形無き足跡

つくろう事なく ためらう事なく
ただ いどみつづける 気高きいのちよ


<過去の日記"三次元漂流記"より抜粋 / 一切の転載を禁じます>
1997 4/15 - 1998 1/15
解き放たれる時〜ピヨ
1/18 - 6/1
ステキチは今日も行く
6/12 - 1999 9/14
いのちのコラージュ
11/27 - 2000 5/10
さよならニャンニャン
PIYO 22KB

4月15日  ニャン子まんじゅう


  じい様の忘れ形見、ニャン子ちゃん。スピッツを半端に短毛にしたような、愛敬たっぷりの雑種犬。勿論、こんなフザけた名前を付けるのは私しかいない。引き取ってもう10年になる。最初は保健所に連れて行かれそうになったり、こっそり捨てられかけたりもしたが、今では家族中のものからネコ可愛がりされている。近頃は少し中年太りらしい。加えて冬は大坂に比べるとかなり厳しい寒さに毛もふさふさになり、コロコロになっている。庭から居間への上がり口になっている細長い階段に背を丸めてこじんまり座るとまん丸の体。頭を撫でてやると三角の頭を上に伸ばして喉を鳴らす。その姿はもはや犬でもネコでもない。ひよこ饅頭である。4月に入り、昼間はすっかり暖かくなった。そろそろ毛の生え替わる時分である。うっかり可愛がるとこっちが毛玉になってしまうのだ。

  ニャンがひよこならこっちはネコ。ニャーニャー鳴くピヨ様は、あのドーベルマンの小型改良種。気位が高く、頭がいい。運動能力も抜群である。もうよぼよぼで目も殆ど見えない癖に、大胆にに家の中を歩き回っては頭を打ちまくっている。もう5年位うちにいるだろうか。こんなに長い付き合いになるとは思わなかった。体の方はかなり弱ってはいるようだが、相変わらず気紛れで無鉄砲である。色々と辛い目に遭ってきた犬だから、少しでも安楽な自然死を迎えさせてやりたい、できることなら最後まで抱いていて苦痛を少しでも和らげてやりたい・・・ と言っている内に私の方がこの犬に看取られることになるのではないか、そんな気がしてきた。
5月14日  純白の女王


  夜中に入る冷めた風呂・・・体は少しも温まらずふやけるばかり。ふと浴槽の壁に不規則に並ぶ無数の小さな泡を見て思い出した。1週間ほど前のことである。

  殺虫灯というのがある。青白い光で誘き寄せた虫を電撃で殺してしまう円筒であるが、ミニジャングルと化している我が家の裏庭には今年もこの無差別大量殺戮器が姿を現した。害虫を退治するのが目的ではあるらしいが、近付くものは勿論、何でもあの世へ送ってしまう恐怖の武器である。甲虫類がかかるとピチパチという音がする。数日も吊っていればおびただしい数の死骸が貼りついている。

  その日も殺虫灯は上から下までびっしり、死骸の柱となっていた。覗き込むと、電撃を食らってしまいそうなギリギリの位置に真っ白い蛾がとまっている。体長は2〜3センチ。大きな頭部を覆う高級毛皮コートのようなふさふさの毛は、死んでいるのかと吹きかけた息に誇らしくなびく。体はびくとも動かないが、どうやら生きているらしい。何故こんな危険な場所にとどまっているのだろう。或いは動けないのか?蛾は丸2日、全く動かなかった。そして3日目、かすかに角度を変えていた。やはり生きているのだ。いつまでいるつもりだろう。そう思った翌日、蛾は消えていた。やはり力尽きたのか・・・。少し残念な思いで覗き込むと死骸が見あたらない。よく見ると、蛾のとまっていた跡に直径1ミリほどの真珠がきれいに並んでいる。・・・あっぱれ、何という奴。3日間飲まず食わずで、命がけの産卵をしていたのだ。そして自らの役目を見事に果たし、飛び去っていた---。

  数日後、卵のことなどすっかり忘れていた家族によって殺虫灯はきれいに掃除され、再び効力を取り戻していた。初夏の香り漂う5月の夕べ。裏庭では今日も殺戮の音がする。
6月11日  ピヨまたキトク


  我が家のお座敷犬ピヨ。年老いたため見放され、引き取られることなったあまり犬らしくないこの犬は、当時既に13歳位で、瞳は真っ白に濁り、歯は抜け、牙も曲がり、口からは腐乱臭とも言うべき悪臭を放っていた。餌を換えても風呂に入れても消えないこの異臭は身体の内部から出てくるのだと誰もが思い込んでいた。私自身も僅かな余生のお伴のつもりでいたから、病院に連れていくことなどは考えもしなかった。犬にとって苦痛であろうとも思った。プライドは高いがどことなく愛敬もあり、膝に乗せるのに丁度いい大きさではあるが、その強烈な体臭故に私を除いて抱いてやる者もないまま5年、6年が過ぎた。毎年ダメだろうと思われて冬を乗り切るたくましい奴だった。

  が、ここ数ヶ月の体力の衰えは著しく、外に出てももう走ろうとはしない。そんなある日、急に餌を食べられなくなってしまった。口角に力が入らないようで、全部外にこぼしてしまうのだ。歯はもう長いこと噛む役目は果たしていなかった。並ならぬ食欲と根性で何とか飲み込んでいたのだ。が、今はそれさえ役立たない。口には泡だらけの液が充満し、息をするのも苦しそうである。もう長くないと確信した。食べることのできない動物が生き延びられる望みは無いのだ。膝に乗せてやると、弱気になって甘えてくる。そうして2、3日が過ぎた。呼吸はますます困難に見え、時に胃液の様にも見えるよだれを床に撒き散らす。本当に、代われるものなら代わってやりたい、親が病に苦しむ我が子を見て言うのは本心だと実感するのはこんな時である。もう年だから・・・その時ハタと思い出したのだ。ほんの少し見ないうちに老衰で死んだ、祖父に飼われていた、私と同年齢だった犬のことを。弱った様子など無かった筈だと。動物は死ぬ直前まで弱みを見せない。老衰で死ぬ犬がよだれを垂らして苦しんでいたなどと言う話は聞いたことがない。ということは──病気なのだ。病気で苦しんでいるのだ。なんてバカな飼い主なのだろうと我ながら呆れつつも、犬を連れて病院に駆け込んだ。

  果たして、原因は化膿した奥歯だった。口にあふれて呼吸を妨げているのは膿だったのだ。1本だけ残った役に立ちそうもない牙を除いては最後の、歯石で岩のようになったその歯を抜いて貰った。自力では餌を飲み込めないため、スポイトを使っての流動食が始まった。なかなかうまく行かない。一度飲み込んだと思っても戻ってきてしまうのだ。しかも例の液が混じって、もう飼い主もろともでろんでろん・・・。呼吸は相変わらず苦しそうである。体力は見る間に衰え、翌早朝に起こされて膝の上に抱いた時には、絶望の淵から助けを求める様な声で鳴いた。この時私は覚悟していた。声をかけても、体を撫でても、苦しみと不安を和らげてやることはできない。そうしているうち、犬はまたいつものように眠ってしまった。

  流動食も二日目。互いに慣れ、何とか餌は食べられるようになった。スポイトに次の餌を詰めている間さえ待ち切れずに、頭を支えてやっている指を食わえては飲み込もうとする。大分元気を取り戻しているようだ。そしてその夜には何と・・・前歯が綺麗に残っていることが判明した。私は幾度となく指を食いちぎられそうになった。全てはあの奥歯が原因だったらしい。痛みも無くなったのでドライフードも自力で食べるようになった。喉にかけての腫れもおさまり、いつの間にか、我が家に来たときから止まることの無かった咳までしなくなっているのに気付いた。更に驚いたことに、あの悪臭が消えているではないか・・・!今まで家族に愛されることさえ妨げてきたあの臭いが──。

  今ではすっかり元気になり、顔つきは以前に比べてはるかに良くなった。毎日気分が良さそうだ。何だかとても犬っぽい。何故もっと早く与えてやれなかったのだろう。この子が人生の終わりにようやく得た犬らしい生活、いつまで守ってやれるのだろうか。
10月31日  「生」と「死」の意味


  ピヨのお尻から垂れる血がどんどん濃くなっていく。半年ぶりに薄い血の混じった液を垂らし始めてから2週間ほどになるだろうか。この子のお腹は腫瘍だらけ。尿も血の色。それでも歩き回り、跳ね、鳴き、一生懸命食べる。18歳位になるかも知れない。生きることに対しての前向きさにおいては我々など適いはしない。動物達はいくら苦しくても「死にたい」などとは思わない。本能が決して許さない。「死」とは「生」の裏側にあるものではない。その果てにあるべきものなのだ。信頼する主人に、破れたぬいぐるみの様に棄てられてからこの子は5年も生きた。そして今、与えられた命の最後の、本当に最後まで無駄にすまいとしている。最期の瞬間まで弱みを見せない獣の強さを、辛くても見守ってやるのが、何もしてやれない私のせめてもの勤めだと思う。
12月26日  来る筈だった時


  今月12日、ピヨが犬にしては充分長かったその生涯を静かに閉じた。年老いて見放された哀れな老犬をせめて膝の上で死なせてやりたい、その為だけに引き取り、面倒を見てきた。決して戻ることのない道を独りでさまようあの子を、ただ抱いて暖めてやる事位しか出来ない私が、一体何を与えてやれたのだろうか。どれ程の苦しみを和らげてやれたといういのだろう。5年前、家族と共にこの家に越して来たあの子が与えてくれた毎日は、私には非現実的と思える程素晴らしいものだった。毎晩のように呼び起こされて掃除をした台所は、まるで初めからそうであったかのように味気なく、つまらない。
1998 1月13日  認識不能な世界


  今夜私は象の背中に支えられた世界の果てを見る。滝となって流れ落ちる時の向こう側には何があるのか、果たして何かがあるのか。あったとして見る事ができるのか。見たとして尚正気なら何が起こるのか──想像することさえ出来なかったその世界にどれ程生き続けられるのだろう。残された時間は僅かしかないというのに何一つ現実としてとらえられない。ノストラダムスの予言の様に。
1月15日   真夜中の太陽の国々


  ピヨの死に際に関してはその内じっくり書こうと思っている。まだそのエネルギーは無い。
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