少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:AI止ま編(1/2)

赤松健論 目次
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■序

 「少年漫画」というと、いわゆるジャンプ漫画的な「王道」少年漫画を連想されるかもしれないが、ここでは広い意味で「少年誌に掲載されている漫画作品」を指している。
 しかしそれがギャグ漫画であれラブコメ漫画であれ、少年誌に掲載されている以上、少年漫画のお約束や掲載誌のカラーは守らなければならないのが「少年漫画」の世界であると言えるだろう。
 例えば、主人公は(数少ない例外を除いて)少年などの男性でなければならないし、何らかの目標を持って他者(=外の世界)と戦っていなければならず、そして将来的には勝たなければいけない、というように。
 仮に「くだらないエロコメ」と呼ばれるような作品であっても例外ではない。これら諸々のルールを厳守することによって、初めて少年誌に掲載されうるのだということをまず認識してほしい。逆説的に言えば、ルールを破った作品はその埋め合わせを要求されるということでもある(そういった「舵取り」は通常、担当編集者の仕事である。新人や女性が少年漫画のルールを守ることができるのは、この「舵取り」に依る所が大きい)。
 そういった「視点」から、『A・Iが止まらない!』『ラブひな』『魔法先生ネギま!』と続く赤松作品が、『週刊少年マガジン』に掲載された漫画としてどう登場し、そしてどう変化していったのかを追って分析していきたい。

 読む前に注意してほしいのは、これから記述する内容は全て「少年誌に載っている漫画」としての評価に過ぎないという点である。たとえ文章中に「未熟」「欠陥」などの批判的表現が含まれていたとしても、読者が最初から少年漫画として読まないのであれば、漫画そのものの面白さとは直接の関係が無い、ということだ。ただし、少年漫画のルールは無論、「男の子の読者が漫画に入りやすいようにする」為に存在している。だから「少年漫画的でない」ということは「男の子にとって入りにくい漫画」であることを意味し、それはつまり少年誌のメイン読者層から読まれにくい作品だということなのだ。


■連載までの経緯

 赤松健は大学在学中にマガジン月例賞佳作、マガジン新人賞佳作を受賞。担当編集者がつき、(当時完全に一般向けだった)マガジンの「マニア向け路線の実験機」として研究開発されることになる。ちなみに担当編集者の大野氏は「オタク」に理解のある人物で、マガジン編集部の中では珍しいタイプの編集者だったようだ。
 その後『ひと夏のKIDSゲーム』で新人賞を受賞し、『マガジンFRESH '93年一押傑作特集号』(93年9月10日)にてデビュー。3ヶ月のアシスタント経験を挟み、翌年4月に『A・Iが止まらない!』(以下「AI止ま」)を連載することになる。この企画自体は、ネームが編集会議をすんなり通って決まってしまったそうだ。ここまでは異様に運の良い新人だったと評してもいいだろう。

 元々読み切りとして考えられていたこと、ネームの直しが少なかったことなどが災いしたかもしれない。このAI止まの第1話(Program. 1)には少年漫画として致命的な欠陥があり、それが後まで長く尾を引きずることとなる。


■『A・Iが止まらない!』第1話

 主人公、神戸ひとしは勉強ダメ、運動ダメ、みてくれもイマイチというモテない16歳。パソコンのプログラムだけが取り柄。
 自作していた女性型AIを彼女代わりにしていたら、そのAI(=サーティ)が偶然実体化し、恋人になってくれるという──、第1話の粗筋はこのようなものだ。

 さて、ここで見られるような「最初からヒロインと恋人関係になる」という設定のラブコメは、当時の少年誌においては考えにくいことだった。
 少年誌におけるラブコメの主人公は、やはり少年漫画的に行動しなければならない。恋人関係に持ち込むまでの過程において、ヒロインを振り向かせるために努力をするか、あるいはヒロインの誘惑とは別の目標に向かう(その過程で、結果的にヒロインが惚れることはある)ことが求められる。変化系として「最初からヒロインに好かれているが、主人公がその気にならない(受け入れる準備ができない)」というパターンもありえるだろう。相思相愛でも、お互いの内気さや誤解、邪魔者などの所為でなかなか付き合えない、というケースの漫画も多い。そしていずれのパターンにしても、主人公が戦う方向性こそが望まれるものなのだ。
 だが、「AI止ま」はその基本パターンを無視してしまっていた。
 サーティはひとし自身が恋人としてプログラムしたAIなのだから、「好かれて当然」なのである。そしてひとしもそのことに疑問を抱かず、サーティを「彼女」として認め、簡単に受け入れてしまうのだ。

 「AI止ま」との類似性を指摘することのできる『うる星やつら』(78年〜87年)にしろ『ああっ女神さまっ』(88年〜)にしろ『電影少女』(89年〜92年)にしろ、従来のラブコメの主人公は最初からヒロインに好かれてはいない。必ずその「好かれる」までの過程や、恋人関係が成立するまでの過程を何かしらの物語として描いていたのだ。主に、主人公が活躍するという形で。
 後に「ハーレム漫画」の代名詞として扱われがちな「女神さま」にしても、元々はそうだった。しかし「AI止ま」はそういった過程を踏まえず、ヒロインをいきなり「恋人」に設定してしまったことから、一部の読者から「女神さまのストーリーを理解せずにハーレム部分だけを抜き出した劣化コピー」的な誹りを許すことになる。これは物語の構造的に仕方の無い批判といえるだろう。

 その一方で、(AI止まのストーリー全体を良く読めば解ることだが)この時点でのサーティはAIとして不完全であり、その恋愛感情も人間味が乏しいものとして描かれているという側面がある。だから、この時点のサーティは「恋愛感情を抱いていなかった」(実は恋愛未満の関係だった)という見方もできるのだ。
 それ故にAI止まは、緩やかに「サーティに人間らしい恋愛感情を与える」ドラマを進行させることになる。これをラブコメ(=恋愛関係の獲得を目指すドラマ)の変形としてみなすこともできようが、少年漫画としての問題は「そのドラマに主人公がどう関わっていくか」に集約されるのである。

 ではこのようにスタートしたAI止まは、後にどう変化していくのだろうか。


■本誌連載期(Program. 1〜21)

 AI止まは第1〜21話までが本誌『週刊少年マガジン』での連載であり(94年40号で終了)、第22話以降は月刊の『マガジンSpecial』に移動している(94年11月号から再開)。
 移動の経緯として「(新人であるがゆえに)週間連載のキツさに追いつけなかったから」という証言も後にされてはいるが、それと同時に「マガジン本誌のカラーにAI止まが合わなかったから」という理由も確実にあったのではないかと思う(というか、多くの読者がそう解釈していたと思う)。
 この本誌連載の時期を、便宜的に「前期(第1〜14話)」と「後期(第15〜21話)」に分けて分析してみよう。

 「前期」の「少年漫画としての欠陥」は、第1話に見られる設定面でのミスに留まらなかった。
 「主人公が外の世界と関わろうとしない」のだ。
 一応サーティは人間を装って高校に通うものの、その先で学園ドラマが展開することも無いし、教師やクラスメイトは無名のモブキャラとして扱われている(唯一、麻生さんという女性キャラが登場するのだが、出番が2回あっただけで瞬時に自己主張をしなくなってしまう)。また、ひとしは天才的なパソコン技術を持っているにも関わらず、その力を殆ど「サーティの為」だけにしか用いようとしない。
 こうした傾向はサブヒロインであるトゥエニーが登場した後も継続し、物語は完全に三人の間で閉じた、ホームコメディとして進行していく。
 また何よりの問題は、作品世界に誰一人として「AIを恋人扱いしている生活」を疑問視する者が現れないという点だ。主人公が問題を自己認識することすら無い。その為、「プログラム通りに自分を愛してくれるヒロインを恋人にする」という一種気味の悪い設定に対する理由付けや弁解が、殆どされないままなのだ。
 主人公を「外の世界」に出して、家庭以外の舞台、サーティ以外の女性を見させない点にこそ原因はある。外の世界に出れば、必ずAIであることの葛藤や障害が生まれる筈なのだ。葛藤や障害を避けている限り、主人公が何かと戦うということもできないだろう。

 変化が見られるのは後期に入ってからで、天体部の部長でもある主人公は木星の衛星衝突写真を撮影しようと山に出掛ける。そこで麻生さんがライバルキャラとして再登場したり、サーティと協力して天体写真コンクールの最優秀賞を受賞するなど、主人公は外の世界に出ていって活躍をする。ただし、麻生さんはただの邪魔者として出てくるだけで主人公の眼中に無い(彼女は既に恋愛対象として扱われておらず、サーティと比べられることすらないまま、再び退場させられる)し、この時点ではまだ「外の世界」を志向しているとはやや言い難い。
 この後、本誌連載の区切りを付けるために「ビリー・G編」が4話連続で始まる。これが「プログラマー同士のヒロインを懸けた戦い」という、シンプルなバトル漫画の構図を取っていたし、サーティが主人公にとってただの恋人ではなく、「必死で守らなければならない大事なもの」であることも示されている。ここにきてようやく、AI止まは「単なるマニア向けのエロコメ」から「マガジンの少年漫画」らしい路線へと軌道修正していることが見受けられるのだ。
 だが、このようにAI止まが(形の上だけでも)「少年漫画らしさ」を獲得し、マガジン本誌のカラーに近づいてきたかのように思えた直後、皮肉にもマガジンを去ることになる。
 やはり、『週刊少年マガジン』にマニア向けの漫画を載せるには時期が早すぎたのだ、と言えるかもしれない。

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