形無き足跡おやすみは またあしたさよならは また会う日まで <過去の日記"三次元漂流記"より抜粋 / 一切の転載を禁じます>
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ピヨの死に様についてはまだ書けない。いずれ書かなくてはいけないあの光景は、文字となって記されるまで何度も何度も、繰り返し頭の中に呼び出され、焼き付けられていくようだ。記憶の中の同じ映像、同じ苦しみ、同じ悔やみ。儀式のようにいつもいつも同じ。変える術の無いのが過去だから。
破壊は簡単。生まれたての子供でも出来る。「生かす」ことの難しさを知った時、人は初めて「強さ」の意味を知り、己の無力さを悟る。刃物を持つのは弱さを自覚している証。己を顧みずに命を投げ出す母親の強ささえ、我が子を救うに必ずしも充分である訳ではない。動物達が知っている当たり前の厳しさを人だけが知らない。
まだ隣家の工事は始まらない。夕方ニャンを連れて横を通ると、祝詞の後にまかれた塩が残っていた。ここは長いこと放ったらかしだった。草はぼーぼー。雨の後は地面が黒っぽいのでよく犬の糞を踏んだ。この土地を所有している人がどこかにいるのだろうが、犬の世界ではやはりどこかに主がいるのだ(多分ステキチ君)。虫の世界では・・・ 縄張り争いの起こる程の場所でも無さそうだ。とにかくこの近所はウンコが多い。豊かな土地だ。
眠れないのだ。今日は珍しく怖くない夜だ。まだ狂わない。ニャンは玄関で寝ている。私がいなければここにはいなかった筈の犬。そしてこの子がいなければ私もまた存在しない儘であったかも知れない。もう十一年になるのだろうか。私の言葉などに真面目に耳を傾けて貰えるとは思っていなかったから、驚きもしたし、戸惑いも覚えた。これで保健所行きを免れたと思っていたら、その後、私の留守にこっそり棄てに行っていたらしい。必死でついて来たので連れて帰ったという。時は失われた命を返してはくれない。死んでしまった生き物の苦しみを和らげてやることは誰にもできない。薄れていくのは、のうのうと生き長らえている人間の記憶だけ。
ステキチはこの辺を仕切っているらしい。顔が・・・ というより口が大きく、体もしまっていて強そうではある。うちのニャンがお気に入りの雄犬だが、それ程若くないのか、或いは飼われている時に去勢されたのか、雌犬のニャンには大した興味は示さない。いい奴だ。人なつっこく大人しいこの犬と私はすぐに仲良しになった。ニャンと散歩中の私を見付けては嬉しそうな顔をして走ってきてくれる。ピヨが死んだ日の夕方も、ニャンを裏から散歩に連れ出そうとしているところにやって来た。いつもなら表で待っているのに、この日は何故か家の横に回ってこちらを見ていた。私を見舞いに来てくれたかのような優しい顔をしていた。我々はいつものように一緒に散歩に出掛けた。この2週間ぶり位の再会にどれ程救われたことか。
隣のクッキーと遊ぶのは命がけに近い。シェパードとハスキーのハーフだから、5ヶ月の子犬とは言ってもでかい。子犬だから咬むのが大好き・・・ どうやら私は動く巨大ジャーキーらしい。喜んでくれるのは嬉しいが、どうも目つきが他の人を見る時と違うのだ。今日は1時間近く暴れた。裏ではニャンが鳴いていた。ニャンは、雄でしかも子犬なのにクッキーが嫌い。
魂なんて無い。心は脳の生きている証。生ける肉体にこそ宿るもの。仮に思考や知覚を魂と呼ぶならば、死とはそれらが消滅すること。決して肉体が滅びることではない。
今日ニャンに咬まれたし。 ニャンは昨日、ひどく怯えていた。自分の住処である庭がいきなり人で一杯になり、あまり馴染みのないその人達はべちゃべちゃ喋りながら行き来し、花の写真を撮りまくっていたのだから。家の者すら恐い。顔を下に向けたまま、誰かが通る度に私の陰へ陰へと体を隠そうとしていた。前からあまり好きでない"煙草臭いおっちゃん"が名前を呼びながら近付こうとしてプランターに蹴つまづくと、もう恐怖は限界を超えた。キャン!と言って伏せてしまったニャンを呼び寄せ、大丈夫よ〜と手を出すと、明らかにパニックを起こしている表情で再び「キャン」と言いながら跳び上がり、私の親指に咬みついた ──正確に言えば、親指を上下の前歯で軽く挟んですぐに放した。そしてまた伏せた。抱き上げると少しは安心したが、誰を見ても体ごと背けていた。犬は激痛や恐怖に耐えられないときは取り敢えず何かを咬む。飼い主を咬むとは、などと言う勿れ。飼い主だから許されることもある。
隣のクッキーはもう6ヶ月を越えた。子供とは言えでかい。アゴの力は半端じゃない。気に入った人には立ち上がって抱きつく。そして腰を振る。興奮しているので爪がズボンに食い込んだりする。発情しているかに見えるこの動作は、雄犬が喜びを表すものでもあるらしい。だから私は平気。しかし飼い主である奥さんが嫌がった。で、クッキーは早々に獣医に連れて行かれ、ちょん切られてしまった。
校庭の塀に沿って川が流れていた。モグラが顔を出しては、人に遭遇した驚きと恐怖でまた泥の中へと潜って行く。この場所のことは黙っていよう。モグラ達の生活が脅かされる。ウミガメも流されて行く。その内、私は友人達と共に川を下っていた。三叉となった下水道の入口の、水が腰ギリギリまで浸かる辺りで、短冊切りのコンニャクを放してやった。一切れでも無事に海に帰り着け・・・ 引き返そうとすると、半分位途中で拾われてお供えにされているではないか。何と厚かましい、とんでもない参拝者達── かき集めて堰の穴から向こう側へ押し込み、神主の怪訝な視線を感じて柏手を打つ。パンパン・・・ どうやら怪しまれなかったようだ。 | |
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