川俣 均委員長講演36年号)16演題概要  36年担当【N・K】 P07

 

 

稜威信じて疑わず                                          十一月・秋季大祭  一月号・346号

貞永元年、時の執権北条泰時は武家の根本法ともいうべき「御成敗(ごせいばい)式目(しきもく)」という法典を制定し「神は人の敬うによって威を増す」とのことがその第一条にあります。

われわれの信仰も、氏神信仰を通して、八意思兼大神さまにまで到達しなければなりません。それには神さまの御神格を仰ぎまつり御稜威を疑わず、四魂具足に励むことにより、神さまには「万事神任せにせよ」と仰せられ「神に二言なし」の御神示をくださいましたのでそれを信じ切る信仰なのです。

 

                                                         十二月・月次祭  二月号・347号

人間の命には限りがあります。一見世の中は急ピッチで動いていますのでつい急いで度々失敗してしまい返って遅くなったりします。名人、達人と称えられる人達は決して要領のよい道を歩んではいません。地道に着実にこつこつと無駄とも見える苦労を積み重ねゆく、この一事があるばかりです。

祖霊さまを中心にした氏神信仰も望んだ事がすぐに成るものでは有りませんが、大河の流れの如く導かれて行きますので、急がず休まず、急がば回れのように四魂具足に励んでいただきたいのです。

 

ひ ま を 生 か す                                   一月・月次祭  三月号・348号

世の中が進歩発展を遂げると機械に任せ、自然と人手に余暇(ひま)がふえてくるわけです。

働ける年配の人達が公園のベンチでボンヤリ過ごしている西ヨーロッパと、余暇を利用し善用して活動的なアメリカとは大差が出来たことに注目して頂きたいのです。

人間が形成されるのは、決して多忙の時ではなくむしろひまな時であると思います。

自分が幸福になるには、まず他人を幸福にすることを考えるべきであり、そのための氏神信仰の宣布をはかるためには或る程度の時間的余裕、すなわち「余暇」が必要になります。

 

                            二月・大神奉斎記念  三月号・348号

昭和3年2月4日は、畏くも八意思兼大神さまをこの本部に御奉斎申し上げた日です。

文豪島崎藤村は、「夜明け前」で、明治維新という新しい時代への動きを書いてますが、大神さまの御出現は、真神霊界、神仙界、仏霊界、妖魅界、という区別と霊界の諸相が判明して真神霊界の実状がハッキリし霊界の扉が開き、夜明けがおとずれたのです。

四魂円満具足の真神霊の本質がハッキリし「神は近づかず近づくべし」が身にしみて感得されました。

 

平 生 の 心 が け                                      二月・月次祭  四月号・349号

不毛の土地を開拓する第一は、雑草の種を蒔く事であるといわれてます。つまり雑草が成長して肥料となるので、その土地が肥えて開拓されていくのです。

信仰生活においても、たとえば雑草の如くつまらなく見えることも肥料となるものですから倦まずたゆまず実行することです。

「苦しい時の神だのみ」ではなく平素よりコツコツ努力実行する「平生の心がけ」がなにより大事なことです。

氏神の大いなる愛について                            三月・氏神奉斎記念  四月号・349号

血縁の愛というものは、永い間にどこかで薄れて途中で消えて無くなる場合もありましょう、しかし人間が四魂具足することにより、いうなれば死生一貫して、なんの取越し苦労もなく、希望に胸をふくらませながら送れるということは、氏神信仰をすればこそです。

これが氏神の大いなる愛であります」氏子の犯した罪けがれに対しては、氏子の自覚反省懺悔の心が起きるまでは、忍耐強くお待ちになり、氏子を見守られているのです。

 

理 論 と 体 験                                                           三月・月次祭  五月号・350号

信仰というものは、物質科学でなく、非物質科学です。神に捧げるものでこれを物質的に説明することは困難で容易ではありません。

体験とは、自分の作った原因によって自分自身に現れた結果でさまざまな体験があるはずです。 

体験こそは原因結果の法則の貴重な現われですが、その人特有のものでそのことが他人にも同様と

無批判に当てはめることは出来ません。

敬神崇祖・真の氏神信仰を忠実に実行に移すならば正しい体験が得られるのです。

 

償  い  の  心                                                       四月・春季大祭  五月号・350号

犯罪とは法律違反、罪とは神に対す信仰違反です。犯罪は刑法により処罰され、信仰に違反した場合は穢れとなり、稜威の天線が薄れますので邪神邪霊が入りやすくなります。

穢れにも自らが犯したものと、外部からやって来てしまったもとがあります。

人生「禍福はあざなえる(より合わせる)縄のごとし」で、その結果たる禍事をば、原因に対する償いとして甘んじて受け「稜威信じて疑わず」の信念と自覚反省をもって、禊ぎ祓いするのです。

 

家庭信仰のあり方                                                             五月・月次祭  六月号・351号

恩頼(みたまのふゆ)とは、神さまに自分の魂を捧げることによって、その捧げた魂に神さまのみいつが加わり、魂のはたらきが増大して自分に還ってくることです。

いわゆる御利益信仰の亜流として、御神徳を頂くための道具程度に考えたなら、それこそいちばん禁もつである「抱え込み信仰」となって、とんでもない災害が入りこむもとになります。

信仰の中心は八意思兼大神さまであります。そして氏神さまは魂の祖(みおや)、祖霊さまは肉体の親であります。間違いのない信仰を捧げて四魂具足に努力して頂きたいのです。

 

              【原文で掲載A型式                          五月・創立記念祭  六月号・351号

本会の信仰は、遠い昔において先住民族が天孫直系の神々によって同化された、一つの新しい民族

すなわち日本民族が出来たと同時に発生した民族信仰です。

ズット後世になって出来た各派や団体とは同一ではなく、いうならば「宗教以前の信仰」であります。世の中が、時々刻々進歩発展するに従って、素朴な明き清き直き「まごころ」をもって生きることが

 困難で一見無用のように見えますが、われわれはどんなに世の中が進歩発展を遂げても、どこまでも日本人以外にはなり得ないのです。

 

祖 霊 と 共 に                                                                   六月・月次祭  七・八月号・352号

われわれ親子の関係は、ひとり生きている親と子の関係ばかりでなく、霊界におられる先祖さまも祖(みおや)として子孫のものの身辺を心配して下さるのです。

祖霊が氏神との仲取り持ちをするには、八意思兼大神さまの御稜威がなければできないことでありますから、正しい祖先祭祀により、祖霊が守護霊として活動できるように信仰を高めることが、祖霊に対する大切な親孝行です。

 

惟神会的に考える                                                              七月・月次祭  九月号・353号

常識という語(ことば)があり反対語は非常識であります。この区別は一般に通用するかいなかで一応のメドがつけられます。

敬神崇祖 ・ 四魂具足は日本人にとって大切な常識と申すべきです。

何事をするにも、まず考えることから始まりますが、本会の教義を惟神会的に考えないで、自己流に我流に考えることは神の御心に叶わないのです。日常においても常に恩頼で、われわれを包んで頂けるよう惟神会的に考えることを忘れてはならないのであります。

 

先ず信仰の基盤を作ること                                              八月・月次祭  九月号・353号

米作りには土作りが先決問題であり、家を建てるには土台からです。氏神信仰においても基盤作りが、丹念にそして辛抱強く行われなければならないのです。

世界の悲劇の根本原因は、精神面における大切な基盤作りが後れて、物質科学の発達に追いつけないことにあります。まず信仰の基盤を作ることが、御稜威を頂く近道です。

 

寿 命 に つ い て                                                                   九月・月次祭  十月号・354号

御啓示によれば、人間の寿命は生まれた時に定まっているものではなく、人と神との関係で人生を延縮でき、人間が延命を願ってもそれは、神さまの御心のまにまにあるものです。

神の御心に叶うように信仰的につとめ、ゆくりなくも、長寿を全うし得ない場合でも、現界の死は即ち霊界の生であることを確く信じ、いささかも思い惑うところがあってはならないのです。

 

生 活 の 信 仰                 【一部現代文で掲載】B型式          十月・月次祭  十一月号・355号

生活には公、私、社会、・・・さまざまの形の生活があり、どうしたら生活を幸福にできるか、工夫や努力や修養などが必要とされるのです。それらは心の問題であり、われわれの「暮らしのなかの信仰」として神を信じ、その神格を仰ぎ一切他を顧みないことです。

氏神信仰が生活の信仰としてつねに身近にあるべきであって、決して手の届かぬ高値の花であってはならいのです。

 

神嘗祭祝祭所感                                       十月・神嘗祭祝祭  十一月号・355号

畏くも八意思兼大神さまを、伊勢皇太神宮の相殿の神としてこの神嘗の御祭を、天照大御神と御一緒に相嘗めに聞召しめされる日の一日も速からんことを委員長として心に期して努力しなければとの思いです。

本日お仕え申し上げるに当たり、大神さまの御経綸のまにまに、氏神奉斎という御神業達成を目ざして、粉骨砕身、一意専心努力しなければならないことを痛感する次第です。

 

                                         以 上

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