2.最初の治療・・・・・骨髄移植しかありません




 10年間の間、相変わらず風邪はひきやすかったものの普通の人と変わりのない生活を送ってきました。会社の健康診断の血液検査にはもちろん毎回引っかかっていましたが、特に再検査をとムリに言われることもなかったし、私自身もまた痛い検査をされて原因が分からないと言われるだけだろうという思いがあったので、病院は避けていました。昔の入院のときに処方された鉄の錠剤も、ずっと飲み続けた方がいいとのことでしたが、食欲不振と便秘をひきおこすため飲んだり飲まなかったりしているうちに全く飲まなくなりました。でももともと飲んだからといって、特に体の調子がいいというわけでもなかったので気にしていませんでした。
 「ちょっとしんどいなぁ」「どうしてこんなに疲れるんだろう」と思い始めたのは入院といわれる1ヶ月前のことでした。
 おかしいな、とは思っていましたが、それでも毎日会社に行って仕事をしていました。でもそのうち階段も上れなくなっていたり、ちょっとした坂道を歩くにも息切れがするようになってきていたのが分かって、やっぱり病院に行くことにしたのです。

 1997年10月6日、N病院に即入院となりました。
14歳のときにも入院した病院です。今度はもちろん小児科ではありませんでしたが・・
 まさか10年後にまたここに入院することになるとは自分では思ってもみませんでした。
 そしてあのイヤなマルクをこれから何度もしなければならないことも、自分の闘病生活がこんなに長いものになるということもそのときには思っていませんでした。

 1997年10月8日、マルクの結果MDS(骨髄異形成症候群)と診断されました。
また治療法は骨髄移植しかないということも聞かされました。
このときにされた説明では、MDSはお年よりに多い病気であるということ、若い私が発病するのはめずらしいことだということ、10年前の入院のことから考えてもそのときからMDSだったが、この病気が見つけられたのがちょうど10年ぐらい前であることを考えると当時の先生は診断がつけにくかったのではないかということでした。 
 またこの病気は極めて進行がゆっくりしていることが多いため、私の場合は生まれつきの病気であり、24年かけて徐々に進行していったのではないかということでした。

 骨髄移植をしなければ治らない。そんな大きなことになるとは思っていませんでした。
また今までどんな貧血状態でも自分では病気ではないと思っていたので、はっきりと病名をつけられたのもショックでした。
 今度も検査入院かもしくはちょっとした軽い治療でここを出られると思っていた私の甘い考えは打ち砕かれることとなりました。

 MDSの自覚症状のひとつとして、貧血があります。私の場合もそうで、顔も体も真っ白、唇の色もなく、目の下の膜をひっぱってあっかんべーの状態にするとそこも真っ白でした。また歩くだけで頭がガンガンと痛くなり、ベッドから起きあがれないほどの状態になることもありました。
 これは体に必要な酸素を運ぶヘモグロビンが足りないためにそうなるのですが、それを補うためには赤血球を体に輸血してもらわなければなりません。
 自分では正常な働きをしてくれる赤血球を作り出してくれないのです。
 そういうわけで5日に一度赤血球を、3日に一度の割合で血小板を輸血することになりました。
 以後、この輸血ともしばらくお付き合いすることになります。
 体に新しい他人の血を入れてもらわなければ、歩くことすらできず、本当に吸血鬼状態でした。


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