少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ネギま!編(1/4)

赤松健論 目次
AI止ま編
ラブひな編
>ネギま!編

■序

 前作『ラブひな』(98年10月21日〜01年10月31日)が終了してから1年4ヶ月後、03年2月26日に『魔法先生ネギま!』(以下「ネギま」)は『週刊少年マガジン』誌上で連載を開始する。
 この連載は1年11ヶ月経った今(05年2月現在)もなお継続中であり、単行本の売り上げも順調、イメージCDは連続オリコンチャート入りという異例の人気を示している。また、1月からアニメ版ゲーム版がリリース。作品的にもタイトルの知名度的にも、まだ可能性の広がりが大きい段階だと言えよう。
 しかし、いざ作品論を試みようとした場合、(そこそこの長期連載を連想させるストーリー構成も相まって)未完の作品であるがゆえに全体的な考察が妨げられてしまう、というのが現状でもある。
 よって当編では、<ラブひな編>では語りきれなかった部分を補足説明した後、現在把握できる発表作(単行本9巻相当まで)にのみ考察対象を絞って分析を進めることになる。


■「美少女ラブコメ」としての前作『ラブひな』

 <ラブひな編>では語りきれず保留した、赤松健が「美少女ラブコメ」という分野を、メジャー少年誌に切り開いたことの功罪についてまず考えてみたい。
 ちなみに「美少女ラブコメ」という呼称についてだが、作者や編集部は「女の子いっぱいHラブコメ」と呼んでいるようだ。また読者からは、もっとストレートに「萌え漫画」と呼ばれることもある。

 最初に言えることは、少年誌や青年誌には「エロコメ」と呼ばれる「女の子の裸が沢山出てくるコメディ漫画」が旧来から存在しており、当然女の子もいっぱい出演していたということだ。では、それら古いタイプの「エロコメ」と、『ラブひな』のような「美少女ラブコメ」がどう違うのかという疑問が湧く。
 竹熊健太郎と相原コージは『サルでも描けるまんが教室』において、エロコメの基本は「回転寿司方式」であると指摘した。回転寿司のようにヒロインが代わる代わる出演し、それらと主人公が次々絡む形式を意味する。古くは本宮ひろ志作品の多くがこの手法で多様な女性キャラクターを登場させているし、その発展形として『CITY HUNTER』(85年〜91年)のように「ゲストヒロイン」を毎回用意する作品もある。これは映画『007』のボンドガール方式などの影響もあると思われるのだが、エロコメというジャンルに限らず存在していた、男性向けコミックの基本形式であったとも言えよう。
 一方、回転寿司方式以外では一人のヒロインとのシンプルな恋愛ドラマや、「三角関係」を主軸にしたものが主流となる。特に三角関係といえば『翔んだカップル』、『みゆき』、『きまぐれオレンジ☆ロード』、『星くずパラダイス』、『I"s』などがそうで、こちらは少女漫画ラブコメの影響下から生まれたものでもあった。
 上記の両者は一長一短であり、回転寿司方式では複雑な恋愛関係が描きにくく、三角関係では登場するヒロインの人数が限られるという欠点がある。複数のヒロインが同じ話に並んで出演するという場面が描きにくかったのだ。それを補う為、回転寿司方式と三角関係を同時進行させる作品も多い。『星くずパラダイス』(90年〜92年)がその典型だが、恋愛ドラマ自体が散漫になる傾向のある手法でもあった。
 その後注目され始めたのが『ああっ女神さまっ』(88年〜)に代表されるような「ハーレム漫画」の形式だった。メインとなる正ヒロインを用意しつつ、複数のサブヒロインが続々と増員され、周囲に並べられていくという形式である。少年漫画では『らんま1/2』(86年〜94年)がジャンルの原典的な役割を果たしている。
 ちなみに言えば、『A・Iが止まらない!』の場合はハーレム漫画から始まり、一時的に回転寿司方式を採用しつつ、シンディ編に突入してから三角関係を描き、その決着を着けてから再びハーレム漫画に戻るという段階的な構成になっていたことを参考に踏まえておきたい。

 さて、そのハーレム漫画の形式にギャルゲー(=美少女恋愛ゲーム)の要素を取り込んだのが『ラブひな』だった(参考→東京大学新聞のインタビュー)。多くのハーレム漫画は、あくまで正ヒロインと主人公の恋愛関係(準ヒロインを挟んでの三角関係に発展するケースもある)が主軸であり、サブヒロインは疑似家族的存在やお色気担当程度でしかなかったのだ。しかしギャルゲー的な世界はどのヒロインとも恋愛関係が築けるような、多岐の選択肢を前提にしてスタートするのである。
 勿論『ラブひな』はゲームではなく漫画作品である以上、選択肢は一本に限られており、最終的には正ヒロインと結ばれることになる。しかし、その過程で主人公は他のヒロインからも並行してモテ続けるのだ。そうすることによって、読者がまるでゲームを遊ぶような感覚でサブヒロインとの恋愛を想像し、楽しむことができる、そのような余地を意図的に用意している所に『ラブひな』の新しさがあった。
 また、サブヒロインが「次々に増員されていく」のではなく、第1話の時点で5人の全ヒロインが揃って紹介されるというのも『ラブひな』の目新しい点だった。そしてこういった形式を備えた漫画が、後に「美少女ラブコメ」──「女の子いっぱいHラブコメ」と呼ばれ、やがて業界に定着していくのである。


■『ラブひな』が残したもの

 次に、『ラブひな』が漫画業界に与えた影響と、その功罪の問題へと進もう。
 『ラブひな』がマガジン本誌のカラーを変え、また、新しい客層を開拓したことで後続する連載作品に道を開いたということは<ラブひな編>において既に評価した。ただこのことは、「マガジンの読者を必要以上にマニア化させる」という側面も有している。硬派なマガジン読者の中にはこの傾向を嫌う者も多い。雑誌のマニア化は、一般読者が離れてしまうことと表裏一体だろうからだ。
 また、影響を与えたのはマガジン本誌に対してだけではない。『ラブひな』の成功を見て作られた後発的な模倣作、悪く言えば劣化コピーが他誌(青年誌やマイナー誌も含む)に波及し、増殖したのである。元々「ハーレム漫画」はマイナー誌で発展した形式であるから、大規模な逆輸出という見方もできよう。
 <ラブひな編>で指摘したように、『ラブひな』は少年誌のセオリーを意図的にズラした、少年漫画としてはやや鬼子的な作品であり、その模倣は必ずしも良い方向を生まないだろうことが想像に難くない。確かにラブひな以降の美少女ラブコメの中には、突出して優れた作品も含まれていたかもしれない。しかし似たような作品、似たようなマーケティング手法が乱立した結果、美少女ラブコメというジャンルは次第に類型化していく。
 それは『ラブひな』の抱えていた鬼子的な面がクローズアップされることにも直結する。そして次第にこのジャンルは、時に外から疎まれるような存在にもなっていった。事実、「美少女」や「萌え」というフレーズだけで拒絶反応を示してしまう読者層は無視できないだろう(そのような読者の存在は一般層に限らず、マニア層の中にも多い)。それは何も、美少女ラブコメ、萌え漫画というジャンルが悪質なのだ、という結論には繋がらない。そのジャンルが読者層の幅を失い、カルト化/アングラ化していく一方だという事実を述べたまでにすぎない。何より、類似品の増加はそのジャンルのニッチ化を促進させ、消費者を飽きさせてしまう。と同時に読者層を先鋭化させ、読者が育たなくなるという現象をも招く。
 つまり、かつてはマガジンのラインナップの硬直化を打破したのが『ラブひな』だった筈が、そのヒット後は後続のジャンルを硬直化させる最大の要因になっている、という逆説が見えてくるのである。
 自作が大量に模倣され、後続のジャンルすら出来上がるというのは一種の成功の証でもある。だが風評として、そのジャンルの負う責任が赤松健に集中して問われてくるのは避けられないことでもあった。はっきり言ってしまえば、赤松健は「人気はあるが定評の低い漫画家」という印象で捉えられていたのだ。

 そのような状況下において、赤松健はマガジン誌上に新作を連載するよう編集部から要請を受ける。そして編集部がその新連載に求めていたものは、今や巷に氾濫している「女の子いっぱいHラブコメ」に他ならなかった。その理由は単純で、雑誌側としてはその方が売り出しやすいからである。
 しかし1998年に『ラブひな』を発表することと、2003年に新作の美少女ラブコメを発表することは全く状況が異なるのである。自らの手で、自作の劣化コピーを生産してしまう可能性があるからだ。


■ラブひなからネギま!へ

 以下は、赤松健の2003年冬の同人誌『ネギまの壁』にある、作者インタビューからの引用である。

−−− すると、「女の子いっぱいHラブコメ」は最初はイヤだったんですか?
別にイヤではなかったけど(笑)、まあまた同じのを描くのはどうかな、とは思っていたね。
それに、「ラブひな」以降、そういう系統のHラブコメを描ける人が増えて、マガジンやマガスペにもいっぱい作家がいたし。みんな十分上手かったから、わざわざ私が描かなくても・・・というのはあった。

 そこで赤松健が取った方策は、主人公を10歳未満の少年にすることと、ヒロインの人数を31人に増やすこと、そしてファンタジーの要素を折り込むこと、などで前作との差別化を図ることだった。外見だけは前作と同じく、「女の子いっぱいHラブコメ」の体裁を装いながらである。
 これらの三要素は、それぞれが重要な意味を持っている。ひとつづつ順番に見ていこう。

 第一に、主人公を少年、それも潔癖な優等生キャラにすることは、まずラブコメの規定概念から大きく外れているという前提がある。ヒロインとの恋愛感情が成り立ちにくく、また、成人した男性読者が自らの煩悩を重ねにくい、という点でも従来のギャルゲーらしさは無い。そうすることで、物語がラブコメ一辺倒に偏らないような予防線を、読者には気付かれにくいレベルで張っていることが分かる。
 その一方で成人男性が行えばハードすぎるようなH描写を、子供であるという理由でソフトに描くことができるという、演出上の変化が意図されてもいる。マガジンにおける赤松健の漫画は、女の子の裸が頻繁に登場するのが特徴だが、これによって作品のいかがわしいカラーが随分軽減されている。
 例えば『ラブひな』の場合、主人公がヒロインの裸を見たり、胸を触ったりといった「性犯罪スレスレ」の行為を行った直後に必ずヒロインの手で殴り飛ばされるという、因果応報の手続きを踏むことで倫理性のバランスを維持しなければならなかった。ラブひなでは、その手続きがパターン化してしまっていたのだが、ネギまはその手続きの手間を幾分省くことができるのである。

 第二に、ヒロイン31人、という設定は、一見とんでもない、ハーレム漫画の極北のようなものをイメージされるかもしれない。しかしラブひなが確立した「女の子いっぱいHラブコメ」の特徴は「第1話で全ヒロインの紹介を済ませる」ことにあったことを思い出して欲しい。ネギまの第1話でキャラ紹介が済んでいるのは神楽坂明日菜、近衛木乃香、雪広あやか、宮崎のどかの四名に過ぎず、実はラブひなのヒロイン達(五名)よりも少ない、漫画的に表現可能な情報量以内にきちんと抑えられていたのだ。その上で各自の人物像を適度に掘り下げる描写を欠かしてもいない。では残り27人はどう扱われていたかというと、生徒名簿によって名前や設定は示されているにしろ、通常の漫画でいうモブ、群衆として登場しているにすぎない。しかしその「モブ」の一人々々が、後のストーリー展開に従って自己主張をし始め(=モブのゲストヒロイン化現象)、比較的ゆっくりとしたペースでキャラ紹介をこなしていき、やがてサブヒロイン級のレギュラーとして並ぶようになっていく(参考→クラスメイトのレギュラー化推移表)。
 言うなれば、ゲストヒロインが代わる代わる登場する「回転寿司方式」、サブヒロインが続々と並べられていく「ハーレム漫画」、全ヒロインが第1話で揃い踏みする「女の子いっぱいHラブコメ」、これら三方式全ての融合とも呼べる手法が採用されているのである。この独特な方法論については、先程と同じ同人誌『ネギまの壁』で具体的な解説がされている為、そのまま引用しよう。

−−− クラスメートの女の子達についてはどうですか?
最初から強く提示していたのが、「女の子の没個性化(=カタログ化)」だね。今までの漫画の常識では、キャラクターには必ず個性が必要で、それを描き切れる人数にキャラを抑えなければいけなかった。だから、キャラ人数は「徐々に増やす」一手。
でも、今は「モーニング娘」とかを見ても分かるように、「等身大の普通っぽい少女達が、何か分からないけど大量に並んでいて、一様に騒いでいて楽しい」のが流行っていて、個性的なソロはめっきり少なくなってきている。はっきり言って、俺もツジとカゴの見分けは付かなかったんだけど、何となく見てて楽しいよね。
それで、しばらく見分けはつかないんだけど、一度でもフィーチャリングされると、そのキャラだけは判別が付くようになって、よく見ると各自の個性や魅力が段々分かってくる。(中略)
そして、やがて全員を判別できるようになった時、そのグループはまた新しい輝きを放つようになるんだ。

 実際に、80話を超える連載を経過した現在、九割近いクラスメイト達が「フィーチャリング」を済ませているのだが、そのことによって実に活気あるキャラクター・ドラマが作品内で繰り広げられる、という質的な上昇が見て取れるのだ。これは漫画作品全般から見ても、あまり類を見ない作風と評していいだろう。しかもそれが漫画として読みやすいレベルで成立してもいる。読者が全キャラクターの名前や設定までを暗記しようとする必要は無く、顔と性格さえ把握しておけば良いのが「没個性化」の利点である。

 第三の要素、作品内に「ファンタジーの要素」を折り込んだことについては次項で解説しよう。

→少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ネギま!編(2/4)
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魔法先生ネギま! デスクトップアクセサリ集〜課外授業〜

 
サークルLEVEL-X『ネギまの壁』(2003年12月29日発行)