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捨て猫、捨て犬

内井惣七

昨年の『以文』で、佐々木丞平先生の「愛犬」ヌクの話に感銘を受けたので、わたしも二番煎じで、この一文は動物ものにして、文学部在籍の十六年を振り返ってみたい。というのも、文学部関係の先生がたや同僚の話になると、つむじ曲がりのわたしは毒舌を押さえきれなくなるからだ。

わたしが文学部に着任したのは一九九〇年だが、その三年後に一匹の捨て猫と出会った。秋頃、お向かいの家の境界の溝のあたりに、小さな子猫が寝泊まりを始めたのだ。というよりも、やせて弱っていたのか、ほとんど動き回らず、植木鉢の中で寝ていたのだった。動物好きの二女とカミさんがまず動き始めた。食べ物をあたえてもほとんど食べず、ミルクをやってもなかなか飲めない。そこで、家の中へ入れてやって、食べやすそうな魚肉をほぐして与えると「フハッフニャフニャ」と声を漏らしながらやっと食べ始めた。以来、この声は、好物をがっつくときの得意技になったのだった。

猫好きではなかったわたしの反対は軽く無視され、カミさんの主導のもと、このメスの子猫は我が家の飼い猫となり「モモ」と名付けられ、先輩の柴犬にもすぐになついて人気者になった。というよりも、「役立たずの猫」というわたしのそれまでの偏見に反して、夫婦、親子の間のぎくしゃくした軋轢を和らげる潤滑油のような働きをし始めたのだった。

そうこうするうち、夏が巡ってきて、「そろそろ避妊手術を」と思っていた矢先、モモは夜中に家を飛び出して妊娠してしまった。やがて、秋の中頃に、子猫が四匹生まれてきた。このあたりのことはわたしのウェッブページ、「モモの物語」に(英文で)詳しく書いてあるので参照していただくこととして、ここで言いたいことは、この猫騒動の結果、わたしは、進化生物学でいわれる「相互利他性」あるいは「互恵性」について少々考察をめぐらすこととなり、その成果は『進化論と倫理』(一九九六)という本になったということである。

その後、アホな獣医の誤診と無能によって柴犬を殺された(一九九七年のこと。これもウェッブページ「モモの物語、続編」に書いてある)こともあって、犬はもう飼うまいと思っていたところ、定年間際の昨年夏の終わりに、またまた捨て犬を拾うはめになった。

動物好きの二女は、生態研センターという、科学哲学よりももっと職のなさそうなところで大学院生をやっているのだが、センターから車でアパートに帰る途中、滋賀県大津のあたりの国道で、夜中に雨にぬれて車にひかれかねない状況にある犬を見つけてしまったのだ。彼女いわく、「毛がモジャモジャで生ゴミのように臭い」この犬を放っておけず、生態研に取って返し洗ってやったが、まだ臭く、絡まった毛がどうにもならない。結局、ハサミで毛を刈って、計三度洗ったとのことである。その前に、家に電話をかけてきて「テリヤみたいな犬を見つけたから飼わへん?結構シツケもできてるみたいよ」ときた。「どんな犬や」と聞くと、「いまケータイで撮った写真をメールで送る」とのこと。毛を刈る前のブサイクな姿は見るに耐えん。「ダメや」と却下すると、翌朝またメールで写真を送ってきた。今度は、毛を刈った後なので、少しはマシになっている。たまたま家にきていたカミさんの知人がこれを見て、「これはミニチュア・シュナウザーや、結構いい犬よ」という。

「とにかく保健所と警察に届けを出しとけ」とまだ渋っていると、今度は娘が車に当の犬を乗せて家までつれてきてしまった。このやせた犬の「演技」というか、反応がまたニクい!誰彼なく飛びついてスリつき愛嬌を振りまいた後、ハラを返してひっくり返り、「さあ、どうにでもしてください!」と言わんばかり。ぺ−パーテストが少々できるというだけでチヤホヤされてきたひ弱な京大生にはとても真似できない芸当だ。「しばらく置いて、猫との相性をみるワ」ということになった。これが愛犬「こしょまる(胡椒丸)」との出会いである。来てしばらくは、毛の色が変色していて妙な色合いだったが、何度かトリミングに連れて行くうち、立派なミニ・シュナウザーに復活してきたし、何より性格がかわいい。

このとき、わたしは最終講義で来聴者に配るつもりの新書、『空間の謎・時間の謎』を執筆中だったのだが、朝夕二回、犬の散歩で生活にリズムができ、九月末には原稿が完成して出版社に渡すことができたのだった。進化生物学に続き、ハードコアサイエンスの本丸、時空の物理学に、日本の科学哲学者として初めて切り込むという四十年来の目標(欧米では当たり前だが、日本では科学哲学導入後も五十年間手つかずだった)をやっと達成することができたのだ。文系の理系の、はたまた歴史学の哲学の、と人為的な狭い枠にこだわらず、オモロイと思ったことをやる、という学問の本道を忘れないよう、またせっかく軌道に乗りかけた新しい研究分野をつぶしてしまわないよう、残った現役の皆さんがたにお願いする次第である。(京大文学部同窓会誌『以文』原稿、May 12, 2006)


Last modified July 26, 2006. (c) Soshichi Uchii

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