川俣 均委員長講演41年号)18演題概要   41年担当【M・M】 P10

 

 

奇 幸 と 和 荒                                         十月・月次祭  一月号・401号

多くの人はその本質上、和魂・荒魂を有している。氏神との感合により奇魂の働きを完成させ、これを通して幸魂を発揮すれば、和魂・荒魂と共に四魂が具足する。

 

近代化と惟神の道                                             十一月・秋季大祭  一月号・401号

近代化は欧米的であるが、日本の近代化に際しては民族の歴史との結がりを失ってはいけない。八意思兼大神のみいつのもと、四魂の信条をそのまま物心両面に亘り行ってこそ真の近代化が向かえられる。

 

復奏(かえりごともうす)の 精 神                                             十月・神嘗祭祝祭  二月号・402号

復奏とは事の結果を奏上報告すること。事の結果が良ければ勿論感謝報賽をする。悪くても全てを自分の責任として反省し、その後の向上に努力することを奏上し、報賽をする心が望ましい。復奏と報賽は表裏一体で、その根本は自己犠牲の精神です。

                                  十二月・月次祭     二月号・402号

すべての罪穢れは四魂のいずれかが欠除しているか、或いはそのはたらきの不十分に起因しているのです。祓い後は各魂の在り方を高めるよう努力すること。氏神信仰は神と人を結ぶ四魂具足という真心です。

 

氏神信仰のもたらすもの                                          一月・月次祭  三月号・403号

氏神信仰に徹すれば

一、民族的自覚がよみがえってくる。

二、氏神や祖霊の守護を受けて取り越し苦労のない安心立命の幸福な生活がおくれる。

氏神は必要な時に必要なもの、必要な時間、必要な人間をすら与えて下さるのです。

三、死後の行方についても氏神の守護のもとに安居楽住の霊界生活を送ることができるのです。

 

調和の神  八意思兼大神                                   二月・大神奉斎記念祭  三月号・403号

大神様は政治、学芸,思慮,分別、智恵の神様で、これらの五つのご特質は「調和」を基盤として発揮されます。氏神と氏子は、四魂具足という調和の上に立つべしと大神様はさとされました。氏神信仰は調和の信仰です。

 

信 仰 と 努 力                                                 2月・月次祭  4月号・404号

氏神信仰は「神まかせの絶対信仰であり他力信仰」です。これは自力を尽くした上での他力でなければならない。人事を尽くして神命を待つのです。四魂が欠けることの無いことが大切です。

 

御製を拝誦して                                     三月・氏神奉斎記念祭  四月号・404号

四十一年お歌会始めの御製

  日日のこのわがゆく道を正さむと    かくれたる人の声を求する

本会の教義宣布の声はまさに「かくれたる声」です。国教宣伝弘布に献身努力することが天皇の声に応えることになるのです。ゆく道とは四魂具足の道なのです。

 

平田霊示に思う                                               三月号・月次祭  五月号・405号

昭和4年春季大祭に賜った御訓示が「平田霊示」です。御訓示は、終始われわれの肺腑(はいふ)(心の底)衝くものばかり。主要な部分を掲げて更めて反省の資ともなし心の糧にしたいと存じます。

真の信仰に入るには先ず其の知識(習慣性の)、神秘、不思議の観念を棄てて貰いたい

四魂具足の神則に離れないように心懸けて頂きたい

万民に教えを宣べ伝える心になって貰いたい

氏子であることと会員であるという同時原則に徹し、これを実践することが大事です。

 

                                                   四月・春季大祭  六月号・406号

罪穢れは四魂不具足、信仰違反です。遠祓は大神様の大前にて平田大人命の仲執り持ちにより行なわれます。このことを自覚反省して神恩感謝をして、大御神業に献身的奉仕をして報いる心構えが大切です。

 

恕(じょ)に つ い て                                               五月・月次祭  七月号・407号

相手の気持ちになってものを考え、ものを言い、行うことが大切です。この相手の気持ちになってものを考え、ものを言うことを「」というのです。「わが身をつねって人の痛さを知れ」という諺にもこの恕の心に通じるものがあります。われわれは祖霊のお気持ちを理解して信仰を高める努力が必要です。氏神のお気持ちを我が心としてご奉仕すべきです。

 

神霊界の発現と人間生活   【原文で掲載】A型式               五月・創立記念祭  七月号・407号

神霊界は儒教や仏教の渡来前までは厳然として霊界の最上位にあり、人間はつねに神人感合のもとに神霊の加護をうけて生活していたが、神霊界の扉が閉ざされ?……?大神様の本会へのお出ましにより神霊界が再び発現となった。氏神奉斎の神事に次いで 本会創立の偉業となり、ご神業の第一歩となる。

神霊界と人間界をつなぐものは「天線」です。これにより御守護をいただけます。御神示(昭和五年8月十日)によると天線は神霊界と人間界との連絡をする線であって、 この天線は人間の信仰程度で変化する線でもある御神業に挺身奉仕すれば、神霊界から人間界に伊照り輝き、病気災難のない幸福な生活ができる。

 

人生に結論はない                                    六月・月次祭  八月号・408号

人生には運、不運や、幸、不幸が相次ぎ起こるものです。ですからその時点で人生を判断してはいけません。祖先は、遠い昔から凶事に見舞われても逃避することなく乗り越えて生き抜いてきたのです。人生に結論はありません。稜威信じて疑わず努力することこそが氏神信仰の真髄なのです。

 

信なきものは去る                                                七月・月次祭  八月号・408号

競技場に来て自校を応援しながら、旗色が悪くなると悲境の友を見捨てて去る、その料簡(りょうけん)(考え方)は誠実を欠き信念を失うことで「信なきものは去る」の意味です。

氏神信仰は素直に行えば御神助をいただけるのです。不幸、災難に会うと途端に信仰から離れてしまうのは「信なきものは去る」なのです。「稜威信じて疑わず」の信念を固くすることが必要です。

 

惟 神 会 の 使 命   一部現代文で掲載】B型式                  八月・月次祭  八月号・409号

八意思兼大神の大御神業を達成することです。敬神崇祖の氏神信仰に徹すれば民族愛、祖国愛、天皇崇敬の心を生じ国家社会は栄え、結局は氏子自身の繁栄をもたらすのです。

昨四十年八月の研修会においても同じ命題で申し述べてある。申すまでもなく使命とは、大神から自分に課せられた任務ということであり、遂行するのみである。大神の月次祭祝詞で惟神会の使命の重大さを拝することができる。『氏子たると同時に会員であれ

 

ものの見方と考え方                                             九月・月次祭  十月号・410号

四魂具足という絶対善を価値評価の基準にし、第二霊(本霊)を磨き第三霊(経験霊)を清浄なものに交代させて、神の御心に(そむ)いたり、おのれの心に恥じることのないように行動すれば、国家社会の福祉幸福に役立つのです。

 

反省感謝克己                                             十月・月次祭  十一月号・411号

御神助があった時は、これに価する信仰をしていたかを反省し、不幸、災難の時は自身の責を認め反省をします。感謝とは信仰生活において御神恩を見い出し、これに報いることです。 「感謝の()(ごころ)を形に現すためには、我欲という誘惑をしりぞけて己に克つことがいちばん大切でありますいずれも信仰を進め御神助を頂くためには欠かせません。

 

氏神を見直しましょ                                      十月・神嘗祭祝祭  十一月号・411号

氏神は八意思兼大神さまに絶対服従であると同時に、氏子の四魂具足せんとする努力に対してのみ感合されます。 真の氏神は次の十項目のように神定されています。本質、本体も以上十項目のようです。罪穢れを祓い氏神に絶対の信仰を捧げるならば氏神のみいつは素晴らしいものになります。

 

                                         以 上

 【41年】

 

 夏目漱(なつめそう)(せき)は小説『草枕(くさまくら)』のなかで  「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)である。   とかく人の世は住みにくい」といって人生の難しさを(なげ)いております。

 鴨長明(かものちょうめい)(約800年前)は『方丈記(ほうじょうき)』の冒頭に  「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたる(ためし)なし。世の中にある、人と(すみか)とまたかくの如し」といって

 人生の無常と流転の儚さ(はかなさ)を述べております。

 

 『平家(へいけ)物語(ものがたり)』はその冒頭の文句の   ……平家滅亡の戦乱による世相の移り変わりの儚さ無常観。  祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり……奢れる(おごれる)人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」の

 兼好(けんこう)法師(ほうし)は『徒然草(つれづれぐさ)』で「ながくとも四十にならぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」などと

故 古川委員長は次のようにもうされた。  【39年8月‐4P】

   「よく四魂具足の教えはむずかしい、実行不可能なことだいう人があるが、それは考え誤りであって、よく理解すればこの教えほどやさしく踏(ふ)みやすいものはない。氏神・祖霊を神ながらに奉斎し心から信仰を捧げるならば、きわめて平々坦々の日常生活のうちに実行できるのである。

即ちその時その時において昨日を反省しつつ四魂具足であると信じたことを実行に移して行けば、四魂はだんだんと拡大され軌道に乗ってゆく。たとえ振り返ってみて、昨日の心持が悪かったと気付くことがあっても、昨日の行為はやはり善であり、その時においては絶対であったので、それ以上のことは如何に望んでも不可能であったのである。昨日を反省して今日を改めるということは、昨日の行為を悪とするのではなく、今日は一歩進んだ心境で善を行わんとするのである。

かくして人格はだんだん向上してゆく。このような道程にある人は、どのようなむずかしい問題に直面しても決して思い迷うことなく最善の処置をとることができる。

それは心に四魂具足すなわち真心が確立しているからである。 この道こそ今日人類の最も渇望しているところのものある。これをわれわれは古代からのこの国柄に備わってもっていたことに、今日ようやく自覚させていただいたのである。」

  まことに四魂具足とは古川先生の教えられるとおりまごころであります。

 平田先生のお歌  【39年8月‐14P】

「為せば成り為さねば成らず成る業を 成らずと棄る人のはかなさ」            以 上


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