四 魂 と 弥 栄   【40年1月号】  P17

 

 

惟神会委員長 川    俣       

は  し  が  き

四魂とは、(くし)(みたま)(あら)(みたま)和魂(にぎみたま)(さち)(みたま)(いい)(意味)であって、この各魂のはたらきは、

四魂の信条として神さまから次のように教えられているのです。

奇魂 神人感合の力を得て皇国に奉仕せん事を期す

荒魂 義勇奉公の行を果し社会に奉仕せん事を期す

和魂 和合親愛の情を養ひ家・国を治め斎へん事を期す

幸魂 利用厚生の術を研き国利を図らん事を期す

天照大御神は、この四魂を円満に具足された至高至全の大真神霊です。

また八意思兼大神、氏之(みおや)ノ神もひとしく四魂具足の真神霊です。神には種々ありますが、最上位の神は真神霊であって、この四魂を円満に具足していることが絶対の条件です。一霊四魂と申し上げる所以です。

大和民族は四魂具足の氏之祖ノ神(以下氏神と称す)によって四魂民族としての霊的同化を受けた民族です。

すなわち大和民族はいつでも四魂具足し得る素質をもっている民族魂を氏神から授けられているのです。この民族魂は、氏神信仰という絶対の研磨装置によって研ぎ磨かれ、四魂具足の()()みの魂にすることができるのです。

そして四魂具足の程度に応じて神人感合の妙境が開かれ、恩頼(みたまのふゆ)を蒙ることができるのです。

真の惟神の道とは、真の敬神崇祖の信仰のもとに四魂を充ち満たすべき道です。

第三十六代孝徳天皇は『(かむ)(ながら)とは、神の道に随いて亦自ら(おのずか)神の道有るを()ふなり』(日本書紀)と仰せられております。この神の道とは、天照大御神の依さし給える敬神崇祖四魂具足の道にほかならないのです。

次に弥栄(いやさか)とは、(いや)益々(ますます)に栄えることです。平田先生は『たまたすき』四之巻のなかで『賀茂真渕(国学四大人の一人)翁の説として、()()()とも云ふは、こを飲めば心の栄ゆる故の名にて、()加延(かえ)の約(つづめること)なり』といわれております。栄えるということは、ほがらかに調子もととのえ形勢がよくなることであって、そのさまは、お酒を飲めば心もはればれと曇りなく広々と開け行くような状態とでもいえるでありましょう。

弥栄は、祝詞に(いや)(たか)(いや)(ひろ)にとあるように、いよいよますます栄え行く末広がりのことであって、この弥栄は日本民族、日本国家の有様です。

わが国は神代の昔から、起伏消長の波はありましたが、民族的にも国家的にも、弥栄すなわち生成発展という末広がりを続けてきているのです。

天皇や国家または個人や団体などを祝福する意味で「万歳」と唱えられますが、この万歳は、繁栄を祈って叫ぶ声であるところの「弥栄」と同意義です。この国家や民族全体の弥栄を祈る心は、また個人の弥栄を祈る心でもあるのです。

すなわち祝詞に()弥孫(いやひこ)の次ぎ次ぎ、(いや)益々(ますます)に栄えしめ給え』とあるとおりです。

そこで四魂と弥栄とはどんな関係にあるかということを、まず国家や民族全体についてそれぞれ例証を挙げて説明し、さらにこの例証から個人の弥栄も、また四魂と至大の関係があることを申し上げたいと思うのです。

 

四 魂 と 弥 栄 (その一)

                                          

大国主(おおくにぬし)(のみこと)は、葦原(あしはら)中国(のなかつくに)(天孫降臨以前のわが国土)をば、命自身の荒魂と和魂の二魂をもって経営に当ったのですが、なかなかうまくいかなかったのです。その当時の国土の状態(さま)は『葦原中国は(もと)より荒芒(あら)びたり、磐石(いはね)草木(くさき)至及(いた)るまで(ことごと)()強暴(あしか)かり』であったのです。そこで大国主命は『今この国を(おさ)めるのは、ただ自分一身だけである。誰か自分と共にこの国を治めるものがあるか』といわれますと、時に神光(あやしきひかり)が海を照して忽然(こつぜん)として浮び来るものがあったのです。そして大国主命に対して『若し自分がいなければ、お前はこの国を平けく治めることはできない』といったのです。

そこで大国主命は『然らばお前は一体何者だ』と問うと、(こた)えて『自分はお前の幸魂奇魂である』といったのです。

すると大国主命は『さようか、自分はお前が自分の幸魂奇魂であることを知った』 といわれて、その申し出によりこの奇魂と幸魂を大和国の(みむ)諸山(ろのやま)にお(まつ)りしたのです。現在の大三輪(おおみわ)神社がすなわちそれです。この幸魂奇魂は、少彦名(すくなひこなの)(みこと)の幸魂奇魂です(以上『日本書紀』神代巻より)

こうして大国主命は、命自身の荒魂和魂の二魂に少彦名命の幸魂と奇魂の二魂を加えて、すなわち奇・荒・和・幸の四魂が調和してそのはたらきによって、葦原中国の経営に成功し、この平定された国土を天照大御神に献上したのです。そしてかの天孫ニニギノ命の降臨となったのです。

故岸会長先生は大国主命の四魂による国土経営にちなんで

  『人はみな奇幸の二魂やしなへば

        和荒の二魂ついで足らはむ』

と詠まれているのです。

そこで天照大御神は、この葦原中国が大国主命の四魂の力によって(ことむ)()えて平定され弥栄が約束されるに至ったので、この国を豊葦原水穂国として御孫ニニギノ命をして治めしむべく天降(あも)りすべきことを御命令になったのです。『日本書紀』には天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)の神勅(天孫降臨時の神勅)として次のように見えております。

豊葦原千五百秋之(とよあしはらのちいほあきの)瑞穂(みずほ)(くに)は、()()子孫(うみのこ)(きみ)たるべき(くに)なり。(よろ)しく爾皇孫就(いましすめみまゆ)きて(しら)せ。行矣(さきくませ)宝祚(あまつひつぎ)(さか)えまさむこと、(まさ)天壌(あめつち)(きはま)(りな)かるべし』ここにわが国が皇室と共に弥栄に栄えゆく繁栄の基礎が打ち建てられたのです。

天照大御神がこの国を豊葦原水穂国と仰せられましたのは、お米をもって青人(あおひと)(ぐさ)(一般国民)の食糧と思召(おぼしめ)されて高天原から稲を賜わりその栽培を命じられたからです。すなわち当時においては稲の栽培は大いなる幸魂のはたらきであったのです。日本人が昔から農耕民族といわれて、祖先崇拝の一つの因由はこの点にも見出せるのです。

ですから、昔から現在にいたるまで皇室では、毎年祈年祭(としごいのまつり)において稲の豊作を祈願し、神嘗祭においては天照大御神に新穀の実りの御報告と共に幣帛(みてぐら)を献げて御神恩感謝の祭りを仕えまつっているのです。

天照大御神が、天孫降臨に際し、高天原から稲をニニギノ命に賜りお米をもって国民の食糧とすべきことを仰せられ、歴代の天皇がこの大みこころのまにまに稲の耕作にみこころを注がれたことは、天皇御自身が幸魂の御存在であられることをあらわしているのです。後段の(くだり)で申し上げますが、天皇は、ひたすら国利民福を思召(おぼしめ)される幸魂の御存在です。

まことに大国主命は四魂のはたらきによってこの国を(ことむ)(やわ)して、国土献上…天孫降臨となり、ここに皇国(すめらみくに)弥栄(いやさか)の第一歩が印せられたのです。

四魂と弥栄の関係は、これを神代紀において、はっきりと知ることができるのです。

 

四 魂 と 弥 栄 (その二)

四魂と弥栄の関係は、これを明治維新において観察することができるのです。明治維新は王政復古(君主政体に復す)といわれ、天皇の御親政が古の状態にかえったことです。

復古とは昔に(かえ)ることであってすなわち天孫降臨における天照大御神の御神勅のまにまに(まつりごと)がなされることであり、祭政一致はすなわちこれです。

永い間幕府による覇道(はどう)(武力、権力)政治のために、天皇の御威光はかくろいさえぎられていたのですが、荷田春満(かだのあずままろ)賀茂(かもの)()(ぶち)本居宣(もとおりのり)(なが)平田(ひらた)(あつ)(たね)のいわゆる国学の四大人(うし)を中心として()けつがれ発展してきた国学の勃興は、国民統合の中心を天皇と仰ぐ古代日本を理想とする膨湃(ほうはい)(水のみなぎり逆巻くさま)たる尊皇思想によって、王政復古という明治維新が成就されたのです。

明治維新につき皇学館大学教授の久保田博士はその著『国民の日本史』のなかで、およそ次のように述べております。『わが国が近代国家として歩みはじめたのは、いうまでもなく明治維新からであった。(中略)復古と革新とは一見相反する考えとみられるが、これが明治維新には一つのものとして調和して推し進められた。

明治維新がきわめて大きな改革であり、重要な転換期であったにもかかわらず、大した動揺も混乱もみなかったのは、この二つの性格がよく調和されたからにほかならない。それはその改革の理想が、歴史的回顧にもとづく民族的理想と一つになっていたからであった。

明治維新は、重大な改革であったから、国民の生活に影響がなかったとはいえないが、しかし特記すべき混乱のなかったことは、ほとんど奇蹟というべきものであった。(中略)これには、根本的には、近世以来つちかわれた国民的意識、ことに尊皇心が人々の胸に流れていて、天皇を中心とした国造りに協力しようとした点を見逃すべきではない。

また和辻哲郎博士はその著『風土』において『明治維新は尊皇攘夷といふ形に現はされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざして居る。原始社会に於ける宗教的な全体性把捉(はそく)が高度文化の時代に、(なお)社会変革の動力となり得たといふょうな現象は、実直、世界に類がないのです』

このように歴史学者も哲学者もすべて、近代日本の歩みは明治維新によって始められ、しかもこの明治維新という大革新がたいした混乱や動揺も見られず、大いなる調和の力によって成し就げられたのは、実に、その原動力はかの天照大御神の天孫降臨に対する御神勅に存することが認められるのです。

ひそかに思いますのに八意思兼大神さまは、天孫降臨の御神勅「思兼神は御前(みまえ)(こと)取持(とりも)ちて(まつりごと)()せ」のまにまに天照大御神に対し奉り全責任を負って政をなされたのでありますが、その後勅命により伊勢を去られました後も、王政復古、天皇親政という明治維新においては、思慮の神、智恵の神、政治の神としての大みはかりのまにまに、復古と革新という両極端をば、さしたる動揺も混乱もなく、大いなる調和のおはたらきによって一つのものにまとめあげられたのです。

わが国がこの明治維新を境として、産業や経済において長足の進歩発展を遂げて、外国人の目をみはらせたことは、もちろん日本民族の優秀性に負うところ多大なものがあったのです。

ここに是非とも見落してならないことは、四魂と弥栄の関係です。

わが国が皇室と共に弥栄であるべきことは、前段の四魂と弥栄その一で申し上げたとおりです。覇道が王道にとって代って、永い間天皇の御威光がかくろい、すたれたために、わが国に真の弥栄が見られなかったことは歴史の語るとおりです。

天孫降臨の御神勅には、天照大御神のみこころたる四魂具足のまにまに政治が行われて、君民一体共に弥栄に栄えゆくべき大みこころが拝されるのです。

ところが後代にいたり、仏道にはじまる覇道政治のために、真の惟神の道がすたれるようになって、神代からの弥栄は一応閉ざされる状態になったのです。

三種の神器すなわち(まが)(たま)(かがみ)(つるぎ)は、天孫降臨に際し天照大御神から皇孫ニニギノ命に授けられ、代々の天皇は践祚(せんそ)(皇位に即く)のみしるしとして、必ずこれを承け継がれているのです。天皇御即位の時は、践祚(せんそ)大嘗祭(だいじょうさい)、という宮中でいちばんおごそかな大みまつりが執り行われるのです。『延喜式(えんぎしき)(第六十代 醍醐天皇の延喜年間に定められた宮中諸儀式等を規定したもの)や『(りょう)義解(のげき)(第四十四代

元正天皇の養老二年勅命によって定められた養老律令の注釈書)にはこの践祚大嘗祭の規定が実にきびしくおごそかに定められているのです。

このように天皇がみくらいに()くことは、宮中における唯一最大の儀式ですが、この天皇御即位の御代御代(みよみよ)に承け継がれ伝えられる三種の神器は、

(まが)(たま)和魂(にぎみたま)

(みかがみ)(くし)(みたま)

(つるぎ)(あら)(みたま)

表徴(ひょうちょう)(おもてにあらわす)しているのです。

そして皇孫命すなわち天皇御自身は幸魂を表徴しておられるのです。

天皇が幸魂を表徴しておられることは、四魂と弥栄その一の(くだり)で申し述べたとおりです。

みこともちの思想は、日本神道の根幹をなすことは、しばしば申し上げたとおりですが、天孫ニニギノ命は天照大御神のみこともちとして、御降臨の際、天上から持って来られた高天原の稲穂をこの豊葦原水穂国に耕作して、それを天津神にまします天照大御神に捧げまつり、さらにこの耕作による収穫を国土にあまねく拡大して、民の暮らしをゆたかにすることが大祖神天照大御神に対する道であり、使命であり、理想であるとされていたのです。古代の人は、このことを一つの信仰としてもっていたのです。

この意味において天皇御自身は、利用厚生の術を研き国利を図らん事を期すという国利民福の実現を図る幸魂の表徴であられるのです。

ですから、明治維新は王政復古により天皇の御親政が行われることによって、幸魂としての天皇の御威光が顕現されたのです。

明治維新によって、御代御代に承け継がれ伝えられた 三種の神器の 和魂・奇魂・荒魂の三魂に

天皇御自身にまします幸魂が加わり、かくて 奇・荒・和・幸の四魂のはたらきが揃うこととなり、ここにはじめて皇室として、また国家として、はたまた民族として、大いなる弥栄の道が開かれることになったのです。

このことはかの神代の国譲(くにゆず)りにおける四魂のはたらきによる弥栄と同じすじみちを辿っているのです。

明治維新後、わずかの年月の間にわが国が世界の人たちが目をみはるような長足の奇蹟的大進歩大発展を、特に産業経済の面において成し遂げたということは、まさに天皇の幸魂が三種の神器の奇・荒・和の三魂と渾然一体四魂となってはたらかれたからです。

 

四 魂 と 弥 栄 (その三)

大東亜戦争は昭和十六年十二月、わが海空軍によるハワイ真珠湾攻撃をもって始まり、最初は有利に戦を進めたのですが、その後いろいろな事情のため戦利(たたかいり)あらず、敗戦相次ぎ、遂に昭和二十年八月十五日終戦の大詔(たいしょう)が発せられて、さしもの大戦争も矛を収めるに至ったのです。

残念至極ですが、この大戦争の結末は、無条件降伏というわが国有史以来の惨敗に終ったことは皆さま御承知のとおりです。

しかしながら、このときの国民の態度はまことに整然たるものがあり、このことはまさに永年国民の歴史の中につちかわれてきた皇室への尊敬心の発露ともいうべきです。これと共に天皇が御自身のことを少しもかえりみられることなく、ひたすら国民の安寧を念願して、終戦を御決定になり、またその後、連合軍司令官マッカーサーに対し、御一身の安危を度外視して、ひたすら国民の安寧を求められたことは、実にわが国古来の美しい皇室の伝統を如実に示されたものです。

想えば昭和二十年九月米艦ミズリー号甲板において、無条件降伏という屈辱的講和条約が締結され、この日から、わが国の主権は連合軍司令官のマッカーサ元帥の手に移ったのです。

そしてわが国の政治も経済もすべてがG・H・Qという巨大なる手によって支配されるに至った生々しい事実は、いまもなお記憶に新たなものがあるのです。

端的に申せば、連合軍司令官マッカーサーの権力は、はるか天皇の上にあったのです。ところが昭和二十六年にサンフランシスコで平和条約が調印され、翌昭和二十七年四月二十九日にその条約の効力が発生して、ここにわが国は主権を回復し、完全な独立国となったのです。すなわちこの日をもって連合軍総司令部は解体すると共に占領軍(進駐軍)は撤退するにいたったのです。

その後日米安全保障条約が結ばれるなど外交上のいきさつはありましたが、とにもかくにも、講和によって主権を回復した後、わが国の復興は目にみえて進んだのです。

東京を始め空襲によって破壊された諸都市は近代的よそおいをつけてよみがえり、生産設備は著しく高度に再建され、また農業生産は農業技術の長足の進歩によって非常な増産をもたらし、工業生産の如きは驚異的記録にのぼり、新しい工場は続々と建設されるにいたったのです。

かくて産業や経済の復興振りは、アデナウワーの奇蹟といわれた西ドイツの経済復興に劣らないものがあるのです。

想えば、かの昭和二十年の敗戦直後の壊滅的状態から、このようにすばらしく、このようにすみやかに立直るとは、恐らく何人も想像だにしなかったところでありましょう。

或る外人記者は、日本の復興振りを評して『東京の持つ荒々しいエネルギーの爆発的な躍動に比べられるようなものは、ニューヨークはおろかロスアンゼルスにも西ベルリンにも世界中どこを捜してもない。日本は高度の技術を持つ工業国家となった。過去十年間における年間工業成長率は世界最高である』(文中句点は筆者付す)

ここでわれわれが大いに反省し大いに考えなければならないことは「何故にわが国は平和条約後わずか十年という短時日の間にかかる経済の高度成長を遂げるにいたったか」ということです。

もちろん日本民族の優秀性や逆境にくじけない民族的根性のあずかって力あるもの多大ではありますが、ここに、忘れてならないことは、四魂と弥栄ということです。

四魂と弥栄は、前述、神代における大国主命の国譲りや明治維新のくだりにおいても申し上げました。戦後の高度成長という弥栄の実態こそ、まさに四魂と至大な関係があることを見のがすことはできないのです。

前段で申し上げたように天皇は、和魂・奇魂・荒魂をあらわす勾魂、鏡、剱の三種の神器を皇位のみしるしとして先帝からお譲り受けて御即位なされたのです。

そして天皇御自身は、幸魂にましますことは、前段明治維新のくだりで申し上げたとおりです。

また奇荒和幸の四魂が揃うことによりはじめて偉大なはたらきが躍動して弥栄の道が開けるということは、かの大国主命の葦原中国の国土平定の事例や明治維新の場合にも明らかなところです。

連合軍の日本占領のためにわが国の主権は連合軍司令官に移ったために、天皇は皇位のみしるしたる三種の神器はお持ちになっておられます。しかし幸魂御自身にまします天皇の御威光は、かくろいさえぎられて発露の由もなく、したがいまして奇・荒・和・魂の四魂のはたらきがあらわれるすべもなかったのです。

かくて四魂のはたらきによる弥栄の道が閉ざれるようになったのです。

或る識者は『大東亜戦争は、昭和二十年八月十五日(講和条約締結の日)に終ったのではなく、昭和二十七年四月二十九日(平和条約発効の日)まで統いていた』といっておりますが、これはまさに急所をついた観察というべきでありましょう。

詳細な統計は調べていませんが、わが国の経済の高度成長が始まったのは、かの外人記者も指摘しているように、平和条約が発効して連合軍司令部が退陣した昭和二十七年以降のことと思うのです。

かの外人記者は『天皇は国王以上のものであり、日本国家の精神的、哲学的、政治的価値を結びつける力であった』といってますが、天皇こそまさに大祖神 天照大御神の みたまとみこころ を身につけられた神聖きわまりないみこともちであられまして、三種の神器の三魂は、幸魂であられる

天皇の御威光の発揚を得て、ここにはじめて四魂が成立し、弥栄の道が開けてくるのです。

先般のオリンピックの式典が、壮大華麗にしかも整然と行われ、そのすばらしかった施設や運営やそして組織力に対し内外口を揃えて絶賛して、史上最大のオリンピックとまでいわれたのも、幸魂にまします天皇の御威光のあらわれがあったればこそと思うのです。ブランデージ会長の言上(ごんじょう)により、天皇からオリンピック式典開会のおことばが宣しられましたとおり、壮大華麗な式典が整然と行われたのです。

このオリンピックによって、「日の丸」と「君が代」を通して世界が一つとなったことこそ、まさに天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)(皇位)の皇孫命の大みいつでなくてなんでありましょう。

われわれはこのオリンピック式典をまのあたりにして、かの万葉の昔海犬養宿禰(あまのいぬかいのすくね)(おか)麿(まろ)の詠める歌

  御民(みたみ)(われ)()ける(しるし)あり天地(あめつち)

    (さか)ゆる(どき)()へらく(おも)へば

の感懐が、ひしひしとわれとわが胸によみがえってくるのを禁じ得ないのです。

まことに天皇の幸魂は、三種の神器の和魂、奇魂、荒魂と共に四魂となって、わが国土、わが民族の末広がりの弥栄を約束するものです。

 

む   す   び

以上四魂と弥栄の関係につき、神代の巻、明治維新の巻、昭和現代の巻と三つの例をあげて申し上げましたが、これらはすべて国家全体、民族全体を考えての場合です。

しかしながら日本国民個々の暮らし振りは、たとえどんなに現代的に進歩し変化いたしましても、その生活の流れの源は遠い遠い昔の宮廷の生活から出ていることは、ちょうど、日本神道が、その

淵源(えんげん)を皇室に求めていることと同断(どうだん)(古来と同じ)です。ですから国家的或いは民族的全体における四魂と弥栄の関係は、当然、日本民族個々の場合にも当てはまるべきです。

ましてや日本民族の魂は、真神霊として一霊四魂にまします氏之祖ノ神から授けられておって、いつのとき、いかなる場合においても四魂具足し得る素質を有しているのですから、各人は四魂具足に心がけることによって四魂具足のまにまに弥益々に栄えゆくことができるのです。

四魂の各魂のはたらきは、四魂の信条によって解明されておりますが、これを要約すれば、まごころということです。本居宣長先生は、真心とは人の生れ付きたるままの心だといっております。

人間は出生の瞬間に氏神から魂を入れられますが、その魂は純真無垢、まごころそのものでありまして、長ずるに従い、人間存在の不可欠の条件として、第三霊第四霊という経験霊の感合を避けることはできないのです。

そしてこの経験霊の正邪善悪によってその人のまごころはそこなわれもすればまたそのまま順調に成長もするのです。まごころ生得(せいとく)(生まれつき)のものですがゆくりなくも(思いもかけず)曇りに閉ざされることがあっても、禊祓によって罪穢を祓い清めるならば、再び生得のまごころに立ちかえることができるのです。

天照大御神は速須佐之男(はやすさのおの)(みこと)に対して()()き心を求められたのは、天照大御神が四魂円満大具足のまごころそのものの大真神霊にましますからです。また『古語(こご)拾遺(しゅうい)』という古記録によれば、

第四十二代天武天皇は『天照大御神は、()()()(そう)にましまして、(とうと)きこと(ならび)(なく)く』と仰せられ、その御即位のときの宣命(せんみょう)には百官の人たちが『(あか)(きよ)(なほ)き誠の心』をもって国政にあたれと仰せられているのです。

氏神信仰は、四魂具足の信仰でありまごころの信仰です。そして四魂具足すなわちまごころだけが、氏神に通じるただ一つの道です。氏神なくしては一日も生きておられないという信念が、信仰即生活、生活即信仰です。氏神との感合によって、祖霊もその全機能を発揮して家族たちを守護して下さるのです。

人間が生きているということは、生物学的には行動を伴うということです。そしてその人間の行動が、四魂具足的であるためには、その行動がまごころに根ざしたものでなければなりません。

われわれが行動を起す都度、ああこれは奇魂だ、これは荒魂だなどと、いちいちことあげすることは困難ですから、つねに四魂の信条をよく理解して、わがものとしこの理解の積み重ねによって、各人各様にそのときその場のまごころが生じてくるようにしなければなりません。

そして信仰には反省がつきものですから、行動した後でそのときその場のまごころのあり方をば、四魂の信条に照らして反省することが大切です。ものごとには、しめくくりが大切でありまして、このしめくくりがすなわち反省です。

しかもこの反省の基準となるものは、四魂の信条であることを忘れてはなりません。

このようにすればまごころはますます煮つまってきて完全なものとなり、神人感合の妙境が達せられ、弥益々に栄えゆくのです。

四魂具足ということは、一朝一タに達せられないように思われますが、神さまは人間に不可能なことを求められるわけはないのでして、不可能視するのは人間そのものです。

神さまは、四魂具足にはげめば弥栄になる、しかもあとくされのないいわばお釣りを取られないスッキリした繁栄を約束しておられますから、神に二言なし、あくまでも稜威信じて疑わずの信念をもって、四魂具足にいそしむべきです。

毎日の小さな四魂具足の積み重ねが、やがて大きな四魂具足となるのです。

先般のオリンピックで日本の女子バレーチームが強敵ソ連チームに勝って金メダルを得たのも、ただただその日をめざして血のにじむような練習に練習を重ねてきたからです。勝利の女神は努力と根性あるものにほほえむのです。

四魂具足とて、いわば練習と反省の連続の結果であり積み重ねです。たとえば四魂具足ということばが、無意識に口を衝いて出るように、練習を重ねることが大切です。咄嵯の場合に四魂具足を唱えることができるのは、つね平生の練習の賜です。もちろん四魂の信条をよく理解してわがものとすべきことはいまさらいうまでもありません。

ですからつねに四魂具足という神のことばを唱えることを忘れないで実行すれば、四魂具足というまごころは、自然とわれとわが心を充ち満たしてくれるのであります。

古川前委員長は『四魂の信条をよく理解して事ある毎に四魂具足四魂具足といっておれば、終に自然に心に四魂が具足して一つの真心が出てくる』といっておられ、また岸会長先生は『敬神崇祖の信仰を以て大和民族の惟神の大道を研究してみるときは、真の神道においては、其の信仰の題目として、四魂具足と唱ふべきものである』と教えられ、さらに本会の霊界の会長であられる平田先生は『会員たる者は、朝眼が醒めたら直に四魂具足といふ心が真先におこるように、四魂具足、四魂具足と心懸けて貰いたい』と訓えられてます。

ですから、四魂具足を忘れたり、或いは敢えて四魂具足を唱えようとしない場合には、自分の心のどこかに四魂具足を妨げようとする何ものかがあることに思いを致し、反省して頂きたいのです。

自分の信仰を立て直すためには、祓によって罪けがれを祓い清めることも大切です。邪神邪霊は人間の四魂不具足をこそ望みはするものの、決して四魂具足を快くむかえるものではありません。

ですから、四魂具足を一笑に附したり、或いは多少なりとも四魂具足にはげもうとする心が起らない場合は、まだ自分の信仰はほんとうのものではないと反省する必要があるのです。

四魂と弥栄は、国家民族全体の場合において前にあげたつの例証がこれを実証しているのです。、ひとしく個人の場合においても、四魂具足にいそしみはげむならば、弥栄の末広がりの繁栄が招来されることは当然考えられるのです。神に二言なし八意思兼大神さまも氏之祖ノ神も約束しておられるのです。

日本の国家も民族全体もそして民族個人個人も、それぞれ四魂によって弥栄に栄えゆくのです。

真の敬神崇祖の氏神信仰のもとに、四魂具足にいそしみはげむところに、稜威信じて疑わずというまことのかむながらの末広がりの弥栄(いやさか)の道が(ひら)けゆくのです

                (昭和三十九年十一月十五日 八意思兼大神秋季大祭における講演要旨)

                                       以 上

戻る