WANTED!

 報告書の遺物チェックをしていて、報告書記載の地点で遺物が発見できなかったものがいくつかあります。墓地や寺では多くの遺物に紛れ、私の目が節穴だったため発見できなかった可能性が高いので省きます。
 記載地点そのものの見当がつかなかった所もありますが、他は記載地点に記載された遺物が1つも存在しないものです。これについてデータを掲載しますので、どこかで見かけたらご連絡ください。


発見できなかった道標

道標については特別扱いでまとめました。これ以外の道標はすべて今のところ健在です。

NO 所在地  資料名称  総高 厚  紀年銘 西暦 時代  銘文  備考
310 北田原町
北佐越1411番地
道標 86.0 29.0 26.0 文化14 1817  江戸  [正面]すぐ きず いが いせ
[右面]左 さだ 大阪
    右 奈良 郡山
[背面]右京 やはた
[左面]文化十四丁丑春
    施主何某建之
 
726 鬼取町308番地 道標 82.0 14.5 12.5 江戸 [正面]左元山上
[右面]右宝山寺
[左面]大坂 京橋惣講中

310と726は「生駒の古道」でも不明とされています。

これ以外に俵口の宝生寺そのものが無くなったため382、383の2体の地蔵形道標(下記事に写真掲載)が不明です。これはどこかに移設保存されていることを祈ります。


記載地点が発見できていないもの

NO  所在地  資料名称  時代 備考 
398 東松ヶ丘公民館分館横小堂 一尊像  桃山 他に一・二尊像あり 

東松ヶ丘公民館分館とは東松ヶ丘自治会館のことだと思うのですが、その付近に小堂はありません。現自治会館と別に公民館分館があって、私の捜索場所が見当外れなのでしょうか。それとも小堂がなくなったのでしょうか。資料写真がはっきりしないので移設されたものがあっても同一物と判定できるかどうか。 


NO 所在地  資料名称  総高 像高 厚  紀年銘 西暦 時代  銘文 備考 
292 北田原町
南佐越墓地下
西国三十三所供養像 64.5 36.0 36.0 16.0 文化13 1816 江戸 西国三十三所順礼
文化十三子ノ七月十日
(台石)市三郎
       やミ
如意輪観音像

NO292南佐越墓地下の西国三十三所供養像が見当たりません。そもそも、「墓地下」では大雑把すぎて見当がつかない。南佐越墓地へは「城山頂上」へ入る道の最初の所で分岐します。墓地下というのはその分岐点あたりだと思うのですがどうも見当たらない。その付近を含めて周囲をかなり歩いたのですが、見つけられませんでした。これは無くなるとは思えないので、探し方が足りないのでしょう。それとも移設されているのか。


NO.60の「大北(おおぎた)の庚申さん」の所在地の見当がつきません。大北の道をかなり歩きましたが、見つけられていません。山中なら、お手上げです。

NO  所在地  資料名称  時代 銘文  備考 
60 高山町大北庚申さん 庚申碑 江戸 青面金剛 櫛形


NO135から137の「芝の愛宕山神社」が見つかりません。

NO 所在地  資料名称  総高 像高 紀年銘 西暦 時代  銘文 備考 
135 高山町芝
愛宕山神社
板碑 54.0 16.0 20.5 10.0 桃山 阿弥陀如来座像を彫込む
136 高山町芝
愛宕山神社
地蔵菩薩像  95.5 62.5 41.0 28.0  延享元 1744 江戸 延享元年
四月吉日
137 高山町芝
愛宕山神社
圭頭状西国三十三所順礼碑 96.5   44.5 18.0 延享2 1745 江戸     延享二年
奉納西國順礼三十三所砌也(人名12人)
    三月十八日


記載地そのものが消失したもの

 資料番号381−387 宝生寺: 住所は俵口町285ですが、ここには住宅が建っていて、寺の痕跡さえありません。昔の地図には確かにその場所に記載されているのですが、今は完全に住宅です。ここの石造遺物はどこへ行ったのでしょう。移動しているならまとまっていると思われますので、写真のみ掲載。


記載地に見つからないもの

NO 所在地  資料名称  総高 厚  紀年銘 西暦 時代  銘文 備考 
742 小平尾町
萩の台霊園
廻国供養碑 156.5 61.0 29.0 永禄七 1564 室町  十刹女 九州筑前之住
奉納経王一国五部之供養宗金上人
 三十神 永禄七年六月日
奈良市法蓮佐保田
町に旧在

こんな立派なものを見逃すとは思えないのですが、霊園内に見当たりません。もともとよそから移ってきたのでまた引っ越したのか。


NO 所在地  資料名称  総高 像高 厚  紀年銘 西暦 時代  銘文 備考 
125 高山町久保7843番地 宝筺印塔 *151.0 54.8 室町 塔身に金剛界四仏の種子を刻む
126 高山町久保7843番地 自然石彫込役行者像 111.0 47.0 71.5 39.0 元文3 1737 江戸 奉造立大峯山三十三度為二世安楽
元文三 戊/午 天七月吉日 願主□宝院
切池俗名庄兵衛
前鬼後鬼を伴う

高山町7843番地はすぐ西が大規模工事中で、わけがわかりません。一時避難であることを祈ります。

メニューページ