教弘寺-鶴林寺間の庄兵ヱ道

 教弘寺南の庄兵ヱ道の藪を刈ってきました。多くの方に歩いていただかないと、すぐ草が伸びてしまいます。コースの説明をしましょう。この区間は少し問題があって、「生駒の古道」の説明どおり歩くのがちょっと困難です。迂回路を紹介します。

 教弘寺側から説明します。本堂南の十三重層塔の左(東)から入り、左(東)に崖を見ながら進みます。写真でわかるように入口が少し茂っていて、道らしく見えません。この枝を伐採するのはちょっとはばかられたので茂ったままです。この枝をくぐれば歩きやすい道です。

 後方に教弘寺が見えなくなる付近から先が少し荒れていたので伐採しました。まもなく坂を下り樹林を抜けると舗装された里道に出ます。この直前が大変な草藪でうっとうしかったのですが、刈り込みました。ここが地図のA点です。

A点から北を見ています。大変な草藪でした。

さて、「生駒の古道」では「少し進むと左手に小さな溜池があり・・・」と記述していますから、地図のAB間を突っ切る説明です。地図では道が書かれていませんが、畦道があります。しかし、現状では通行困難です。A点、B点共に、通行禁止にされています。

 A点から南東を見ています。コンクリート橋の上は害獣防止金網でふさがれています。

この金網は開けられますが、かなりしっかり太い針金止めがしてあって、ちょっと通りにくいですね。通ってもB点でまた困ります。仕方がないので迂回しましょう。直進だと50m、迂回路は220mですから、170m遠回りになります。おまけに下って登りますから踏んだり蹴ったりですが、やむを得ません。舗装路を少し下ります。すぐ三差路で右に進めば、地道になります。地道が終わり舗装路になると、すぐに次の三差路です。南から教弘寺に向かうときは、舗装路が民家に向かっており、その右に分かれる地道が細く目立たないので道が無いと思いがちです。北上する方は注意しましょう。三差路で右折し少し上ると右手(北)に石垣があります。B点の溜池の堰堤です。
実は山側に上り、里道が合流した所から下ってもたどり着けます。こちらだと、距離は170mで、少し近いのですが、下の地道の方が私好みなのでそちらを紹介しています。お好きな方をお通り下さい。

 B点北の石垣、上に通行禁止の掲示が見えます。

「生駒の古道」の説明は池の山側を通ることになっていて、この掲示位置ではありませんが、山側の通路もしっかり通行止めがしてあります。さて、石垣の反対側に鶴林寺への道の入口があります。

 B点南、ここが入口です。わかりにくいですが、とにかく溜池石垣の反対側です。

入口右手にウルシの木があります。お気を付け下さい。少し段差を上がると右手にイノシシ罠があります。イノシシ罠を右に見ながら林に入りますが、林間はどこでも歩けてしまいます。赤テープを巻いておきましたが、あまり目立たない。よく注意して下さい。しばらく進むと、わかりやすい道になります。ほんのわずかで鶴林寺です。鶴林寺側の入口は市道から自動車用参道へ入ったすぐの所です。入りすぎると、自動車道脇に巨石が積み上げてあります。庄兵ヱ道は巨石の北に見えているのですが越えて入るのは困難です。この巨石列はシシ垣と呼ばれているものの一部だと思います。山側の鬼工房付近では巨石ではありませんが、石積みが続いています。ところで、教弘寺の北でも庄兵ヱ道がシシ垣を横切るはずなのですが、どこか確認できていません。いずれシシ垣の遺構紹介もしたいと思います。

 鶴林寺側入口、自動車道を進むと巨石が並んでいます。

鶴林寺から先は山側に向かう市道が庄兵ヱ道ですが、鬼取の道標(石造遺物調査報告書NO726)が紛失しており、見所が無くなっています。道標のあった交差点から先は細道を南下し、トンビ墓付近を通って暗街道へ下る道が庄兵ヱ道に比定されているようですが、完全に通行不能のようです。「生駒の古道」では交差点から急坂を下る道が紹介されていますが、どうせ本来の庄兵ヱ道ではありません。山側の道をたどれば、いのしり墓、鬼田墓地、庚申塚などの見所があります。こちらを進めば、暗街道に出て少し下ると、うどん屋風舞に出ます。その南は庄兵ヱ道南部の説明をご覧下さい。

追記:溜池横の迂回路についてはすぐそばに細道が見つかりました。鶴林寺側入口もはっきりしました。追加情報をご覧下さい。

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