ガタガタと身体が揺さぶられていた。
今まで感じていたものより、少し大きな揺れ。
私はその違和感に目を開けた。
肩が軽い。
まだ
いったい彼女はどこに行ったのだろうか。
まだしっかりと定まらない視線をゆっくりと周囲に動かすと、そこはさっきまで私がいたはずの場所とは異なっていた。
バスの車内である。
少し悩んだ後、さっきまでの記憶が夢の中のものだとようやく合点がいった。
「――また、あの夢か」
頭を掻きながら懐から煙草を取り出し火をつけた。
私のほかに乗客はいないが、バス内が煙で充満するのも
ともあれ、車窓の向こうには
セミの鳴き声が近く遠く、幾重にも聴こえてくる。
時計を見れば既に最寄の駅を出てから一時間が過ぎているというのに、外の風景はまったく変わってはいない。さっきの夢と比べれば、今目の前にある景色の方がよっぽど現実離れしているというものだ。
いつも見る夢。
夢が持つ独特の脈絡のない展開や奇抜さのない、果てしなく淡々とした夢だ。まるで自分の記憶のどこかを切り取って再生しているような、そんな印象を受ける。
謎だらけで、しかしどこか胸の奥底に響く夢だ。
――もしかしたら謎を解くきっかけになるかもしれませんよ?
私に仕事を頼んだ時の
他に行く当てのない私に世話を焼いてくれた人からの頼みだったのもあるが、その言葉に最も心が動いたのは事実だ。
あの時、あの透き通った闇の中で失った、私の――
「
ガタン、と突然バスが停止し、間延びしたアナウンスが流れる。
私は慌てて鞄を掴むと、ドアに向かった。
バスを降りると、目の前には高い高い塀がそびえ立っていた。
かすかに見える塀の内側もいかにも名家といった感じで、周囲の鬱蒼とした森とは異質の気配を強烈に発していた。
私が豪華さにただただ呆気にとられていると、
「お待ちしておりました」
と横から声をかけられる。 振り向くと、そこにはこの時期には不釣合いなくらいフォーマルな服装をした女性が礼儀正しく立っていた。一目見ただけでこの屋敷のメイド――またはそれに類する職の人であるのは類推できた。
「このたびはようこそいらっしゃいました。わたくしはこの屋敷でメイドをしております、
そういって彼女は頭を下げる。どことなく仕草がウェイトレスのような感じで、少しくすぐったい。
そんなことを考えながら私が肯くと美千代は何故だか嬉しそうに、
「それでは、案内させていただきます」
と言って大きな大きな扉をゆっくりと開いた。
*
美千代に案内されやってくると、応接間には和装の女性が待っていた。落ち着いた色合いの和装のせいなのか、とても奥ゆかしげな印象を受ける。
「
そう名乗って丁寧に頭を下げると、彼女は美千代に視線を向けた。
「美千代、
「屋敷中を探したのですがいつもの通りで――申し訳ありません」
美千代は、あはは、と苦笑いを浮かべて、深々と頭を下げた。
「相変わらず、あの子も困ったものね」
静江はこめかみを揉みながらごちる。
事情を察するに、どうやらこれから教えることになるこの家の令嬢は、やや問題児であるようだ。
私が少し不安を覚えていると、
「失礼いたしました。今の話で少しお分かりになったと思いますが、娘は少し〝変わった子〟なのです」
静江はそう言って話を切り出した。
「我が家は初代のお竹より代々、当主の座は女が継ぐことになっています。雫も今年で十六――。眞籠の跡取りらしくどこか名の知れた高校にでも通わせるべきなのですが、そういうわけでなかなか上手くいきません。ですが雫の他には跡取りに出来る娘もおりませんし、それ相応の社会常識は身につけてもらわねばなりません」
なるほどそれで家庭教師をということか、と納得する。
「そこで竹宮先生に、家庭教師をお願いいたしたいのです」
「あの、一つよろしいですか」
しかし、私はそこで口を挟んだ。
「南雲牧師は私に関して、何かおっしゃってましたか?」
「非常に博学で優秀な方だ、と伺っておりますが」
怪訝な目で、静江は私を見つめた。
どうやら〝あのこと〟について南雲牧師は何も言っていないらしい。
――わざとなのか、あの人のド忘れなのかは分からないが。
ならば、先もって言っておくべきだろう。
「――僕は、記憶喪失なんです」
部屋が、無音状態になる。
そう、私には過去が無い。
三年前、私は浜辺で倒れているところを偶然浜辺を散歩していた南雲牧師に助けられた。そして意識を取り戻した時、私の頭からは自分の過去というものが綺麗さっぱり――完全に失われていた。
かろうじて〝竹宮有馬〟という名前は覚えていたためすぐに身元は判明した。しかし私には身寄りがなかった上、どういう訳か通っていた大学のある街から原因不明の失踪を遂げたまま、十四年間も行方不明になっていたらしく、その間の失われた記憶を取り戻すことは出来なかった。
以後、細々と調査を続けながら、南雲牧師の厚意で彼の教会にて住み込みで手伝いをしている。
私が簡単に経緯を説明し押し黙ると、静江が口を開いた。
「――何かそのことによる仕事への支障はありますか?」
「い、いや……多分、家庭教師をする分には問題はありませんが」
「でしたら構いません。南雲先生のご紹介ですから、お人柄のほうは信頼しております」
私が口を挟もうとすると、それに――と静江は続けた。
「失礼な言い方ですが……少しくらい変わってらっしゃるほうが、あの子には合うかもしれませんし」
そんな意味深な発言をすると、静江はささやかに笑った。
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