西畑
資料番号 667-702

今昔マップ目印ファイル   (右クリックして対象をファイル保存)

 NO700トンビ墓へは地形図の道がありません。西畑のトンビ墓のページで解説しています。

 NO680の圭頭状種子碑は暗峠頂上と記載されているものの中では少し孤立しています。NO678の地蔵堂からもう少し山頂へのハイキング道を進むとすぐ左手(西)に畑が現れます。この畑を過ぎてすぐ、左(西)に林に入れる所があり、そこを上ると石組みなどがあり、木陰に種子碑が建っています。知ってからハイキング道に戻ると道から何とか見えていることが分かります。この地は庚申の森と呼ばれていますが、NO685から688の庚申塚とは別ものです。

 NO685から688の庚申塚は鬼田墓地・いのしり墓より少し南西で、道の最高地点を少し過ぎたカーブミラーのある所の先、ガードレールの切れた所から入ります。ちょっと登って進むとすぐ庚申塚です。生駒民俗会機関誌「ふるさと生駒」には、この先石灯籠の残欠が散在していると書いてありますがろくな道ではありません.。下っていくと、途中に気持ちの良い尾根があります。石灯籠残欠があるとすればその付近と見当を付けたのですが、落ち葉に埋もれてよく分かりませんでした。進み続けると暗街道に出られますが、どんどんろくでもない道になります。一応地形図には記載されている道です。

 左写真の細道を進みます。

 この地域の遺物調査報告書は写真資料がかなり混乱して間違いがあります。P.130の地蔵堂写真(下図)には678・681としてありますが681の地蔵尊は街道沿いの地蔵堂にあるものですから、ここは678・679とすべきところです。なお、679の道標は下写真の右下で、地蔵様の石屋根の支えになっています。

 P.132の墓地風景写真の鬼田墓地といのしり墓は風景写真が入れ替わっています。この2墓地は東西にすぐ隣り合っています。最初は墓地風景写真を見て、東がいのしり墓かと思ったのですが、遺物を確認すると東は鬼田墓地、西がいのしり墓です。決め手はNO698の阿弥陀如来像が西の墓地、NO.692の自然石彫込五輪塔が東の墓地にあることです。したがって鬼田墓地としてある写真は明らかにいのしり墓の写真です。下写真は左の白黒が報告書の資料写真、右のカラー写真が私の写真です。鬼田墓地の方は整理が進んでいるのか、ぴたりとは一致しません。もしかするとこれも鬼田墓地でないもっとほかの墓地写真かもしれません。ただし西畑地区ではこの風景にぴったりの墓地は見つけられていません。

   

 いのしり墓風景
   
鬼田墓地風景

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