情が浮かんでくる。
 ふと気がついたけれど。あれだけ鬱陶しかった暑さが、気にもならなくなっていた。

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