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其日庵研究資料

講談社学術文庫版「百魔」校訂の検証

 はじめに

其日庵杉山茂丸の代表的著作として知られる「百魔」は、大正十五年五月十日に大日本雄辯会(のちの講談社)から刊行された。どれほどの部数が刊行されたのかは知らぬが、筆者の手元にあるのは同年六月三十日発行の十五版と表示されているから、相当に売れたのであろうと推察される。
 その「百魔」が講談社学術文庫から上下二巻にわけられて刊行されたのは昭和六十三年一月と二月のことである。実に初版から六十二年ぶり、待望久しき幻の書の再刊であった……はずなのだが。
 平成七年に刊行された「夢野久作著作集第五巻」の解題において、編者の西原和海は講談社学術文庫版「百魔」について、次のように酷評した。

「各所に文章の改竄(主として差別語の書き換え)が見られ、テキストとしてはまったく役に立たないものに堕している。」

 また平成九年に青土社から上梓された「食客風雲録」において、その過半を占める「後藤象二郎の息子猛太郎をめぐって」で「百魔」に多く依拠した草森紳一は、同書の中に「私は評判の悪い講談社学術文庫の『百魔』でこの文章を綴っている」と書き記している。
 因みに、当の講談社学術文庫版「百魔」の目次裏には次のような記載があって、本書が原著に忠実な復刊ではないことを明らかにしている。

「ことばづかいについては、原文を尊重したが、一部配慮を加えた。」

 では、講談社学術文庫は、原著のどこをどのように改訂したのであろうか。それは西原が「改竄」という激越な言辞を投げつけ、「まったく役に立たない」と斬って捨てるほどのものであったのだろうか。また、草森が公刊書において「評判の悪い」と公言して憚らぬようなものであったのだろうか。
 本稿はその問題意識にたって、「百魔」の原著と学術文庫版を比較し、その改変の実態を明らかにしようとするものである。
 この目的に従い本稿では、原著作中に見られる差別的表現について、一切の斟酌を行わずに表記している。中にはいかなる観点に照らしても差別意識の表徴を否定できないものも存在するが、以上の趣旨によることを諒恕願いたい。

 目  次

(下巻分は未検証)