川俣 均委員長講演(40年号)16演題概要 40年担当【O・T】P06
四 魂 と
弥 栄(繁栄を祈る) 本文を見る 十一月・秋季大祭 一月号・379号
四魂具足ということは、一朝一夕に達せられないように思われますが、神さまは人間に不可能なことを求められるわけはないのであって、不可能視するのは人間そのものです。神さまは、四魂具足にはげめば弥栄になる、しかもあとくされのないいわばお釣りを取らないスッキリした繁栄を約束しておられるのですから、神に二言なし、あくまでも稜威信じて疑わずの信念をもって、四魂具足にいそしむべきであります。
四魂具足を唱えましょう 十二月・月次祭 二月号・380号
氏神信仰は四魂具足の真神霊と、いわば四魂不具足の人間との関係
(かかわりあい) ですから、氏神の稜威を信じて疑わないという「信」の一字にすべてを托(預ける)さなければ、この氏神信仰は成り立たないのです。換言すれば稜威を信じ切るという信念を固めることが先決問題です。
ですから四魂具足という神のことばを、稜威信じて疑わずという固い信念をもって、反復し(くりかえし)、反復し真剣に奉唱しているうちに、自然と心に四魂が具足されるようになるのです。
奇 魂 に つ い て 一月・月次祭 三月号・381号
四魂の信条にある「奇魂 神人感合の力を得て」の「神人感合の力」がすなわち奇魂の働きであります。そしてこの奇魂の働きを自分だけにかぎらず広く皇国に役立つようにするのが四魂具足の奇魂の真意義であります。
また人間は生きているかぎり誰でも第三霊という経験霊を持たざるを得ないのでありますが、この第三霊の正邪善悪によって人間の奇魂の働きは、正神たる真神霊に通じる正常な神通力にもなるし、或いはまた邪神邪霊に通じる邪悪な神通力にもなるのです。
荒 魂 に つ い て 二月・大神奉斎記念祭 三月号・381号
四魂具足の荒魂は、大神さまの御神業翼賛という至高至善 最大の社会奉仕ですから、われわれは、
大神さまや氏神の「みこともち」として新会員の造成をめざして一柱で多くの氏神を世にお出し申し上げることに専心努力することも極めて大切な荒魂の発露であります。
和 魂 に つ い て 二月・月次祭 四月号・382号
真の和魂は、心に思っているだけでなく行動となって発現されねばならないのです。そしてその行動の最終の目標は、家庭を斉え、国家を治めることに寄与することにあるのです。
幸 魂 に つ い て 三月・氏神奉祭記念祭 四月号・382号
利用厚生の術を研くためには、智識を働かせることが先決問題です。すなわち術は智によって得られるものであります。術を研くからにはまず知能を磨かなければなりません。
人智の及ぶところつねに幸魂が働いているわけであります。
四魂具足について 本文を見る 三月・月次際 五月号・383号
「徳教は耳よりは入らずして目よりは入る」ということがありますが、四魂具足は満ち充たすべき教えですから、空疎な形式的なものであってはならず、どこまでも実践躬行さるべきものでなくてはなりません。
いわゆる耳学問もゆるがせにできませんが、大切なことはお互いが「あの人を見よ」というくらいになって耳でなく目でもって四魂具足の教えの偉大さを感じ取らさせるように心がけたいものです。
「あの人を見よ」ということは必ずしも富貴栄達ばかりでなく、その人なりに物心共に安定して人格的にもすぐれていることであります。
氏神信仰の特異性
四月・春季大祭 六月号・384号
氏神は氏子の不信仰に対しては神罰を与えないが、天線という神人の連絡路を閉ざしながらも内に大いなる愛情を秘めて氏子の自覚反省を待っておられるのです。
抱え込み信仰は、氏神をみいつの蓄電池と考えるからです。大神さまおわしての氏神信仰であり、祖霊崇拝であることを忘れてはなりません。
氏神信仰における信仰の対象は氏神であるが、各氏神たちは氏神の総代表として本会の主神にまします八意思兼大神さまの大みいつのもとに氏神としての機能を発揮できるところに、氏神信仰の大きな特異性があるのです。まことに大神さまを離れて氏神信仰は成り立たないのです。
四魂具足というまごころだけが直接の神人感合を得て、氏神の御指導と御守護を頂けるただ一つの方途であることを忘れてはならないのです。
真の惟神の信仰は、崇祖に基づく敬神にありますから、先祖を先へ先へとさかのぼっていけば当然、先祖をしてあらしめたところの祖(みおや)の神、すなわち真の氏神にまで到達せざるを得ないのです。
氏神信仰の特異性の重要な箇所は、祖霊は氏神によってのみ安住し、且つ浄化できて働けるということであります。
祓の本質とその効果 五月・月次祭 7月号・385号
イザナギノ命の禊祓はいささかも結果を期待しての禊祓でなく、ただただ穢れを祓うこと、そのこと自体を目的として専心禊祓をされたところ、たまたま思いもかけず高貴な神が成りまされたという偉大な御神徳を頂いたのです。
祓というもののおこりは実にここのところにあるのですから、われわれは、自分の犯した罪穢れを自覚反省懺悔お詫びして、この罪穢れを祓い清めることに専心すればよいのです。
本会の祓行事には、八意思兼大神さまの大稜威や氏神の稜威が祓戸四柱の神々に感合されますので、
懺悔の祓にせよ清祓(遠祓も含む)にせよ、その威力はいちだんと強力なものがあるのです。
本会初期における大神の御心事を拝察し奉りて 五月・創立記念祭 七月号・385号
四魂の世界におって、三魂以下の人たちを四魂の世界にまで引き上げることは精神的にも肉体的にもまた物理的にも困難と思います。
むしろ四魂の世界から一旦三魂の神仙の世界に降りて(但し四魂具足の信念はいささかも揺がない)三魂の人たちと手をとりあって共(とも)に倶(とも)に四魂の世界をめざして這い上がるように努力する方が、より効果的であり、より合理的と考えられるのです。
遠 祓 考
六月・月次祭 八月号・386号
本部における遠祓の神事においては、平田先生、大神さまという御二方を煩わしまつるのでありますから、遠祓を受ける氏子たるものは、よほど心してこの上にも厳粛に受けなければならないのです。
自分の犯した罪けがれを反省懺悔お詫びするまごころが氏神のみこころに叶うことによって、そのまごころは本部の平田先生を通して大神さまの御嘉納し給うところとなり、かくて遠祓の威力が発揮されるのであります。
いかに生くべきか
七月・月次祭 九月号・387号
それは真の氏神信仰によってのみ得られる霊魂の浄化再生を固く信じて、「生」に深みを加え「生」をますます充実させていくことにほかならないのです。
「生」の孤独も死の孤独も、すべて真の氏神信仰によってきれいさっぱりとはらいぬぐい去られるのであります。
初心忘るべからず
九月・月次祭 十一月号・388号
まことに惰性という時間の魔術によって最初の緊張や感激の意識が失われていくのを救うものは、反省と直観の繰り返しによる真正な自覚であります。国家や社会に奉仕することを最終目的とする四魂の信条を旨として信仰生活を送っていても、人間はいつのまにか惰性という時間の魔術にかかって、自己中心主義、利己主義という忌(い)むべき考え方が第三霊となって憑依するものですから、つねに自己を反省し自己を直観して信仰的自覚を取り戻すべきです。
再言しますが本会創立の目的と本会存在の真義は、大神さまの大御神業達成そのことだけにあるのであります。この目的、この意義がすなわち最初の心であり初心であります。
以 上