朝日新聞 奈良版より(04-6-8付)
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繁栄続けた町の中核 時代劇の舞台を思わせるような古い町並みが残る橿原市今井町に、ひときわ大きな瓦屋根がのぞく。今(いま)井(い)御(ご)坊(ぼう)と呼ばれた称(しょう)念(ねん)寺(じ)である。自治商都・堺とも深いつながりのあった寺内町・今井の中核となった寺院で、「大和の金は今井に七分」といわれた強力な経済力をバックにして興隆した。 近鉄橿原線の八木西口駅から南へ歩き、飛鳥川に架かった朱塗り欄干の蘇武橋を渡ると今井の町に入る。東西、南北に通る街路を何度か折れながら進むと、次々に重要文化財の古民家が現れる。文化財に指定されていない建物も伝統的な町屋様式に修築されていて、中・近世にタイムスリップしたような景観が続く。 称念寺は、この町の奥まった一角に北面して立地していた。門前から見ると、山門を挟んで右に鐘楼、左に太鼓楼があり、境内には本堂(重文)と客殿、庫裏がたたずんでいる。 この一帯は今井庄と呼ばれて、古くは奈良・興福寺一条院の勢力下にあった。ここへ天文年間(1532〜55)に、一向宗本願寺の今井兵部豊寿が道場を開き、寺域へ商人や浪人、門徒たちを集めて寺内町を造営。これが称念寺と今井の始まりとされ、町の周囲には自衛のための濠(ほり)や土塁が巡らされ、軍事色の濃い環濠(かんごう)自治都市を形成していった。 今井の町は東西約600メートル、南北約300メートル。広いとはいえないが、近世に入っても繁栄を続け、17世紀には大和の富が集中する戸数1200、人口4千を超す商都になった。厳格な消防規定を設けて防火を徹底し、町並みはよく残った。現在は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 町内には、八棟造りと呼ばれる巨大民家・今西家住宅をはじめ、重文の近世町屋建築が8軒も集まっている。ほかに県や市の指定文化財建物もあり、その町並みは世界遺産級の歴史的価値を持っている。 町をひと回りして称念寺の門前に戻った。山門をくぐると、右側に近世一向宗寺院の特色を備えた本堂の大屋根が迫ってくる。縦横約20メートルもある大型の入り母屋造りで、その豪壮な風格は魅力いっぱいである。 この本堂が今、悲鳴を上げている。建物全体が左に傾き、側面には倒壊防止の支柱を設けてある。屋根の本瓦葺(ほんがわらぶ)きも緩み、瓦はあちこちで波打ったり垂れ下がったりしている。 寺は本格的な解体修理を目指して勧進活動を進めており、観光客の多い休日には寺の関係者が境内で瓦の寄進を受け付けている。世界に誇れる今井の町を象徴する寺院だけに、一日も早く安心できる状態に戻ってほしいものだ。 (岸根一正) 《メモ》山号は今井山。浄土真宗本願寺派で、阿弥陀如来が本尊。山門の表札には「稱念寺」と書いてある。明治天皇畝傍陵行幸の行在所にもなった。本堂修理の瓦寄進は1枚2千円。門前に橿原市の来訪者案内所兼休憩所がある。近鉄八木西口駅から徒歩約15分。 |
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