母の話によると、私は生まれたときから特別色の白い子供だったそうです。看護婦さんからも誉められ嬉しかったと言います。しかしじきに異変に気がつきます。泣くと全身に内出血班が現れるのです。病院へ行くと貧血の病名がつけられました、生後2ヶ月のことです。
当時、骨髄異形成症候群という病名はまだなかったし、あったとしてもその時にその診断がつけられたかどうかは分かりません。しかし私はずっと普通の人の血液の半分の値しかありませんでした。学校の健康診断のたびに驚かれ、「息切れしない?」などと聞かれましたが、生後2週間からその状態でずっと育ってきた私の体は普通の状態を知らないのです。当然慣れてしまって貧血の自覚症状もありませんでした。
そんなふうでしたので両親も私も、私の体が病気かもしれないとは思いもしていませんでした。中学3年になったばかりの春、血小板が4万を切っていたため(正常値は、15万から40万)入院することになったときも、「どうして何ともないのに入院しないとダメなんだろう?」という感じだったのです。
風邪はとにかくしょっちゅうひいていたので、やっぱり普通の人よりも抵抗力は弱かったのだと思います。そのときも風邪で病院に行ったのですが、幼い頃から診ていただいていた小児科の先生の薦めで一度検査入院することとなったのです。
14歳になっていましたが小児科に入院しました。
骨髄穿刺(マルクといいます)を初めて経験しました。骨の内部にある、血液を作り出す造血幹細胞がたくさんあるところから、骨髄液を抜き取る検査です。麻酔を当然してもらいますがこの麻酔もかなり痛い麻酔です。それから、骨には麻酔はかかりませんので、抜き取られるときにも何とも言えない感触の痛みも伴います。でも、この初めてのマルクが今思い返しても一番痛くて怖くて恐ろしかったと思います。先生は私にはただ痛い検査をするよとしか言ってくれず、看護婦さんも何も言わずに2人がかりで動けないように私の腕を抑えつけ、胸の骨から採られたんですから。
怖くて怖くて声は出しませんでしたが、涙がぼろぼろこぼれました。
14歳という年齢を考えれば、どういう検査で何を調べるためなのか説明してもらえれば十分理解できたはずだと思います。そして先生からこういうふうにでも言ってもらえていれば私の恐怖心もあれほどではなかったでしょう・・・
「これからちょっと痛い検査をするけどがんばれる?血液の元を造っている骨髄液を採るんだけど麻酔をして胸の骨から採らないといけないから麻酔の注射と骨から抜くときに少し痛い。でも動かないで我慢してれば5分で終わるよ。」
このときのマルクの結果がどういうものだったのか詳しくは分かりません。ただ悪い細胞は見当たらないが、どうして普通の健康な人なみに血液を作り出さないかが分からないということでした。
結局1ヶ月入院して鉄分が特に少ないということから鉄の錠剤を処方され、しばらく飲むうちにやや血液データに回復が見られたということで鉄欠乏性貧血との診断を下されました。そしてこれからも様子を見ていくという条件で退院となったのですが、入院中のマルクがトラウマとなってしまった私はそれ以後、近くの小児科で検査をし、鉄剤を飲んだり飲まなかったしてちゃんと検査(マルク)することはありませんでした。
そしてそのまま十年間が過ぎていきました。