重文・高木家訪問 07年4月
のどかな春の平日、高木家を訪問。
奥さんの話を聞きながら撮影。
ページへの掲載了解を頂いた。
今井の重文の中では割と新しい町家らしく格子なども細く繊細。
2階部分も、2階が座敷であることを堂々と主張する外観である。
手前の板壁みたいに見えるのが金の工面に来る大名などが
駕籠に乗ったまま(周囲に顔を見られることなく)屋敷内へ入るための出入り口。
屋敷内から見ると、駕籠ひとつ置けるスペースを確保した平石が――。
駕籠を降りると直ぐに座敷に上がることが可能。
奥座敷から通りの方をみた写真。
書院作りの座敷。
左手、板敷きではなく畳が敷かれており、茶の湯ができるようになっている。
床の違い棚の奈良一刀彫『猩々』
海に棲むという酒、ダーイ好きの妖精・猩々が今夜も人間にお酒をご馳走になり、
真っ赤な、ご機嫌顔で、めでたく舞を舞っているところ。
中庭
手水鉢
縁側から北東側を見る。
右は、カリンの古木。
その左は「天台烏薬(テンダイウヤク)」。
これらの陰になって見えにくいがその奥にはニッキの古木も。
年代ものの生活用具や骨董展示室。
これは、野外での茶の湯(野立て)道具らしく相当に貴重なものだと聞いた。
手前の板に、正しい名称が書いてあったが…?
これ『双六』と書いてあるが、どうやって遊ぶのか…。
どうやらバクチ用だったらしく幕府から禁止令が出た、とも。
格子からの外光で見にくいのは、ご容赦。
高木家は元来、作り酒屋だったそうで、現在の高木家は分家としての酒屋だったらしい。
「河合酒造を挟み西に高木本家、東が高木分家という屋敷で、
作り酒屋がこの通りに3軒並んでいた訳です。」と奥さん。
これは店独自の計り売り用の徳利。
薬種を擂り潰すための道具。
薬になる木が多い高木家では漢方や民間薬も自家製だったかも?
3丁の銃
今井全体の水を賄っていた「蘇武井」の釣瓶。
「これは、町からの委託を受けてウチでお預かりしているものです。」
「天台烏薬」
学問上、この薬木は江戸期に中国から移入したとなっているが、こんな話がある。
2000年もの昔、あの「徐福」は、不老不死の妙薬を求めて日本へやって来た。
彼は、和歌山県新宮の山で、この木を発見し、大陸へ届けたというのだ。
さてこの話、どちらが正しいのだろう。
薬効成分は中国産より新宮産の方が3倍以上だそうだが――。
今もこんこんと涌いている井戸。
「植木の水に利用するくらいですがね。」
底の水面にうつるのは私。
「天台烏薬」と、井戸端の景。