持統天皇じとうてんのう

生没年 645(大化元年)〜702(大宝2年)
在 位 690年〜697年
家 系 父:天智天皇てんじてんのう第2皇女 母:蘇我越智娘おちのいらつめ
元明天皇げんめいてんのう大友皇子おおとものみこの異母姉。天武天皇てんむてんのうの皇后。草壁皇子くさかべのみこの母。
菟野皇女・沙羅々皇女・藤原御宇天皇・
高天原広野姫天皇・大倭根子天之広野日女尊
大海人皇子(天武天皇)の妃となる。
662年 草壁皇子を生む。
671年 大海人皇子に従って吉野に赴く。
672年 大海人皇子の挙兵に行を共にする。
壬申の乱じんしんのらんに勝利して飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみやに遷る。
673年 大海人皇子の即位にともない皇后となる。
天武天皇の死後、称制しょうせい天皇として政務にたずさわった。
686年 大津皇子おおつのみこ謀反むほんの疑いで死罪とする。
689年 草壁皇子が病死する。
同年、飛鳥浄御原令あすかきよみはられいを施行。
690年 即位。高市皇子たけちのみこ太政大臣だじょうだいじんとして右大臣らを任命。
同年、藤原宮の宮地を視察。
691年 18氏の墓記を進上せしめる。
692年 伊勢に幸する。
694年 藤原宮ふじわらのみやに遷都。
697年 軽皇子かるのみこ立太子りったいしとし、8月に譲位じょうい太上天皇だじょうてんのうとなる。
701年 大宝律令たいほうりつりょう完成。
702年 大宝律令施行せこう。12月死去。
持統天皇

小倉遊亀画伯

墓陵 奈良県高市郡明日香村
大字野口檜隈大内陵
檜隈大内陵

大和の歴史

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