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1979.05.20

生駒山上遊園地

ミッチとの出会い
初めてのレコード
第1接近遭遇
親友の死
サークルミッチ
第2接近遭遇
はっきり言ってファンを休止(怠慢)していた私が、あまりえらそうなことを言えないんですが、しかし、30周年の今年に再始動するとは何たる偶然か、そういえば、初めてミッチを生で見たのも私が18歳になる年(1979年)だから、ミッチもデビュー10周年の時ではなかったのかなぁ・・・。

さて、このページもミッチと共に進化していきます。再始動した今年から、新しいファンに立ち返ってミッチを応援していくつもりです。また、他のファンの方とも交流を深めて、みんなでミッチを盛り上げていきたいと切に願っております。

第3接近遭遇
第4接近遭遇そして休止(怠慢)
再始動1999年7の月
当時を振り返って
最近のアニメ主題歌
オフィシャルFC TomBoy
応援ホームページ

 

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ミッチとの出会い

私は、元々アニメや特撮の主題歌が好きで中学生の頃からよくモノラル

(当時はまだステレオカセットレコーダと言うものが一般的ではなかった)

でテレビのイヤホンジャックからテープレコーダに記録していたものです。

当然、現在、アニメの女王と呼ばれている「堀江 美都子」さんの歌声も

聞いていたわけですが、その時は、特に特定のアニメ歌手の方が好き!と言う

わけではなかったのです。

やがて月日が経ち、私が高校1年か、2年ぐらいの時、テレビの主題歌を歌っている

歌手の方達が、出演しているテレビ番組で、「魔法のマコちゃん」のイントロが流れ、、

ステージの正面奥から階段を下りてくるかわいい女性歌手が、歌い始めた途端、

私は「テレビとおんなじ声だ!」と思ったのです。

それまでアニメの主題歌で聞く声とテレビのスタジオで歌う声とにはわずかに違う

ように聞こえたものでしたが、ミッチは全くおんなじ声だったのです。

この感激(ジャイアントインパクト並み)とミッチのルックスとに惹かれないわけが

ありません(もちろん歌唱力にも)。

当然、それまでアニメ等の主題歌が好きだった自分から、堀江美都子さんが好きな

自分に一気に切り替わったのです。(まさにターニングポイントだったわけです)

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初めてのレコード

そして初めて手に入れたレコードが「堀江美都子アニメロマンの世界」でした。

はっきり言って、初めてミッチの顔写真が載っているものを手に入れたのです。

さらに「堀江美都子テレビアニメーションの世界」も手に入れました。

順番が逆でしたが、たまたまレコード店で見つけるタイミングのせいでそうなっただけです。

しかし、後にこの2枚のLP以前にもう1枚が存在する事を知ったが、未だに幻の

1枚となっています。(知っておられる方メールください!)

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第1接近遭遇

高校3年の忘れもしない1979年5月20日日曜日、生駒山上遊園地に、ミッチが来ることを

駅張りのポスターで知りました。

当然、そのポスターを予約し、当日カメラを持ってさっそう?とバイクにまたがり一路生駒山上へ。

初めて見るミッチにドキドキしながら、サインを貰っているファンにも気を取られることなく一心に

カメラのシャッターをきっていました。(今思えばサインを貰うほうが大事だったのにバカですねぇ)

はっきり言って、始めて見たミッチに動揺していたのでしょう。夢中でミッチをカメラで追っていましたね。

そしてコンサート。曲目はあまり覚えていません、開演前まで流れていたゴダイゴが歌う

映画版「銀河鉄道999」の主題歌しか頭に残っていない、というくらい写真に撮ることしか

頭になっかたのですねぇ〜はっきり言ってバカです。

そして、帰りは駅に寄って予約しておいたポスターを貰って帰りました。

しかしその時は、まさか最悪の出来事が起っていようとは夢にも思っていなかったのです。

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親友の死

翌日、学校へ行くと既に登校していた同級生から、親友が昨日バイク事故で亡くなった

と言うのです。

当然私は、性質の悪いギャグだと思っていたのですが、担任の先生からも同じ事を聞かされ、

初めて事の重大さを思い知ったのです。

多分、過去から現在に至るまで、親友と呼べたのは彼一人だったと、今でも思っています。

しかし神様も意地悪だなぁ〜。

初めてミッチと会った日に親友を失うとは・・・・・・・。

そう、良くも悪くも1979年5月20日は、今でも忘れることが出来ない日となって

しまったのです。

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サークルミッチ

それからどれぐらいが過ぎたのか、たまたま生駒山上のコンサートの事を、どういった

きっかけで話したのか覚えていないのですが、俺もそれに行っていたと言う同級生が

現れたのです。聞くと「サークルミッチ」に入っていると言う。

俺も入りたいといったが、彼も2次募集で入ったので今は募集していないとの事。

はっきり言って残念だった。

しかし、彼に会報を見せてもらったうえ、コピーさせてもらっていました。

そこから得た情報は、本当に貴重だったと今でも思っています。

(この頃、ミッチが宇宙魔神ダイケンゴーでの声優初挑戦の記事が載っていました)

それまでレコード以外、なんら情報をもっていなかった私が、やっと所属事務所や

なぜか自宅の住所まで手に入れてしまったのです。

年賀状を出して、事務所から晴れ着姿のミッチの年賀状が来た時は、もう言葉に出来ない

感激でした。でも自宅にまで年賀状を送ったのは、ファンとして恥ずかしい行為だったと

今更ながら反省しております。(ごめんなさい)

ラジオの深夜番組「ミッチの独言倶楽部」も教えてもらい、眠い眼をこすりながら、オープニ

ング!ミッチのさわやかな伸びのあるタイトルコールとDJを聞きたいが為にがんばったものです。

しかし、不覚にも、たまに撃沈(眠ってしまった)することもあり、翌朝悔しがったのは、

言うまでも無いことです。

この頃、「堀江美都子ベスト24」が発売され高校生だった私は、高校生のミッチ

写真に思わず「かわいい」と心底、思いました.。

このときの予約特典のポスターが傷んでいるのを最近気づき、少し落ち込んでいます。

大事にしまっておいたのに。(ポスターは自室でのミッチでした)

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第2接近遭遇

不思議なもんです。

ミッチのファンはどこにでもいるもんです。

高校を卒業し、就職した私は、その職場にもミッチのファンがいる事を知ったのです。

これもきっかけは、はっきりとは覚えていないのですが、私がミッチの写真を定期入れに

入れているのを先輩に知られ、だれやと言うことになりミッチだと言うと、「それやったら

もう一人おるで」という事で教えてもらった先輩も、かなりのミッチファンでしたね。

会社に入ってからは、主にこの人からコンサート情報を仕入れていました。

それからは、ミッチに逢う事も多くなりました。

大阪曽根崎の東映でのコンサートは、前日からの徹夜組みに便乗して、当日来たにも

かかわらず、一番前に座っているという、あつかましい後輩でした。

ただ、整理券を持っていなかったので、サイン会には参加できず、かなり悔しい思いをしました。

18歳当時の私です(若かった・・・)

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第3接近遭遇

1981年10月6日(サインの日付より)

心斎橋ミヤコレコードにてミッチがオリジナルシングルの

「ピュアモーニング」(サインからそう思っている)発売のイベントを行ったときです。

レコード店なので、すぐ目の前にミッチが立っていました。

当然、サイン会、そして握手、初めてミッチに触れた瞬間でした。

この時の曲目もはっきり言ってよく覚えていないのです。(ほんとのバカです)

多分オリジナル曲だけを歌っていたんじゃないかな?

このときも夢中でシャッターを切っていたが、近すぎてあおりのアングルばかりになって

しまった事は写真が物語っています。

この時、ドンくさいことにフィルムを買い忘れていた為、(完璧なバカです)あまり写真を

撮れなかった事はなんとなく覚えています。

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第4接近遭遇そして休止(怠慢)

こちらは我が奈良県、ニチイ桜井店(現サティ)屋上にて、子門真人さんも来ていた

らしいのですが、お目当てはもちろんミッチです。特にステージというほどのものはなかったので

こちらも、かなり前にいたけど、子供に混じっての状態だったので少し恥ずかしかった

のを覚えています。でもやはり、かなりの大人が前にいたので写真を撮るのは

難しかったですね。

これを最後にしばらく?休止(怠慢)状態に入っていったのです。

先輩も結婚してしまったせいか、ミッチについての情報も、だんだん入らなくなってしまった。

(なんせ仕事場が当時、吉野口駅構内だったので)

もっと、人脈を広げておくべきだった。

バイクにのめりこみ、それに、沢田聖子さんというアーティストにものめりみ始めたからです。

でも風の便りで結婚したことは耳に入ってきてました。

しかし、だんなさんが、あの「20歳のめぐり逢い」で有名なシグナルのあさみさんだとは

知りませんでした。(ニックネーム:足長あんちゃん)

シングルですがレコードもあります。(今でも好きな歌です)

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再始動1999年7の月

ノストラダムスは、この月で恐怖の大王が降ってくると言ったらしいんだけど・・・。

そして17年を経った今、ふと今もっているレコードが聞けなくなる前にCD−Rに焼こうと

思って、まず手にしたのがミッチの「堀江美都子テレビアニメーションの世界」でした。

しかし静電気防止スプレーのガスだけが抜けてしまい、とてもレコードが聞ける状態では

なかったので、もしかしたらCD化されていないかとサーチエンジンで調べたところ、

堀江美都子オフィシャル・ホームページなるものを発見。

さすが、インターネット時代、昔のようにファンクラブに加入している者以外の者が情報を

仕入れるには、かなり苦労したが(私はあまり苦労していなかった)、良い時代になったものだ。

この辺から応援ボードにも書き込みデビューを果たしました。

たぶん当時のファンよりも現在の方が10倍ぐらいファンがいるのでは?

当時よりも認知度も高いのでは?

そしてそのHPでは、もう30周年とのこと、おまけに記念のCDが出ているとの事、

これは、買わねばと早速レコード店へ2軒目にしてCDを発見、即購入。

封入されているブックレットを見ると「歌のあゆみ」なるCDが出ているではないか。

これは、買わねばと早速レコード店に注文、「歌のあゆみ2」と「歌のあゆみ4」が

製造中止の在庫無しで手に入らず。

あきらめきれずに大阪日本橋へ、いろんなレコード屋や中古レコードショップを廻ったが

さすがに10年も前に発売されたものだけに結局手に入らず、インターネットでも注文

してみたが、やはり製造中止の為、手に入らず。

しかし、半ば諦めたところにあるレコード店のホームページが、手に入りにくいものも

探してくれるという。(ほんとにいい時代だぁ〜)

だめ元でお願いしたところひとつずつだけ見つかったとの事、早速注文。

これで、「歌のあゆみ」全巻がそろうことになったのです。

かなりの出費になりましたが、満足しています。

17年間のブランクを何とか取り戻したい!

考えてみたら17年のブランクを引くとファン歴がたった5年の新人ですね。

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当時を振り返って

しかし、時代の流れとは早いものです。

当時、アニメ歌手四天王と言えば、ミッチと水木一郎さん、佐々木功さん、大杉久美子さんだった

ような気がするのですが。また、この4人がテレビでよく、ごいっしょされていたし、アニメージュの

ロマンアルバム増刊でアニメ・ヒット・ソング全集(監修:手塚治虫 編集:田代敦己  私が持っている

のは第3集を除く第4集までの3冊ですが)の表紙では常に上記4名の方々が、写っておられたの

ですがねぇ〜。

扱いの順番は佐々木功さん、ミッチ、水木一郎さん、大杉久美子さんでした。

やはり「宇宙戦艦ヤマト」の佐々木さんの扱いは別格でしたね。(私の中ではミッチが一番)

でも第4集の表紙は半分近くをミッチが占領していました。

写真の黄色いTシャツにホットパンツ姿でした。(写真は第4接近遭遇時のものです)

 

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最近のアニメ主題歌

最近、テレビアニメを見て思うことは主題歌が本作とは全然関係ない詩の内容になっているように

感じます。テーマソングどころかイメージソングにも程遠い状況ですね。

メロディラインも子供には、少し難しすぎるような、はっきり言ってあまり感動しないですね、

ただ、中にはうるさいだけのものもあり、もう少しテレビ局もタイアップばかり考えないで純粋に

アニメの主題歌を考え直して欲しいですね。やっぱり、子供が口ずさめるような歌でないと。

どんな曲でも歌いこなす確かな歌唱力、聞いていて飽きのこない歌声、やはりアニメの主題歌は、

ミッチ以外には考えられないし、これからの多感な子供達に夢を与えられる歌手は数少ないと

思います。

やはり餅は餅屋に任せるのが1番、ポップス系の歌手が歌う詩の内容は対象年齢が違い過ぎる

と思います。子供に愛だの恋だのといっても今ひとつピンとこないのでは?

やはり、アニメソングもアニメも勧善懲悪の世界です。何が正しくて何がいけないのか、私たちの

小さい頃のアニメ(当時テレビ漫画)にはそれが有り、何となく道徳心も芽生えていったと思って

います。今一度、あの良き時代に返っていただけないものか!

今の子が大きくなって小さい頃のアニメソングを聞いても「これ何の主題歌だっけ?」ということ

になりますよ〜ぉ、テレビ局さん考えなおしてね。

原作者の方も考えなおしてね。

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オフィシャルFC TomBoy

わたしも、やっと、ミッチのファンクラブに加入する事が出来ました。感無量です。

ある意味、高校の時の思いが、やっと叶った事が、特にうれしいです。

友達の入っていた「サークルミッチ」は今はもう無いらしいです。

最近、知ったFC「」(くれない)も今は、もう無いとの事。

往年のファンの方達も、「TomBoy」に加入されて、がんばって応援されているようです。

昔のように独りではなく、できるだけ多くのファンの方達と、一緒にミッチを応援する事が、

少し大袈裟かも知れませんが、今の私の、生きがいの内のひとつでもあります。(嫁も子供もいないので)

応援ボードで知り合った方達といっしょにコンサートでの応援やオフ会などの交流を深めていきたいです。

やはり、ひとつの話題について語り合える人がいるという事はかなり幸せな事です。

現在、友達と呼べる対等な人は少ないです。高校を卒業し、休みが合わず少しづつ逢う回数も減り

いつの間にやら結婚していたり、同期の者も、今の会社に出向してから逢う機会も減り、高校の友達と

同じように、疎遠になっています。共通の話題が少ないのが一番の原因でしょう。

はっきり言って何をやっても、中途半端な人間である私が、ミッチに、これほど入れ込むとは、自分でも

驚きです。ましてどちらかと言えば一匹狼系の私が、交流を持ちたいと願うことも、不思議な事です。

歳のせいか?それとも、ミッチだからなのか?は、わかりませんが、自分の中で何かが、変わり始めて

いるのを最近、つくづく実感しています。

インターネットを始めて早3年強、もっと早くサーチエンジンで検索しておけば良かったと思っていますが、

ミッチのパワーが、私を深い眠りから目覚めさせてくれたのかも知れません。

虫の知らせという言葉があります。縁起のいい話ではありませんが、私はこれを親友の亡くなった夜に

実感しました。

私を含め、修学旅行の時、親友と私と、もう一人の友達との3人部屋でのいちびった写真をなぜか、

その夜、ふと、見たくなってアルバムを開いていたのですが、もう一人の友人もその夜、同じ写真を見て

いたとの事。これは、本当の話で、うそや偽り、何の脚色も無しで、本当に同じ写真を見ていたのです。

これには、二人ともびっくりしたのを憶えています。修学旅行の時の写真は、その部屋の写真だけでは

無いのになぜか、3人一緒の部屋の記念写真だけを見ていたのです。

やはり、虫の知らせというものは、実在するのでしょう、ですから、昔から言い伝えられている訳だと思い

ます。

話が少しそれましたが、ミッチをはじめて見るきっかけとなったテレビ番組、そして、普段は見向きも

しない駅張りのポスターに気づいたり、なぜか、今まで気づかなかったミッチファンの同級生や、ふと

見た広告にミッチのイベントを見つけたり、同じ会社にまた、ミッチファンの先輩がいたりなど、不思議と

ミッチに引き寄せられるように事が運ぶのも、何かしらの因縁を感じずにはいられません。

実は私は、ヘミングウェイの生まれ変わりでは無く、ミッチを応援する為に、生まれてきたのでは、

無いかと思わずにはいられない今日この頃です。(でも単なる偶然の重なりなんだろうなぁ・・・)

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応援ホームページ

インターネットを始めた頃から、石川さんのHPを見て、私もHPを作ろうと考え、作り始めて、

ほっていた状態のHP(indexと自己紹介そして少しのページ)を急遽、リニューアルして、ミッチの応援

ページを作ろうと、一念発起し、突貫工事で作成しました。ホントはイラストも入れたかったのですが、

タブレットが、急に認識しなくなり、(どうやら壊れている可能性が・・・)断念しています。

(USBのタブレットが欲しい!)

オフィシャルの方に、事前に写真使用の確認をして作成にとりかかりました。

はっきり言って、当時の資料は、ことごとく紛失しており、わずかの写真と、レコードしか、存在しない

ありさまでした。

しかし、私もいろんなミッチが見てみたい!という事は、他のファンの方も見たいのではないかと勝手に

判断し、フィルムを整理し、20年ぶりに写真を焼増しに出しました。

しかし、色合いが悪いうえ、フィルムの埃をきれいに取り除いてくれなかったようで、所々,気になる白点

が、目につきます。色は、スキャナーで読み込む時に、多少修正できますが、埃は修正にかなりの

時間が必要ですので、いずれフィルムスキャナーを買って画質アップを図りたいと思っています。

写真は全部載せたいぐらいなのですが、使用を控えたほうがいい写真もあるので、自分なりに

自主規制して、厳選しました。しかし、後姿の写真はものすごく気に入っているのですが、もしかしたら

チェックに引っかかるかも知れないので覚悟はしていました。しかし、OKが出てほっとしました。

大体が、完成したところでオフィシャルにURLを連絡し、ミッチ自ら写真等をチェックしてくれました。

ただ、写真を見て苦笑したとのことで、どの写真が引っかかったのかなぁ・・・。(気になる)

突貫工事と曖昧な記憶を頼りに作成したので、間違った思い込み部分もあり、ゲストブックに

たかあきさんから、日付や場所の情報が入り、早速訂正しました。(ホントに助かりました)

でも、ミッチの応援ページが、メインとなってしまった為、他のコンテンツが、ほとんど無く、

お見せするのが恥ずかしいのですが、何とか充実を図っていきたい!

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これからも、このページはミッチと共に続きます。


 

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