奈良町と藤岡家住宅の概要

第七回 伝統的町家 藤岡家住宅ファサードの柱間装置について

 奈良市の旧市街地にある奈良町は、平城京が長岡京に移った後、平城京の東に突き出た外京の部分は、東大寺、興福寺などの寺領が郷となり寺に関係する人々が住みつき発展していき、門前町として栄えました。今なお残っている歴史的都市景観の町家は、江戸時代に墨、筆、奈良晒等のめざましい産業の発展により形成された町を受け継いでいます。
 藤岡家住宅はその奈良町の旧元興寺境内に所在し、奈良盆地の飛鳥と奈良町を南北に結ぶ上街道に面している町家です。江戸時代には薬種業を営んでいたと伝えられ、以後鉄漿(かね)、鬢付油、ろうそく等の製造販売などを経て昭和に入ってからは紙類の商売を行っていました。
 主屋の建設年代は18世紀後半頃の建物と推定され、間口が6間半の大型の町家です。切妻造で平入つし2階建て、通りにわと2列7室型で、北側の屋根は落棟になっています。建築年代が古く、表構えに商家として古式な揚げ見世・蔀を残し、落棟部分の正面には丸太格子をはめており、また座敷廻りの意匠も洗練されていて、奈良町の古い商家の町家の典型を示すものとして文化財に指定されています。平成10年に解体修理を行い、それに伴って復原整備が行われました。


平面図


建物正面 閉じたところ


上街道に面した建物正面 開けたところ


正面右手の開かれたミセノマ