朗読 と 朗読劇


六斎堂当主が案内する
  今井町はこんな所


織田信長に「悪の枢軸」と見なされ、
環濠を築き、今井兵部を核に堂々と武器をとって信長と戦う覚悟だったのに
明智光秀らの仲介で降参に応じた一向宗(現・浄土真宗)今井の衆。

秀吉、家康の下で見事に自治権を獲得して行く今井。
秀吉は吉野の花見の途中わざわざ立ち寄り茶会をもったとか。

その後、徳川は、その強大さを恐れ幕府直轄地としましたが、
諸国の大名にも恐れられる商人の町に発展。
「海の堺、陸の今井」とも、あるいは
「大和の金は今井に七分」とも謳われた寺内町、今井。

今で言う地域通貨「今井札」は信用も高く全国で通用したと云う。
稀に見る自治独立の『黄金の日々』の町でありました。

国の重要文化財の家屋8軒、
県の重要文化財4軒、市の文化財6軒をはじめ、
歴史的にも貴重な町家が軒を連ね、
地域の人たちの生活共々、そっくりそのまま残りました。

思えば、わが国の古代文化の遺構を今に残す奈良県下にあって、
奇しくも今井の町が江戸時代さえも残してくれたことになります。


今井の写真は
検索すれば沢山見る事が出来ますが、
ここでは、私が見た今井を、ご案内します。

引用した民謡や俚言などは『今井町史』(昭和32年)より。



        
近鉄「八木西口」から徒歩1分で赤い欄干の「蘇武橋」。
この飛鳥川を渡れば今井の町。
ちなみに私どもの『六斎堂』は、ここからおよそ5、6分です。

「八木で饅頭買うて蘇武(ソンボ)で見たら
一つ足らいで(足りないで)今井町(イマイッチョウ)。」





飛鳥川に架かる蘇武橋から今井側を望む。
風呂屋の煙突と畝傍山。
07年秋、更地になった部分には人家が並んでいた。





 渡った橋のたもとの『蘇武之井』。南方にも、もう一つ。





今井町の東隅を南北に走る道。
この道の部分には家並みがあったが やがて遊歩道が整備されるらしい。

上の元の風景と詳細を見る





橋のたもとに残る大エノキ。樹齢400ン十年とか。              。
この木の下に、下の石標が。





ほとんど土に埋もれているが「今井」の2文字が辛うじて読める。





南の『蘇武之井』(左手奥)
庚申さんが祀られ、右手の石碑には下の民謡がーー。

 「今井蘇武(ソンボ)の朝水汲みは桶がもるやら涙やら
桶がもるやら涙がじょやら 襦袢(じゅばん)片袖みな濡れた」。






重文・高木家 

高木家」の内部を見る





重文・河合家
現在も続く作り酒屋





河合酒造の角から南を望む。





私の立っている地点、左手前に白い屋敷壁が見えている。
ここは、少し筋違いになっている交差点。
ほんの数メートル前方(南)に右折する道が見える。
しかも、左手の角と、右へ曲がる角は珍しく直角ではない。
この、2つの曲がり角のナゾ。   
追加06-8-6

弧を描く2つの角





        
環濠寺内町/今井町の核をなした重文・称念寺。
六斎市ゆかりの寺でもある。
室生寺五重塔を倒壊させた、あの台風7号による
被害も重なり更に痛々しい。
現在も今井さん代々、住職を継ぐ。

朝日新聞(04年6月8日 奈良版)の記事を読む





重文・称念寺の裏土塀と本堂大屋根。                    
05年に土塀だけは修復されたため今、この景を見ることは出来ません。

称念寺 大修理の途中説明会 写真集






桂小五郎ゆかりの山尾家(新堂屋)。
 「今井しんど屋は大金持ちや 金の虫干し玄関までも」

「山尾家」の内部を訪問する



           

復元された建造物には無い迫力。





辰巳口門跡。
 唯一、町内を南北に貫通する道。奥にJRのガードが見通せる。





その位置から南を振り返ると今井小学校、その向こうには畝傍山が。



           

「今井出抜けて八木の町越えて行こかめんどの水茶屋へ」

めんどの水茶屋=耳成の石原田、初瀬街道沿いにあった水茶屋



                     

春休みに入った日の南尊坊通り。  06-3-24





順明寺





順明寺参道の落花狼藉 05年4月



                  

八幡神宮の大銀杏  
05-11-26



                  

 新聞、郵便受け                                                                    
                                                                          
「来いで こいでと待つ夜は来ぬで 待たぬ夜に来て門に立つ」





重文・中橋家



           

西光寺。 右は西光寺の豪奢な煙抜き



           

今井のシンボルマークは駒繋ぎ。





道路に示された旧町名。



                  

公衆トイレもお洒落。男女の別はないが。



                 

街灯のみで、電柱のない町並。

「今井三八 八木の町五十や 高田十六 御所は四九」 (夜業休みの日)



          

 西のお手洗い空間



          

迫力ある通り。





道路沿いに残る今西家の駒繋ぎ。                         





重文・豪壮かつ優美な今西家。
司法権、行政権を持った総年寄り。玄関を入ると裁きのための御白州。

右手の森は ⇒   





⇒ 茶室跡で、今は今西家寄贈の小公園。

「何が小綱(ショウコ=地名 )と今井がおじゃる 曽我(ソガ=地名)に落ち度がありゃ来され」(地名もじりの民謡)
(「何が証拠じゃ」と、今井様がおいでになる。そんなに落ち度があったのならどうぞおいでなさい。)





春日神社境内

春日神社秋祭り 山車巡行(六斎堂前にて)を見る





境内の大柳。
昔、西大寺の境内にあったという能『百万』の柳を彷彿。





03年、復元された南口門





重文・米谷家                                            

「奉公するなら今井か八木か 月の六斎、夜なべなし





蓮妙寺





私の好きな一角。 軒の高さが家挌だそうな。横並びの家挌。       

「今井千軒 八木八軒」





空家の玄関口に残る節分の慣習、ヒイラギとイワシの頭。 04-8 
(この景は、09年夏の解体で消滅)





今井町資料館 『華甍(はないらか)』 
(県文化財)





 『華甍』北側、せせらぎのある公園。




この一帯、次々と新しい住宅が‥。
正面、今西家。
右手の春日神社沿いに駐車場が工事中ながら目下、中断。
(08-3)





 左の木立は春日神社。奥は畝傍山(お峰山)。

 「お峰山から今井を見れば 今井千軒お手の下。」





木立は春日神社で右の白壁の建物は集会所。
国道側からチラッと見える今井の西南隅だが、
中央のコンクリート部分で駐車場工事が進行中。
ここに大型の観光バスなどが入るようになれば
国道からのこの景色も見えなくなるのだろうか。  
09年10月現在



六斎堂オリジナルマップ
くつろぎの店 おみやげの店




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尚、不定休の店が多いため ご注意下さい。



今井町ご案内 その2「くつろぎの店 おみやげの店」をご案内します。


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