補論1:克・亜樹『星くずパラダイス』との比較(1/1)

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■赤松ラブコメのリファレンスとしての「星パラ」

 『A・Iが止まらない!』および『ラブひな』におけるH描写やギャグのセンスには、克・亜樹の『星くずパラダイス』(90年〜92年 以下「星パラ」)の影響が強く見られる。 流石にハーレム漫画ではなかったものの、星パラも典型的な「ヒロインとの同居ラブコメ」だったからだ。

12月3日註:筆者が編集した同人誌『ネギまで遊ぶ‥‥エーミッタム!!』内の作者インタビューにおいて、赤松健は当時の克・亜樹作品に全く触れていなかったと述べている。よって、以下の分析は「影響関係」ではなく「偶然の類似性」のみに着目したものとして捉えてほしい。

 特に「主人公が風呂場(or 着替え中)にうっかり入る→ヒロインに殴り飛ばされる」「主人公のドジでヒロインの胸を触る(or 服を脱がす)→ヒロインに殴り飛ばされる」というパターンや、「とりあえずダジャレや着ぐるみコスプレで間を繋ぐ」「やたらスケールのデカいメカや兵器を出してドタバタさせる」手法などは、星パラそのままだと言ってもいいくらい酷似している。
 また、ヒロインが理由も無くケンカに強かったり(一応、星パラのりなは空手、ラブひなの成瀬川はジークンドーを囓ってたという理由付けがあるが)、主人公が何故か不死身だという設定なども共通している。最初はダメ男に見せかけて主人公の才能がどんどん開花していく(星パラの主人公は付き人や芸能人としての才能、AI止まはプログラマーやコーチとしての才能、ラブひなは考古学者や武術家としての才能)という箇所も共通点として挙げられ、ドラマパターンの参考にしていたり、意図的なパロディを行っていることを窺わせる。赤松ラブコメの特徴である「主人公はかなり酷い目に遭っているが、読者からすれば結構おいしい思いをしているように見える」というバランス感覚も「星パラ」の作風に含まれたものだ。


■「少年漫画ラブコメ」のロールモデルとしての「星パラ」

 次に注意してほしいのは、『星くずパラダイス』や、克・亜樹の前作『はっぴぃ直前』などは、ラブコメ漫画であると同時に、歴と「少年漫画」というジャンルに属していたということだ。
 つまり、<AI止ま編>のはじめに提示したような少年漫画の原則──「主人公は何らかの目標を持って他者(=外の世界)と戦っていなければならない」というルールをしっかりと厳守している所に『星くずパラダイス』や『はっぴぃ直前』の良さはある。
 続けて<AI止ま編>では「仮に『くだらないエロコメ』と呼ばれるような作品であっても例外ではない」とも書き加えたのだが、その「くだらないエロコメ」 にカテゴライズされるであろう少年漫画の代表格が「星パラ」なのだ。

 主人公のひとしは、ただヒロインと同居するだけでなく、学校に登校すればライバルや変人達と戦わされるハメになるし、芸能界では「ヒロインの付き人」として様々な艱難辛苦に襲われることになる。そして、そういった数多の障害を乗り越えることで、ヒロインの好意や周囲の信頼を勝ち取っていくという「努力・勝利」のシークエンスは、まさに少年漫画の快楽そのものだ。

 AI止まの初期は少年漫画的ではなかったと本論では評価しているわけだが、実はそれは「星パラ」と比較しての逆説的な位置付けでもある。そして、後期AI止まやラブひなは少年漫画らしさを獲得したのだとも述べているが、それは「星パラ」の少年漫画らしさに近付いたのだ、と言い換えても構わない。だから本論にとって、 後期AI止まが星パラのテイストを内包するように変化したという事象は、むしろ評価に値する点であったと言えよう。

 『星くずパラダイス』は、少年漫画ラブコメのロールモデルである。とあるラブコメが少年漫画的であるかないか、という判断基準として利用できる「お手本」なのだ。
 「オタク向け漫画」「萌え漫画」「美少女ラブコメ」などという言葉が存在しなかった時代の漫画だ。最近の読者は「ラブコメ=萌え=オタク向け」という安直な連想をしがちだが、かつては「少年漫画ラブコメ」が普通に成立していた時代があったことを忘れてはいけないだろう。
 星パラも、確かに当時のアイドルオタクやアニメオタクを強く意識して作られてはいたが、少年漫画の原則を守ることで、最低限の普遍性や大衆性を維持できていた作品なのだ。


■10年後の「星パラ」である『ラブひな』

 ただ、星パラは「ラブコメ」の「コメ」部分に突っ走りすぎていて、最終的にはラブコメとしての結末を放棄し、ギャグ漫画(ホームコメディ)というジャンルに帰着してしまったという側面がある。克・亜樹の前作『はっぴぃ直前』はきちんと恋愛関係に結末を着けているというのに、星パラは三角関係を継続したまま、最後までヒロインと結ばれないのである(少年漫画としては最後まで成立しているものの)。
 そういう意味では、星パラのコメディパターンを踏襲しつつ、AI止まとラブひなの双方をラブコメ漫画として綺麗に決着させえた赤松健の、「終わらせ力」を評価することもできるだろう。赤松健は風呂敷を広げるだけでなく、「畳む技術」にも秀でた作家なのだと言える。

 また、『ラブひな』自体が「過去のラブコメのパターンを踏襲し、 超高速で反復している」(作者談→公式サイトの日記6月12日)という、ラブコメの集大成的な構造を特徴としているのだが、それは『星くずパラダイス』も当時としては似たようなモノであった。
 1990〜1992年に連載していた星パラは、「過去のラブコメ(=80年代ラブコメ)の集大成」と評価されていいものであり、『きまぐれオレンジ☆ロード』(84〜87年)的な三角関係、アイドル歌手のヒロイン、サンデー的な(ミーハーな)絵柄などの各要素を取り込みつつ、ひとつのコメディ形式を完成させている。
 しかし、前述したように恋愛漫画としては決着をつけられないまま終わってしまうわけで、主人公とヒロインとサブヒロインの三角関係が、いわゆる「オレンジロード的馴れ合い状態」のまま放置されてしまっているのだ。
 すると、星パラとラブひなの最大の落差といえば、やはり「従来のラブコメにちゃんと決着を着けたこと」に尽きるだろう。勿論、時代的な違い(80年代と90年代の違い)が先にあるとしてだが。
 つまり、漫画史的に見た時に「10年前に克・亜樹が蒔いた種を赤松健が開花させた」という評価の仕方をしてもいいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。


■総論

 以下は筆者の余談だが、今でこそ『ふたりエッチ』が代表作となってしまったものの、克・亜樹のラブコメ漫画家としてのピークは『はっぴぃ直前』と『星くずパラダイス』にあると思う。この頃の作品は絵柄も洗練しきっていない魅力があり、内容的にも若々しい熱がある。何より、内容が青年向けではなく少年向けだ。
 特に『はっぴぃ直前』は受験勉強をテーマにしたラブコメということもあり、これもまた『ラブひな』のリファレンスとして重要な位置にある。例えばラブひなには、受験に失敗したキャラクターがその場から逃げ出し、傷心旅行に出掛け、それをもう一人が追いかける……というシチュエーションが存在するのだが、それは『はっぴぃ直前』においても殆ど同じことが描かれていたりするからだ。
 主人公が受験勉強で頑張り、頑張れば頑張るほどヒロインが好きになってくれる、という単純な構造も少年漫画的な「熱さ」があると言える(逆に『ラブひな』では、そういった構造を意識的に控えており、わざと「ヌルい」作風にしているという違いも発見できて面白い)。未読ならば 、手に取って読む価値は今でもあるだろう。

 
≪補論1:克・亜樹『星くずパラダイス』との比較≫・了

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