| はじめ皇太弟大海人皇子(天武天皇)の妃となり,十市皇女を生んだ。のち天智天皇の妃となる。 この額田王をめぐって天智天皇と大海人皇子が対立したとする説がある。 歌は皇極〜持統朝に及ぶ。 |
648年 | 皇極上皇の比良宮行幸に同行しての歌(太上天皇の御製とも)。 |
658年 | 紀温泉への行幸に際しての歌,伊予国の熟田津においての歌(天皇御製とも)。 |
667年 | 近江遷都に際し,三輪山をみて作った歌(但し作者については諸説あり),大津宮において,春山の万花の匂いと秋山の千葉の彩を歌で判じた作品。 |
668年 | 5月5日,蒲生野での遊猟に際して,大海人皇子との贈答歌,天智天皇を恋い慕って作った歌,天智天皇の殯宮での歌,持統天皇が吉野へ行幸した際の弓削皇子との贈答歌などがある。 感情豊な才気に溢れた女性だったらしく,その作品は雄渾かつ優美で,技巧に優れたものが多い。 |