私は、秋の柔らかな朝日を感じ、ゆっくりと目を覚ました。
あれから、もう二週間がすぎた。
慌しく状況が変化しすぎた。だから、それが長かったのか短かったのかは上手く判断できない。何もかもがあまりに変わりすぎたのだ。
あの終わらない夏が終わった時、すでに外の世界は秋の色を見せ始めていた。それはどこか乾いていて、セピア色じみていて。
そして眞籠の屋敷は無性に閑散としてしまって。
玉手箱の中身は開けられた――つまりはそういうことだったのか。
止まった時が動き出せば、何もかもが取り返しのつかないほどに流れてしまう。そういう運命だったのか。
だが、それにしても。
それはあまりにも、やるせない。
結局、私は救うことが出来なかった。
あの悲劇的な決着を止めることができなかった。
私は、あまりに無力だった。
何も変わらなかったのではないか?
もしかしたらより悲惨な結末を生んでしまったのではないか?
そんな疑問と後悔がふとした拍子に襲ってくる。そんな日常を私は過ごしていた。
「僕は――いったい何をしたんでしょうか」
思わずそう呟いてしまう。吐息とともに出た声は小さく部屋に響いて、吸い込まれるように消えた。
そうやって私が無色の空気を眺めていると、
「たすけて、くれた」
静謐とした朝の空気を、透き通った声が彩った。
「――えっ?」
「先生が頑張ってくれたから、わたしはここにいるの」
私と一緒に白いシーツにくるまれて眠っていた雫が微笑んでいる。白く細い肩が覗く。柔らかな灰色の髪が朝の光に輝いて見えた。
「起きてたんですか」
「うん」
雫は恥ずかしそうに、シーツの中に身体を隠した。
そう――変わったのは、それだけではない。
慌しさが駆け抜けて〝普段どおり〟の生活に戻ってから、雫は私と眠るようになった。一緒に寝るからといって事におよぶというわけではないが、少なくとも私の背中から雫の爪痕が消えることはなかった。
――つまりはそういう状況である。
家族を失った淋しさを紛らわせたいのかもしれないし、もしかしたら私までがいなくなったりはしないかと不安を覚えているのかもしれない。
だが理由は何にせよ、雫は私と常に一緒にいようとしたし、私もそれに応えた。それが私にできる唯一のことだ。
「前にも言ったよ。『本当はみんな死んじゃうはずだった』って。だから、先生のしたことは無駄じゃない」
「ええ分かってます。でも」
僕は貴方の家族を救えなかった――そう言おうとした瞬間、雫は首を横に振った。
「わたしは、先生がいればそれでいいの」
それでじゅうぶん幸せ、と雫は笑う。
「ずっとこうやって――」
そこまで言ったところで、コンコンとドアがノックされた。状況が状況なだけに二人とも飛び上がるほど驚いた。
雫は慌ててシーツの中に潜り込む。
私は慌てて放ってあったシャツを羽織ると努めて平静を装い、
「な、何でしょう――」
とドアの向こうに返事をする。
「
声の主は美千代である。普段なら
少しほっとする。
「――先生? どうかなされましたか?」
返事がないのを不審に思ったのか扉を開けようとする。
「あ、いえ! 大丈夫です。すぐに行きますので待っていて下さい!」
慌てて返事をすると、美千代はいえいえ、と苦笑した。
「ゆっくりで結構ですよ。ご主人様が来られるまでの時間を稼ぐのもメイドの仕事です。ところで、」
「ここ雫お嬢様の部屋なんですけど、どうして先生がおられるんです?」
ぎくっとする。
言われたことを整理し、昨晩の流れを思い出し、ようやくその意味を理解する。
普段は雫が私の部屋に来るのだが、昨日に限って様々な事情があって私がこちらに行くこととなったのだ。
――完璧に忘れていた。
「あの、その……」
「仲がよろしいんですねぇ」
扉の向こうではクスクスと笑う美千代の声が聞こえる。その表情が目に見えるかのようだ。
考えてもみれば、この家の生活に関するあらゆることの主導権は美千代にある。これだけ私と雫が接近していれば、気付かない方がおかしいというものだろう。ここ最近妙に精のつく料理が多かったのもそのせいか。考え出すとキリがなくなる。
「まぁとにかくそういうわけですので、ゆっくりシャワーでも浴びて汗を流されてから、いらして下さいな」
妙に上機嫌にそういうと、美千代は去っていった。
言うとおり、涼しくなったとはいえほとんど一晩中――だったのだ。シャワーでも浴びなければとても人前には出られない状況である。
まったくもって、二人して赤面するしかなかった。
*
手早く二人でシャワーを浴び用意を済ませると、応接間に向かう。
扉を開けると、美千代が南雲と談笑していた。さすが、と拍手したくなるほどのお手並みである。
「どうも」
私と雫が席につくと、南雲はいつものように
「色々あったみたいですな」
口髭をもてあそびながら南雲は言った。私は小さく頷くと、
「ところで、今日はどうかなされたのですか?」
私が尋ねると、ええ少し――と南雲は答えた。どことなくその笑みには自慢めいたものが見えたような気がした。
「――お嬢様の産みの親がようやく判明したのです」
「わ、分かったんですか?」
思わず身を乗り出すと、南雲はまぁまぁ落ち着いて、と手で制した。
そう、それは警察にも話さなかった真実。だが調べないわけにはいかなかった。そこで私は信頼できる人物――つまりは南雲牧師に頼んで色々と調べてもらったのだ。
「少々調べるのに手間取りましてねぇ」
苦労しましたと言いながら南雲は頭を掻いた。そう言う割には全然そんな気配がないのはこの人がそういう人だからだろう。
「手がかりが少なかったのもありますが、まるで〝忘れられていた〟ように資料が散逸していたのですよ。まったくこの世の中には不思議なこともあるものです」
おそらく、それは静江の力の残照だろう。
十七年間の長きに渡って封じ込められていたために完全に効果が切れるには時間がかかったか。
「まぁ、苦労話は置いておきます。結果から申しますと、その女性はこの土地を故郷にもっていました。当時彼女は隣の県にある大学に通っていたそうなのですが、突然退学届を出し、こちらに帰って来た。はっきりとした理由はわかりませんでしたが、妊娠していたのはその一つかもしれませんね」
何故だか、胸騒ぎを覚えた。
まるで、身体が拒否反応を起こすような、そんな感覚。
私は、一体今、何を恐れたのか?
わからない。
だが、南雲の話は続いている。
「おそらく戻って来た直後、この屋敷の前で体調を崩し、そして――」
静江の語った話に繋がる、というわけか。
「それで、その女性の名前は?」
私が不安を押し殺しながら問うと、南雲牧師は静かに答えた。
「
それは、聞いてはならない名前だった。
「上月――雨音――」
口の中で名前を繰り返す。
それはとても口に慣れた言葉。
懐かしくて、暖かくて、そして。
ずっとずっと探していたはずの名前で、
――そして二度と聞きたくなかった名前。
「念のため信頼できる筋に頼んでDNA鑑定もおこなってもらいましたが、ほぼ間違いはありませんな。こちらに生前の写真の方も……」
南雲が何か言っているが、聴こえない。
「こうづき――」
「あまね――」
ああ、そうか。
私は全てを納得した。
――何を納得しているのか。
尋ねる自分に、自分が答える。
――僕が、歯車だということさ。
また、頭が割れるように痛み出した。
壊れていくのではない。直っていくのだ。
今まで片隅に残されていた疑問が氷解する。
私をずっとずっと包んでいた謎が雲散霧消する。
「先生っ!」
「どうした竹宮君ッ!」
意識が遠のく。
とても、暗くて深い穴の底が見えた。
それが――本当の始まりだ。
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