■序
前作『A・Iが止まらない!』(94年4月〜97年9月)に比べて、次回作『ラブひな』(98年10月〜01年10月)に関して語られる問題は数多いが、少年漫画という角度に絞った場合は、実は少ない。
赤松健は、AI止まで得た多くの反省点をひとつずつ念入りに反映させることで初期設定の時点から作品の水準を高め、シリーズ全体を通して維持していたからだ。
ただそれでも、少年漫画として十全とは言えない部分が新たに現れていることを指摘せねばならない。しかしそれもまた、最新作『魔法先生ネギま!』へと繋がる要素として認識する価値があると言えるだろう。
AI止まで「少年漫画らしさ」を獲得しえた赤松健が、次回作にその経験をいかに取り込んだのかを含めて、『ラブひな』が何をやり遂げ、何をやり残したのかを検証していきたい。
■1998年
その前に、連載がスタートする「1998年後期」という状況を軽くリファレンスしておこう。
まずは三大少年漫画誌であるが、97年にはマガジンがジャンプの部数を追い抜く(正確には、ジャンプがマガジンの部数まで急落する)という事件が起こっている。
98年当時の『週刊少年ジャンプ』のラインナップは『ONE PIECE』、『HUNTER×HUNTER』、『遊★戯★王』、『ホイッスル!』、『I"s』など。アニメ化作品は少ないが、女性層を獲得するなどの変化が見られる。暗黒期を支えていた『るろうに剣心』と『地獄先生ぬ〜べ〜』は共に連載中であるが、既に末期に突入しており、アニメ版も終了している。
『週刊少年サンデー』は『犬夜叉』、『モンキーターン』、『からくりサーカス』、『ARMS』、『神聖モテモテ王国』など。また、アニメがブレーク中の看板漫画『名探偵コナン』が初の年間最高売上を達成している。『犬夜叉』はまだアニメ化しておらず、ブレーク前と言える。
『週刊少年マガジン』は『GTO』、『はじめの一歩』、『サイコメトラーEIJI』、『真・中華一番』、『勝負師伝説
哲也』など。『GTO』はTVドラマ化によって人気を博すが、『金田一少年の事件簿』はセールス的に衰えを見せている。
三誌を通して見ると、暗黒期末期(「ワンピ」と「ハンタ」がブレークする前)のジャンプ。国民的人気作品を抱えるが雑誌自体はマニア向けのサンデー。そしてラインナップ的に硬直化が見られ、一般層に対するアピールが強いがマニア層や低年齢層には弱いマガジン、というように括っていいだろう。
一方、メジャー誌以外に目を向けてみると、『YOUNGKING OURs』、『Comic Gum』、『コミック電撃大王』(※当時は隔月刊)などのマニア向け漫画誌が活発的で、有名美少女漫画家や同人作家の一般進出が目立っていた。成人向け(同人)作家と一般作家の垣根が取り払らわれかけていた時期にあたる。
同人市場ではエヴァブームが過ぎ去りかけており(97年7月に完結)、『To
Heart』(97年5月)を初めとするギャルゲー群や『カードキャプターさくら』(原作は96年〜00年、アニメ版は98年〜99年)にブームを取って代わられていた。
また、97年頃から「メジャー漫画家が集まってコミックマーケットで同人誌を出す」ことがちょっとした流行になっている。萩原一至、和月伸宏、安西信行などがそうで、その輪の中に赤松健も加わっていた(赤松健自身は大学時代からサークル活動しているが)。
■マガジン本誌に連載するということ/AI止まの克服
では、前作『A・Iが止まらない!』がマガジン本誌からマガスペ送りになった遠因を作ったと思われる、「少年漫画的欠陥」を再確認しておく。
これまでの考察で、以下の三点が挙げられている。
1.恋愛関係(相思相愛であり、自他共に認められている関係)が最初から成立している
2.主人公が外の世界で戦わない(ヒロイン以外を見ようとしない)
3.ヒロインは人工的な恋人であるが、それに対して主人公や周囲が疑問や抵抗感を持続させない
『ラブひな』になることで、上記全ての改善が見られることがまず指摘できるだろう。
「1.」だが、第1話の時点から主人公、浦島景太郎はヒロイン(サブヒロイン含む)に好かれているわけではない。信頼や好感は段階的に獲得していくようストーリーが組まれている。
「2.」だが、景太郎には「大学受験」という現実世界に密着した目的が持たされている。実際は彼女作りの手段としての大学受験なのだが、半ば手段が目的化している嫌いもあり、物語後半ではヒロインの為だけのそれではない、「自分の夢」へと変質していく。
「3.」についてだが、何よりヒロインは生身の人間なのである。主人公より年下だが気の強い性格で、同等の立場のキャラクターとして登場する。
AI止まの問題を、作者が強く認識していたであろうことは『ラブひな0』のインタビュー(p191)からも窺える。
「前作と意識的に変えたのは、むしろ主人公とヒロインの関係ですね。前作は最初からほとんど恋人同然だったわけで、特に後半は物語の展開上、困っていたんですよ。そこで今度は他人同士の設定にしようと。徐々にお互い惹かれ合っていくわけです」
このように、ラブひなはAI止まとは異なり、「少年誌ラブコメ」としての条件を当初からクリアして連載に臨んでいるのだ。
しかしこれだけではマガジン本誌での連載決定は難しく、編集会議が難航している(編集会議までの準備期間7ヶ月に対し連載決定に4ヶ月かかっている)。反面、担当編集者は赤松健をデビュー時から「マガジンの美少女系統を開発する実験機種」と捉えてプッシュしており、その点ではAI止まに続く二度目の「挑戦」だったと言えよう。
その経緯については『ラブひな∞』のp321〜450や、赤松健公式サイトの1997年および1998年の日記に詳しい。特に「ダラダラした展開」「作為的でないラブコメ」といったキーワードが、「マガジンらしい」作風から飛躍しようとする意志を感じさせる。
初期設定の面ではAI止まよりも少年漫画志向になっている反面、ストーリー構成の面では少年漫画のセオリーをズラそうとする意図も窺える。例えば主人公はあまり意図的な行動や決断をせず、状況に流される内に目的を達成しているということが多いし、ドラマの中で「外の世界との戦い(=受験戦争)」が必要以上に強調されることも少ない。三角関係自体はあっても、ドロ沼にはならない。そのような「ヌルい」テイストなのだが、要所では決断や戦いを行わせ、少年漫画としてのバランスを維持している。
■マガジン本誌に連載するということ/絵柄
マガジンのカラーの問題としては、作風と同時に「絵柄」の問題も大きい。
当時マガジンの連載陣はヤンキー系とスポーツ系の漫画に特化しており、絵柄が(『金田一少年の事件簿』と『真・中華一番』を除けば)どの作品も「濃い」劇画寄りの、頭身も高いキャラクターに偏っていた。当然、低年齢層の読者には読まれにくい雑誌だったと言え、「マガジンらしくない」絵柄を持った作品が加わることは少なからず望まれていた筈だ(余談だが、ラブひなと同時に『Harlem Beat』から『GetBackers奪還屋』の流れが女性層向けの絵柄を開発している)。
世間的に、ラブひなの絵柄は(特にCLAMPの絵やF&C系列のギャルゲー絵に影響を受けていることもあり)マニア層のオタクに受け入れられたのだと解釈されがちだが、それ以上に「小中学生が読んで入っていける」頭身の低い、「幼い」非劇画調の絵柄であったことも重要であり、マガジン本誌のカラーという観点からは見逃せない。それと関連することだが、主人公が成人男性であるにも関わらず、恋愛描写自体は中高学生レベルだという配慮も評価できるだろう。
結果として、『ラブひな』の作風はマガジン読者に受け入れられメジャー誌上での大ヒットを飛ばす。赤松健と担当編集はマガジン本誌に「新しい風穴」を開けることに見事成功したのだ。
この「風穴」があることで、雑誌の方向転換は格段に容易になったことだろう。翌年から始まる『RAVE』、『GetBackers奪還屋』、『SAMURAI DEEPER KYO』(いずれも99年〜)などの、いわゆる「マガジンのバトル漫画化」が行いやすくなったろうし、また何より、ラブひなが獲得した読者層が無ければ『School Rumble』(02年〜)、『ツバサ』、『エア・ギア』(共に03年〜)などの連載は到底考えられなかったことだろう。これらの作品は読者のマニア化のみならず、低年齢層化も促している。
■少年漫画における主人公の役割
作品として『ラブひな』を語ろうとした場合、その切り口はあまりにも多いが、ここではあくまで「少年漫画」に限定して見ていくことになる。
さて、少年漫画とは何だろうか? と疑問を発した時に、『BSマンガ夜話』シリーズ第17弾第2夜
「うしおととら」の回(01年2月27日)において、岡田斗司夫がひとつの明確な答えを提示している。
「少年漫画とは一人のヒーロー像を描ききること」
そのヒーロー像が少年に夢を与えられるかどうか、が肝と言ってもいい。
ここでいうヒーローとは主人公のことだ。作品によって「真の主人公」などと呼ばれるサブキャラクターがヒーロー視される場合もあるが(『ダイの大冒険』のポップ、『GS美神極楽大作戦!!』の横島忠夫などを見よ)、基本的には主人公自身がヒーローであり続ける必要がある。
逆説的に「物語が主人公に集約されさえすれば、他の部分がいくら破綻していても構わない」のが少年漫画であるとも言えるし、また、生真面目に考えれば「主人公以外の何かに物語を集約させてしまう」ようでは少年漫画として失格だと言うこともできるだろう。
「AI止ま編」でも言及したように、少年漫画には「主人公が外の世界で戦わなければならない」「最終的には勝たなければならない」などのルールが存在する。それに「主人公に物語が集約されなければならない」というルールが付け加えられよう。その物語の最たるものが「少年の成長物語」なのだ。
ラブコメ漫画である『ラブひな』を語ろうとする時に、ヒーロー像を云々するのはおかしいと思われるかもしれないが、読者が主人公自身に憧れ、その活躍(成長)する姿に感化される、という構図は全ての少年漫画に共通する基本テーマなのである。
ラブコメ漫画であっても、多くがそういった「一目を置ける主人公像」を志向している。例こそ挙げないが、様々な作品を思い出してほしい。
では『ラブひな』の話に戻ろう。この作品の主人公である浦島景太郎は、どう描かれていただろうか。
実は、物語の途中から少年漫画の主人公であることを放棄してしまっているのだ。これは『A・Iが止まらない!』の頃には起こらなかった現象である。
→少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ラブひな編(2/2)
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