終わりが、来る

執筆
任那伽耶
分類
,,

「〝眞籠は天狗の加護を受けるに依りて財を為す〟、か」

尋坂 たずねさか の伝承を読み終え、私はそう呟いた。

今読んでいるのは『 羽田野拾遺 はたのしゅうい 』という江戸時代の書物だ。この屋敷がある羽田野という地に昔から伝わっている様々な伝承が収められているので、何かの役に立つかと思って、先日書庫から拝借してきたのだ。活字ではなく写本であるためにかなり読みにくいが、内容はなかなかに面白いものだった。

例えばこんな感じだ。

昔々、お竹という女性が夜に外を歩いていたところ、突然現れた天狗に道を尋ねられた。

何でも、日本中の天狗が集う会合に行く途中で道に迷ったのだという。お竹が丁寧に説明すると天狗は慌てて飛んでいった。

数日後、天狗は再びお竹の前に現れ、何度も何度も礼を述べるとともに、隠れ みの 飛礫 つぶて の二つを彼女に渡した。

隠れ蓑は全てを隠す道具で、それで何かを包めば周りの者は中に入っているもののことをすっかり忘れてしまうし、中にあるものは決して腐ったりしない。これはお竹の娘たちに受け継がれた。

そして飛礫のほうは目に見えない石で、大きさは使う人間が自在に決められる。しかもそれは大木でも一発で吹き飛ばしてしまうほどのものだった。これはお竹の息子たちに受け継がれた。

この二つの道具を利用して、お竹やその子孫は裕福になった。

この一族が眞籠家の祖先なのだという。

もしかしたら、あの森の中の石碑はこの伝承と関係があるものだったのではないか、などと一人納得する。

もう少し詳しく調べれば具体的な証拠が見つかるかもしれないなと考えながら本を閉じる。

すると、まだ九時過ぎだというのに強烈な眠気が襲ってきた。

普段なら今から明日の授業の準備や何かをするところなのだが ――調子が悪いのはやはり事実のようだ。

私は諦めると柔らかなベッドに身を沈める。

睡魔が私を捕らえるのに、さほど時間はかからなかった。

夢を見ていた。

狭苦しい部屋だ。本が散乱している。

戸の前に女がいた。顔や輪郭はおぼろげではっきり見えない。

ただ私はそれが誰なのか知っている。とてもよく知っているのに誰なのかはまったく思い出せない。

何を、見ているの?

女が私に問い掛ける。

私には、それが何のことかさっぱり分からない。分からないから答えずにいると、女は問い直す。

貴方は、誰を見ているの?

――そんなことを、言われても。

そう答えた。

――何のこと、だか――。

私には彼女が何のことを言っているのかわからない。そんな私の 狼狽 うろた えぶりを見て彼女は笑う。

隠さなくても良いのよ。貴方は結局、

彼女の頬を、涙が伝っていた。

胸が痛む。そう、彼女の言う通りなのだ。私が求めていたのは彼女ではない。私が求めていたのは――。

貴方は結局、夢の中のあの子を探していたのよ。

そういって、彼女は出て行った。

乾いた音で目が覚めた。

小さく、コンコン、と突然ドアがノックされている。時計を見ると針はすでに深夜を指し示していた。

こんな真夜中に誰だろうか。

「どなたですか?」

扉がゆっくりと開くと、その輪郭がぼんやりと暗がりの中に浮かび上がる。馴染み深いその影に心が動いた。

「雫さん、ですか?」

こくり、と人影が頷いた。

雫は後ろ手に扉を閉めると、ゆっくり私のほうに歩いてくる。

窓からの差し込む月光が彼女の身体を照らした。着替えずに来たらしく白い浴衣――もとい 襦袢 じゅばん 姿だ。普段とは異なる服装が、どこか心の奥底をざわめかせる。

「先生――」

雫は泣いていた。

彼女の頬を、一筋の涙が伝っている。冷静になろうとしていた私の心の中に、大きく波が立った。

「どうしたんですか、一体……」

慌てて立ち上がろうとすると、雫は何も言わず私の胸の中に飛び込んできた。細い身体をかすかに震わせ、すがりつくように私の服を掴み、ただひたすら静かに涙を流す。

――今、何を言っても無駄か。

私は優しく両手で雫を包み込むと、彼女が落ち着くのを待った。

どれだけそうしていただろうか。

やがて彼女の震えが納まった頃を見計らって私は声をかけた。

「――落ち着きましたか?」

少し間があってから雫は小さく、うん、と答えた。

「何があったか、教えてくれませんか」

しばらく黙り込んだあと、終わりが来るの、と雫は答えた。

「終わりが……来る?」

私が同じことを繰り返すと、雫は頷いて、

「終わりが来るの。――わたしが呼んでしまったから」

嘆きとも決断とも取れる、そんな調子で言った。

「もう終わりがそこまで来てる。そうしたら――みんないなくなる。先生とも、もう……」

そう言われた瞬間、ギリ、と頭の奥で何かが軋んだ。

ここのところ頻繁に感じるあの痛みだ。まるで世界が軋んでいるような痛み――彼女の言うとおり、何かが起こっているのだけは間違いがなかった。私だけではなく、この屋敷にいる者なら多かれ少なかれ、頭の隅に引っかかっていることだろう。

それはある種の、違和感。

まるで、夢の中にいるような。

そんな感覚だ。

雫は私の思考に答えるように頷くと、

「うん――世界がほころび始めてる」

雫はそう言って

「何が起こってるのかは分からないの。だけど、もしわたしが呼んでしまわなかったら、もっとゆっくり終わった。もっと穏やかに終わったんだと思う。そうすれば、傷つく人は少なくて済んだかもしれない。なのに――」

普段では考えられないほどの勢いで雫は話し続ける。その目からは、再び涙が溢れだしてた。キラキラと輝く涙がまるで宝石のようで、その美しさが逆に哀しい。

「先生は巻き込みたくなかったのに、わたしは……」

「ごめんなさい――ッ」

そういって再び雫は泣きじゃくる。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。いきなりそんな謝られても状況が分かりません。詳しく話してくれませんか」

私が尋ねると、うん、と雫は頷く。

そして、今までとは正反対の静かな口調で話しだした。

「問題を解くには公式がいる。答えを出すには知識がいる。わたしは何もしなくてもそれを集めることができる……ううん、集めてしまうの。周りにたくさん答えの欠片が集まってきて――。わたしはそのことに気付かずについ答えを喋ってしまって……すべてが終わってしまう」

まるで 懺悔 ざんげ でもするようにポツリポツリと言葉を紡ぐ。

いや、彼女にすれば懺悔と同じなのかもしれない。

私は、黙って彼女の話を聴いた。

「昔からそうだったの。わたしはそんなこと望んでいないのに、必ずそうなる。今度だってずっとこの夏が続けばいいって――そう思ってたのに、わたしがそれを終わらせてしまう。わたしは止めたいのに、終わりが来てしまう」

――〝結末〟を呼んでしまう力と言われても。

にわかには信じられない話である。ただの思い込みではないのか、とも思える。

だが。

「先生の問題も自分で解こうとは思ってるけど……時々それのせいで勝手に答えが分かっちゃうこともある。それに、この前みたいなの ……あれもその力。いつもなら何が起きるのかわかるんだけど―― 今回のは、大きすぎて分からないみたい。分からないけど、終わりが来るのだけは分かる」

雫はそこまで言って、うつむいた。

確かにあの時の予知は普通ではなかった。

何の前触れも、兆候もなかったのに。

そして過去にも似たようなことは何度もあったらしい。それが彼女をして問題児と呼ばしめ、孤立させた。

しかしそれは予知ではないのだと彼女は言う。

彼女の一言が。

彼女のもとに集まってくる情報が。

本来なら明らかにならないはずのことを明らかにしてしまう。

完成するはずのないパズルを無意識に解いてしまう。

そういうことなのだという。

予知ですら信じがたいことだというのに、更にこれだ。

到底信じられることではない。

だが――信じざるを得ないのかもしれない。

いや、信じる信じないという問題ではないだろう。

何か奇妙な違和感がこの屋敷を包み込んでいる。

そして彼女はそのことを一人知っていて、苦しんでいる。

それだけで、理由は十分だった。

「どうやっても、」

私は何とか言葉をつむいだ。

「どうやっても、終わりが来るのは止められないのですか?」

「うん――」

その答えにはどこか、今まで力を背負ってきた重みがあるように感じられた。

分かりました、と私は頷く。

私は何の力も持たない――過去の記憶すらろくに持たない、ただの 似非 えせ 牧師だ。だが何も出来ないというわけではない。

そして、何かしなければならない。

それは義務感でも何でもない。

ただ、彼女のために何かをしたい、そう思った。

「僕が――終わらせます」

私は、静かに。だがはっきりとそう言った。

「確かに、終わりを呼んでいるのは貴方もしれない。ですが、すべてを終わらせるのは僕が引き受けましょう。そして出来るだけ被害が少ないようにします。――それでは駄目ですか?」

雫は戸惑うように視線を 彷徨 さまよ わせる。

「でも、」

「僕だと頼りないでしょうか?」

「ううん、そうじゃない。そうじゃないけど――」

雫は首を大きく振って

「それだと、先生がかわいそう」

「雫さん」

私は手でうつむきかけた雫の頭を固定すると、色んな意味で赤い目をじっと見つめた。

「僕は――好きな人が悲しむ姿を見たくありません」

「え――――」

雫の漏らした声にふと我に帰った。何かとんでもないことを言ってしまったような気がする。そして、今しがたの自分の発言と行動を反芻しひたすら驚く。

どうにも彼女の前だと何かと大胆になってしまうらしい。

「あ、そ、その――すみません。つい口が」

顔が真っ赤になるのがわかる。慌てて何か良い訳をしようとしたが、それは雫の言葉に遮られた。

「本当――?」

目をまるくして、信じられないとでもいうように尋ねる。

「本当に、先生、わたしのこと――」

雫は涙に濡れた目で私を見つめていた。

彼女の頬に添えている掌を涙が伝う。

――貴方は結局夢の中のあの子を求めていたのよ。

先ほど見た夢の台詞が頭をよぎる。

本当に私は雫を愛しているのか。

あの夢の中の少女と雫が瓜二つだからなのではないのか。

そんな囁きが様々な角度から聞こえてくる。

だが。

一度目を閉じて、静かに息を吸い、ゆっくりと吐く。

夢は――夢でしかないのだ。

心の中で言い聞かせるように呟き、目を開ける。

雫は不安そうに私の返答を待っていた。私は、指でそっと彼女のの涙をぬぐい、

「ええ、大好きです」

と応えた。

雫はしばらくの間、放心したように私の顔を見つめたあと。

「――うれしいな」

いとおしげに私の胸の中に深く顔をうずめた。涙を拭くように私のシャツに頬をすりよせる。

そして静かに。

「お願いが、あるの」

全てを投げ捨てるような決然とした動作で私を見つめた。

「ずっと一緒にいて。何があっても、離さないで」

それはとてもシンプルな願い。

同様に、返答も決まりきったことだ。

「――分かりました。必ず約束は守ります」

細かいことは切り捨てても問題はなかった。

必要なのは、言いたいのはとてもとても簡単なこと。

それは。

「――――――好き」

二人の声が重なり、協和音を奏でる。

そして私たちは、長い長い口付けを交わした。

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化石が見る夢

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