十市皇女
とおちのひめみこ
生没年
652(
白雉
はくち
3年)?〜678(
天武
てんむ
7年)
家 系
天武天皇
てんむてんのう
の皇女。母は
額田王
ぬかたのおおきみ
。
大友皇子
おおとものみこ
の妃。
経 歴
668年
天智天皇
てんじてんのう
の皇子,大友皇子と結婚。
669年
葛野王
かどのおう
を出産。
672年
勃発
ぼっぱつ
した
壬申の乱
じんしんのらん
は,十市皇女にとって夫の
大友皇子
と父の大海人皇子の間の争いであった。
「
扶桑略記
ふそうりゃくき
」「
水鏡
みずかがみ
」などは,十市皇女が大海人皇子に通じていたと伝える。
壬申の乱後は天武天皇のもとに戻る。
675年
2月,
阿閇皇女
あへのひめみこ
とともに,伊勢神宮に赴いた。
678年
4月,病により宮中で急死,
赤穂
あこう
に葬られた。この時,
高市皇子
たけちのみこ
は
挽歌
ばんか
3首を作っており,十市皇女と交情が深かったと推定される。
大和の歴史