毎日が仕事に追われていると、季節を感じることがほとんどありません。朝7時半前に家を出て、工場の中で仕事をし、深夜に自宅に帰ってくるという忙しい毎日では、「暖かくなったなぁ」、「暑いなぁ」、「やっと涼しくなったなぁ」、「寒いなぁ」の4種類を感じるのがやっとでした。仕事に夢中になっているときはそれでも良いのですが、ふと我に帰るときがあると、生活に何かが足りない気がしていました。その不足感は、年齢を重ねるにつれ、次第に大きくなってきました。
その物足りなさがいったい何なのかをずっと考えていたのですが、MTBに乗るようになってからはっきりと自覚できました。それは「季節感」だったのです。四国の山の中で生まれ、山を遊び場として育った自分としては、「季節」が体の中に染み込んでいたのでしょう。自然は4つの季節を経ていろいろに変貌し、そして繰り返されます。その自然の大きなサイクルの中で、自分は大いなる影響を受け、生きてきたのです。自然は友達でした。
父親の仕事の関係で、中学1年のときに、四国の山の中から東京近郊の蕨市(埼玉県)に移り住んで以来、都市での生活が始まりました。学生生活は広島市で送りました。都市での生活もそれなりに楽しかったと思います。しかし、そのときも何か物足りなさを感じていました。
就職の時期を迎えたとき、自分は大都市で生活するのには生理的に向いていないと感じ、奈良県内に情報機器の生産工場があるメーカーを就職先に選びました。そして希望どおり奈良にある工場に配属されました。奈良を就職先に選んだのは、奈良であれば四季折々の美しい風景が見られるだろうと思ったからです。入江泰吉さんの美しい大和路の写真集が頭の隅に残っていたのでしょう。それと、そのときは無意識のうちに古いものを渇望していて、幾何学的で無機質な風景に対する反動があったのかもしれません。というのは、学生時代過ごした広島市には古いもの、たとえば神社やお寺など、歴史を感じさせるものが何もありませんでした。ご存じのように、原爆を受け、すべてが焼失してしまったからです。原爆は多くの人命だけでなく歴史をも奪ってしまいました。改めて原爆の恐ろしさ、罪深さを感じずにはいられません。
奈良に就職してからは、休みのたびごとに、奈良の名所旧跡をあちこちと訪ね歩きました。それは今思うと、自然と歴史の織り成す美しい風景を見ると同時に、季節を感じることでもありました。風景は季節の中で変貌します。風景は、季節とあいまって、その美しさをより鮮明にします。
しかし、その奈良の名所旧跡にもいつしか足が遠のいてしまいました。次第に、登山や林道ドライブに興味の中心が移ってきたからでした。登山や林道ドライブで、より大きな自然を味わうことが面白くなってきたのです。
その新しい趣味も、結婚してからはやらなくなりました。休日は家族と過ごすことが楽しくなっていました。やがて仕事も忙しくなり、休日はごろ寝をして過ごし、過労や運動不足から体調が思わしくなってきていました。それを解消しようと、休日には散歩して、できるだけ歩くことを心がけました。しかし、挫折してしまいます。徒歩で行ける範囲は決まってしまい、マンネリ化して興味を失ったからです。
そんなときに出会ったのがMTBです。MTBだと、短時間で遠くまで行けます。近所の山道を走れば自然を満喫できます。すぐにMTBのとりこになりました。
私はMTBを始めた当初、朝の7時ごろに家を出て、9時過ぎには家に帰っていました。MTBを購入した日に用水路に落ち、顔の左半分にできた擦り傷のところに新しい薄い皮膚ができていたころでしたので、「紫外線を浴びると、そこがしみになって黒くなるよ」と医者に注意されていたためです。紫外線は朝の10時くらいから急に強くなると聞いていたので、MTBで走るのは早朝にしようと決め、実行しました。
結果的にはそれが良かったと思います。朝が早いと、澄んだ空気の中、風景は朝の太陽の光で輝きを増します。実に新鮮です。MTBにはほとんど週に1度しか乗れませんが、毎週MTBで山の中に入ると、季節の移り変わりをはっきりと感じました。日の光の強さ、気温、山の緑、空の色、風、そういったものが毎回違う。同じ道を通っても、毎回異なった姿を見せてくれます。実に美しく、楽しいと思いました。そして、「俺の求めていたのはこれだったのだ!」と気がついたのです。
自然の風景の中、季節を感じることは、唯一自分を取り戻すことでもありました。