形無き足跡

あこがれてはうばい こわし
切り取ってはなげき なつかしむ


<過去の日記"三次元漂流記"より抜粋 / 一切の転載を禁じます>
1997 4/15 - 1998 1/15
解き放たれる時〜ピヨ
1/18 - 6/1
ステキチは今日も行く
6/12 - 1999 9/14
いのちのコラージュ
11/27 - 2000 5/10
さよならニャンニャン
夢色の舞 16KB

6月12日 神は外にあらず

  優しさとは強さ。強さとは守れること。知恵とは生き延びること。愛とは与えること。救いとは許すこと。


6月25日 まぶダチ

  雨続き・・・ 夕食後のちょっとしたやみ間にニャンを散歩に連れて行こうと戸を開けると、聞き覚えのある速くて重い足音がすぐ前で響いたかと思うと、半分開いた門から見慣れた茶色い顔が陽気に覗いた。不思議な犬だ。今日はニャンを呼ぶのに全て身振りを使い、声も出していないし、ニャンの方も待ち切れずに吠えるようなことはしなかったのに。丸で扉を開けるのをずっと窺っていたかのようなタイミングだ。いつもの半分の距離だけ一緒に散歩した後、もう満足して帰りたがっているニャンを家に放り込み、ニャンのボイコットしている餌を持ち出してステキチ君の横にしゃがみ込んだ。雨続きで餌を貰う機会がなく、お腹は空いている筈なのに、いつもながら食べ物には大して興味を示さない。会う毎に表情は豊かになっていくが、図々しいところは少しも無い。間もなく雨が再び降り出し、大粒になり始めた。早く返してやらねば。どこで寝るのかは知ららないが・・・ 立ち上がらせて、はっきりと手を振ってバイバイと言い、戸を閉めた。いつもならすぐにいなくなる。

  雨音はどんどん大きくなり、家族も気付く程になった。暫くして外を覗きに行くと、わざと開けたままにしておいた門の外からこちらを見ている。雨の中で待ってくれていたのだ。軒下まで呼び入れたいが、遠慮してなかなか入って来ない。徐々に安心させて、雨をしのげる所まで誘導して寝転ばせた時には背中はボトボトに濡れていた。さて、さっき迄ポケットに入っていたちり紙は、ニャンの足と、真っ黒だったこの子の体を拭くのに使ってしまった。近くにタオルもない。・・・おおそうだ、Tシャツを着ている。香港で買って中国でもずっと着ていたゲロゲロの安Tシャツだし。雑巾と大した違いはない。ゴーシゴーシ。 落ち着いたようなので帰ろうと立ち上がると、ステキチも一緒に立ち上がり、戸口まで見送りに来る。頭を撫でてから戸をゆっくりと閉め、中に入った。ごちゃごちゃと用事をしている内に、一階に誰もいなくなった。チャーンス! さっきの餌を持って玄関へ急ぐ。そーっと戸を開けると・・・ なーんにもいない。チャリンコしか置いていないガレージにもやはりいない。どこまでもたくましい奴だ。信頼しても、決して寄りかかって甘えることはしない。善良で、強い生き物 ──こっちがちょっぴり寂しくなるくらいに。


6月26日 パンダの季節

  今年はまだパンダちゃんが登場しない。この季節になると、階下では夜十時頃から氷をおろす音が響く。働き者のパンダちゃんは寒い夜も休まない。それは秋の深まる頃まで続く。ある昼下がり、台所で休憩中のピンクのパンダちゃんをピヨが見付けて、恋しそうに見上げながらふんふん甘え声で、駄々っ子のように地団駄踏んでたっけ。一生懸命な姿が可愛くてまた可笑しくて、大笑いした。思い出って何故こんなに息苦しいんだろう。


8月4日 夏やっちゅうねん

  暑いなもう。日本中のクーラー切ろうぜ。絶対涼しくなるから。ほんまにもう。

  風呂上がりに髪を乾かしていると、ちっちゃい白い蜘蛛が台の上を走り回っていた。よく見ると細長い蛾だった。しかも何と、銀色・・・ 先の方はオレンジっぽい。銀の翼を持つとはまた粋な──! 正に太刀魚のあの光り方。部屋が暑いと色んな生き物が住むんやねぇ。


11月23日 野生の気持ち

  地上の生き物は何故食い合わなければ生きていけないのだろう... なんて食う一方である身で言うなんて厚かましい。今更菜食主義にはなれない。しかし昨日の朝は、今すぐ肉を断とう...!! と思った。だって夢の中で両親に食いつかれてんもん。これは身を守る殺し合いじゃ、そう感じた本能が、アゴにキバを突き刺していたどちらかの腹にタイガークロウをめり込ませた。私には自己犠牲の精神なんて微塵も無いことがよーく判った。こちらの攻撃が激しいほど、相手の歯にも力が入り、私はもう食われるんだな、と思った。死に方としては私が普段から望んでいる通りの、この上なく自然なものだが、痛くて怖くて無念である。夢の続きでか、或いは覚めた状態でか、サファリパークで車外に出てトラに食われた人や、目の前で猫にさらわれたセキセイインコのチーコ、その他諸々が一瞬のうちに脳裏を駆け巡り、判りきった答えを突きつけた。「やはり食われるのはコワイ」


12月25日 生きる

  "生きる"とは.....己をここに存在させ続けること。それ以上のものでも、又それ以下のものでも無い。


1999年 6月1日 傲慢

  人が人を裁く権利以上にある筈のないのが、人が人を"赦す資格"である。


6月7日 環境

  用事があって傘を手に郵便局に行こうとしたら、犬が近付いてくる。向こうはすぐに気付き、その憂鬱そうな足取りは上機嫌な駆け足に変わった。野良は大変だ。せっかくだが、わたしゃこれから出掛けるのじゃ。バイバイと言うと、いつもならあっさりとどこかへ行ってしまうのだが、今日は困ったような顔をしていつまでも付いて来る。困った顔に見えるのは、雨で濡れて情けなくなった皮毛のせいだったのかも知れないが、表情が冴えなかったのは確かだ。しまいには、目的地の十メートル程手前、歩道の無くなる所までやって来た。鉄のイノシシ達が行き交う危険な場所なので、下手に追い返すよりも一緒に歩くことにした。奴らが何故キケンなのかと言えば、イノシシ以上の速度を持つクセに、視力がヒト以下だからである。制御能力を超えた魔法は己を滅ぼす。だが、その前に必ず他を破壊しまくるから始末が悪いのだ。

  "家の前で待つ"ことを知ってるステキチにとって、ひさしの影で座って待っていることは難しいことでも何でもない。用を終え、今度はステキチに導かれる形で、来た時とは少し違う道で帰った。途中、右側通行のちゃりんこが向かって来たので、どちらに避けるつもりなのか見極めてから動こうとじっと見ていたら、目の前まで突進して来た。おっさんシバイたろかと思ったら、声を掛けられた。身内だった。その後、玄関の前の雨のかからない所まで招き入れると、これまで程では無いにしろ、やはり遠慮しながら入って来た。天気の悪い日はよそで貰い損ねるのか、エサを食べてくれる事が多い。洗ったばかりのジーパンに"お手"を何度もしてくれた。眠そうに横たわったところで"バイバイ"と言ってそ〜っと家に入ったが、どうせあの後、雨宿りを続けることもなく、私の泥まみれのグルーミングも虚しく、雨の中を歩き回っていたに違いない..... そんな事を思いながら足を踏み入れたダイニング部屋には、新たなる心労のタネ、二匹のネオンテトラが狭いビンの中で揺れていた。


6月10日 素っ裸の王者

  昨夜はおびただしい数の星がきらめいていた。星座だの何だのと言う程の隙間も無くひしめいている感じだった。この辺は田舎にしては空気は汚いが、都会に比べれば夜はまだまだ暗いということらしい。

  ニャンにお休みを言って中に入ると、二匹のうち一匹のネオンテトラが、前日より少し広くなった水面にすがるように泳いでいた。酸欠か。水を少しすくいだして別のビンに入れて振り、空気と攪拌し、戻す。気休め以上の作用があるのか否かは判らなかったが、何度か繰り返した。風呂から上がると、今度はビンの底に沈んで斜めになっていた。もう一匹は先程とまったく変わらぬ様子である。この状態から回復することは無いと判ってはいたが、同じ作業をしようと準備をしている内に完全に横を向いてしまった。

  そして今朝、残った魚にエサを入れてやると、凄まじい勢いで平らげた。ガラスコップに移した死骸には、白い薄皮状のものが見える気もする。直接の死因は結局判らない。だが原因は私の無知、そして人のエゴである。ゲーム機の中に賞品として入れられていたというこの小さな生き物を守り通せる程、私は大きくはないということだ。今更思い知らせて貰わなくても、そんな事は充分判っているのに。そして、"自然からお預かりした生命"と、食卓のちりめんじゃこの間に何の差があるのかと問われても困る。たかが人の"英知"でそんなハナシに決着は付けられない。


6月11日 一夜漬け

  今朝もネオンテトラの食欲はスバラシかった。こういうサカナは一匹や二匹で飼うものでは無いらしい。初めての水槽では半分位は死んでしまうのは当たり前らしく、いちいち心を痛めていてはいけないみたいだ。何十匹いようと、死ぬ時の苦しみは一匹一匹、同じだろうが..... とにかく、残った一匹を何とか生き長らえさせなくては。

  死との遭遇は、生き物達を苦しめた記憶を蘇らせる。決して色あせる事の無いそれらの記憶は、幸せだった部分まで掘り起こし、その度に真っ黒に染めて行く。命に関する罪を償う方法はこの世に無い。きっとあの世にも無い。


6月25日 飛べない蝶

  ほぼ一週間ぶりに帰宅した時、元気に泳ぐ魚の隣に小さなビンがあった。何か光るものが入っている。まさか卵でも産んだかと思ったら、草の茎についたさなぎだ。下の方には金と銀の中間の、真鍮色の突起がある。表の鉢植えに幾つかぶら下がっていたのを見付け、羽化が見たいと略奪してきたという。雨続きでさえなければ、私がさっさと元の場所へ戻していた。尤も、さなぎには雨などどうということは無かったのかも知れない。どんな文句を言われようと、頃合いを見て必ず返してやるつもりでいた。外のさなぎと比べると、色が薄い。家の中では時間が判らないだろうと、ビンのまま、庭の直射日光と雨の当たらない場所へ移した。色は見る見る濃くなり、外のものと同じ焦げ茶になり、真鍮色は緑味を帯びてきた。雨は一向に止まず、昨夜もどしゃ降りだったが、ビンの中のさなぎには天候など知るすべもない。

  監禁から二日経った今日の昼、相変わらずの雨の中、ビンの中では異変が起こっていた。少し色が変わった様に見えたさなぎの下に、蝶が横たわっているのだ。蝶は急いで外に出された。狭いビンの中で広げる事が出来た筈の無い羽は、四枚とも端で折れ曲がったまま固まっていた。羽自体が左右対称に伸びてはいないのでバランスの取りようが無い。溶けだした鱗粉がビンの底の水を血の色に染めていた。さなぎのもともとついていたビオラの花を摘んで来てとまらせようとすると、ふらふらと必死で歩き回る。羽を乾かす姿勢になるとようやくじっとした。時折、もう乾いてしまった羽を大きくゆっくりと広げる動作をする。繊細で見事な模様が、途中で折れて見えなくなっている。こんなに美しい生き物を又殺してしまった。この愚かさを止める事の出来なかった自分自身に、今又失望している。今はまだ、じっと止まってるであろうあの蝶の生存を確認出来なくなった時、人間嫌いがより救いようの無い段階に達するだろう。


6月26日 監禁

  観察していると、それまでじっとしていた蝶は急に羽を広げてひらひらと動かし始めた。何度目かに飛び立とうとし、地面に落ちていった。何度も何度も雨の中へ飛びたがったが、それは無理というもの。鳥のエサになろうにも、草むらの見えない所で死んでしまうだろう。私は慌てて買い物に走った。相当汚い格好だったと思う。そして一夜明けた今日、若干大きくなった器に蝶は尚も監禁され続けている。


7月11日 断ち切られた鎖

  超人婆上の葬儀が終わった。焼かれて尚見事な白骨が砕かれる。天理教では葬儀は祭りであるらしく、タイが欠かせない。この季節では二日間通して使える筈もなく、翌朝には新しいものと入れ替えねばならなかった。人はあらゆる生き物に迷惑をかけながら生きていくものだが、死んでもやはり迷惑をかけてしまうのだと、初日のタイをビニール袋に入れながら思った。

  緊急用避妊剤なるものが世間に登場した。避妊も中絶も寄生虫駆除と理屈は変わらない。人の命が虫に比べて特に尊い訳でもない。ただ、子孫を残さない事にエネルギーを費やす奇妙な生物は他に無いだろう。

  その最大の目的を果たせぬまま昨日、蝶は寿命を終えた。ツマグロヒョウモンという種類だった。破れ落ちて三枚になっていた羽は穴だらけで、鱗粉も剥がれて透けていた。それでも必死で羽ばたいては落ちていた。入れてやった花の蜜はどれも吸わず、ただ、自由を奪った人の手から与えられる砂糖水で生きていた。二日程前から吸管を伸ばす回数が少なくなっていた蝶はその日、敷き詰められた枯れ枝と葉の上でゆっくりと時間をかけて動かなくなり、やがて固まった。鳥の目に止まりにくいガレージに運び、幼虫の時に住んでいた鉢植えのビオラの茎にとまらせた。いつか土になり、葉に吸収され、同じ蝶の一部となって、今度は美しい羽でここから羽ばたいて行けますように。


9月14日 闇

  何かが見える暗さは闇とは言わない。真の闇の恐ろしさは、その存在すら見えない事にある。

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