今井町ご案内




弧を描く曲がり角 拡大版




明治天皇は橿原・畝傍御陵(神武天皇陵)参拝後、
大勢の時の政府の重鎮たちを随えて今井へ。

宿泊する行幸所(称念寺)へたどり着くには、
ここで左(奥)へ曲がり、直ぐに右へ曲がることになる。

ところが、4頭立ての馬車は、どうしても曲がれない。
結果、左手の屋敷角(角@)と、右手奥の屋敷角(角A)は弧を描くように削られた。

下の詳細写真、参照






@の角
4頭立ての馬車は中央奥から進入して来て、右手へ。
この写真では拡幅された2つの辺しか見えないが、実はこの右に更にもう1辺。
つまり3辺を確保して弧を描く。







Aの角
更に、すぐにこの角を奥(西)へ。
奥の白い車の先、左手が称念寺。






これは、2つの角を北側から撮ったもので、左手前には屋敷の塀が見える。
馬車は左から入って来て数メートル南下、すぐに右(西)へ曲がって称念寺へ。
湊さん宅の倉から伸びて来ていたはずの屋敷ライン、
右手、もと家具屋さんの吉田さんの屋敷から延長されて来ていたはずの屋敷ライン。
それぞれコンクリート化されている部分なども含め
4頭立て馬車の左折、右折時の内径にあたる2軒の屋敷が大きく削られたことがよく分かる。

この削られた屋敷の話は、
今年(06年2月)102歳で亡くなった
骨董屋の大将、金田翁から耳にした話です。 

吉田さん宅の角、緑色の広報掲示板の左に小さな「六斎堂 お休み処」の板看板が見えております。
この写真、中央奥の突き当たりを右へ曲がると直ぐ私どもの「六斎堂」です。  挿入06年8月6日