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■ 無題
Date / 2003-11-23 (Sun)
ここなんかを読んで今更実感
 はい、ぼくは男性フェミニストですね。あんまり勉強してませんけど。
 でも「男性フェミニスト」という言葉自体が矛盾を孕んでいるというかなんか足下が危うい表現をしてますから、フェミニストです、とカミングアウトするのもどうかなあ? という疑問もあったり。

 その意識で「ギャルゲーからマリみてへ〜」みたいな文章(2003-11-03)を思い返してみると、なるほどこの「萌えの中にモラルを持ち込みたがる傾向」ってのは、あー確かにこりゃ、モラルっていうよりは「フェミニズム」だわ、と。
 で、このフェミニスト系の男性オタクっていうのは、もう少し属性化できる気もしますな。したところでどう、というもんじゃないですが……。

 ぱっと思いつくのはこんな所でしょうか。冗談半分でどうぞ。

1.童話/幻想文学が好き
2.なんだかんだ言って『夏への扉』は好きだ
3.聞く音楽は ZABADAKとかの女性ボーカル/民族音楽系
4.エロ漫画全般を読まない
5.ガンスリ(等のロリ漫画)は、萌え感情よりも先に父性本能が働いてしまう
6.NHK教育オタクだった時期がある
7.最近、(オタク嗜好が)おっさんになったなあと感じる
?.話題作以外で、お気に入りの少女漫画がある
?.HNが女性っぽい/中性的(平仮名だったり、花やヒロインの名前が由来)
?.TRPGのセッション中はあまり目立とうとしないタイプだ

 “?”は「いや、そーとも限らんだろう」的な疑問符のある設問です。ってゆうかTRPGを例えに出すなよ。
 こういうのを書くとまた「自分語りツール」とか言われそうですが、実はあんまり当てはまってませんね……。自分が当てはまるのは4個くらいですか。





 ろぜった。
■ 今週は他のサイトに反応してばっかですね
Date / 2003-11-21 (Fri)
 でも同年代の薫さんとは、できるだけ足並みがもつれないようにしたいなあ、とか。

少女漫画の男性キャラは少年漫画の女性キャラと同じくらい異性に都合よくできているわけですが、その事があまり問題化されないのは何故だろう。四季折々のかおるさん
 「恋愛」を扱ってきた歴史の長さで言えば、少女漫画/やおいは、萌え漫画/ギャルゲーの比ではないでしょう。当然議論も糾弾も、それに対する作家側からのアンサーも積み重ねられてきた筈です。最近のネットでは表立って議論されてない、というだけで。やおいの問題性なんかも、90年代に議論の俎上にあげられて以来、とっくにカタのついた問題だと思っていました。
(少女漫画論/やおい論というのはこれはもう膨大なもので、専門家の登場を待たないと説明しきれないくらいですが)

 ただ、00年代に入ってから急激に増えた「若い女性オタク」はその周辺の議論を当然体験しておらず、そこに混乱が生じる原因はあると思います。絶対人数が増えれば、議論のレベルが下がるのは避けられません(=浸透と拡散)。
 これは男性オタクにしても同じことが言えますね。「少女漫画」や「美少女漫画」を経ずにいきなり「萌え」や「エロ同人」を知ってしまった人達が大多数で、彼らのために議論を最初からやり直さないといけなくなっている(彼らは独自の「萌え哲学」を開発して理論武装してたりもする!)。

 ところで雑誌の『少女コミック』なんかを読めばわかりますが、まぁあきらかに「萌え漫画化された」少女漫画(それも過去の少女漫画の蓄積をまるで無視した、レディコミ的なモノ)がそこにあるわけで、ここらへんが若い女性読者のための漫画の一角なんだろうなーと。
 ですから逆に言えば、「最近の萌えオタ」には女性と男性の区別が無くなってきていて、同じ俎上で語れる似たような消費者なんじゃないの、という説は立てられると思います。

 じゃあどういう風に語れるのかというと……例えば、「都合のいい女性が登場するギャルゲー」にうんざりした男性がマリみてに飛びついたのと同様に、「都合のいい男性が登場する少女漫画」にうんざりした女性が 『NANA』(やマリみて)に飛びついたのだ……という仮説も可能ですが、これはどうでしょうね。
 萌え展開は無いですけど、『ライフ』にしたって「都合のいい男性」が排除されて、そのリアルさが受け入れられている。


>それはメタレベルの混同って奴ですよ。
> オリJUNEの男同士がくっつく事が大前提なのは読者と作者と編集者にとって、であってキャラクターにとってではありません。そのレベルでは読者と二次創作者にとってしか大前提でないやおいのカップリングと選ぶところはありません。

 これにぼくの立場から補足します。
 マリみての設定が特徴的なのは、ジャンル自己言及的だからだと思うんです。枠組をボーイズラブから借りてきたり、明らかに『屋根裏の二処女』や『ひみつの階段』等を踏まえた上で、ガールズラブっていう新しいジャンルをやろうとした所とか。だから同人っぽいと言われることもありますが。
 姉妹制度がメタレベルのシステムではなく実体として存在しているのも、(無意識的な)自己言及の結果だろうと考えています。だからマリみての世界観は、BLから見てもGLから見てもちょっと特殊な位置に浮いている。

 その証左として、「ガールズラブ宣言!」を謳う『百合姉妹』に載る作品は、「実体としての姉妹制度」を必要としてないんですね。マリみてが既に実証してくれたシステムだから、あとはメタレベルでキャラクターを操作できるわけです。




 というかまぁ、マリみてって、基本的に「今野さんの欲張りな所」が良く出てるシリーズだと思うんですよね。伝統派な少女小説もやりたいしエスもやりたいしやおい臭も出したい。できればガールズラブっていう新しいジャンルを認知させたいしその為には男性キャラも出しとかないとご都合主義だってツッコまれそうだな、ちゃんと男が好きな女の子の話も入れておこう。学校の楽しい思い出を全部小説につぎ込みたい、女性にも男性にも学生にも大人にも読んで欲しい……。
 だから「マリみては〜〜の裏返し」っていう一面だけを指摘すること自体がかなりナンセンスというか、もっとなんというか「現状認識だけでウロウロしてないで、マリみてがその周辺に与える影響のことを考えようよ!」というか。

 今野さんの欲張りさ、っていうのは、実に「おいしいとこ取りのフェミニズム」はかくあらん、という感じで頼もしく映るんですけどね。
 そういうエネルギーが文化に影響を与えるんじゃないの、とぼくは言いたいわけです。

 マリみてを少女小説として評価した場合は特に新しくはないけれど、オタク(男女問わず)が手に入れたジャンルとしてはとてつもなく「新しい」んですから。
■ 久しぶりにBL・GL話など
Date / 2003-11-20 (Thu)
『マリア様がみてる』はやおいの裏返しARTIFACT
 そうなんですか。
 その指摘は、だいぶ前からこの日記で繰り返してたんですけどね……。『百合姉妹』の創刊時から言ってたことですよう(えーと、2003-09-30のログとか)。
 付け加えるに、正確には「ソフトBLの裏返し」でしょう。ソフトBLがうまく「やおい文脈」をズラしているように、マリみてもうまくスライドさせることに成功していると思います。

 むしろその先の疑問が未解決でして、「何故ボーイズラブのシステムを男性読者が受容できるのか?」という問題ですね。

 これは以前結城さんが言ってた「グリーンウッドブーム」との比較が解りやすく、面白かったです。
 以下はその引用ですが。
>それは兎も角、『いとしき歳月』迄読んで思ったこと。
>ああ、これはGWなんだな。 …と。
>キャラの配置、展開など本当にそのまんま。やおい(こちらでは百合)に走らないところとかも。
>別にパクリだといっているわけでなく、「そういう作品」だからこそ男もすんなり入っていけるんだろうなぁ、と。
>10年もの期間が経てば温故知新、ブームは繰り返すというか。
>しかも今回は女子高。GWは男子高だからなぁ(爆)
>そういう意味ではマリみてというのは男(同人作家・読者)が手に入れた初めてのジャンルなのでしょう。
>だからこそ盛り上がるし、逆に扱い方が判らなくて右往左往する、という。
>(最初はエロが希少だったり、とかね)
 多分、少女漫画とかやおいっていうのは今更特記するまでもなく、充分男性にとって受容可能なアイテムなんですよね。今は大半がハードすぎたり、目先のとっつきやすさが無いだけで。思い返せば、ぼくもエヴァのやおいSSとか好きで読んでたなあ、とか。

 今のマリみてブームっていうのは、「ネットによる強力な口コミ」のせいで、そういった「素養」のある読者も無い読者も一斉にハマってしまった所に混乱があるんだと思います。
 マリみては単体の「少女小説」としても非常に完成度が高いですから(あと、結城さんも書いているように、「安易なやおい」に走らないから)、やおいの素養が無くても面白く読むことができますし、そういう人ほど「なぜ自分は面白いと思ったのか」の答え探しに奔走するでしょう(その延長として二次創作がある)。
 逆に少女漫画や少女小説に読み慣れてる人ほど、マリみてに対してクールな反応を返すことが多いようですね(男女問わずそういう傾向があるみたいです)。これは、「やおい的なもの」が単なる1ジャンル=好みの問題に過ぎないと知っているからじゃないでしょうか。




(追記19時00分)
・(アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第5話
 とりあえず、こないだの予想(2003-11-14のログ)は全部当たり。今回はクラエスの過去話で、次回はジェラート話ですから、やはりエルザ話は削られるみたいです。
 「条件付け」による感情への影響も「命令」以上ではなく、自然な交流の結果としてラバロとクラエスの関係が描かれてるんじゃないでしょうか。
(※つまり原作においては「“約束”も含めて、条件付けによる感情支配の結果である」として読めるのですが、アニメ版では「条件付けの命令を超えた感情による“約束”」として描かれる、という違いがあります)

 で、このクラエス話はぼくが原作で一番気に入っているエピソードということもあり、原作再現度が高く、アニメ版の「洋画的な尺まわし」も成功している今回は非常に満足して見られました。
 ぶっちゃけ、この回があれば後の話はどうでもいいくらいです。

(追記19時35分)
 余談です。
 今気付いたことですが、アニメ版の義体も「条件付けによって恋愛感情を覚える」点は原作と変わらない可能性もありますね。ただそのファクターを公社側が気付いていない(研究者達は気付いていても、それを担当官や義体に伝えていない)だけかもしれません。だから、視聴者にも条件付けの詳細は説明されない。
 原作のキャラクターが、「この子は洗脳されて俺を好きになっている/私は洗脳されてこの人を好きになっている」とはっきり自覚(!)しているのに比べれば、そうでないアニメ版は視聴者の解釈に委ねられた部分が大きいと言えるでしょう。
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第9回
Date / 2003-11-19 (Wed)
佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第9回
 そろそろクライマックスで、あと3話で完結する宣言も出ました。
 前回からの展開は、各所で評判も良く。面白いです。

『きみとぼくの壊れた世界』は佐藤友哉トリビュートらしい悪漢と密偵
 そうなんですか。でもやっぱりぼくは読まなくていいかな……。
 読者の中には確実に、例えば齋藤さんみたいな人も増えていると思うんですよ。あのですね、誰かそろそろ西尾のレヴューを書く時に「人によって好みがはっきり分かれる小説だと思います」みたいな文章を添えてくれないかな。舞城や佐藤は新刊を出す度にそういうレヴューのされ方をしてたと思うんですけど! 西尾だって全然万人向けじゃないよ。
 あとちょっと思ったのは、借り物のテーマでしか小説を書けないのだとするなら、ますます西尾維新はエロゲ脚本を書くべきなんじゃないかなーと思います。その方が西尾が考えてる「面白いこと」に近づけるんじゃないかな。

 ところで、いーちゃんはイノセントだから佐藤友哉のことを本気で「先輩」だと意識して慕ってる可能性がありそうですね。
■ 人はなぜ、日記を読みたがるのか
Date / 2003-11-18 (Tue)
アニメ版「マリア様がみてる」公式サイトがリニューアル
 うわー、脚ほっそーい。
 このデザインラインは好きです。やっぱ少女漫画(漫画じゃないけど)の絵をアニメアレンジする時は脚を細くしてもらわないと!

 早速進井さんとメッセンジャーで、これは期待できそうですねー、っていう話をする。
 声優は実力のある人ばかりですし、あとはホント、演出がどうなるかが楽しみです。




「マリみて」妄想きょうはきのうのあした
 ぼくも「どうでもいいけど気になる設定」っていうのがあって、それが「どうして聖は英米文学科に入ったの?」だったりします。小説嫌いって言ってたはずなのに。隠れ読書家だったのか、卒業直前に興味を持ち始めたのか。あ、それに今野さんの文学経験も知りたい! 更にこの問題を、最近の英米文学ブームと絡ま……せられるわけないか。


人は何故、日記を書きたがるのか/人はなぜ、日記を読みたがるのか
 sayukさんとこより。
 直截なコメントにはならないですが、個人的に思うところを述べてみます。

 そもそも、ぼくが今年に入ったあたりから文体を「ですます調」に統一し、日記から身の回りの出来事や身内ウケ、TRPGの話題を排除するスタイルへ変化させたのは、ぼく自身が「日記を読みたがる人々」に対して懐疑的だったからです。

 TRPGのプレイグループや、学生系のコミュニティでは良くあることですが、彼らは不思議なくらい「身内の日記」を読みたがります。特にTRPGゲーマーは「セッション以外に友達と会う機会」が少ないため、「生存確認」としての日記更新を欲するようです。また、身内ネタを面白く書ける友達は当然人気があって、良く更新を催促されますし、友達の日記に自分のハンドルが登場することで喜んだりもできます。

 それなら、まさに「身内しか読まない日記」以上にはなりえない筈。ですが、TRPGゲーマーの身内日記は「プレイレポートの公開場所」を兼ねるケースが多くなります(FEAR系ゲームの「プレイレポートを書くと経験点が追加で貰える」というシステムがこの傾向を助長させていた)。それでもし「面白いプレイレポート」をコンスタントに書ける人が出現するとどうなるかというと、その日記は身内だけがアクセスするのではない、「TRPG系の人気サイト」になれるんですね。

 それでぼくも、一時期ウケを取るだけのTRPG日記を書き続けてそれなりの反響もいただいたりしたのだけど、どうもこの「身内とTRPGゲーマーしか読まない日記を書いている自分」というのが息苦しくて仕方がなかった。特に、「ぼくが書こうとしていることに興味を持っているわけでもないのに、毎回流し読みだけする知人」というグループも確実に居て、そのように読まれることが(彼らに他意はなかろうと、ぼく自身は)耐えられなかった。

 それで、知人が読んでも「理解できない、全部読み切れない」と退散するような内容で日記を占めることにしました。それでいて、一日のアクセス数を 100ヒット以上に伸ばす(去年のウチは一日平均20ヒットくらい。一番有名な知人の日記は一日 100ヒットしていたらしい)。かといってニュースサイトはやらない(ニュースサイトにすると身内も読みにくるから)。
 以上を目標にして、方向性を決定したのが、現在の日記なんです。
 そうしてアクセス解析を続けていると、知人の巡回頻度がガクッと下がり続ける一方で、被リンクも増え、見知らぬ閲覧者が増えていきました。100ヒットも成就され、ホッと安心できたということです。
 一日 100ヒットと言えば、一般的なサイトの基準で言えば、ようやく「底辺」に参加できる、弱小サイトと呼ばれるレベルですけどね。




 ……この記事を読んで、TRPG日記を書いてる人やTRPG日記を巡回している人が気を悪くすると思います。でも、ぼくが書きたいものがそれではない、というだけで、TRPG日記自体を悪く言うつもりはありません。ぼく自身、リスペクトしているTRPG日記も多いですし。
 それに、現在のような日記のスタイルでもちゃんとウチを読んでいただいてる知人も、若干名残っているわけですが、そういう人に読まれる分には、ぼくも納得できるわけです。

 TRPG系の話題とそれ以外の専門的な話題を両立させて、まずまずの成功を納めているのが魚蹴さんの日々是魚を蹴るでしょうか。サイトの方向性は全然違うけど、実はライバル視してる秘密。
 あと、焚書官の日常さんもアナログゲーム話が含まれる日記としては有名みたいですけど……分類としてはどうなんでしょう。

 最近リスペクトしはじめているのが、電源不要系アンテナも管理している星河さんだったりします(思えば、TRPGゲーマーにはてなの便利さを知らしめたのもこの人じゃないだろうか)。
 本人は「日記読み日記」と称しておられますが。そこから俯瞰的な視点を得ることで、「TRPG日記書き」のコミュニティを再認識できるんじゃないか、という気もします(……とぼくが勝手に感じているだけで、何もそういう仕事を期待しているわけではないですけどね)。
■ (アニメ)『カレイドスター』第33話
Date / 2003-11-17 (Mon)
 なんか、先月あたりから妙にTVアニメを観る機会が増えてますね。ここ5年くらいはほっとんど観てなかったのになー。
 それでもアニメ観ながら、芝居があーだ演出がこーだと言いながら見てるあたり、オタクの魂百までといったところでしょうか。

・(アニメ)『カレイドスター』第33話「汗と涙の すごい ロゼッタ」
 「B館」031116(日)でも言及されてましたが、作画というか、芝居が凄い良かった回。この和田高明っていう人の名前は覚えておこう。
 ただ年少組の芝居がうまい、というだけでなく、そらのフトモモがちゃんと「パフォーマンスをやってる人の筋肉」として描かれている所に感心しました。ロゼッタの身体も結構肉厚になってますよね。
 うーん、作画マンの「迫力」を感じる仕事です。泣けるなあ。

 ところで、カレイドスターはアニメ版のマリみてとシリーズ構成が同じ吉田玲子。カレイドスターを見る限り、この人のドラマ力は評価していいと思うんですよ。だからアニメ版はちょっと期待していいかもな、と。

・そのアニみての声優公開
 以下コピペ。
> 福沢祐巳:植田佳奈
> 小笠原祥子:伊藤美紀
> 島津由乃:池澤春菜
> 支倉令:伊藤静
> 水野蓉子:篠原恵美
> 鳥居江利子:生天目仁美
> 佐藤聖:豊口めぐみ
> 藤堂志摩子:能登麻美子
 祥子が伊藤美紀。エラいキツそうな演技が想像できてウケました(レイアースのノヴァとかフルハウスのキミーの人)。
 蓉子がセラムン声優でした。強そう。あと、Vガンのマリア様ですか。つ、つえー。
 能登麻美子は「成恵」の頃から評価していた声優なので、個人的に嬉しいですね(あの、感情がこもってるのかこもってないのか良く判らない素っぽい芝居が好き)。

あんよさんのリピュア考察完結
 ご苦労様です。ここ数年間で、唯一ちゃんと観ていたTVアニメがアニプリとリピュアでした。
■ (アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第4話
Date / 2003-11-14 (Fri)
・(アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第4話
 書くまでもない気もしますが、一応感想書きます。
 結論から書きますと、どうもこのスタッフは「条件付けによる愛情」という設定を描かずに通すみたいですね。4話を見て解ったことですが。

 アニメ版の公社が行う条件付けっていうのは、一般で言うところの「洗脳」と同義で、なんと少女に恋愛感情を喚起させたりはしない。ヘンリエッタがジョゼさんべったりになるまでの「ドラマ」を(30分の枠をハミ出させても)わざわざ用意したのは、条件付けによるものではない彼女の個人的な感情の変化を強調したかったからでしょう。
 確かに、あんな極限状態で年上の異性と組まされたら(条件付けされてなくても)好きになるかどうにかなるわな……。
 対照的に、恋愛感情抜きの「強力な洗脳」の結果だけが描かれてるのが3話のリコで、「個人的な恋愛感情」も「強力な洗脳」も無いまま担当官の前に放り出されるのが4話のトリエラってわけです。うーん、そりゃトリエラもヒルシャーと気まずくなるわな。ただの上司なんだもんなぁ、ヒルシャーは。

 そんな風に、ヒロインの心理に「条件付けによる愛情」という超常的な設定を持ち出さないことによってリアル目な感情変化を想像しながら鑑賞できるわけですが……それでアニメそのものが面白くなるかというと、まぁ、好みの問題かな〜と思います。
 そもそも同人時代のガンスリには「条件付けによる愛情」っていう設定が無かったですから、その頃の雰囲気に近いのかも……ってそれは「退行」って言いません? どうなんでしょう。

 で、次回予告のタイトルが「約束」……ってこれ、ラバロとクラエスの話なんじゃないですか? エルザ話は無し? あー、エルザを出すと「条件付けによる愛情」っていう設定を説明しないといけないから削るつもりなんだな!(予想) ついでにフェルミとエレノラの声優雇わなくていいしシシリア島の設定も起こさなくていいから制作費ケチれるんだ! それだ! ……スタッフも考えたもんですね。
 しかし、エルザの前後編が削られると仮定すると、1クールの使い方も余裕が出てきます。2〜4話くらいはオリジナルエピソードがあると考えていいんじゃないでしょうか。むしろそっちに期待できるかな(公社解体とか義体の半数が壊滅とか、そこまで描ければ偉いんですが)。
■ すえのぶけいこ『ハッピー・トゥモロー』
Date / 2003-11-12 (Wed)
■すえのぶけいこ『ハッピー・トゥモロー』
 『ライフ』の作者の初期短編集。うーん、面白い。
 こういう話を描ける人だから、『ライフ』みたいな作品を連載してしまうわけだなと。


 あ、桜場コハルの『今日の5の2』をちょっと読んでみたんですが、面白いですね。しかし、この作者は小学生をどう思っているのだろう、とか考えてしまう。5年2組の生徒達は性的なものを理解していないのだけど、読者はそこに性的なものを発見してしまう。作者の視点はどっちに近いのだろう。

 ちなみに、作中の小学生を非性的に描こうとするのがあずまきよひこで、性的な自己投影を隠そうとしないのがばらスィーだと思います。
 んで、ぼくはどっちも好きじゃないらしい。あずまの描く世界からはロリータ・コンプレックスを拒絶する高い倫理性を感じてしまうし、ばらスィーがマイキャラに注ぐ無邪気な愛情も、自己言及が無さすぎて居心地が悪い。
 まぁ、ぼくが作者の視点に同調できないというだけで、漫画的な評価とは別なんですけどね。




 ところで、トップ画では「鏡稜子と着せ替え密室」を「Ryoko + Dress Up Closed Room!」と便宜的に訳したのだけど、そしたら「うってつけの殺人」は「A Perfect Kill for Kimihiko」で、「ひきもどす犯罪」は「Salvage of the Guilt by Souji」になるのかな?

 ついでに、鏡家サーガのサブタイ予想をテキトーにやってみましょう。
 副題の法則として、鏡家の女性はミステリ小説のガジェット(密室)、男性は犯罪用語そのもの(殺人、犯罪)を用いているように思えます。既出の前置詞は「に・と・が」で、「で・の・は・を」は使われていない。と、すると……。

「鏡癒奈の○○○(形容詞)凶器」
「鏡潤一郎を○○○(動詞)暴力」
「鏡佐奈で○○推理」
「鏡那緒美は○○探偵」

 こんなところでしょうか。癒奈と潤一郎は骨太なのに、末の鏡姉妹が安っぽくて(というか霧舎巧っぽい)面白そうです。
■ 無題
Date / 2003-11-11 (Tue)
 今は精神的に小康状態というか、テキストサイトとしては文章少な目になってます。
 あ、選挙には行ってきましたよ。

・ラクガキ

 絵の練習が行き詰まると、ちみ絵をテキトーに描いて逃避しがちです。かわいー(自賛)。
 ホントは「動きのある絵」が目標なんですけどね。




(追記17時40分)
あんよさんのリピュア考察6

(追記23時00分)
大阪家族殺傷事件のゴスロリ少女HPログ

身障萌えには生物学的根拠があるらしい
 なるほど。前向きな説明で、そう言われるとちょっと安心します。
 ただ、(腕の障害に比べて)片脚萌えや義足萌えの人達の体験談を聞くと、子供の頃から強烈に惹かれていたり、また、自分がそうなりたいという願望を持つ人も多いようですので、もっと性倒錯的なフェチズムが根元にあるような気もします。一本だけ長く伸びた女性の片脚をファルス・シンボルとして理解すると解りやすいかもしれませんが。
 四肢障害フェチは海外が圧倒的に多いのだけど、向こうでは精神分析の面で研究されたりもしているのだろうか。
■ (雑誌)『ユリイカ』『群像』
Date / 2003-11-08 (Sat)
 図書館行ってました。

・(雑誌)『ユリイカ』
 漫画特集、韓国オタク事情など。
 永山薫のコラム。大体ぼくが考えてることと同じでした。まぁ、永山氏が想定する消費者モデルの中にぼくが居るだけなんでしょうけどね。女装っ子萌え。
 しかし、Googleを「ショタオネ」で検索したらヒット件数がゼロでした。よっぽど今の美少女漫画って、ネット上で語られてないんだな……。

・(雑誌)『群像』
 舞城の自作自演「現代小説・演習」。
 愛媛川十三パートは、色々悪評もある舞城自身のスタイルに対する「言い訳」にも読める。のだけど、ぼくは作家に合わせるタイプの読者なので「ああ、そういう風に読めばいいのね」って感じで楽しく舞城王太郎パートを読ませていただきました。というか殆どパラパラ読み。スジとオチさえ解れば楽しめる、っていう構成は確かに音楽的だし(歌詞が聴き取れなくてもサビに含まれたエモーションさえ解れば洋楽を楽しめるのと同じ。リサイクル可能っていう点もそう)それ自体は悪いことじゃないはず。
 ただ、こういうスタイルを嫌う(飽きる)人は多いだろう、っていう相対的な現実があるだけかな。
■ (アニメ)『カレイドスター』
Date / 2003-11-07 (Fri)
・カレイドスターのメモ
 特に考察をぶつつもりは無いので、自分鑑賞用の簡単なメモ(妄想)です。

カレイドステージ……子供番組枠

カロス……子供番組のプロデューサー

レイラ……過去の子供番組の大演出家(第二期から映画界へ引退)

そら……レイラの後継演出家(第二期からは監督になったため演出家として足枷がつく)

ミア……そらの相棒脚本家(そらは脚本が書けない)

レオン……いわゆる「大人向けアニメ」のカリスマ演出家・作画マン(マニア受けや海外の評価は高い)

メイ……レイラが作ったアニメを萌えアニメとして消費してしまった世代の演出家(才能的には萌え演出以外もやれるのだが、本人は人間芝居の良さに気付いてない)

ロゼッタ……若い凄腕作画マン。メカや爆発しか描けなかったが、そらの演出で人間芝居に目覚める

幻の大技……「子供も大人も楽しめる」レイラの伝説的引退作(そらは絵コンテで参加)。ただし、続編を作れなかった

現在のカレイドステージの客……レイラが引退したため、「大人向けのアニメ」か「萌えアニメ」しか消費できない(子供はおいてけぼり)

真のカレイドスター……レイラを超える子供番組監督
■ トップ画更新
Date / 2003-11-06 (Thu)
 結城さんの勧めで、アニメの『カレイドスター』を最初から観てます。面白いです。
 「鏡姉妹の飛ぶ教室」も面白いです。そろそろ考察のネタをストックできそうなくらいには物語が進んできました。

女性漫画家が描いた漫画のあらすじだって言われたら納得しそうな供述
 例えば高橋ツトムは少年Aの漫画を後発的に描いていたわけだけど、今の漫画は報道の内容と並んでいて、特に追いつく余地が無い、とも言えるような。
 90年代って、漫画文化のピークと報道業界のピークが一致してた時代かもしれない。んで、現代はどちらもフラットであると。

 ところで最近ロリコン絡みの事件が増えてますが。
 そういうニュースを知った時「犯人の部屋からロリ漫画が出てきたらどうしよう」とかじゃなくて、「こいつらがもりしげとか町田ひらくを読んでたら犯行を止めてたのかもなー」っていう感想を持つことも大事にしたいところですね、漫画読みとしては。
 まぁ、今の児童ポルノは漫画よりも、エロゲーに推移しているのが問題なんでしょうけどね。ああ、あとはファイル共有ソフトによる動画・画像もか。

 ……何を急に社会的なこと書いてるんだろ? 選挙って行かないとダメですかね。




(追記15時50分)
 トップ画を鏡稜子に変更。なぜかパーカー。
 「The '90s is not END」は、「キャラデザの固まってないキャラクターのラクガキ(版権・TRPG問わず)」系イラストサイトです。多分。
 脳内のイメージに「似せる」作業っていうのは、プリミティブで面白いです。オリキャラを考えられるほどのイマジナリティは無いので……。

 戯れに眼鏡を描き足してみました
 うわぁ、いきなり同人女臭くなったな……。
 多分この人向け。そんなことないか。
■ 女性原理への歩み寄りと、男性原理への引き戻し
Date / 2003-11-04 (Tue)
 昨日書いたようなことはつまり、男性オタクからの「女性原理への(不器用な)歩み寄り」なのだけど、逆に男性原理に引き寄せるような作品について考える必要がある。
 ぼくはさんざん女性主体の物語に関する話を続けてきましたが、そこから翻って、男性主体の物語をどう受容するのか。結論から言えば「両方均等に供給されるべき」。何事もバランスが大切かと。
 女性原理が発達した人が少女漫画/小説を読む……わけではなく、男性原理のバランスを取る為に少女漫画/小説を読む、っていうのは、昔ながらのオタクが行っていたことじゃないでしょうか。

 そこらへんをさんのここらへんに繋げてみる。

 ところでぼくは『藍より青し』を家父長制の物語としては読めなくて、むしろ男性の主体性が周囲のヒロイン達に奪われ消去されていく話、と認識するんですが、どうなんでしょう(その上で、あまり好きじゃないので雑感になりますが)。もちろん<主体性を奪われること>に充足できる男性がこの作品を支えている。その反面、主導権そのものはヒロイン側がマッチョに握っていますから、『藍より青し』に女性ファンが満足を覚えるのも、そういった力構造を読み取っているからかもしれません(ここでの女性側主導権は、女性原理ではなく男性原理的なファンタジーがモトですから、一種のギャグとしても読めます)。似たようなことは他のハーレム系作品にも言えることです。
 ハーレム系の代表格である「女神様」や「ラブひな」は、主人公を家父長として奉り上げた作品であった同時に、ストーリー後半において女性原理へ歩み寄る事で「家父長制制度のご都合の良さ」みたいなものを中和(誤魔化)していたように思えます。
 最新型のハーレム漫画である「ネギま!」に至っては、始めから男性原理が微少で、殆ど女性原理しか描かれていません(時代の流れに即応していて、流石赤松さん、って感じではあります)。
 だから今、男性主体のラブコメはどんどん世に出にくくなっているはずで、きっとそういう物語って<ダサい>んでしょうけど、ダサくて面白いものほど作るのが難しい、ということでしょう(そしてあかほりさとるなんかは<ダサい>)。

 ……うーん、推敲の時間が足りない。




 ヒロインへの感情移入と言えば、美少女漫画の基本的な読み方(=ヒロインのマゾヒズムと徹底的に自己同一化すること)を外して語れないのだけど、不思議なことにそのような読みは90年代と00年代の間で断絶が見える。これは何故?

 ちなみに、美少女漫画的な読みに一番近いことをエロゲーでやっているのが、k様。




(追記22時00分)
・マリみての認識修正
 シリーズを順番通りに読んでないせいか、ぼくの中で「いとしき〜」以前(要は前薔薇さまが活躍してた時期)の評価が不当に低いんじゃないかという気がしてきました。単に評価が低いのなら好みの問題だけど、「不当に」っていうのは良くないな。考えを改めよう。
 で、どうも前薔薇の3人は「使い捨てできるキャラ」だったからこそ設定の濃さで「冒険」できたのに対して、つぼみやその妹の設定は「無難」だった──という見解も各所で一致しているようです。ここらへんも、実はあんまり深く注目してなかったです。聖が好きな人って多いんだな、くらいにしか。

 それに応じて、ちょっと2日の新刊感想に対して修正入れます。

1.「仔羊〜」以降の穏やかな展開が<それ以前のマリみてらしい話>かというと、そうではないと言っていい。

2.初巻から「パラソル〜」に至るまでの流れが<少女小説に対する大きなオマージュ>だとすれば、それをやり終えた「仔羊〜」以降こそが<作者の好き勝手な創作>なのではないか。

 うん、こう捉えた方がすっきりしますね。
 しかし、一度完結させた舞台の上で「少女同士の自由恋愛」を堂々と描いてるわけだから、今までに増してヤバい小説っていう気もしてきました。確かにレディ、GO! だよな、これ。
 うーん、やっぱマリみては一般向けの小説じゃないわ。それこそBLの裏返しであるGL、なんでしょうけど。
 今野さんもこの「なんでもアリ」な境地を目指してシリーズを続けてきたのでなかろうか……と言うと好意的に解釈しすぎかな。いやすいません、作者萌えするタチなので(←誉めるチャンスがあると誉めてしまう人)。




(追記22時30分)
・今日の面白検索ワード「月姫 羊のうた
 貴様……ッ?
 クロスオーバーが読みたかったのか……? クロスオーバーが読みたかったのかーッ!!!!
■ ギャルゲーから移行する、ヒロインへの感情移入の仕方の推移
Date / 2003-11-03 (Mon)
 『電撃G'sマガジン』などを眺めていて思うこと。

 やはり、「ギャルゲーの気持ち悪さ、居心地の悪さ」というのは確実にあって、生粋のギャルゲーマーではないぼくは、それを避ける傾向にあります。
 ギャルゲーのヒロインが萌えに特化されたキャラクターである以上、そのパーソナリティ造形には「男性に対して無防備であること」や「主人公に惚れっぽいこと」「無条件に優しい or 男性のエゴに無頓着であること」「女性的コミュニティよりも主人公の行動を優先できること」などが求められるのだけど、そんな女性が何人も居て、しかも彼女たちと固有の接点を持てるのは主人公のみ……、という時点で強い不自然さを感じてしまうわけです。言ってみれば、『ドラえもん』のしずかちゃん=「女友達が少なく、何故か男子とばかり遊ぶ女子」が複数存在する世界が、ギャルゲーの標準的な世界と言えるでしょう。

 確かにギャルゲーのヒロイン達は可愛い。でもそれは「ギャルゲー」という世界率に縛られてユーザーに向けられる可愛さであって、ぼくは彼女たちに不自由な影を見て、罪悪感を覚えてしまう。
 大抵のギャルゲーマーからすれば「そのレベルで罪悪感を感じるなんて、お前は二次元に入り切っていないのだ」と言われそうな問題なのだけど、「気持ち悪さ」を感じることなくヒロインの可愛らしさに感情移入したい、と願う人も多いことでしょう。

 そういう人達の需要に、どんな作品がどのように応えてきたのかを見ていこうと思います。

1.シスプリ
 意外かもしれませんが、まずはシスプリです。
 妹萌えは「しずかちゃん的なヒロインの不自然さ」を解決します。兄妹が同じコミュニティを共有することに対する違和感は皆無。まぁ、同じことはメイドさん萌えにも言えることですが。
 また、妹は「主人公を無条件に好きになってくれる都合のいいヒロイン」である以上に、ユーザー側が「兄として無条件に愛せることにこそ違和感が無かった」ことを見逃してはならない、と思います。

2.ガンスリ
 次に「無条件に好かれる主人公の不自然さ」を、剛腕で解決したのが相田裕でした。彼自身は「『レオン』と大槍葦人にヤられてロリコンになってしまった」非萌え系の出自を持った作家で、度々「ギャルゲー的な萌え」に対する批判を隠さない人でもあります。
 萌えを否定しつつ、ロリ漫画を描きたいというジレンマを解決するために彼が取った決断は、「最初から洗脳されてることにしてしまえ」でした。
 これは非の打ち所のないリアリティのある設定で、結果的に多くの理解者を得たようです。いや、凄い悪趣味な設定なんですけどね。読者はヒロインに対する罪悪感を消去しきれませんし。

3.マリみて
 更にマリみてになってくると、ヒロイン達の「可愛らしさ」や「優しさ」は男性ではなく同じ女性に注がれる。ここにきて初めて、全ての「気持ち悪さや居心地の悪さ」を払拭した上でヒロインに感情移入することが可能になった。
 マリみてに男性オタクが群がった理由のひとつに、ギャルゲーの不自然さに対する反証が存在していたから、と言うこともできるんじゃないでしょうか。
 あと、(特に統計的なデータは用意できませんが)シスプリとガンスリとマリみてのファンが重なりがちなことの説明にもなると思いますが、どうでしょう。彼らは「萌え」の中に「モラル」を持ち込みたがる傾向で共通している、とぼくは感じているんですが。




 以下ニュース。

トーグ様がみてる見世物小屋ほうむぺいじ

乙一先生、山本弘を語るWebMagazine




(追記22時10分)
 北浜さんに教えてもらったテレビ番組で、IQテストをやってみました。
 結果は 131でした。
 役に立たない数値だっていうのは解った上でですが……。

(追記23時40分)
・(アニメ)『R.O.D -THE TV-』第9、10話
 良かったのは10話。
 回想シーンで行われること自体は陳腐でカタルシスも無いのだけど、それが語られ、第三者へと共有されることに物語としての成功がある、と。あ、サリンジャーの「やさしい軍曹」も同じ構図か。
 しかし、アニタは受けキャラですな……。
■ ■今野緒雪『マリア様がみてる レディ、GO!』
Date / 2003-11-02 (Sun)
 ぼくは今まで、マリみてを「本屋に並んでいる既存のシリーズ」として認識……言ってみれば「歴史」として読んできたわけです。そういう意識から急遽、リアルタイムで最先端に触れるとなると、これが結構辛いものなんですよ。
 いやー、未読のシリーズが本屋に置いてない、っていうのは辛いなあ。待つの苦手なんです。漫画を読む場合も、雑誌派ですしね。
 それにぼくは、そういう「続きを待てないファン心理による焦り」から筆がすべってしまうのを恐れますから、心理的なバランスを取るのも大変です。
 ファンの期待感が作者の意図を上回ってしまうと、不幸ですからね。

■今野緒雪『マリア様がみてる レディ、GO!』
 そろそろ書きますか(ネタバレっぽい部分は背景白表記で)。
 フツーにマリみて読者として読んでみて、面白かった、のだけど、手放しに誉められないなという感じ(ベタボメしようとすればベタボメできますけどね)。
 細かい部分で気になる所はありますが、大抵は「まぁ、どうせマリみてだし」という言葉で済まされる類のもの。瞳子も可南子も結局いいやつなのかよ! とツッコミたくなるけどそういう世界なんだから仕方がない、とか。読者のテンションに対して展開が穏やかすぎるけど、このくらい穏やかなのは「ウァレン〜」辺りもそうだったし、とか。

 それでも気にかかるのは、ここまで積み上げてきた「スール制度の関係性」が、単なる「三角関係ラブコメ」になっちゃうんじゃないのということで、これはどう受け取るべきかなあと判断に迷うところです。うーん?
 あと、祐巳はすごくいい主人公になりつつあるのだけど、一歩間違えば「ああ女神様の蛍一さん状態」に陥ってしまう(読者によってはとっくにその状態に突入している)危うい地点に居る。これは以前(過去ログの2003-08-11)のマリみて総括でも書きましたが、「パラソル」以降の描き方としては不安かな、という印象を受けます。これも、うーん?
 もっとも今野さん自身、「レディ、GO!」が中弛みの位置にあるエピソードであることは承知しているようで(あとがきでも「読みたくない人も居るかもしれないけど私はこういう話が好きなので書かせてください」って断っているように見える)、さっさと次巻の発売日を確定させてますし、やっぱり次巻を読むまではなんとも言えないよな……っていうか新刊を待つのって辛いですね(そこに戻る)。

 ちなみに、ぼくは瞳子よりも可南子の方にキャラの可能性を見ていて、だから今回の瞳子の変化はあまり納得できてないみたいです(瞳子ファンの好み方に同調することはできますが)。

 うーん、でもぼくはまだ、シリーズ展開に期待しながら読めてるわけだな。まぁよしよし。
■ (映画)『Kill Bill』
Date / 2003-11-01 (Sat)
■(映画)『Kill Bill
 京都に帰郷中だった速水さんに誘われて観に行ってきました。ツレはHARD-WIREDさん。
 悪趣味だなあああ。何が悪趣味かっていうと、観た人間を「俺はこの映画をここまで楽しむことができるぜ」っていう、ナード自慢のチキンレースに誘うように作られているところ。要はマイノリティ向けのカルト映画だっていうことですが、特に唐沢俊一の日記とか読むと、「解って観てる人>>>>>>>知らないで観てる人」っていうスノッブな権威主義が丸出しで(そしてさりげなく、自分を権威側にカテゴライズさせるレトリック!)ハナにつきます。まぁつまり、そういう人達が楽しむ低俗な映画だっていうことです。それも、近年稀に見るくらいハイプロウなそれ。そんなのをハリウッドに流しちゃうタランティーノ。うーん悪趣味な映画だ。そしてタランティーノ本人はそんなことを全然考えちゃいなくて、好きで撮ってるだけだよ! っていう。

 ……のはまぁ、ただの前フリなんですが。
 やあ、面白かったですよ。前述したようなカルト映画的な楽しみ方もあるんでしょうけど、絵面的にも充分楽しめます。ユエン・ウーピン武術指導の殺陣も良かった。スタッフロールを確認すると、スタントマンの「中の人」は殆ど中国のスタントマンなんですね(役柄上は日本人)。マトリックスの殺陣がつまんないのはカット編集のセンスの無さもさることながら、やっぱスタントマンがヘタクソな白人だったからなんだなあと実感できました。ユマ・サーマンの殺陣のヘタッピさをキアヌのヘタッピさと同列に並べた感想もありましたが、いやいや、主役がヘタッピでもヤラレ役がプロなら格好良く見えるものです。
 はい、もうお解りですね。「マトリックスの殺陣は格好悪い」と思ってるぼくはスノッブ=低俗です。

 キルビル絵に追加。

digital bs tuners
GOGO前張

絶対少女 電電私社
夕張ルート
ttp://www.geocities.jp/raita_z/img/001.jpg

 直人って、やっぱあの直人なんでしょうか。いいなあ(笑)。




(追記19時00分)
 『電撃G'sマガジン』12月号を購入。

・「ウルトラC(チャーミング)!」予告編

 この企画に登場するのは4人の美少女。彼女たちはあなたのいとこにあたる、とても仲の良い姉妹。あなたはちっとも知らなかったのですが、実は親同士の約束で、あなたと彼女たちの中の誰か1人が結婚することになっていたのです。つまり彼女たち4姉妹はあなたの婚約者! でも、そのことを知ったあなたの頭には、おぼろげな記憶がよみがえり、それとともに大いなる疑問が湧き上がります。「4人の中に、確か……男の子がいたような……?」

 いやあ、何の予想もしていなかっただけにびっくりしました。そうきましたか。
 (男性向け・女性向けに関わらず)まだジャンルとして確立されていない百合企画に比べれば、ショタなんてのはオタクにお馴染みの材料。そういう意味だと、4人全員が男の子でも全然問題ないんですよねぇ。学生読者は引くでしょうけど。
 しかし、シスプリが受けた理由、っていうのは、ヒロインの「年齢と血縁」をユーザーの脳内設定に依存していたからに他ならなかったわけで。女か男かをユーザーが選べるというのは、結構将来性のあるアイディアかも。この企画でショタに目覚める若い読者も出てくるんでしょうな。

 あっそうか。ヒロインが全員男の子の場合、「何故女の子の恰好をしているのか?」という疑問を合理的に説明しなければならないし、ゲーム上の「あなた」を好きになる理由を同性愛的ディスクールを用いて解説しなければならない。しかしウルCの無茶苦茶な設定は、それらを一瞬で解決し、ギャルゲー的異性愛ディスクールに引き戻すことができる、と。なるほどなるほど。

・「ストロベリー・パニック!」第2回
 これで全ヒロインが登場。読参のシステム自体はまだ不明。
 しかし、「属性」や「記号」の少ないヒロインばっかです。これだと「公野先生らしさ」は出にくい気がします。どうでしょうね。




(追記20時55分)
・(アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第3話
 実はそれほど注目してるわけじゃない(単体のアニメとしてはR.O.D.の方が好き)んですが、一応観てます。
 今回は原作通りのリコ話。1、2話の時と同タイプのアレンジ演出が行われていて、予想通り、期待通りと言いますか。オリジナルシーンのヴァイオリン演奏は良かったですね。
 あと、ジョゼさん……表情が冷たいんですね。逆にエッタたんハァハァを必死で我慢してる人みたいでちょっと危ない。
■ 無題
Date / 2003-10-31 (Fri)
 「PLAY REPORT」を更新しました。
 ぼくは、TRPG方面で考察めいたことを一切書かないつもりでいたんですが、今回はなんとなく……。
 TRPG論って、基本的につまらないものなんで、あまり書かない方がいいんです。ひねくれた言い方をすると、面白いTRPG論を書けるゲーマーは多分ゲームが下手だし、上手いゲーマーさんになるほど、「○○論」とか書くの下手な人ばっかだと思います。偏見だけど、さほど間違ってないんじゃないでしょうか。
 じゃあ、そういう法則を自覚した上で、あえて「○○論」みたいなのばっかり日記にしてるぼくは? ゲーマーとして、または書き手としてどうなのか? これは客観的な評価に任せるしかないですけどね。




■思いつくことが多いんで、箇条書き
 日記に「翻訳」する前のメモは、いつもこんな感じです。先日の電波とはまた別。
 こっからボツったり清書したり。

・キルビル観に行きました

・サタスペキャンペーン2回目、無事終了。面白かったー

・ぼくのマスタリングは友野詳の血なんだと思います、やっぱり

・マリみて新刊、発売日に読了。面白かったー

・トップ絵替えないと……(部分的にネタバレ)

・「エロチック街道さん効果」の記録は 325ヒットでした。ありがとうございましたー(大型ニュースサイトで紹介されたのは初めてだったので)

・「ウルトラC!」苺よりはわかりやすい

・いい加減宿題済ませろや

・ギャルゲー、妹ゲー、マリみてへと移行するヒロインへの感情移入の仕方、「可愛さ」の愛し方の変化について

・コバルト文庫のチラシを眺めると、今のオタク商品が見劣りするほど面白そうに思える、っていうのはぼくだけの錯覚なんだろうか。これはたぶん、ライトノベル化する前のヤングアダルト小説群に雰囲気が似てるから、なんだと思う。オタク文化に毒されてない、「子供文化」に残された聖域ってかんじ。ぼくは古いオタクの血が半分混じっているから、「オタク向けにメンテナンスされた商品」よりも「子供商品」の方が魅力的に映るのかもしれない

・今の一般的なオタクって、「オタクなら理解できる商品」しか「消費」できないから「弱い」んだよね?

・00年代当初のギャルゲーマーやシスプリ者、更にはマリみての二次創作達者がウエブ上で輝いて見えたのは、「今まで消費してなかったものを消費できるように努力した」から

・オタクにとって、ニッチの獲得は供給側の仕事じゃなくて消費者側の仕事だ

・ちゆ12歳や俺ニュースみたいなサイトって、ぼくはあんまり面白くなかったんだけど。あれだけ人気があったのは「一般的なオタクにニッチの棲息法を親切に教えてくれる所」だったからなんだろうなあって思う

・スノッブなこと言ってるね、お前

・でも、「俺はこんなものを消費できるぜ」って自慢できるのが古いオタクの条件だったんじゃない? あなたは古いオタクですか?

・キルビルはスノッブでナードな映画でした。最近こういうサイレント・マイノリティ向けのカルト映画って珍しいから、みんな「お勧めできません」とかイチイチ断ってから感想を書かないといけないんだろうと思う

・それって要するに、「面白い/つまらない」や「イタい/イタくない」の二分法でしか判断基準を持てない消費者が増えてるってことだ(今更言及するまでもない分析だけど)
■ J.D.サリンジャー『サリンジャー選集3 倒錯の森<短編集II>』
Date / 2003-10-29 (Wed)
■J.D.サリンジャー『サリンジャー選集3 倒錯の森<短編集II>』
 読了。これで、日本で読める短編は全部読んだ……筈。あと読んだことのないサリンジャー作品も、「ハプワース16, 1924」を残すところとなってきました。

 どの短編も面白かったですけど、作品の質は「選集2」の方が高かったかも。もし短編集を読まれるなら、「選集2」から手に入れるのをお奨めします(もちろん『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとゾーイー』を先に読んでからにするように)。

 じゃあここで、サリンジャーで好きな短編をちょっと並べてみましょうか。

・他のジャンルの小説に比べても好き
「エズミに捧ぐ―愛と汚辱のうちに」(ナイン・ストーリーズ)
「ルイス・タゲットのデビュー」(選集2)

・好き
「笑い男」(ナイン・ストーリーズ)
「小舟のほとりで」(ナイン・ストーリーズ)
「二人で愛し合うならば」(選集2)
「やさしい軍曹」(選集2)
「ブルー・メロディ」(選集3)


 単行本単位で一番好きなのは『フラニーとゾーイー』になります。




(追記13時30分)
 ところで、コミュニケーション/ディスコミュニケーションの問題なんてのは90年代の後半に解決・克服されたはずなのに2003年の時点のこの現状はなんだろう。ディスコミュニケーションの物語が復権し、ぼくもそれを有り難がって読んでいる(最近の日記で取り上げているのはみんなそういう話ばかりだ)。「それ以外に面白いものが無いのだ」と言ってしまうのは簡単だが、やはりヒラコー的なもの(冬目景とかやまむらはじめとか、当時の漫画読みが注目してた漫画家なら誰でもいい)、美少女漫画的なものが世紀の変わり目をうまく乗り越えることができなかったことに起因しているように思える。そういう意味じゃあ、「萌え」を世紀を超えて支えてしまったラブひなや鍵ゲー、シスプリ等を憎むべきなんだろうな。オタクの、鬱屈としたエネルギーを殆ど吸い取ってしまったことについて。
 でも歴史は元には戻らないし、だからぼくは「萌え」を肯定してさえいる。じゃあこの先に何を求めるべきかというと、やはり「セカイ系」なんてのは全然違うし新しくもないよと言わざるを得ない。ぼくはセカイ系を「萌えで薄めた90年代への郷愁(=00年代に対する寂しさ)」としか感じられないし、「薄められたもの」は洗練こそされ、煮詰めて新しいものを産み出す力なんて無いだろう。それに鑑賞物としてなら、90年代そのまんまの濃さを維持したあびゅうきょの方がよっぽど美しい。だから、セカイ系とあびゅうきょを融合させるのってのは、結構面白い試みなんじゃないかなと思う(これは余談)。
 今ぼくが経験している流れは、おそらくコミュニケーション/ディスコミュニケーションの問題を最初からやり直して別の答えを出そうという試みであって、ムーブメントとしてはマリみてや戯言シリーズの完結で一区切りがつくんじゃないかと思っている。あくまで狭い範囲での区切りで言えば。
 それと並行して誰でも考えられる流れが、「萌え」をこのまま煮詰めて科学変化を待つ、という試み。ただこちらは、市場を広げるだけで特に産み出すものは少ないような気もする。ある意味で「萌え」という概念は既に完成している、変化も成長もしようのない概念だから、今以上のものは望めない(それは同時に、「究極の萌え」は誰も創作できないし、だからこそ「萌え」は生産され続けるという意味でもある)。
 例えば TYPE-MOONや Nitro+の市場的成功も、「萌え」を別段階に昇華させたからとかでは全然なくて、「萌え」をオカズにして他の「面白いもの」をくっつけたから売れました、というシステムを超ええていない。





 ……なんだろう、この電波。
 隔月ペースくらいで、たまにこんなのも書くかもしれないです(いつもの文体でこういうことを書くのは疲れるので)。 
■ キルビル反応
Date / 2003-10-28 (Tue)
 サタスペキャンペーン、第2回のシナリオ執筆中。木曜の朝が〆切。

・(映画)『Kill Bill』反応
 ぼくはまだ観てないんですが、サタスペのプレイヤー周りではキルビルのグルーヴが盛り上がってますね(そもそも、サタスペ的な悪趣味とタランティーノ的な悪趣味は親和性が高いので)。

 で、目撃できたキルビル絵を収集してみました。なんか見事に栗山千明ばっかり。

遊彩華電
GOGO夕張絵とキルビル感想

空とぶ速水螺旋人
GOGO夕張絵

F−Knights / UnDerWorld
クレイジー88

(追記13時35分)
 こんなのもありました。

間借りさん(10月26日)
■ すえのぶけいこ『ライフ』1〜4巻
Date / 2003-10-25 (Sat)
■すえのぶけいこ『ライフ』1〜4巻
 うわー、前知識まったく無しで読んだんですが、まさかこんな漫画だったとは。びっくりしました。
 凄いですな! 超高速度で展開していくディスコミュニケーションと、そこまでやるか的な心理描写の連続。小学生のコがこんなの読んじゃったら一生モノのトラウマになっちゃいますよと心配するくらいです。絵柄もなんか「ガロ」っぽくないでしょうか。これって絵の技術が低いからああいう絵柄になっちゃうのか、狙って「ガロ」っぽくしてるのか気になりますが……(すえのぶさんって何歳くらいの人なんでしょうね? もし若い人だったら凄いと思いますけど)。
 ま、他にも色々感想や疑問はあるんですが。ひょっとすると的外れなことを書いてしまいそうなのでまた次の機会に。

 ちなみにこの漫画を読もうと思ったきっかけはこちらからきょうはきのうのあしたさん。たぶん、ウチの日記を読まれたことのある方のようです。よろしくお願いしますね)。
 確かに「マリみて」のような「人間が綺麗に救われていく」物語を読むなら『ライフ』のような作品に触れることも重要なんじゃないかな? と思っていたところだったんですよ。そして多分、この順番を逆さま(『ライフ』の読者が正反対の作品に触れるということ)にしても重要なことは重要で、だからこそ「女子中高生たちに届くかも」なのでしょうか。
 ぼくの中で舞城王太郎と佐藤友哉が対に扱われがちなのが、この関係に近い気もしたりして。


余談:ただ、舞城という作家は「素直に救済を描ける」人というわけでもない。ここらへんのことは、別件で詳しく書きたいかも。




 あー、ネタは沢山あるんですがここでストップ。

(追記10時10分)
I'm narrative.
 ぼくもナラティブか。
■ 精神的に疲れてるのでリンクだけです
Date / 2003-10-23 (Thu)
忙中閑ありさん、10月20日の絵日記に祥子様とタカチと鏡稜子
 この3人が繋がるのか……、ってとこにびっくりしつつウケました。
 キャラ全員を理解できる人が多いか少ないか、っていうとたぶん鏡稜子がボトルネックになってくるんでしょうけど




 土曜日あたりに復活予定です。サタスペのシナリオも作らないといけないんですが、その作業も手に着かず。
 ぼくはあんまり、実生活の愚痴をこぼすことでストレスを解消できるタイプの人間じゃないから、しんどいですね。
(ぼくだけに限らず、大抵の男性や内向的オタク男性はこんな傾向があると思うけど、彼らが女性的なコミュニティに憧れや遠さを抱くとすれば「愚痴と共感」のシステムに対するものが、やはりそうなのかもしれない)

 あー、寝なきゃ。
■ 氷室冴子『クララ白書II』
Date / 2003-10-21 (Tue)
■氷室冴子『クララ白書II』
#1巻の感想は「2003-09-15」にあります

 またもや割とドタバタ劇が中心でどうかなーと思ったものの、ラスト30ページくらい(作品全体の1割程度)になってから、怒濤のようなしんみり展開(※)がスタート。身に染みます。

いや、そんなに「怒濤」って感じの展開じゃないですが。ここは主観のイメージかも

 1巻でもそうですが、ラストが近くなると目立ってくるのが、菊花。菊花はいいキャラですね。おそらく、彼女が一番女の子の友情を信頼しつつ大事にしているんじゃなかろうか。作者が自分を投影したがっているのも菊花なんじゃないかって印象も。
 逆にヒロインのしーのは、いつも作者のエゴ(と言っちゃあ悪いけど)で割と容赦の無い目に遭わされているような気もしてちょいとばかし不憫です。

 補足。二度も「ドタバタ劇」と評しましたが、当時としては画期的なくらい「何も起こらない小説」で、それこそ「紅茶とショコラケーキしかない」ように読者(と同業者)には映ってたんじゃないでしょうか。クララ白書って。
 あー、そうか。惚れた振られたの噂話やラブレター、デートや告白といったプロセスを経て恋愛が成立しちゃうのが既存の「恋愛小説」だとすると、恋愛に憧れる感情は出てくるんだけど恋愛自体はちっとも成立しないのが氷室冴子以降の「少女小説」なのね。かなり強引な解釈で間違ってる筈ですけども、なるほど、と一時的に納得しておきます。

 更に余談! 「厳格な親の事情で不自由な境遇に陥ったクラスメイトを助けに行く話」っていう定型パターンは、要するにファンタジーの「お姫様救出」の物語であって、そこから少女小説に吸収されてるんでしょうけど、ここで助けに行く「騎士」の役は「同い年の女の子」に置き換えられている。つまり「お姫様救出」という、「<男の子的ストーリー>の中にいかに女の子が参加するか」という試みで生まれたのが「厳格な親の事情で(略)助けに行く話」であった、とします。
 んで、この「厳格な親の〜」っていうパターンは西森博之の『天使な小生意気』の中で何度も繰り返されているのだけど、西森は自身の少女漫画読者としての歴史を挙げつつ、自分は少女漫画的な意識で『天使な小生意気』を描いている、と強調しているわけです。すると『天使な小生意気』は、「<少女小説的ストーリー>の中にいかに男の子が参加するか」という試みだったのではないか? とか。
■ (アニメ)『R.O.D -THE TV-』第2〜8話
Date / 2003-10-20 (Mon)
 サタスペページに絵を追加。あと、最近のラクガキ(注意:男ですよ)。

・(アニメ)『R.O.D -THE TV-』第2〜8話
 勢いで8話までの録画をだーっと観てました。
 アクションよりもむしろ、日常芝居の演出がアイディアに溢れていて観飽きませんね。特に第6話(読書感想文の話)なんかはフツーに良くできたいい話で、うまいなーとか。
 オープニングもかっこいいし、あと、川田妙子の演技が聴けるのも、良い。
■ 紺野キタ『Cotton』
Date / 2003-10-19 (Sun)
 次は漫画中心に更新。

■紺野キタ『Cotton』
 ぐずぐず泣けたー。
 自分が読みたかった漫画をそのまま出されたみたいなもので、参ります。
 結局ぼくは『フラニーとゾーイー』からスタートして『世界は密室でできている。』や「パラソルをさして」等の流れの中に見つけることが出来る、「一人の人間が一人の人間を救おうとする話」を求めているようで。それは「必死の説得」(『フラニーとゾーイー』の裏表紙の作品解説から借用)の物語、と言い換えてもいい。永野のりこの一連の作品なんかも、ここに並べてもいいはず。
 フラニーとゾーイーは兄→妹のエピソードで、そのオマージュが挿入される『鏡姉妹の飛ぶ教室』は姉→妹のエピソードでした。「世界は〜」は同い年の少年同士の物語で、マリみては同じ学校内で少女同士の関係が形を変えて何度も描かれていきます。
 『Cotton』の場合は歳の離れたOLと女子高生の話。まぁ、ここにGL的な感情を読み取る必要は別に無いのだけど、やはり女性同士でないとこのドラマは成立しないのだろうな、その必要性は一体なんなんだろう、とか。ここらへんはゆっくり考えましょう。
 あと、個人的に重要なのは、救おうとする側が、決して超越者として救われる側の前に立っては無意味なのだということ。救おうとする側も、自分に何かが欠けているからこそ必死で説得しようとするわけです。
 だから現時点のカレカノの展開にどーも納得できないのはここらへんの問題で、雪乃はあんなに強いキャラクターであってはいけないのです、とか言いたくなります(結局、あれはああいう話なんだと割り切ってますが)。

 ここで思考転換とメモ。
 リアリティのある話としては、「満たされた人間でなければ他人を助けようとする気になんかならない」という言説もある以上、現在のカレカノは結構正しいことを描いている。じゃあぼくは「リアリティの無い話」を読みたいのだということ。それは「同性間の強い友情」を描いた作品においても、同じことだろうということ。


・漫画版マリみて2話
 特に問題ないですね。
 そういえば1話の時は見逃してましたけど、由乃の髪が黒ベタで塗ってるのは結構冒険してるアレンジだと思いました。でも三つ編み黒髪の方が「病弱」で「おしとやかなイメージに誤解される」由乃のキャラは表現できてますね。そうなってくると、黄薔薇革命以降のギャップがどう描かれるのかが楽しみなのだけど、漫画版はそこまで続くんでしょうか。
 結城さんの感想。「祐巳の“百面相”をディフォルメ絵で片付けるのは祐巳の魅力を損ねていないか」これには同意かな。


・ヤングアニマルの『職業・殺し屋』
 ああ、90年代の美少女漫画誌に載ってるエロ漫画ですね、これ。懐かしい感じ。
 この作者は文月晃や板場広志なんかよりもよっぽど美少女漫画家的な姿勢を今の時代まで継続していて、ちょっと応援したくなります。……とか、美少女漫画負け組のたわごとというかなんというか。
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第7回
Date / 2003-10-18 (Sat)
佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第7回
 普通に盛り上がっているので今後の収束の仕方に期待です。
 ネタ切れしないで。

 連載と関係ないですが、『赤色のモスコミュール』の評価が上昇中。なんと言ってもあの文章は無茶苦茶綺麗だし、「救われるべきじゃない人間が救われない話」という、佐藤友哉世界の味が全面に満ちている。割と代表作と呼んでいい作品なんじゃないでしょうか。
 「佐藤友哉らしすぎる」なんていう感想も多いですが、逆にその「らしさ」を愛でる読み方も間違ってはいないわけで。綺麗、っていうのは、原画集的な綺麗さ、というか。コレクションしたい感じの文体。


(22時00分追記)
 どんどん書け書け。

・(アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第2話
 まぁ、だいたい予想通りの出来。原作のストーリーをスタッフなりの解釈で料理しますよ、という姿勢が伝わってきて好感は持てます。トリエラ話やクラエス話をどう料理するかが楽しみです。
 ガンスリのアニメに関してはチャットで結城さんとかなり争ったんですが、「1,2話はヘンリエッタのキャラクターの掘り下げばかりで、大人側(担当官)のドラマになっていない(から、まだなんとも言えない)」という結論に落ち着いたのかな。
 ここらへんの評価は、(担当官を描かざるをえない筈の)トリエラ・クラエス話が出てくるまで保留した方がいいでしょう。


・(アニメ)『R.O.D -THE TV-』第1話
 アニメーションの魅力のひとつに「大きい物を描く」という、非常に単純かつ、そしてとても難しいテーマがある。
 そこらへん、ぼくのアニメーター的なヒーローは磯光雄さんなんですが、例えば磯さんの描いた劇場版弐号機を「試写の赤く塗ってない、白い弐号機の方が大きくて良かった」というようなことを庵野さんが言っていたように、紙、という、主線と白だけで構成される素材は「大きい物を描く」のと相性が良いのだと思います。
 で、R.O.Dの一話。ジャンボジェットと紙クリーチャーの作画が素晴らしかったです。ひさしぶりにアニメ観て泣きました。
 同じシーンで泣けたアニメオタクが世界に何人居るのか。
■ 東浩紀について
Date / 2003-10-13 (Mon)
ファウストにおける、東浩紀の誤ったゲーム小説認識東浩紀の文章を批評する日記
 東浩紀は結構嫌いなんですよ。……っていうことは特にないんですが。
 ぼくは東氏の思想には積極的な関心を抱けなくて、割と未評価な立場です。でも、彼の記事に頻出する「あきらかなフィールドワーク不足」と「不足したデータを基礎とした論理展開」は批判されておかしくないでしょう。プロの仕事をするんだったら。
 そんなわけで、上記のサイトがTRPGのプレイヤーとして言いたかったことを代弁してくれてるので、すっきりしました、という話。当然、東氏自身が訂正してくれたらもっとすっきりするけど。

 こういう指摘(アラサガシ的な揚げ足取りじゃなくて、望月茂さんは正攻法の指摘をしていると思います)を受ける原因は著者の思想とは関係なくて、やはりフィールドワークを重要視せずに執筆していたからでしょう。本人も流石に自覚している筈(そうでないと困る)なので、ここで言うのも今更なんですが。
■ 各種更新
Date / 2003-10-12 (Sun)
 サタスペページに絵を追加、PLAY REPORTを更新、そしてリンクのOTHERを「1年4ヶ月ぶりに」更新。最近は身内のサイトも巡回先もはてなアンテナに頼っていたもので、リンクページをいじる気がなかなか起こりませんでした(バナコレとしての趣味性が高いGRAPHICSは更新していましたが)。

 ちなみにぼくのアンテナがプライベートモードになってるのは、非公開の身内サイトも巡回先に含まれているから、という単純な理由だったりします。
 あと、この日記に張られているリンクは、クリックすれば新しいページが開くように CGIを改造しました。というわけで「私はタブブラウザを使ってないし新しいウインドウを開きたくもない」、という人はリンクをドラッグしてタイトルバーにドロップするとよろしいでしょう。
■ (アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第1話
Date / 2003-10-10 (Fri)
・(アニメ)『GUNSLINGER GIRL』第1話
 薫さんとこのコメント欄に出張してたんですが、一応こっちでも1話目の感想。

 ヘンリエッタが怖いですね。というか、わざとらしく「無表情な少女兵士アーキタイプ」として描かれていて、むしろ気持ち悪さを前面に出している感じ。意識的に原作のほのぼの感が抜かれて悲壮感オンリーな演出。その代わり、洋画的な構図や長尺、芝居の雰囲気は出てます。あと江原のヒルシャーは渋すぎ。
 
 えー、第1話に関する問題意識は、無表情なヘンリエッタのマイナーチェンジに集中しているんじゃないでしょうか。でも「1話目だけ観るとただの暗い子だけど2話目でジョゼさんと絡んで可愛らしい表情を見せる」んでしょ、ってトコまで予想がつくのはまぁ大前提。じゃあなぜ原作冒頭のヘンリエッタは笑顔を見せたり赤面したり泣いたりしているのに、アニメ版冒頭ではそう描かれないのか。
 仮に、相田裕の中の「ヘンリエッタ萌え」が「この子はこういう設定なのに微笑むから萌えるんですよ」だとすれば、アニメ版のそれは「この子はこういう設定で、その後こういうドラマで微笑んだりして可愛いところを見せるんですよ」という感じ。
 アニメでは、「設定」から「可愛い」まで行き着く間にタイムラグが用意されているような。これが一番の違いじゃないでしょうか。
 原作では、「その後こういう〜」をすっとばして最初から「萌え」に直結しちゃっている。反対に、アニメ版はドラマ仕立てにすることで「萌え」に繋げようとしている。するとなるほど、アニメ版はプロの仕事だなあ、と思います。逆に原作はやはり同人っぽいと言えるでしょうね(同じ趣味の読者だけが楽しんでくれ的な意味では)。

 ただ、原作もアニメも一長一短で、アニメ版は脚本的には正しいかもしれないけれど「萌え」や既存の戦闘美少女モノに対するカウンターや新しさには欠けている。「戦闘美少女の系譜」の上に真っ直ぐ乗っかっている感じですね。それはそれで楽しめるから、ぼくはアリなんですが。
 というわけで、結論はアリということでした。




・漫画を描き慣れていない人ほど
 「この子はこういう設定だから萌えるんですよ」式の自己完結に陥って、なんで萌えるのかをドラマで説明しない人は多い。
 キャラに限らず、シチュエーションやガジェット、思想に対する萌えでもそう。読者はドラマで説明されないと共感できませんって。
 これは、知り合いの漫画家を何人か見ても思うことですが。

 相田裕の「設定と直結した萌え」が一定の理解を得られたのは、あらかじめ読者の反応を予想するデータ(同人時代の蓄積)を活かせたことと、あとは単純に絵柄が可愛かったからでしょう。
 一度萌えを伝えることができれば、そのキャラを使って次のドラマを転がせられるわけです。

 ……っていつものことですが、毎回論点が出発点と別の話題に着地しますね、ぼくの文章は。




・昨日のつづき
 岡田斗司夫氏の裏表の使い分けっていうのは、さんざんマスコミ相手に「みんなオタクになりましょう。オタクはカッコいいんですよ」、とか、「今は国民全員が何かのオタクになっちゃって、もう普通の人っていうのは居ないんですよね」とか言いつつ、ラジオ番組で「どーせ頭のいい奴しかオタクにはなれないんだから、お前らに俺達のことが解るわけないだろ! っていう」とか言っちゃう所です。こういう所が好き。
 
 『人生の取り扱い説明書』にしても、謳っている内容は「理想的な適材適所をみんなで考えよう!」なんですが、悪く言えば「お前らは変な欲目を出さずに、自分の能力をわきまえて俺の言う通りの仕事してりゃ幸せなんだよ!」ってえメッセージも隠されているわけで。
 経営者時代に、頑固な社外者やワガママな部下(庵野さんとか庵野さんとか)を操縦するのも苦労だったんだろうなあ。そっからこの連載を思いついたんだろうなあ、という邪推もできたり。
■ 岡田斗司夫について
Date / 2003-10-09 (Thu)
岡田レクチャーの報告
 岡田斗司夫は結構好きなんですよ。
 唯一許せなかったのは、オタアミの連中にひっぱられてエヴァをバッシングした頃くらい。それも本人が後で「エヴァに関してはもう、どうと言うつもりもない」みたいなことを言ってしまうような、裏表の使い分けっぷりも嫌いじゃない。

 岡田さんの仕事で特に印象に残ってるのは、「SPA!」で連載していた『人生の取り扱い説明書』ですね。まずぼくが知ってる岡田さんというのは「交渉術の達人」としてのその人であって、そういう実績がある人なりの説得力があって、好きでした。
 ちょっと要約してみます。

 パッと見はユングの性格分類のパクりなんですが、性格ではなく、人間の根元的な「欲求」をよっつに分類します。

王様タイプ:岡田斗司夫本人のタイプであり、漫画家でいえば赤松健が典型的。自分のこだわりを表現するよりも、他人に評価・賞賛されることでしか満足できない人達。自分の周りに人が集まってこないことを嫌う。

軍人タイプ:漫画家でいえば梶原一騎、福本伸行など。他人にどう思われるか(自分で自分をどう思うか)よりも、勝ち負けや優劣を優先する人達。勝利の反動として、突然慣れない人生哲学に走ってしまうのもこのタイプ。

学者タイプ:文字通り、研究者タイプの人達。自分の知らなかったことを「わかる」ようになるのが何よりも重要。最近の、トリビア好きな人とかそうかも。無知扱いされるのが嫌い。

職人タイプ:文字通り職人気質の人達。自分のやりたかったことが「できる」ようになるのが何よりも重要。漫画家やアニメーターの大半はこれ。無能扱いされるのが嫌い。

 そして面白いのは、降順の対象には「憧れ」が発生し、昇順の対象に「見下し」の評価を持つこと。
 王様は、「才能を自分の世界で腐らせて、他人に喜ばれるような表現をしない」職人の気持ちが理解できず、人気取りに大風呂敷を広げがちな自分は「企画実行力と実力のある」軍人に憧れる。
 軍人は、「ウケばかり気にして、最速で勝ちにいけない」王様が軟弱に見える反面、自分は勝つための知識や経験則を常に欲しているので「知識が整理されていて豊富な」学者を羨ましがる。
 学者は、「緻密なデータや方法論を、強引に現場活用して台無しにする」軍人を疎む一方で、イマジネーションを持たない自分は「個性や創造性を持った」職人を別格視する。
 職人は、「雑学だけを抱えて、その知識を有意義なことに使えない」学者が愚か者に見えるし、自分の個性が理解されないことが日常茶飯事だから「日の当たる場所で人気のある」王様にコンプレックスがある。

 このように、自分と違うタイプの人間をパートナーにしようとした場合、利害が一致することもあれば、微妙なすれ違いが発生することもある。
 更に、対角線上の相手は接点が少ないものの、相互補完的な能力を持ち合えるため、理想的なパートナーになる可能性がある。
 「口先が多くて、細かい事実を深く考えていない」王様はその細かい部分を指摘してくれる学者と相性が良いし、学者にとっても、自分のデータを世間一般で検証する機会が得られる。
 「こだわりが強すぎてなかなか作品を世に出せない」職人はマネージメント能力を持った軍人と相性が良いし、軍人にとっても、自分が持っていない技術や個性は貴重な即戦力になる……というように。

 ちなみに、個人の欲求と才能に関係はなくて、絵のうまい軍人タイプも居るし、口下手な王様タイプや勝負強い学者タイプも居るそうです。
 要はどの欲求が満たされたら本人は嬉しいか、であって、自分の欲求にあった仕事ができれば幸福である、という主旨の連載なんですね。




 これをTRPGのプレイヤーや作家論にあてはめると、なかなか遊べて面白いと思います。
 ただ作家の場合は九割方が職人タイプで、職人タイプの作家は誰も似たり寄ったりですから、職人タイプではない作家を分析する役に立つ、ということですが。

 特にぼくが赤松さんを特別視しているのは、彼が「研究者タイプの自意識から出発し、クリエイターの職場で、人に喜ばれるスタイルを選び、しかもそれが商業的に成功している」、つまり学者・職人・王様・軍人よっつの欲求全てをバランス良く満たしている超人っぷりからきていると思われます。そういう人間には憧れるしかないだろう、という自己分析もできるんですね。
 当然、赤松さんのメイン欲求は明らかに王様タイプなわけで、彼の「研究成果」は極論的・広視野的すぎていて、大雑把かつ当たりはずれが多い(=実は学者タイプの欲求が浅い)ということも言えると思います。
 赤松スタジオの裏事情を知ってる人は、職人の欲求も浅いんじゃないか、と知ったかぶって言うかもしれませんが、作品の完成度に対するこだわりは強い人でしょう。まさかアシスタントが毎回、「このページはここまで描き込みます」とか言ってあのクォリティを維持しているわけではないでしょうから(あそこのアシスタントは全員職人タイプに見えますけどね)。

 そういうぼくは職人タイプで、「自分のタシにならない知識」は嫌いだし「人気取りの方法論」を知ってる人を尊敬する。ゲームでは負けず嫌いだけど、負けてヘコむのは勝ちたかったからじゃなくて自分の実力が発揮できなかったから。
■ キャンペーンの予定
Date / 2003-10-07 (Tue)
 月曜日は、HARD-WIREDさんちにゴローさん、大槻牧場さんを集めて、今度始めるサタスペキャンペーンについての打ち合わせをしていました。
 相変わらず大槻さんはバカでした。どうもプロファイリングをしてみたところ、大槻さんがバカになった原因はぼくだ、という結論になるそうです。だから、ぼくが彼のハンドルを握る責任があるのだとか。

い「つ、疲れる。この人は普段はまともやのに、なんでことRPGの話とか萌えの話になるとこんなにバカなんやろうか」
H「何言ってんですか。そこが萌え所なんじゃないですか」
い「そうかなあ……」
H「もし大槻さんがナオンだったら凄い萌えるんじゃないかと」

 大槻さんがギャルゲーのヒロインだとすると、ぼくが主人公(目の前で萌えイベントが発生しても動じない系)で、HWさんはそのヒロインが本命のクラスメイト(ときメモの好雄系)っぽい、とのこと。




・漫画版マリみて
 確認。
 例のカラーイラストがアレげだったというだけで、中身は少女漫画として見てアリな絵柄でした。
 他の人の感想からの受け売りですが、聖の表情を女性的にアレンジしているのは良いと思います。

 ところでマーガレット的には浮いてるんでしょうか、この漫画。普段読んでないからワカラン。瞬間的な売り上げはエラい伸びたんでしょうけどね……。




 以下ニュース。

サタスペ公式サイト仮オープン
 まだ扉しかないです。

太田克史トークセッションのレポート
 とりあえず、佐藤友哉は講談社以外の出版社から本を出してみてほしい。
 あと、「商品」よりも「小説」を書いてほしい。
 ……方法論じゃなくて願望だけを述べてみました。
■ 無題
Date / 2003-10-05 (Sun)
 トップ更新。
 可南子絵再挑戦。キャラデザするなら今のうち、っていうことで。

 しかし、ぼくがリアルタイムで新刊を待つのは、これが最初になるわけですか。マリみてに関しては、語るところの引き出しを出し尽くした感があるので(ちょっとだけ残ってますが)新刊はフツーの読者として読むことになりそうです。
 ネットであれだけ二次創作が氾濫したのは、やはり「新作を待つ」ことのフラストレーションが凄かったんだろうな、と実感したりしています。




 今日は凄く久しぶり(年単位に久しぶり)にアニラジばっか聴いてます。ここを参考にしつつ。
 番組のノリ自体は数年前と全然変わってないですね。なごむなあ。ただ、パーソナリティの世代交代はしているわけで、お気に入りの声優が見つかればもっと面白いんだと思いますが(一部世代交代してませんが、さすがに林原のトークを今更聞かされても……)。
 そして浅野真澄のしゃべりはちょっと良かった。

 声優文化、そして学生層向けオタク商品(ラノベとか)のコマーシャルは、やっぱラジオが中心なんでしょうね。うむ。
 ウェブ以外の情報ツールが生きてることが分かると、なんか安心できますね。次は声優雑誌でも読んでみるかな……。




(23時25分追記)
 以下ニュース。

ノート人生という憂鬱のためのアーカイヴズ
 ウチでは既に紹介済みのサイトですが、はてなアンテナで更新チェックできない人のためにリンク張っておきましょうか。
 時代によるアメリカと日本の距離? という話で、これはからすさんあたりがまた興味持つんじゃないでしょうか。

サタスペキャンペーン終了(10/4 空とぶ速水螺旋人
 近年まれに見る「成功したキャンペーン」だった赤ずきんキャンペーンが、無事に最終回を向かえた様子。おめでとうございます。
■ シェア・ハイト『なぜ女は女が嫌いなのか』
Date / 2003-10-04 (Sat)
 昨日は取り乱しました。気を取り直して。

 以前、こういう反応おどりこ)をいただいたんですが、その理解は正解に近い、と思います(というか、ぼくはこの問題をそこまで考えてなかったんですが)。

>この考えでいくと「女性が女性に対して〜」というのは欠落している(性の非対象性ということでしょう)ように見えるのですが、(中略)いずみのさんの論に従うと「スール制度という発明」(いずみのさんの9/4のマリみて論)はさきの「女性が女性に〜」に与えられるべき新たな物語(「恋愛物語」「友情物語」と同置される「スール制度物語」ということです)なのかもしれません。

 なるほどその通りかと。もっとも、スール制度が特別に新しい発明というわけではなくて、吉屋信子の時代からそういった物語が紡がれていたのだと思いますが。マリみてが行ったのは、その現代的なアレンジなんでしょうね。
 ちょっとここらへんに関係のありそうな本を紹介してみましょうか。
 これは有名なフェミニズム(レズビアニズム)書籍なのかもしれませんが、マリみてと絡めた記事を読んだことがないので、一応。バトラーやセジウィックは良く出てくるのにね。

■シェア・ハイト『なぜ女は女が嫌いなのか』
 こんなタイトルですが、原題は“THE LOYALTY TABOO BETWEEN WOMEN”(=女性間の貞節に関するタブー)。「女性同士が仲良く」な体験談や告白の紹介が主です。たぶん体験談の選別には恣意的なものがあるでしょうし、取材対象に東洋女性が含まれていなかったりしますけどね。
 それと、まぁ、体験談の部分は普通に「萌えバナ倉庫」としても楽しめるので(笑)、そのテの百合物件が好きな人が読んでも面白いんじゃないでしょうか。

 著者の主張は以下のようなものです。

 私が提唱するのは「単なる女友だち」関係でもなく、「レズビアンの恋人」関係でもない、新しい人間関係という「文化的制度」です。

 なんとなく既知感を覚える文章ですね。この提唱に対して、華麗にアンサーを返した作品がマリみてに他ならないわけで。
 ハイトの主張もマリみてのスール制度も、現実に対して理想論的なのは確かでしょう(マリみてに文化的/政治的な意図なんかは有り得ませんし)。
 それでもマリみての女性ファンダムで「スール制度ごっこ」が試行されている話を聞くと、ああ、これは理想的なフェミニズムだなあ、とか思って安心するのですが。
#なぜぼくが安心するのかというと色々理由があって、長くなるので今回は割愛します


 加えて、余談。『なぜ女は女が嫌いなのか』によると、「女性同性愛」というのは後天的に目覚めるモノで、しかも「目覚め」の年齢を統計すると、20代あるいは40代のどちらかに殆ど集中してしまうのだそうです。
 そういう視点からでも、10代の少女である聖・栞・静を同性愛者と断定できなかったわけですね。百合の定義が「少女同士」に限定されがちなのも、この年代的な問題があるのかもしれません。
 逆に「保育園の頃から保母さんを意識して見ていました」とか告白する、「先天的に女性が好きな女性」のケースもあるわけですが、そちらは性同一性障害と呼ばれる、別のケースの可能性が高いでしょうね。
 しかし、ここで気になってしまうのが、マリみてのアリスくんです。男友達から「おかま」と呼ばれつつ、祥子の妹になることを夢見た彼の存在を、山百合会はあっさり「中身は女の子」と認識して許してしまうのだけど、彼は性同一性障害者とも女装趣味ともゲイとも「創作世界の架空キャラクター」とも区別がつかない状態なわけで、ちょっと居心地が悪かったりします。そんな彼を受け入れてしまう、山百合会の懐の広さは表現できてるんですが。
■ 美少女漫画の世界
Date / 2003-10-03 (Fri)
 あー、ここらへんのことはもっともっと語りたいのだけど、語るべき対象が無いのが今なのだ。
 なんで俺はギャルゲ雑誌の百合企画のレビューなんて書いてるんだ? 答:他に語るべきものを見つけられないからです。
 更科修一郎さんも、どこかで「エロ漫画はもう終わり」みたいなことを言っていたみたいですし。

 このことに関しては自分語り(それも普段隠してる方の)にしかならないですが、いずれ詳しく書くかもしれません。いや、やっぱり封印するべきかなこれは。いや
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第6回
Date / 2003-10-02 (Thu)
 ちょっと日記として迷走してるような気もちらほら。
 水面下でマリみて考察更新してました。日付は「2003-09-04」です。Searchに日付を入力して検索したら読みやすいかと。

佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第6回
 うん、また面白くなってきました。最初からここまで一気に読みたかったな……。
 那緒美はいいキャラだと思います。
 ラストで××がピンチ。ん? えー、あれ? あー、もしかしてそういうことか? 200X年に××が○○○になってるのって。




・「ストロベリー・パニック!」第1回
 今月の G'sマガジン購入。
 シスプリ2ファンディスクの千影イベントに萌え死につつ、問題の記事を確認しました。やっぱりパッと見のインパクトというか、キワもの感は凄いですね。キャッチコピーが「妹+百合の甘〜い誘惑」てアンタ。くらくらしますね。
 で、「ストロベリー・パニック!」にひとつ独特なのが、「業界初の男性向け百合企画」という高いジャンル意識でしょう。これがどう活きるか。
 そして欠陥的なのは、(いくらパクリと言っても)この作品には「スール制度」に代わる関係性が存在しない、ということ。このズレは埋めずに進めるつもりなのかどうか。

 ちょっと自分語り。
 どうしてぼくが公野櫻子の企画を追っかけるのかというと、彼女が常に「その時代の業界人に想像可能なマックス」を提供しようとしているように見えるから。
 ……単にマックスのネジが飛んでるだけかもしれません。が、ぼくはそういう個性をこそ愛する。
 でもパピーガールズは黒歴史です。

(16時10分追記)
 あ、ここで問題にしている「スール制度の欠陥」というのは、ジェンダー論的なハナシとはまったく無関係です。あのテのシステムは「オタク男性が世界に引き込まれた要素」として欠かせなかったモノなんじゃないの、という問題。
 ストパニ(略)の場合、妹の立場がどう使われるか、によって代換できそうな気もしますがそれは読者の反応次第ですね。




(23時35分追記)
 え???
 Coming soonって書いてる。
 本当だったら泣くくらい嬉しい。いや泣けるな。俺なら。
 でも仕事関係のHPになる可能性もあるわけだから、あまり期待しない方がいいんだろうか……。

 ちょっと前からはてなダイアリーまわりの東大率が上がったりなんかしているわけですが、その方々に一度訊いてみたいことがあって、それは、児玉和也という人物を知っていますか? という一言だったりします。
■ 紺野キタ『田園少年』
Date / 2003-09-30 (Tue)
 本買いの日。
 まずは1〜3巻しか持ってなかった曽田正人の『昴』を、第一部完(5巻)まで揃えてみました。
 ……あー、昴は可愛いなあ!
 いや、キャラ萌えだけじゃなくて。主に感動する方向でかなり好き。

 あとは紺野キタも揃えようとしてます。

■紺野キタ『ひみつの階段』2巻,『田園少年』
 2巻も良かったです。1巻に比べると、少しエピソードに深みが増してるような。相変わらず時系列がバラバラで混乱しますが、それも深読みができるから面白いですね。
 おや、「池波小説好きの美少女」が登場してる。「階段」の方が先(96年発表)ですから、これはマリみてがインスパイアを受けたんですかね──っていうかこういうのが定番のキャラ造形なのかも。

 そして『田園少年』はBLの短編集ですが、女性キャラも出てきますしソフトで読みやすいです。階段シリーズよりも『あかりをください』が好きな人は読んどけ、みたいな。
 んで、まだBL界隈には疎いぼくの言うことですから、何をいわんや、ですが、


a.
男性同士の(ソフトBLな)友情もの=女性視点から描こうとされる男性の友情

b.
男性同士の恋愛もの=男性化した女性同士の恋愛


……と認識して読んでるみたいですね、自分の場合。
 この両者をジェンダー論っぽく言えば、女性にとっては「緩やかに変質させながら移行できるもの」で、男性にとっては「峻別しながら読まないと困るもの」なんでしょう。
 a.はグリーンウッドの作者も作品でやろうとしていたことで、「男同士の友情を描きたい(見たい)」という欲求は一定女性の中にあるみたいですね。少年ジャンプの女性読者にしたって、大勢は「やおい的読み」ではなく友情を読んでるんじゃないでしょうか。これはアンケートしないと解りませんが(ジャンプの読者層は広い筈なので、全員が全員やおい女性とは思えない……いや、どうだろう)。
 また、b.は男性同性愛を描いているようで、実は女性同士の恋愛感情を描いているとも言える。BLとGLは表裏一体、と『百合姉妹』の編集者が主張するのはそこらへんが理由かな?

 これ以上は詳しい人の助言が欲しいところですが、ぼくの知り合いは男のショタ好きばっかりです(※王子はちょっと違うけど)。参考にならねえ。

(20時06分追記)
 もちろん、他にもa.b.の中間に「女性視点から描こうとされる“男性同性愛”」や、「男性化した女性と“男性”の恋愛」のパターンもあると思います。
 で、紺野さんは生粋のBL作家というわけではないせいか、かえってこれらのパターンを幅広く描ける、という印象ですね。
 でもBL漫画として期待して読むと、『田園少年』はあまり面白くないのだそうです(※参考:20分程度のネット検索)。

 あー、そうそう、そんな感じです半端マニアデジタル)。
 ……ん? あー。すると、マリみてを含んだGLにおける少女間愛情は、「少年間友情の模倣である」、という説はそう的外れでもなかったわけか……。(※ウチの日記の2003-09-11参照)
 ただ、それだけでGLを説明できるとは思いませんが。
■ 無題
Date / 2003-09-29 (Mon)
 サタスペページを更新しました。




 武装錬金はバトルが終わると面白い! ちぃ覚えた。

■ ストロベリー・パニック!
Date / 2003-09-28 (Sun)
 金・土曜は、IRCでサタスペのオンライン・セッションをやったり、京都のゲーム交流会でゴローさんDDのサタスペセッションを見学したりしていました。
 サタスペページの方は更新してなくてすみません……。実はオフラインで4セッション、オンラインでも2セッションは遊んでるんですけどね。プレイレポートを書くカンを忘れてるみたいです。
 でも HARD-WIREDさんがまた、ダイスbotのバージョンアップをするって言ってましたよ。




「ストロベリー・パニック!」フライング情報(【G's】ギャルゲ誌総合【DearMy】第4号【ラズ】)
>ストロベリー・パニック!
>公野櫻子&真木ちとせ(新人)のコンビ。
 公野御大キター。
 やっぱりそう来ないとな、と正直嬉しくなっちゃいますよ。(

いずみのさんは、シスプリも作者萌えで読む人です(作者萌えの占める割合が全体の50%くらい。後は千影と可憐と四葉を足して35%くらい。ごめん千影。でも妹にしたいのは公野さんじゃなくてお前だ)

>舞台となる学園は聖ミアトル女学園、聖スピカ女学院、聖ル・リム女学校。全てお嬢様学校。
>3校にはそれぞれあなたの妹が在籍。
>妹を通じて様々な百合状況を楽しむ「百合メイキング企画」。
>今号では聖ミアトル女学園の生徒を紹介。
>
>渚砂(なぎさ)……妹。突然の編入に戸惑う毎日に。
>花園静馬(はなぞの しずま)……上級生。学園でも才媛の誉高い。
>月館千代(つきだて ちよ)……下級生。筋金入りの箱入り娘。
>涼水玉青(すずみ たまお)……妹の親友。なにかと体の接触も多い!?
>
>残る2校は次号紹介、誌上ゲームは1月号より開始予定。
 パクリもキター。
 でも凄い。最初から12人居る。しかもその内の3人が妹。っていうかなんで3校に分かれて入学してんだよ……。
 初撃のインパクトが強すぎて「いやパクリだし」とか言いづらくなる所が公野先生らしいなあと思います。

 ところで、もしこの作品の18禁同人誌が出るとしたらどうなのだろう。その事実と、マリみての18禁同人誌が出ないことの事実はどう関連するのか。
 もっとも G'sの連載陣の中ではシスプリのエロっちさが異彩だったわけで、ハピレスや双恋のエロ同人自体はあまり見かけないんですけどね。

参考:イラストはこの人みたいですね。女性イラストレーターとしては割とニュートラルな絵柄だと思いますが商業掲載だとこのくらいの方がいいのかも。天広氏の如く、連載中に急成長する可能性もあるわけですし。
■ 今週のネギま
Date / 2003-09-26 (Fri)
赤松健『魔法先生ネギま!』26時間目
 うわー、なんか魔法ものとして普通に面白い気がしてきました。
 カードシンボルだらけのキャラカードとか見るとゲーマー的にハァハァしますね。あのカードが肉体派クラスメートの人数分出現するわけかー。
 問題は、剣術っ娘あたりはともかくカンフーっ娘が萌えないなあってとこですが。
 しかしぼくはクロスオーバー厨なので、次の京都編を楽しみにしちゃってるわけですよ。うーん。
■ 本多孝好『ALONE TOGETHER』
Date / 2003-09-25 (Thu)
■本多孝好『ALONE TOGETHER』
 うまい小説だと思います。
 主人公の設定を少しずつ、小出しに説明していく「焦らせ構成」がなかなか絶妙で、次第に「ALONE TOGETHER」というタイトルの意味が理解できるようにもなる。
 主人公の能力描写なんかもカッコいいです。
 テーマ的には、善人とも悪人とも言い切れない人間がどう世界と折り合いをつけていこうか、という話ですが、その善悪判断が読者任せの解釈になるように書かれているのもうまい所ですね。
 帯のアオリ文の「この物語はあなたにはどう響きますか」を地でいってるような小説でした。

■今野緒雪『マリア様がみてる いばらの森』
 マリみて考察が過去ログに埋もれてしまいましたが、なぜ停滞していたかと言いますと、ぼくが手元に「いばらの森」を持っていなかったからだったりします(軽く読んだことはある)。そこで大槻牧場さんから「いばらの森」を譲っていただきました。感謝ー。
 今前編を読み直したところなんですけど、えらい面白いですね。今更ですけど。白薔薇に転ぶ人が多いのも納得です。今更ですけど。
 あと普段着の由乃さんに普通に萌えたりもしました。

(06時44分追記)
 後編@実はちゃんと読んでなかった、読みました。マリみてで泣かされたのはこれで3冊目になるでしょうか。
 手前味噌ですが、いい読み方ができました。今あるシリーズの中で、最後に読んで良かった巻だと思います。
 「いとしき」での蓉子・志摩子・祐巳、後での加東景との関係で、聖の性質やある程度の回復を知っているからこそ、集中して読めたのではなかろうかと。そういえば、「パラソル」の場合も「休暇」の休暇っぷりを先に経験していたから、あのクライマックスが強化されたような気もします。
 今野さんの文章は、そういった「この先どうなるかは大体知ってるけど読めてしまう文章」に向いているんでしょうね。言い方を変えると、「結果」よりも「過程」を濃く見せるスタイル、ということかもしれません。

 あと、ジェンダーや百合定義の疑問も整理できていた状態だったので、聖と栞の関係で性的混乱をきたさなかった、というのも大きかったと思いますけど。

(20時30分追記)
 吉屋信子と「いばらの森」との絡み(【百合姉妹】百合漫画総合スレッド3【続刊決定】)。

266 :名無しんぼ@お腹いっぱい :03/09/25 18:21 ID:y6pe5/he
>>260
吉屋信子の百合でハッピーエンドの話はほとんどない。
あっても単行本未収録だったり。
吉屋信子は「なんて不幸な私…ウットリ」という性格ではなかったかと思われ。
それがまた当時の読者にはウケた。


267 :名無しんぼ@お腹いっぱい :03/09/25 20:14 ID:tGiyB9uK
>吉屋信子の百合でハッピーエンドの話はほとんどない
そうか、マリみての「いばらの森」はそこらへんを意識してたんですかね。

作者も(ネタバレ)だったし、あれは吉屋作品の現代版として
書かれていたのかも。


 なるほど、殆どハッピーエンドだけを描こうとしているマリみての中で、作中作である「いばらの森」だけがそうでない、というのは興味深い。
 たぶん、今野さんは他のシリーズでは悲恋モノを書いているような気もしますが(ホントは作家研究とかしたい、でもそのためだけに読むには量が多いしなあ。うーむ)。




屈託なく自分の隣をすめてくれる子
 今回の音さんの絵ははかなりツボに入ってしまったので紹介。
■ 本多孝好『MISSING』
Date / 2003-09-22 (Mon)
 芋づる式読書のその2。
 進井さんのレビューにあった本多孝好に挑戦です。

■本多孝好『MISSING』
 とりあえずデビューの短編集から手をつけてみました。
 トリックも途中で先が読めるし、一人称の主人公の性格が感情移入しにくいしでイマイチかな、と思っていたんですが……ラストの「彼の棲む場所」がかなり良かったので評価が上がりました。

 ちなみにトリック自体を楽しむタイプの小説じゃないんですけど、なんというか、「トリックが読めても読める」レベルの文章には至ってない印象なんですね(ラストを除いて)。
 主人公に感情移入できないのは「京極堂の関口に感情移入できない人の気持ちってこんな感じなのかも」と思ったり思わなかったり。まぁ、つまり相性の問題だと思われます。
 次は長編の『ALONE TOGETHER』に行きます。






 唐突にラクガキ、『鏡姉妹の飛ぶ教室』から赤荻宇沙里嬢。
 なんかやたら描きやすかった……。

 しかしこういうの描いても、書評系サイト専門の萌えミシュラン(なんだそりゃ)なんて無いから捕捉されないんだろーなーとか思いつつですが。
■ 無題
Date / 2003-09-20 (Sat)
「手を握る泥棒の物語」映画化
 へー。
 で、第四部のノベ(略
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第5回
Date / 2003-09-19 (Fri)
・座頭市観に行った人達の妄言(つづき)

「あの座頭市なら、孔濤羅と戦って勝てる!」
「ヴェドゴニア世界やと微妙かなあ」
「いや、ヴェドゴニア相手でも弾丸弾きながら近づいて首斬り落として終わりやろ」

 それは最強すぎ。

佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第5回
 更新してました。
 読みました。うーん、今回は評価しにくい……(最初のキャラの扱いとか)。
 登場人物が増えて混沌としてきました。
 そして小柄ツリ目ツインテールと聞いて普通に萌えキャラ変換している自分が居てイヤな気分に。
 この路線のイヤっぷり(オタク的データベースを逆手に取った設定)は、むしろ初期の鏡家サーガを思い出しますね。
 そうか、そう考えると、戯言シリーズって既にデータベース化してるってことなのかな……。どうなんでしょ。




・チャイナが描きたくなる発作
 →が被害者の女性。

 うーんさすがに練習不足ですよ(二十日間くらい絵描いてませんでした)。
■ (映画)『座頭市』
Date / 2003-09-16 (Tue)
・マリみての系譜論を前提にして
 「クララ白書」の初巻発売が80年、「グリーンウッド」の1巻が87年。
 すると当然、「グリーンウッドは女子寮モノの反転読み替えである」っていう言い方も可能なんですね。両者を同列に並べている人も居ました
 もちろんその一点だけを主張することはナンセンスですし、「作品の系論」と「ムーブメントの系論」は別のものとして考える必要があるわけですが。
 オタク界のムーブメントとしてなら、グリーンウッドはオリジン的なものと扱っていいと思います。それをマリみてのムーブメントと関連付けて考えることも大事でしょう。

 ……てなことを考えて検索してたら、グリーンウッドにもこういう作品論があるんですね。
 「カップリング的読まれ方」や「ユートピア的な閉じた世界」……といった言説が存在する中で、それらに対するカウンターとしての評価があるというのは、どの時代でもそうなのかもしれません。




■(映画)『座頭市』
 阪神が優勝した日に観てきました。

 ぼくは結構好きです。最近観た映画の中では「HERO>座頭市>フルスロットル」くらいの位置でしょうか(微妙な作品セレクトですが)。
 北野武がエンターテイメント指向の映画で売れたのはこれが初めてですよね。本人はハナっから肩の力を抜いて作ってるのが見え見えですけど、その抜き加減がいい方向に向いてると思います。

 殺陣の良さや、たけしの絵面がメイン。役者としてのビートたけしが好きな人は観て損はしません。
 ……あと、割と「意味無し演出」的に評価されがちなタップダンス(というかスタンプ?)ですけど、いやーあれはいいものですよ。単体で創作芸能として通用するレベルだと思います。特に、外人がいきなりあれを観たらびっくりするだろうなあ。
 ちなみに、HARD-WIREDさんは音楽人間らしくショックを受けたのか、劇場を出るまで足腰がフニャフニャになってて、歩行がおぼつかなくなってましたよ(音楽からそこまで影響を受けられるのもちょっとうらやましい)。

公式サイト
 この Flashの音楽聴くだけでもけっこうキますねぇ。




・一緒に映画観に行った人達との会話

「神戸に新しいメイド喫茶できたらしいな」
「せやろ。その店のメイド、客が来た時に『いらっしゃいませ』やのうて『おかえりなさいませ』って言うらしいで」
「ほんまか。店やのうて、そこが自分の家なんや(笑)」
「ほんまほんま。せやから、客が出る時は『いってらっしゃいませ』らしいで(笑)」
「それはちょっと、確かめに行かんとあかんのちゃうか(笑)。あと、どこまでその設定でロールプレイできるか試してみたいな」

「次は何喫茶がアツいやろな」
「次はお嬢様喫茶がくるらしいですよ」

 と言って、あんよさんのお嬢様喫茶の企画(06.24_02)やマクドナルドの新サービス(8月20日〜22日)の説明をするいずみの。大ウケ(ネタにしてすみません>あんよさん)。

「(その後、やくたいの無い喫茶企画の話が小一時間続く)せやけど、○○喫茶のネタはそろそろ出尽くしとる感があるなぁ」
「あ、今突然閃きましたよ。『オペレーター喫茶』ってどうです? 店内がオペレータールームで、店員が女性オペレーター」
「客の立場は?」
客の呼称は『目標』です
「敵扱いなんか(笑)。ほな、『目標にカフェラテを発射します!』、とか言うとるんが客には聞こえんねんや(笑)」
「言いますね(笑)。あと店長もロールプレイするでしょう。『ケーキが焼き上がるまでに 360秒必要です、店長』」
「(応じて)すると店長が『遅すぎる、180秒で終わらせろ』(笑)」
「あと、『かまわん、新メニューに切り替えろ』『しかし、あれはまだ実験段階だぞ……』とかも言いますね」
「その『しかし〜』って言ってるのは誰やねん」
店長の斜め後ろに立つのが仕事の人です」

「オペレーター少女が悲鳴みたいな裏声で『ハンバーグが生焼けですっ!!』と叫ぶ」
「うーん、営業上のトラブルはなんでもネタに変換できますね。オーブンが止まった時とか」
「店内の CAUTIONランプがしょっちゅう光ってそうやな(笑)」
「ネルフの司令室みたいに、壁一面 CAUTIONランプなんでしょうね(笑)」
「システム復旧時のマニュアルがやたら複雑で、全部読み上げなきゃいけないんですよ。『マニュアルAを試せ』『動きません!』『マニュアルBだ』『はいっ。秒読みどうぞ! 3、2、1…………駄目ですッ!!』」

「忙しい日とか演技しがいがありますね。『……客? まだ来るの』」
「そこまでやるとなると、店側でイベント用意するやろうな」
「厨房室……いや、機関室にトラブル発生とか」
「体格の小さい調理人が狭い隙間に潜ってバルブを閉じるんですね。『室長、私はあなたよりも小柄です。あなたは必要な人間だ』」
「その小柄な人の、末期の叫びが店内放送されます」
「ヤな喫茶だな」
「もし閉店する時なんかも見せ所ですね。店長が『私はこの喫茶店と運命を共にする』」
「私達も一緒に居させてください!(笑)」
「良く聞け! 店長として最後の(以下略)」

 お前らヒートしすぎです。
■ 氷室冴子『クララ白書I』
Date / 2003-09-15 (Mon)
 最近は読書対象を増やしたい気分なので、色々「芋づる式読書」に挑戦しています。
 とりあえず、フィールドワークも兼ねて『百合姉妹』繋がりからセレクト……の続き。
 余談ですが、過去に少女漫画を全然読んでこなかった自分にちょっと劣等感を感じつつあるいずみのです。

■紺野キタ『ひみつの階段』1巻
 少女漫画というより創作少女と言った方がいいらしい。
 全編がなんというか独特の少女世界で満ちていて、うわーーっと圧倒されます。降参。人物の絵も凄くいいです(特に絵柄が変わったあたりから)。
 読んだあとで「あれ、この漫画に百合描写ってあったっけ?」と首をかしげるくらいなんですけど(読み返すとそこそこ見つかる)、これは「百合を感じさせない爽やかさ」などというより「別にそういう感情がここに存在してても不思議じゃないか」的な雰囲気のせいかな、とか。

■氷室冴子『クララ白書I』
 こちらは「少女小説」の勉強用。初版発行がぼくの生まれた年ですか……。
 最初は割とドタバタ劇が中心でどうかなーと思ったものの、ラストあたりは綺麗だと思います。しかし、ヒロインが病院で遭ったコトにはマジで同情しましたよ!(よくもまぁあんな痛そうな描写を……)




アニメ版マリみて公式
 キャラデザは、ウテナとかエスカフローネみたいな「少女漫画風アニメ絵」のラインっぽい。基本は男性アニメーターの絵柄なんだけど少女漫画っぽくも見えるデザイン。

 ぼくがアニメ版に期待していることはほぼ一つで、オタク向けに生産されるアニメ(特に、細分化した少数のユーザーだけに消費されるアニメ)に何らかの影響を与えられるか、という点に尽きるわけです。アニメは誰に向かって製作されるのか、という問題でもあります。
 これは本当に先が読めなくて面白いと思うと同時に、もし今回のチャンスを逃した場合アニメはそろそろ後がないだろう、という危機感も感じています。まぁ、これは商業上の危機について言ってるんじゃなくて、ぼくがアニメ文化に抱いている感情から来るものですけど。
 まぁとりあえず関西でも見れるみたいなので安心。でもテレ東系……う、うーん。
■ 今週のネギま&マリみて雑文
Date / 2003-09-11 (Thu)
笠井潔「人間の消失・小説の変貌2 相田裕『GUNSLINGER GIRL』」
 えーっ、何やってんだ笠井潔。いや、笠井潔自身は良く知らないんですけど、ぼくは。
 しかし読んでみたいですね、これ。
 この雑誌かー。→「ミステリーズ!」

赤松健『魔法先生ネギま!』25時間目
 魔法対決のシーンはTRPGの戦闘っぽくて面白かったですね。
 イニシアチブ順(イニシアチブ値は変動制かな?)に宣言、「宣言=呪文の数値的な内容」なので、「競り」の要素がキーになってくる。
 キャラクター達も(直接描かれてない部分で)そういう「システム的な定石」を意識しながら戦ってるように見えて、いいですね。
 しかし、ネギまを漫画的に「面白い」と思って読んだのはこれが初めてかもしれない。(

いずみのさんは、作品やキャラよりも作者に萌えるタイプです

 大泉実成(綾波萌え)・東浩紀(アスカ萌え)・竹熊健太郎(庵野萌え)の三人の中で言えば、断然竹熊健太郎タイプ
 ちなみに、赤松さんはぼくが最も「尊敬」している漫画家、と一応公言しています。
 以前結城さんと「マリみてのキャラに萌えはあまり当てはまらない」という話をしていた時も、無意識的に「まぁ、俺は作者萌えやしな。今野さん萌え……あっ」という言葉がポロリと出てしまって(自分でも)唖然としましたし、もし佐藤友哉を家に呼ぶことでもあろうならば、ニコニコしながら手作りパスタをご馳走する姿が容易に想像できます(竹熊は庵野さんを自宅に招き、手作りカレーで歓待したという逸話あり)。
 でも佐藤友哉をユヤタンと呼んだりはしなかったり。アイドル化とは違うのよ。作家萌えは。

 まぁ、自サイトに 100萌えなんかを載せてるくらいですから、キャラ萌えの回路自体は持ってるっていうかそれなりに感度は高く設定しているつもりですが。それが無いと面白さが理解できない作品のケースも多いですし。




 以前のマリみて考察が途中ですが、ちょっと思いついたことがあったのでそれをひとつ。

 少年漫画でも映画でもなんでもいいんですが。やおい女性が「男と男の友情モノ」の中に恋愛性を見てしまうのは、当然ながら「作者の隠れた意図」でも「隠された構造」でもなく、読者の一方的な「読み替え」に他ならないわけです。

 それに対して、男性読者が「マリみて」に登場する女性達の仲の良さについて「百合ってほどじゃない」とか「これは友情のレベルじゃないの」とか、そこから更に発展して「少年漫画的な男同士の友情を女性の姿を借り、過剰な形で(男性同士では不可能なレベルで)演じている」、という感想を持つこともできるわけです。わけですが、これも読者側の一方的な「読み替え」ですよね。
 少なくとも、ぼく自身も「女性間で行われる、理想的な友情」、と意図的に読んで楽しむことはできます(そもそも、ぼくは西森博之の言う「異性同士が助け合う話よりも同性同士が助け合う話の方が深い友情を描ける」発言が好きですし)。
 ですが、これも当然ですが作者が意識して書いているとは思えません(可能性があるとすれば、「少年漫画→BL→BLの裏返しとしてのGL」という流れで男性間的な友情が「遺伝」しているというストーリーが考えられますが)。

 ここで思い浮かぶのは、ものすごく一般論的な言い方になってしまって作品論的じゃないんですが──「女性は恋愛的にしか愛情を認識することができず、また、男性は友情的にしか愛情を認識することができないんじゃないか?」という仮説です。
 これが先天的なものによるのか、後天的な社会生活・読書経験によるものかは判りませんが……。
 すると男性が「ああ、俺、恋愛しとるんや」などと実感している瞬間、彼は「異性に感じている友情を恋愛と錯覚している」ということになるんでしょう。……フツーの恋愛論っぽいですねぇ。
 逆に言うと、男性には「自分が感じている友情を恋愛に錯覚する機能」が備わっているということでもあり、つまりヘテロの男性が同性愛を嫌悪するのは、その機能にスイッチが入った瞬間、いつでも「男同士の友情は恋愛に錯覚可能である」、という恐怖を本能的に知っているからかもしれません。お、既存のジェンダー論に繋がってきましたね。セジウィックっぽい。

 この仮説が正しいとすれば。我々男性がマリみてを読むに際して、男性は「友情しか実感できない」「恋愛感情を知っているわけではない」「そもそも恋愛は友情の錯覚でしか起こりえないかもしれない」、といった事柄を(個人差はあるにしろ)意識しておいた方がいい、ということになるかもしれません。百合だ百合じゃないという前に。
 マリみてのようなソフト百合作品を恋愛的に読もうとした場合、「実作品→友情→恋愛」という、二段階の読み替えが必要になってくるから感情の判別が難しい、とも言えるわけです(聖や蔦子はちょっと別。あれは「男性的視点の持ち主」という別の読み替えフィルタを使う人が多いと思います)。
 付け加えるなら、マリみてが「萌えである/ない」という疑問になかなか判断を下せないのも、萌え感情と恋愛感情が決してイコールではなかったという歴史が関係しているかもしれませんね。


 そう考えるなら、以前 YU-SHOWさんが感じられていたような負い目……、まぁ「腐女子の男性版になってしまうかもしれない」という感覚でしょうけど、それは感じなくてもいいんじゃないか、とも思えるわけです。
 逆にやっちゃうとマズいのは、女性キャラ同士に恋愛関係を見出すことじゃなくて、過度に「(友情の視点だけで)少年漫画的に読み替えてしまう」ことかもしれませんね。
 こういうの
ttp://pure-c.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/oekaki/bbsnote.cgi?fc=repost&l=697
なら遊びとして面白いレベルなんですが、例えば「少年○ンプ」クラスの同人屋が本気で「少年漫画フィルタ」に通してしまうと、あわわって感じるわけです。
■ (ウェブ)CAPT.NYAKO「PsychoTrigger」Episode 12
Date / 2003-09-09 (Tue)
サイコトリガー、ひさびさの更新NEKOCUBE
 読んだことない人は一話目から読むよーにー。ヒロインが可愛いのです。
■ 佐藤友哉『フリッカー式』新装版
Date / 2003-09-08 (Mon)
■(雑誌)『ファウスト』
 漫画ライターの立場しばたさん)から、ミステリ漫画誌を立ち上げるのはどうだろう、という意見。
 ファウストは漫画的なものが小説(新本格)に溢れだしていく、どちらかと言えば「一方通行の流れ」に価値を見出しているみたいなので、あまり思い浮かばなかった需要ですね。
 漫画メインに読書している人、というのはやはり居るわけで、そういう人もミステリを読みたいものなのかな、と思いました。
 まぁ、問題はファウスト自体にミステリ色は無いので、「コミックファウスト」はミステリ漫画誌にはなりえないってことなんですが。

・舞城王太郎「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」
 女性よりもより女性的になってしまった少年の話。
 ……って書くと簡単に構造分析が終了してしまいそう。『ビデオドローム』とかああいうの? いや、それだけの話じゃないんでしょうけど。浅いのか、深いのか良く判りませんね。
 色んな認識がないまぜになっていく感覚の描写は好きです。
 あと、舞城は美少女漫画読むの好きなのかな、とちょっと思いました。テーマ的にはまんま美少女漫画の世界。いや、そういうの好きなんですけどね。

・佐藤友哉「赤色のモスコミュール」
 ちょっとノーコメント。賛否の意見がともに想像つくんですが、今はこういうのもアリなんじゃないかとだけ一応言っておきます(文章的には結構琴線に触れました)。
 93年って、ちょうどVガンダムが放送してた頃か……。あとJリーグ元年ですね。
 
・西尾維新「新本格魔法少女りすか」
 パラパラ読みしかできませんでした。誰かセンスのある人が評価してください。ぼくはもうダメ。

・東浩紀「メタリアル・フィクションの誕生」
 TRPGゲーマーが読むと怒りそうな「読み替え」が書いてありました。うーん。

・笠井潔「奈須きのこ×武内崇 緊急インタビュー」
 奈須きのこって、ホント普通のTRPGゲーマーで、メフィスト賞読者って感じですよねえ。それなりに読書家で、それなりに萌えを理解していて、それなりに分析とかちゃんとしてて。
 んで、TRPGゲーマー出身の書き手としては現在で最上位の人なんだろうなあという感じ。うらやましいです。

・斉藤環×滝本竜彦×佐藤友哉「ジェットストリーム・トークセッション」
 笑ったのは、「佐藤さんの露払いくらいのお役にはこの西尾もたてたかと思います」……ってそれ、いつもの「なんとなく会話になってるけど実際は意味の通じない西尾節の台詞」でしょっていう。でも人前で人格者なのは実際そうなんでしょうな……。

 ああ、あと、小説のイラスト。全然小説にあってない。あってるのは舞城くらい……ってそれは「バトル」でもなんでもないし。趣味先行でイラストレーター集めている時点で、まぁそうなるでしょうという感じですが。


■佐藤友哉『フリッカー式』新装版
 新装版を発見できたので迷わず購入しました。
 あと、クリテロが第三刷まで刷れてるのも確認。……ところで、JR新大阪駅の「談」には舞城佐藤西尾ファンの店員が居ますね(推薦文書いてた)。

 んで、フリッカー式の一部とクライマックスだけ読み返したんですが、面白いですね。ぼくは佐藤友哉の文章中毒なのかなぁと思うくらい。気持ち悪くて狂っているけどそこがいい、みたいなフツーの感想を漏らしてしまうくらいです(癒奈のセリフを発見して喜んだりとか)。
 「売れない佐藤友哉」というキャラ付けがない頃の作品なので、そこらへんを気にせずに楽しめるというのもあるかもしれません。

 今の佐藤友哉は多分、「売れない作家」という壮大な物語を書いている渦中に居て(それがフィクションとしてもメタフィクションとしても面白い物語であると同時に、今それしか書かせて貰えないというのは不幸なんだけども)、早くその世界を「救って(?)」フィクションの世界に戻ってきてほしいなと思います。




・あれとかあれとか読んでる人達の名称に関して
 個人的な本音は「今の段階で名前なんか付けたらマイナス効果の方が多いんやないの」なんですが、あえて突っ込んで考えてみると……。
 現代系オタとか言われてますが、そもそも80年代から始まるオタク族(あえて「族」)の直系ではない集団を「オタク」と呼ぶのはそろそろやめた方がいいんじゃないか、と思います。
 エロゲオタや萌えオタと呼ばれる人達も本来はそうで、共通言語として必要なオタク知識や日陰者人生を生きていく上での人生観を「過去の先人」から会得しただけであり、同じグラデーションの上で描かれるような人種ではない(、はずです。古参オタクがうっかり萌えに染まるケースもありますが)。
 ただ、ギャルゲーや萌え系のクリエーター・サイドは殆どオタクですから、彼らに「教育」されたユーザーをオタクの直系と呼ぶのは間違ってないのかもしれません。
 ですが、あれとかあれのクリエイター・サイドがオタクの直系かというと、うーん、と首を捻るわけです。それこそ「知っている」だけで、オタク文化を「生きている」わけではないでしょう。中には完全にオタクな人も居ますが(滝本とか。だから彼は部外者という気がします、このジャンルでは)。

 単に「鉄オタ」とか「洋楽オタ」とかの「○○が好きで、マニアって自称できるほど渋い趣味でもない人達」を指すオタクの定義なら、「ノベルスオタ」とか「ファウスト厨」で充分だと思いますがどうでしょうか。
 Jは「ゼロ年代」っていう言葉に拘ってるみたいですから、「ゼロ小説オタク」なんかでもいいかもしれません。
■ ファウスト発売記念
Date / 2003-09-05 (Fri)
 ぼくはまだ買ってないんですけどね、『ファウスト』。
 ていうかアメ村の本屋に無かった……。まぁアメリカ村の本屋っていうのはアート系&サブカル系に偏ってるスカした書店さんなわけで、コミックのコーナーにも「サブカル」とデデーン! と書かれた本棚があるくらい(ちなみにその中に冬目景が入ってるのが笑いどころです!)なのですが、ここは発注しないんですねー、ファウスト。
 サブカルの人はメフィスト賞とか興味ないんだろうなあと実感した次第(新書系ミステリの棚は非常に売る気のない陳列のされ方をしています。『四季 春』が置いてないくらいの売る気のなさ)。
 まぁ、たまたまとはいえ、アメ村で探したってことの方が悪いんですけど。

 で、なんかぼくの周囲ではプチ不買運動が興ってるっぽい『ファウスト』、ぼくは一応買う予定。完全に作家買いですよ……。




魔法少女りすか絵&ファウスト感想
 お友達の夢人さんがHP更新。ネタがネタなので一応リンクしておこうかと。
 そうですね。でもそこらへんの世間話よりかは、夢人さんの創作活動に関する方向性で語ってみたいです!(黒い私信)

『うろ覚えろ!!月姫』21話更新
 面白いなあ。
■ マリみて考察(更新3/4)
Date / 2003-09-04 (Thu)
 小説シリーズ「マリア様がみてる」(以下「マリみて」)の考察です。
 と言っても、せいぜい現状の捉え直しが目的なので、パッパと片づけていきたい。問題提議なども特にしないつもりです。ぼくみたいなタイプの物書きが結論を急ぐと、作品の賞味期限を縮めることになりますし(ぼくはわざと賞味期限を縮めるために感想を書くこともありますが、マリみてをそうするつもりは無いので)。


1.新しいソロリティ
 世に「マリみてブーム」は興っても「百合ブーム」は来ていません。それは「マリみて」の特殊さや、(ある面での)新しさゆえでしょう。百合ファンは「マリみて」の中に進化した百合を見ることができますが、マリみてファンが他の百合作品に「マリみて」を見ることはできないようです。そういう意味で、マリみてはエポックだと言えます。まだこのジャンルに名称はついてませんし、後続は生まれていませんが……。
 だから雑誌『百合姉妹』は、実は「マリみて」の便乗企画ではありません。出版にこぎつける過程や、客寄せ的には便乗しているでしょうが、『百合姉妹』は(見えない領域にあった)既存のジャンルに属するジャンル誌に過ぎないでしょう。

余談1:最近のニュースですが、「あの」『電撃G'sマガジン』が百合企画を立ち上げようとしています。これは 100%「便乗企画」なので、色んな意味で見逃せない展開ですよ。また何か驚かしてくれるのか、そろそろ大コケするのか?

 では、百合作品の中でのマリみては、どういう立場なのか。
 『百合姉妹』編集部によると、──ソロリティ(女子社交クラブ)を描いた作品として『おにいさまへ・・・』『丘の家のミッキー』、女子寮での生活を描いた作品で『クララ白書』『秘密の階段』などが挙げられており、「マリみて」はこれら女子校ものの最先端、ということになっています。
 作者である今野さんの読書歴は判然としませんが、マリみてが過去の「女子寮もの」や「ソロリティもの」を意識しているのは間違いないでしょう。ただし、作品内に「女子寮」も「ソロリティ」も登場しない点で、マリみては「女子寮もの」でも「ソロリティもの」でもないと言えます(その為、マリみての「源流探し」に挑戦して失敗する読者は多い)。
 とにかく、リリアン女学園においては「スール制度」「ロザリオの授受」といった、きらびやかな(耳こそばゆい)用語が「ソロリティ」の代わりに存在しており、これは単なるガジェットの置き換えではなく、その構造や、意味を変質させていることに注目したいところです。
 「ガンダム」がロボットアニメの世界に「モビルスーツ」「ミノフスキー粒子」という言葉を与え、後に「リアルロボット」というジャンルに変質させたのと同じ……、とまで言ってしまうと評価し過ぎですが、エポックメイカーとして認識する場合の雰囲気は近いと思います。

余談2:そういえば、マリみての「通り名」もこそばゆいですが、『おにいさまへ・・・』に出てくるソロリティメンバーのあだ名も調べてみると凄かった。宮さま、サンジュスト様、薫の君、モナリザの君、ボルジアの君、バンパネラの君、カトレアの君、メデューサの君……。マリみてのネーミングセンスが特別飛び抜けているわけではない、というのは解りましたけど。どっちが恥ずかしいかと言われたら微妙な勝負になりそう。

 そして、「スール制度」が変化させたソロリティとは何なのか。
 たそがれSpringPointさんの「マリみて」三性鼎立説で指摘されているように、リリアンでの性、というか愛情は、常識で了解可能な形をしていません。正常ではなく、かといって異常でもない。だから読者は戸惑い、正確な評価をくだしにくくなっていたと思います。
 これは、ただの先輩後輩の連帯感や友情から始まって、似たもの同士の信頼関係、主従関係、共依存関係、疑似家族愛、疑似恋愛、恋愛そのもの……といった、ありとあらゆる「絆」のパターンを「スール制度」というシステムに収納してしまったことから起こる「了解不可能さ」だったと思います。
 スール制度は実は、単純に「お姉さま〜妹」の関係性を描くものではなく、姉妹関係をも内含した「様々な関係性の容れ物」として有効に機能しているのだと。
 だからこそ、スール制度という「発明」の存在感は大きい。


 次からは、実際のスール制度のありかたを検証していきます。
 マリみてシリーズをひと流れのストーリーとして見た場合、主役として立っているのは紅薔薇ファミリーのラインですが、その脇に立つ姉妹は「スール制度そのものを象徴するために機能」しているように見受けられます。特にそれが顕著なのが黄薔薇ファミリーです。


2.黄薔薇ファミリーからのライン
 あまりメインのストーリーに介入せず、単独のエピソードとして描かれることの多い黄薔薇ファミリーですが、その分「作品の世界観を表現」することに貢献しているように思えます。シリーズ2作目である黄薔薇メインの話が、スール制度そのものに大きく干渉する物語を選んでいる点からもこれは窺えるでしょう。
 ここで散見できるのは、過去の「伝統・教育システムとしてのスール制度」から、現在の「自由で・過剰な関係性を主軸としたスール制度」への変化の描写です。

 今、旬なのは、何と言っても山百合会幹部たちだ。彼女たちを追いかけてさえいれば、読者たちはついてくる。まさに、機は熟したといった感じだった。
 (中略)山百合会の幹部たちにしても、こんなに粒ぞろいで個性的な人物が集まったことなど、過去になかったのではないか。(「黄薔薇革命」p43)

 当時、二年生にすぎなかった新聞部部長が、「過去になかった」と確信できるほど学園の歴史に精通しているわけでもないでしょうが。それでも、過去6年程度(彼女の先輩の先輩からの口伝だとすれば)遡っての「過去になかった」だと思ってもいいでしょう。
 新聞部からの視点で「今の生徒会はすごい」と評される描写は『ここはグリーンウッド』でも見られます。これは、マリみてにグリーンウッド的なものを読者に連想させる一場面でもありますが、両者が指摘している内容は微妙に異なっています。「グリーンウッド」がただ、二人の先輩キャララクターの実力や個性──言ってみれば「キャラ立ち」を強調しているのに対し、「マリみて」の場合は「生徒会内でのスール関係の変化」に目が向けられているように思えるからです(更に言うと、単なる「実力」で言えば過去の山百合会も優秀だったのではないか、という気もします)。
 そして山百合会幹部は学園生徒の価値観をリードする存在であり、姉妹関係の模範でもある。
 では、上から順番に黄薔薇ファミリーを見ていきましょう。

 「変人ぶり」が特に目立つ江利子ですが、主要人物の中で最も異性愛ディスコースの上に乗ったキャラクター、という側面も持っています。実の父兄との恋人プレイに付き合わされ、男性に一目惚れする彼女に同性愛的な気配は少ない。
 妹の令に対しても、「伝統」の範囲内にある愛情でもって指導しているように見えますし、令に貰ったバレンタイン・チョコレートを食べる時も(比較的同性愛的傾向の強い)令の気持ちをありがたりながらも「そういうイベントだから」と割り切っている様子が窺えます。
 おそらく、先々代以前(前薔薇の世代よりも先輩)のスール制度は、(「先輩への憧れ」などの色付けがあったものの)より格式的かつ家系的なものであり、江利子はその歴史の影響を最も古く受け継いでいるのではないでしょうか。たとえば、蓉子が持つ「親としての愛情」はかなり過剰ですし、聖の場合は明らかに例外だからです(僅かに触れられる、この二人のお姉さまの描写は興味深いものですが)。
 また、基本的にリリアンのOGは(「いばらの森」での問題を除けば)異性愛的ディスコースに生きていることを保証されている描写が多い。大抵が既婚者ばかりで、先輩への憧れを「宝塚的趣味」として片付けられる場面もありました。

 そういう旧世代からの視点で見ると、令と由乃の二人はリリアンに決定的な化学変化を起こした姉妹と言えます。特にベスト・スール賞に選ばれることで、彼女たちが新しい姉妹関係の憧れ、模範になった、とも(「黄薔薇革命」p45)。
 直接的な言及は避けられていますが、どう見ても同性愛者傾向が一番強いな、と感じる姉妹がこの二人です。直接的な言及がない、というのは、たとえば「恋人」という言葉を持ち出さなくても(実際は前出の p45で持ち出されてますが)、それ以外の関係性を示すものが彼女たちに豊富だからです。
 山百合会の幹部同士であり、スールであり、従姉妹であり、お隣さんであり、幼馴染みであり主従関係でもあり、更に部活の先輩後輩の関係まで獲得するに至る。これらの関係を高速で入れ替え、繰り返すことでこのカップリングの愛情は説明されます。

 ここで無闇に「令と由乃は同性愛者である/ない」という指摘をするものではありません。ですがおそらく、令と由乃の奇妙な関係が成立しているからこそ、他のキャラクターが「同性愛者である/ない、という追求」から免れているのではないかと思います(聖の存在によって免れている、という見識の方が一般的ですが)。

 そこであえて低レベルな指摘を加えてみますと、マリみての主要人物(蔦子あたりは除いて)にとっての性的世界は、「性的に感じない男性」と「性的に感じない女性」と「愛情を与えたい誰か」の3種類で構成されている、と言っておけば間違いないでしょうか。


 このように黄薔薇ファミリーを制度変化の象徴として捉えた上で、次は例外の集りである白薔薇ファミリーについて軽く触れようと思います。


3.白薔薇ファミリーからのライン
 ドラマとして考えて、スール制度の存在価値は、というと、関係性の容れ物の次に「救済のシステム」としての役割が見られます。おおよそ、スール関係を結んでも救われない生徒というのは存在せず、その確実性は「黄薔薇革命」においてより純化されていきました。
 この「関係を与えることによる救済」というのは漫画やアニメには良くあるパターン(例えば「家族に加える」「名前をつけてやる」「犬に首輪を与える」などのお約束)で、作者のファンタジー的な(ある意味ステロタイプな)想像力を窺うこともできます。

 ただ、白薔薇ファミリー(前々白薔薇も含む)だけは少し特殊なケースを持っていて、彼女たちはむしろ、スール制度と関わりの無い関係を築いた上で「学園社会の様式」に推された形でロザリオを手渡しているように見える。そしてロザリオ自体は「お互いに所有される保証」でさえあればいいと言うような。
 それでもスール制度は彼女たちの関係を強化し、安定させる力があるようで、これは(「関係性の容れ物」としての)スール制度が持つ容量の大きさを示すでしょう。
 原作とは全然関係ない話ですが、読者に「ラスボス疑惑」を妄想させた志摩子や、上田大王に「山百合会へのクーデター」を期待させた乃梨子も、スール制度に吸収されることで事なきを得ていたりするわけです。

 聖と栞、そして静の3人を持ち出した時に、「スール制度は同性愛者を排斥するのか」という疑問がつきまといますが、これは表面的には合っているけれど本質的には正しくない仮説だと思います。
 おそらく作者が描きたかったのは「直接的な同性愛ではない同性間の愛情」であって、その点、一度同性愛を「失敗」した聖が志摩子とオリジナルな関係性を築き、回復するというエピソードが「多様な関係性の容れ物」であるスール制度にとって必要な構成だったのではないでしょうか。
 そしてそういった非・同性愛的な関係性は、ソロリティものや女子寮ものの作品が蓄積してきた「オリジナルな関係性の集大成」でもあるかもしれません(意識的に集成した作品という点において、マリみては先進的だったのではないか。するとマリみては「ジャンルに自己言及的な作品」であるという評価もできます。軽く言えば同人的である、ってことですけど)。

 また、「いばらの森」の作中小説である『いばらの森』は吉屋信子のエス小説をモチーフにしていると指摘され、このことも、過去の作品で描かれる「古い関係性」からの脱却を指向しているのではないでしょうか。と同時に、エス小説の知識の無い若い読者の為に、過去のエス小説のパターンをティーチングできるという効果もあったと思います(ちなみに氷室冴子の『クララ白書』の場合、ヒロインは吉屋信子の愛読者である、という描写に留まっています)。

かなり余談:あるジャンルについて自己言及的な作品と言えば、やはりぼくはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を想起するわけですが。この作品もまた、過去のアニメ・特撮作品の「カッコ良さの集大成」でシリーズ前期が構築されていた。当時の年若いアニメオタク(ぼく含む)は、このシリーズ前期を見るだけで「アニメのカッコ良さ」のなんたるかを学べた上に、シリーズ後期に至っては「既存のカッコ良さに対する超克」を見ることもできた。ジャンルに対して本当に誠実な作品は、このように作られているべきなのだ!
 マリみてがエヴァ並に「誠実」だとは言わないけど、読者に対して「親切」な作品だなあ、と感じることは多いですね。
■ マリみて考察・序
Date / 2003-09-02 (Tue)
■タカハシマコ『まっかなおとこのこ。』
 ボーイズ・ラブ漫画を作者買い。うむ、なんとか冷静に読めます。興奮したりはしませんでしたが。




 BL作品なんて今まで数える程度しか読んでないんですが、「やおい」も含めたこのジャンルに対する個人的雑感をば。
 なぜ同性愛を描こうとするのは、BLであってもGLであっても女性なのか。
 逆に、男性が同性愛を描くことについて。
 男性の描く男色作品について考えるのは容易いでしょう。万国の古典や日本文学にも前例があるくらいですからね。由緒正しいジャンルなわけです。気になるのは「逆の性の同性愛を描く」ということについてです。

 男性が描く百合というのは、ぼくが知る限り「魅力的な男性なんか描きたくない(描けない)」という、男性キャラの否定や作者の技術的な欠落から発生してきたはずです。そこに恣意的な「同性愛性」は(僅かに後付けされるのみで──それも「背徳感」という、ありがちなエロティシズムでしかない──)無かったと思います。
 男性作家にとって「百合」というジャンルのレベル(思想性、と言ってもよい)がかなり未発達な理由はまさにそこであって、彼らはモトから同性愛を描きたがっていたわけではない。むしろ「フタナリ」や「ショタ」の方が、レベルも思想性も高いものに成長しています。
 ……ではなぜ百合は成長できなかったのかというと、彼ら男性作家は「女性性と男性性がミックスされた異性愛的セックス」こそが描きたいのであって、そこには「女性同士である必然性」が無かったわけですね。そして、一度女性同士の異性愛的な関係を「フタナリ」等に見出してしまった以上、「女性同士である必然性」に言及する必要も無くなったのではないでしょうか。

 やおい発生の現場も同じ(=女性キャラの否定)だったかもしれません。ですが、ここにおいて「性器の存在の十全さ」が「フタナリ」等を発明する必要を駆除してしまったからでしょう、当初は確かに「男性性と女性性がミックスされた異性愛的セックス」を描いていたであろう彼女たち女性作家は凄まじい勢いで「男性同士である必然性」に問い掛け、議論し発表し、海外のトレッキー・ファンダムやフェミニズム研究者と融合した上で、そのレベルと思想性を確かなものにしていったのだと思います。

 そして今では(外部からは窺い知れない細分化があるのだと思いますけど)、BLとGLの構造が交換可能なまでに変化し、セックスよりもむしろ、別の系の情報を読み取ることも可能になっているわけです。




 というわけで(というわけではないですが)、次回の更新予定は再び「マリみて」です。
 主に、小説としての立ち位置や性的構造の捉え直しが目的。前提としてあるのは「キャラクターノベル」「ソフト百合」「一過性のブーム」……と、いうことにしておきたがる言説の類ですが、そこから更にジェンダー論へ発展させるほどのデータベースをぼくが持っていないのが残念。

 章立ては以下のようなものをイメージしています。基本的に、シリーズを全て読んでる人向けの文章です。

1.新しいソロリティ
 スール制度という用語と、「ソロリティもの」の中のエポックとして

2.黄薔薇ファミリーからのライン
 学園の歴史の中で、現在の象徴として機能している

3.白薔薇ファミリーからのライン
 学園に吸収される異分子

4.妹候補の扱われ方
 制度化される以前の異分子




クラエスのインタヴュー
クラエソの日記
 なかなかウケます。クラエソの性格が黒くてかわいい。
 ふふふ、信じられるものか、微妙に間合いを外す、
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第4回
Date / 2003-09-01 (Mon)
・佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第4回
 特に山場のない回ですが、面白いです。鏡姉妹もキャラに味が出てきましたし、次の展開にも期待が持てます。

 カッコつけた台詞をいくら吐いても、俺って凄いんだぜっていう設定をいくら並べてみても、それで強いキャラクターになれるというシステムは存在しない──佐藤友哉の世界では。ただ一人、鏡稜子を例外にして。
 浩之ちゃんってのはそういう意味のキャラクターかと。勿論、前提としてあるのはあのシリーズでしょう。
 しかし、「彼ら」に対する「友情」も「打倒」も、屈折してるなあ佐藤友哉は……。本人にオフレコで訊いてみたい質問ナンバーワンですね、これ。

「ホントに好きなの?」「ホントは好きなんですよね?」

 って感じに(ただのゴシップ)。タチ悪い質問ですね。すみません。
■ 収穫
Date / 2003-08-31 (Sun)
 この日記に、「 "マリみて" ジェンダー」で検索してきた人が居るんですが、その検索ワードに便乗してサイト巡りなど。
 キャッシュしか残ってませんでしたが、こちらの論考がボリュームあって面白いです。
 ぼくは今まで知りませんでしたが、結構有名なサイトだったんでしょうか?(記憶に無いだけで、アクセスしたことがあるような気もしますが)

※参考/Googleのキャッシュの漁り方:
 読みたいリンク先の「ショートカットをコピー」→コピーしたクリップボードの中身を Googleで検索→検索結果画面の「Googleのキャッシュ」をクリック──するとキャッシュに飛びます

追記:
 そこから飛んで、更にこちら求道の果てさん)とこちらたそがれSpringPointさん)。
 ペインキラーさんの記事がキャッシュにすら残ってないのが残念です。




 つーか今読み直したら、髪型の描写で「ワンレングス」って書いてありましたとさ! まぁいいです。別人で。
 でもワンレンだったら、ただのおでこ丸出しよりも七三分けの方が好きだなあとかなんとか。
■ 無題
Date / 2003-08-30 (Sat)
 トップページを更新しました。少し涼しそうな配色に。
 冷夏の東京と違って、ちゃんと暑いんですよ関西は……。ですから、上京中はある意味「避暑」になってた感じでしたね。

ファウストの表紙
 編集長がDTPデザインで熱を吹いているので、イケダさんあたりに見てもらって感想が訊いてみたいですなー。ぼくはノーコメント。
 『新現実』と違うのは、オタク方面の批評が少なそうなところでしょうか。代わりに TYPE-MOONのインタビューなんかがありますが……。あわよくば小説家デビューさせようとか考えてそうなJ萌え。
■ (映画)『HERO』
Date / 2003-08-29 (Fri)
薫さん
 いえ、ありがたい指摘でした。結局、自分の中で宙ぶらりだった疑問でしたので。
 そもそも属性バトルという言葉の用法も薫さんからの我田引水ですし、元の持ち主の手に渡って安心、という感じです。
 細かい点で少し。平野耕太が確立した(と思う)「見栄切り」っていうのは、台詞と一枚絵ブチ抜きのバランス感にある、という意味でああ書いたわけで、画力とは表裏一体でしょう。これはぼくの言葉足らずでした(ってゆーか、自分が考えた用語を自分で定義してるだけなので、アンフェアですね)。
 ぼくがツバサに関心があるのは、やはり「一般化」についてであって、主にオタク世界で人気の高い手法をメジャー誌で使おうとしているのを見て「おや?」と気になったわけです。

 で、ここまできてアレですが、あの三人の間柄でも「互いの勝利条件を支えるために力(あるいは最小限の助力)を尽くす」という形での「友情」なら描かれそうだな……という雰囲気が出てきた気もします。
 そうすると、「見栄切り」は「友情」の代換物ではなく、主人公サイドの異なる「勝利」を明文化(結合化?)するためのツールということになるでしょうか。
 まぁ、結局はまだ予想することしかできない段階だ、というのは確か。

■(映画)『HERO
 MOVIX橿原のメンズデーを使って観てきました。
 これは大傑作です。時代劇としても、アクション映画としても。というわけで、以下ベタ誉めモードに入ります。
 多分ここまで誉めようとするのはぼくだけ。

・概要
 アン・リーの『グリーン・デスティニー』は「仙人になる話」でしたが、チャン・イーモウの『HERO』は「剣の境地の話」でした。要は中国思想をいかにイメージできるか、という問題。
 テーマ的には最高境地だなんだと言いながらも、世俗的感情から離れきっていない所も、ある意味リアルで良かったです。

・白髪三千丈
 まずアクションの演出について。
 映像の大半が口頭で語られる「フィクション」で占められているせいもありますが、これはもう! ってくらいに大陸的な「白髪三千丈」の世界。つまり中国詩にあるような大ウソをそのまま映像化したらこうなりますよ、ってな演出ですね。それも、あくまで「大衆エンターテイメント」であった武侠映画(=武侠小説の感覚)の荒唐無稽さに比べれば、よりプリミティブな中国古典の感覚に近い。
 こういう映像感覚は、(武侠映画はまぁ大前提として)洋画では「マトリックス」、日本のオタクなら「Gロボ」あたりの映像感覚を想起すると思いますが、根本的にはまったく別ルートの感覚だと思いました。中国人は元々からしてこういう感覚を所持していたことが窺えます──もっとも、中国発祥だった映像感覚がオリジナルに還った、と言った方が正しいでしょう。ですから、「ワイヤーアクション」の延長線上で単純に捉えてはいけない、と感じるわけです。それこそ「ワンチャイ」シリーズのアクションの素晴らしさ、と見比べてしまうことになります。

・メタ構成
 更に面白いのは、映画自体の構成。色の違いがどうこう……というのは表面的な構造なので置いといて。
 劇中で「剣の最高境地」に至るまでの「段階」を説明するくだりがあるのですが、この「段階」がそのまま映画の構成になっていることに途中で気付きました。つまり、観客は映画の構成(=テーマ)に合わせて「観る意識」を変えられるように撮られているわけです。
 最初は「剣の強さ」、即ちアクション性を映画に期待させ、次に「心の中の剣」、即ち教訓的なドラマを強調し、最後には……アクション性が「消える」という段階に至ります。
 大抵の観た人が、「アクション映画として期待せずに観ると面白いと思うよ」とか「面白かったけどアクションは物足りなかったよ」、とつい言ってしまうのは、未完成なアクション映画を観てしまったからではなく、「アクション映画」としての序・中盤と「アクション映画否定」としての終盤を混同してしまったからでしょう。単純に、映画のテーマに反して「アクション性を期待する心」がその人の中から消えなかった、ということだと思います。
 まぁ、「映画」の意図通りの見方をすることが正しい鑑賞法だとは言いませんが。

・萌えネタ
 しかしチャン・ツィイー(如月)はやっぱりかわいいです。現存する東洋人の中で闘えば、いい結果を残すんじゃないでしょうか(なんの結果だ)。でも、いつも男に抱かれる役(ネタバレ反転)なのはなんかの呪いですか? 観たくないんだよそんなの!
 あと飛雪の戦闘シーンですが、「ああ、あの人はリアルみさき先輩だ!(from EFZ)」と後から思って萌え死にそうになった人は何人居るでしょうか。
 多分ぼくだけ。 

・武術
 最後に、武術映画として観てみると。
 今までイマイチ実感していなかった「器械と拳の関係」が良く解った気がしました。これは、武器メインのカンフー映画が少なかったことと、『グリーン・デスティニー』のチョウ・ユンファの剣術がヘタだったから気付けなかったことですけどね。
 武器術から拳術が生まれたとは良く言われることで、確かに同じ感覚が両方の中を流れているようです。ああ、勿論「白髪三千丈」を除いたシーンを指してのことですが。
 っていうかジェットやドニーはともかく、他の人は役者出身なのに凄いなーと思うです。
■ 今野緒雪『マリア様がみてる―真夏の一ページ』
Date / 2003-08-28 (Thu)
あんよさんのリピュア考察が更新──
 ──って、つい脳内オフの方をじっくり読んじゃってました。面白いなあ。四葉がかわいかったです。

やはり指摘をいただいてしまいました(8月20日)
 ぼくは少年漫画メソッドについてそれほど詳しくないため(なので問題の文章は考察なんかじゃなくて疑問文ですね)、そっち方面に詳しい結城さんに訊いてみたかった話題だったんですよね……。でも上京中に彼とした話は、殆どマリみて話だった気が。まぁ、おかげでマリみて語りたい欲に関しては大分気が済みましたけど。

■今野緒雪『マリア様がみてる―真夏の一ページ』
 えーと、多分、これで既刊は全て読んだことになるはず……。じりじりと時間をかけて読破してきましたが、このくらいのペースで読むのが自分的には良かったと思います。
 それと、ぼくがバラバラの順番でこのシリーズを読んできたのは、「ジュニアノベル作家なら、どの巻から読んでも楽しめるように書いているはずだ!」という一方的な信頼感が先にあったからだったりします(これは、野尻抱介さんのクレギオン・シリーズが模範的)。まぁ、作者としてはちゃんと通して読んでもらうにこしたことはないでしょうけどね。
 個人的には、いい順番で読めたんじゃないかと思ってます。というか、読む順番のズレが独特な「歪み」を産んで、ぼくのマリみて感想をユニークにしている感がありますけど。
 通し読みした人達の場合、「グリーンウッド的展開でワショーイ」→「三年生が卒業してショボーン」→「その後の展開は、まぁそれはそれで」というパターンが多いみたいですね。逆にぼくの場合、明らかに卒業してからの展開の方が比重が高かったりします。
 ちなみにここで白状すると、「無印」→「休暇(当時の最新刊)」→「いばら」→「黄薔薇」→「レイニー」→「パラソル」→「チェリー」→「カニーナ」→「ウァレン〜からいとしき〜までは順番通り」→「涼風」→「真夏」がぼくの読んだ順番でした。

 それで「真夏〜」ですが、バレバレの叙述トリック(しかも作者がタイトルでバラしてる)なのにちゃんと盛り上げて読ませてしまうのは凄いなー。これぞ今野節! とかまた変な読み方を。 
■ 浦賀和宏『ファントムの夜明け』
Date / 2003-08-27 (Wed)
■浦賀和宏『ファントムの夜明け』
 元々はHARD-WIREDさんの持ち物なんですが、東京のからすさんを経由してぼくの所までまわってきました。浦賀作品を読むのはこれが四作目です。

 小説のネタとしては既存のワン・アイディアと言えなくもないですが、そのネタを浦賀が料理したらこうなりますよという感じ。素朴な文体から始まって、ストーリーの佳境に雪崩れ込んでいく流れのダイナミックさは好きです。
 えー、他に書けることないな。素朴な分、展開をバラさずにここが面白い、と言いにくいタイプの小説ですね。浦賀作品は総じてそんな感じですけど。

 ああ、雰囲気としては乙一のホラー小説に近い部分を感じたので(と言ったら、浦賀のファンを悪い思いをするかな?)、乙一ホラーが好きな人には、この作品から読むことをオススメしていいかもしれません。
■ ヒトクイ補足
Date / 2003-08-26 (Tue)
 前回はニュアンスを伝えるのに苦しんだ部分があったので、少し補足します。
 ネットの感想を読む前と、読んだ後の違いもありますし。

 「自分の作った手法にまるで未練がなさそうなところ」──というのは、比較的フリーライセンス化されやすい手法で小説が書かれている、ということです。要するに模倣しやすいし、パクりによる対効果も期待しやすい。
 それがもし、「後続の作家は好きなだけパクればいいけど、俺は次に行くぜ」みたいな態度の作家なら「パンクっぽい」と言えるかもなー、とかそういう意味でしたが西尾維新本人がどうなのかは解りません。
 でもそろそろ、「西尾維新的な言葉遊びの巧みさ」はもうみんな慣れてきて、割と普通に読んでしまっている感はありますね。

 それで。
 色々感想を見て回ると、戯言シリーズに好評価を持つ人が感じているエモーションの中心は、突き詰めると「カッコイイ」なのかな、という印象を受けました(まぁ、大抵のエンタメは全部そうなんですけど。あとは萌えがあるか、ないか、くらい)。
 庵野秀明語録的な意味での「カッコイイ」を00年代的なパーツで構成して、作者本人が破壊してオモチャにして客を振り回して……。あーやっぱエヴァだ
 とか言って、「自分が詳しい分野の知識に対象を強引に当てはめて理解したつもりになってる」ぼくはダサいですね。歳くってますか?
 ってことは、今後戯言シリーズの上澄みだけを模倣した小説が続出すると90年代末期のアニメ業界のような<暗黒時代>が訪れるわけですか?(これは筆すべりの戯言)

 あとは「世界観」と「シリーズ全体の流れに対する期待感」が売り物になってる感じ……。ここらへんは読者の好みの問題なので(ぼくも好きな部分はあります)とやかく言うつもりはないですけど、世界観やシリーズ構成が魅力だからと言って、一巻単位の設定や動機を安く切り捨てることを「手法」化するのは作家の力量を損なうだけなんじゃないの、と言いたい気はします。




 まぁ、シリーズの「タイムリミット」は設定されたようなので、多分次巻も読むでしょう。こうなってくると、少年漫画の長編連載を読み続けるのと同じノリですね(読者の微妙なハラハラ感も含めてですが)。
■ 西尾維新『ヒトクイマジカル―殺戮奇術の匂宮兄妹』
Date / 2003-08-24 (Sun)
 『百合姉妹』の2号は11月に出る……予定らしいですね。とりあえず紺野キタとタカハシマコの続投希望。
 どうもぼくは『百合姉妹』を「男少女まんが(by 流星ひかる)」を知る窓口として重宝してるっぽいので結構楽しみだったりします。
 次はこういう人が描くらしいですよ。お、いい感じの絵柄。
 関連スレ

■西尾維新『ヒトクイマジカル―殺戮奇術の匂宮兄妹』
 お待たせしましたっていうかやっと読みました。
 今回は割合冷静な気分で読むことができたので(自分の中で作者像が安定してきたからですが)、作者に腹を立てるということもなくなったんですが失望というか諦観するようにはなりました。

 今までに比べて、キャラクターもストーリーも戯言も、ほとんど順列組み合わせのコピー&ペースト。ライトノベルというよりエロゲーの脚本といった方が近いですしそれは自覚的に書いていますね(エロゲーの脚本というステージに載せるなら当然面白い、と思います)。以前、舞城作品が「文学的な感動要素の順列組み合わせで出来ている」みたいに評されたことがありましたが、今回の西尾維新はそれをもっと劣化させた感じ。王道展開として見れば水準点ではありますが……。いーちゃんの感情推移がここまで記号要素的に扱われているのも、シリーズ初なんじゃないかなと。
 それに(続巻の前フリに過ぎないにしても)、設定や伏線を回収しなさすぎというか切り捨てすぎ。「期待を煽っておきながら設定を投げる」というよりも「設定や動機部分だけを見せて切り捨てる」が既に手法化してます。んでまた「自分の手法に対して作者が作中で自己ツッコミするクセ」も健在(これは自分のクビを締めるだけの悪いクセだと思うんですけど)。

 結局のところ、西尾維新の魅力は「読者がインスタントに好みそうな要素をサンプリングしてラッピングする才能+ちょっと作者が想定してる読者像と実際の読者の好みにズレがあるんじゃないの?的な天然っぽさ」なんだなあという印象が残りました。
 何度も言ってますが、赤松健の作家分類でいうと<努力するニュータイプ(「流行に合わせる」ことを考えられる「天才タイプ」)>なのは間違いないとは思います。
 で、ちょっと評価できそうなのは、この天才が自分の作った手法にまるで未練がなさそうなところ。作者が「自己ツッコミ」で自分のクビを締めてる以上、どんどん新しい手法に挑戦していかないとおかしいのでは。そういう意味ではパンクっぽくて力強いなあと思いますが……、問題はどういう風に続けるのか、でしょうね。




 うーん色々オブラートに包んだ表現の努力をしてみたつもりですが、本音では「早く読者から飽きられてほしい」と言いたいのがアレですね、ホント。
 しかしここまで言われないといけないのは、まったくもって「有名税」だなあと思います(まぁ、それも結局は一部のオタクの間で読まれているだけなんですけど……)。
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第3回
Date / 2003-08-23 (Sat)
 サタスペのページを更新しました。

■(雑誌)『電撃大王』10月号
 おまけなんて全然欲しくないし「よつばと」も「ましまろ」も守備範囲じゃないのですが、ガンスリが読みたいので結局買ってしまいました。メディアワークスめ。正しい売り方してますよ。
 問題のガンスリですが、結構大きな流れの展開が始まってて意外でした。
 でもガンスリスレの方で早速鬱展開を想像してる人が居て鬱に……。なんで鬱かというと、そのテの救われない展開の方が面白いだろうとちょっと期待している自分が居るからですが。

・佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第3回
 面白くなってきたんじゃないでしょうか。ぼくは面白いです。
 もうラノベの上っ面は壊れてきてますね。人物もいい感じに狂ってきて佐藤作品の雰囲気が出てきました。そして微妙に挿入される、グラース・サーガと舞城へのオマージュ(?)! あー続きが気になります。
■ コミッマーケット64報告&総括
Date / 2003-08-22 (Fri)
 今日、奈良に帰ってきました。

■紺野キタ『ひみつのドミトリー 乙女は祈る』『あかりをください』
 『百合姉妹』の短編を読んでからお気に入りリストに入っていた紺野キタを池袋で購入。
 うわー少女漫画だー(※実はあんまり少女漫画読んだことない)。絵が繊細で良いです。控えめな説明で進むお話の方も好み。

■コミケ戦果(※コミック系のみ 順不同)

・貧血エレベーター/上田大王『罰当り山百合会の最後』
 一応言っとくと、ウエダハジメのサークルです。
 前回に続いて2度目のマリみて本。手塚漫画風表紙がウケる。ネタは前回の方が面白かったな。

・LEVEL-X/赤松健『「魔法先生ネギま!」ネーム&注釈集』
 忙しさの窺える簡単な本。作品研究用? やはり「ラブひな」と比べて、「ネギま」は赤松さんの好みで作られたエピソードが多いことが解ります。
 →HP

・やまぐち楼/やまぐちしんじ……の武装錬金本
 なんか仲間内で斗貴子さんハァハァが流行っているのでつられて買ってしまいました。

・絶対少女/RAITA……の痕本
 結局、男性向けエロパロで買ったのはここのと、武装錬金本だけか……。いつものパターンですが。
 →HP

・VANISHING POINT/高野真之『STROLL』
 いつものラブラブなやつ。
 →HP

・JEWEL BOX/相田裕『TATAKAUMONOTATI 3』
 ガンスリのラフ本。相田さん、ペトロシュカ(※同人版の番外編にだけ出てくる義体。萌える)を出す展開をまだ考えてなかったってのが意外でした。てっきりクライマックスに仕込んであるキャラだとばかり。
 →HP

・プロペラ惑星/はしもとしん『ENJOY SUMMER VACATION』
 どれみ本。というかももこ本。
 →HP

・あびゅうきょ/あびゅうきょ『廃棄物少女2003』
 割といつもの。
 →HP

・あびゅうきょ/亜風紀代『フタナリ姉妹とネコ人間』
 これが今回最高のヒット本。あびゅうきょが変名で描いた、まさかの18禁創作!
 90年代的な美少女漫画(あえてエロ漫画とは言わない)として見ても傑作として評価できるんじゃないでしょうか。
 ただ読むだけでも画面から「音楽」が聴こえてきそうなほどですが、平沢進のアルバムをBGMにして読む(児玉和也氏式の読み方)となおさら美しいです。感涙。

・東山神兵&埴輪鶏/(アンソロ)『メタモルネコマンマ』
 いつものシリーズ。今回のテーマは「変身」。
 →HP

・東山神兵/あらゐよしひこ『使い魔エンブリヨ(1)』
 書き下ろしを含む、連作シリーズのまとめ本。つづくっぽい。
 →HP

・ボストーク通信社/速水螺旋人『KITTEHATTE阪神優勝』
 いつもの。
 →HP

・てけれつのパァ/しんちゃん『GA、夏のお嬢さん』
 いつものヒドいギャグをギャラクシーエンジェルでやってる。
 →HP

・てけれつのパァ/しんちゃん『遊ぶ!! 女子中学生 more』
 オリジナル漫画。結構面白かったです。内容はヒドいギャグ。

・走れ!……のマリみて本色々
 このサークルの ICO本が面白かったので追っかけてみる。
 →HP

・ぱわふるここあ/かろりぃめいこ……の ONE本やらマリみて本やら
 マリみて系のサイトでは一番好きなんですよ。
 →HP

■コミケ総括
 男性向け全般で思ったのは、パロディになるべき作品が全然足りていないこと。それこそ、上田大王が2回もマリみて本を出しちゃうくらいに足りないわけです(それに比べて、女性向けは一枚板と言っていいくらいのテニプリ・ジャンプ一色ですが)。

 原因として考えるのは、「面白い漫画がない」「面白いアニメがない」「それ以前にオタクは最近のアニメをチェックしてない」「アーケードの格ゲーが消えた」等?
 でも、ちょっと視点を変えて見ると、「人気はある(売れてる)けどパロディにしにくい漫画」ってのが最近増えてる傾向にあることも解ってきます。
 メジャー少年誌だと「ネギま」や「ツバサ」がそうですし、「苺ましまろ」もパロディにしにくい作品ですね(逆に「ラブひな」「CCさくら」「あずまんが」はパロディにしやすかった作品)。
 むしろそういう作品の方がヒットを出しやすく、赤松健や CLAMP、メディアワークスあたりともなると、それを計算して仕事しているのでは? という気もしてきます。理由は、「消費スピードが遅くなる」からかな? そうなれば読者に飽きられるのも遅くなる。稀にパロディに成功した人が「出現」したとしても、その人は「デキる人」か「カンの悪い人」のどっちかなので問題無し。
 それに作者にとって、自作の同人誌が売れることによるメリットが減少しているというポイントもあるかもしれません(かつて同人誌の数は人気のバロメーターにはなっていたが、既にジャンルが細分化しているコミケにおいて販促効果には直接繋がらない……とか)。

 コミケの話とは少しズレますが、西尾維新の人気も「パロディにしにくい」で説明できる例のひとつだと思います。
 あの竹さんのイラストはあまりにもユニークすぎるため、同世代の絵描きを除いて誰も模倣できない(劣化版を描くことしかできない)し、戯言シリーズは竹絵のイメージ抜きに成立しないように制作されている。だから消費作品然として映る割には、消費のスピードは結構遅いんでしょうね、アレは。

 まぁ、マイナーレーベルの無名作品がヒットするにはパロディされやすい方がいいのは変わりないみたいです……が、その「布教の場」はコミケからネットに移っています。一応、マリみてブームの火付けの一部は某サークルの同人誌が発端ですが、もしかするとそこらへんがコミケが起こせる影響の「最後尾」になってしまうかもしれません。



 ……と、結論を極端な説でまとめてしまうのはお約束ってことで。
 コミケの今後に興味のある人は赤松さんの日記(8月18日)も読んでみてください。これも極論系で、いわゆる「大手サークル」の事情に限定した話なんですけど、ウチよりは面白いですから。
■ 東京行き予告、と、マリみて総括(ネタバレ注意)
Date / 2003-08-11 (Mon)
 13日〜21日の間、東京にいます。
 明日の夜にはバスに乗ってますから、日記を書き溜めておきます。ちょっとずつ読んでください。長いですので。

あびゅうきょ『絶望の陽のもとに』
 大阪の本屋でやっとバーズが読めました。ネーム的にはいつものアレでしたが、視覚的にはやはり美しいです。やっぱり俺あびゅうきょ好きなんだなあと実感。
 あびゅうきょさんには小説の挿絵なんかをやって欲しいなとちょっと思いました。この人は「発注」されて絵を描くことが苦手そうですけど。でも例えば、「セカイ系」の小説に絵をつけたりすると結構凄いことになるんじゃないでしょうか。色んな意味でね。

・CLAMP『ツバサ RESERVoir CHRoNiCLE』
 この漫画を読んでてちょっと面白いと思ったこと。セルフパロディ、の面白さもありますが、それは抜き。
 男ばっかの主人公サイドとか、スタンドバトルとか、車田ばりの見開き必殺技とか、いかにも少年漫画を意識しているようでストーリー構造から「努力と友情」がスッコーンと抜けているところ。今後の展開で努力や友情が描かれる可能性はありますが、今のところ、その萌しは見られないので。
 まぁ、「努力」は「スタンド(属性)バトル」で代換できるからいいとしましょう。では「友情」抜きでどうやってストーリーを維持させてるのか。それは(恐らく平野耕太に端を発する)「見栄切り」台詞なんだろうな、と。英国万歳とか異教徒大嫌いとか戦争大好きとか狗は意見を述べはしないとかそういうやつです。こういった「個人イデオロギーの吐露」が少年漫画において、「友情」の代換物? になってるようです。「ツバサ」の場合、<不在のヒロイン>であるサクラちゃんがどうたらとか、友世ちゃんが主君でどうたらとか、あとちぃも居ましたっけ。とにかく一方通行の意思表示しか出てこないわけです。
 んで、これは少年漫画的にはオッケーなのか? っていうのを見ていきたいです。「見栄切り」の文法はオタクから厨房、腐女子まで広く受け入れられやすいのは確かなんですけど。一般誌だとどうなんだろ、という。
(※といっても、他のマガジン系少年漫画って、全然読んでませんから、この程度の考察は既に別の作品で試みられているのかもしれませんけど。ほら、ゲットバッカーズとか)
 



 ここからが今日の本題。
 結構前になりますが、以前のマリみて感想(2003-07-27の日記)に対するフィードバックを某氏から頂いていたので。それに則してセルフ補足したいと思います。
 まず第一に、「救済が行われた後の世界」で問題になってくるのは、「周囲の人間(ここでは主に祐巳)の成長」ではなく「救われた側の人間(ここでは祥子)の自立」である、という違いがポイントになります。
 祥子は「世襲制財閥の一人娘」にもかかわらず男嫌いで結婚願望も抑圧したままであり、しかも祐巳が居ないとダメな人、という点であんまり変化していないわけです。

 多くの作品の場合、強力な「救済」が発動し、「最終回」なり「第一部完」なりを迎えたキャラクターには、その精神的なカタルシスの大きさに反して、「社会的自立」に対する不安が大きく横たわっているものです(古くはイプセンの『人形の家』、新しくは『暗闇の中で子供』におけるエンディングが好例。佐藤友哉の「世界の終わり」シリーズはそれを地で行ってますね)。
 かといって、じゃあ「第二部」で「救済しあったカップル」が立派ないい人に成長してお互いに自立しましたよー、と言ってしまえば読者の興が醒めますし(今の『ああっ女神様っ』なんかがそう)、逆に、相変わらず依存べったりな関係では何の解決にもなってなくてやっぱり不安なわけです(この不安感を実際に表出化させて取り組んだのが「カレカノ」かもしれません)。
 余談ですが、『ラブひな』の場合は景太郎からなるへ「救済されるべき主人公」を移行させることにより、この<第一部〜第二部間>のジンクスを破ってましたよね。

 以上を踏まえた上で、「涼風さつさつ」で提示された展開が面白かったと書いたのは、強くなった祐巳が祥子の自立を支えようとしている、という関係性が連綿と続いている点でした(その祐巳も所々未熟なままで、彼女も完全に成長していないことが窺えますが)。
 そこに、「「救済が行われた後の世界」もきっちりと書き終えよう、という姿勢(2003-07-27の日記)」を感じたわけです。
 そういえば某氏も「男性の出現に対する期待」を仄めかしてしてましたが、祐巳が祥子を同性愛的ディスコースから異性愛的ディスコースに復帰させることも、物語の完結としては充分に相応しいのではないか、とも思うわけです。作者の今野さんは「読者の裏切り方」を良く把握しているタイプの作家なので、その可能性も低くはないんじゃないかな、と思います。
 まぁ、依存べったりなヒロイン2人が異性愛的ディスコースに入る、っていう展開は結構寂しいもんですけどね。新井素子の『あなたにそこにいてほしい』のラストとかそうでした。これは読者のシュミの問題でしょうけど。

 ところで、あんよさんが祐巳の成長についてコメントしてます
 「実はあんまり成長していなかったのだ」という視点ですが、ぼくが言ってた「そうか! 今までのは叙述トリックだったのか!!」……で説明できるような気も。
 この問題で重要になってくるのは、中学時代の担任教師による証言でしょうか。


・というわけであんよさんのリピュア考察が更新されました。
 今から読みます。
■ (ゲーム)『私立アキハバラ学園』体験版
Date / 2003-08-09 (Sat)
・『ファウスト』のメルマガ
 舞城はやっぱり自分で挿絵を描くらしいです。これは予想通り。
 西尾維新には西村キヌが挿絵を描くらしいです。うわ、なんだよそのキャスティングは!

■(ゲーム)『私立アキハバラ学園』体験版
 好き好き大好きっで評価されていたので『私立アキハバラ学園』体験版を遊んでみたんですが、面白いですよ、これ。
 まぁ、テキストパートと声優の演技で笑いを取る、っていうのはエロゲ業界的には基本事項なんでしょうが(それ系では「それ散る」と「姉しょ」くらいですけど、遊んだことあるのは)、アキガクはかなりウケました。床を叩くくらい笑ったのは久しぶりです。
 その代わり、なかなか「ひく」というかイタい要素が強い世界なので、人に紹介していいものかちょっと迷います。特に「鬼先生」と「学園長」の立ち絵の時点でみんな挫折しそう。オタクに一定の理解があり、なおかつ自己言及的に笑いを取れるタイプの人にはお奨めかもです。
 っていうかクリアラバーソウルの人が脚本参加してるみたいですね。面白いのはそれでですかね(←クリラバ読んだことない人)。

 おもしろいと思うところ

・オタクと一般人の境界線上に居る主人公、周囲の人間が総ボケなのでツッコミ役に徹してるのが偉い。でも萌え話を振られると急にトークがなめらかに
・攻略対象外のクラスメイト=ヒメ属性の見た目地味系女子っていうやる気のない設定もどうかと思う
・そのヒメ属性が吐くムカつく発言が妙に実感が沸いてイタ面白いのだが
・「エルフの人」はよくこんなキャラ設定で行こうと思ったなと思った。妙に関西弁うまいし
・メイド隊の中の一人のやたらほんまもん臭い外人しゃべりが聴いてて楽しい
・外人オタクの演技がはしゃぎすぎた時の岩田光央のように聴こえる(さすがに本人じゃないと思いますが)
・「このまんま」「出てくる」を聴いた時は時間が止まりそうになった
・なにげに音楽がいい気がする。なんかサックスの打ち込みとかしてるし

 オタクの価値観や生態をネタにしてるっていう系列では、「げんしけん」や「ラブやん」みたいに生々しい(でもその割に現実感は低い)ネタでもいいのかもしれませんが、このくらい勘違い(その割に痛い所をピンポイントでつかれてる気が)して笑いに還元する方が面白いですね。個人的には。




 はてなダイアリーつくりました。まだ何も書いてないしタイトルも決めてませんが、感覚的にはパブリック寄りの書き物はこちら、プライベートよりの書き物は向こう、という分け方にしたいと思います。人に見せるのが恥ずかしい系の絵も向こう。
 プライベートモードに移行するかどうかは微妙です。
■ 無題
Date / 2003-08-06 (Wed)
ハイジ実写化CM
 入浴シーンはヤバいやろう、っていうか入浴剤のCMなんですけど。
 まぁ、言いたいことはひとつ。
 クララ(立てるようになる前)を風呂に入れてたらツムラは神。
■ 舞城王太郎『九十九十九』
Date / 2003-08-05 (Tue)
■舞城王太郎『九十九十九』
 知人が途中で放り投げた本をキャッチして読んでみました。
 クライマックスまでだーっと一気読みしてたら頭痛くなってきました。凄い妄念。ただ妄念とは言っても、舞城は読者の反応や文学的な立ち位置を計算しながら書く作家、っていうイメージがあるので、場当たり的な妄念で書いてるわけでもないでしょう。だから必死で話についていこうとするんだけどそれが頭痛かったり。
 とりあえず未読の人に忠告しておくと、漫画の『エキストラ・ジョーカー』(画・蓮見桃衣)に出てくる九十九十九のイメージは期待しなくていいです。音夢たんも出てきませんから。

 さて、(例によって私見で言えば、)隠秘学的な手法を積極的に使っていることから、この小説も隠秘学的に読むとよろしいと思われます。くらくらするような「言葉遊び」と「象徴」と「フィクション」の怒濤を通過し、トリップ状態に入ることで一種の「神秘体験」をし、「気付き」を得ることも『九十九十九』の楽しみ方としては間違ってないんじゃないでしょうか。
 個人的には貴重な読書体験をすることができましたが、それはぼく個人の体験なので誰が読んでも面白いとは言えません。そういう、本当の意味で読者を選ぶ(読者「が」選ぶ、かな?)タイプの作品の典型だと思います。

 ところで、ネットには「舞城王太郎女性説」というものが三島由紀夫賞受賞のころからあるのですが、『九十九十九』を読むと女性って疑うのも納得できるなーと思いました。まぁ、全ての女性キャラにモテモテ、男性にもモテモテで精液ベトベト、な主人公なんてあまり男性作家は書きたがらないとは思います(女性は書きたがるのかよというと偏見の世界ですが)。
 ここでは「本当に女性なのか」ではなく、「なぜ女性だという仮説が成立するのか、女性だとすれば作品性はどのように変化するのか」、ということが問われるべきでしょう(これは隠秘学における「そこに何が書かれているか」と「それから何が学べるか」の関係と同じですね)。




 これまで、マリみてを主に「青春小説」というディレクトリの中で読んできたわけですが、もう一つのディレクトリとして「ジェンダー論」というものを意識してきたわけです(そしてオタク論はジェンダー論の中に含んでしまう)。
 というわけでとりあえず読んでおいて欲しいのはここここの6月16日です。

 余談ですが、前者(ハローワールドブロードバンドさんの方)の真ん中らへんで語られている西尾維新像は、今まで読んだ(どれひとつとして腑に落ちない)評の中でも一番納得のできるものでした。そう、こういう風に評価してやって欲しかったんだけど、ぼくの口からそれは言えなかったんだ、というような。それにこれは、作者にとっても上質な賛辞になるでしょう。
 西尾維新よりほんの僅かでも年上の人間は、ことごとく評価を失敗している(一応そう断言したい)という可能性がここにあります。ぼくの評価も、あなたの評価も。
 そしてこの西尾維新像が正しかった場合、ただ「媚びることの怪物」としてのうすら寒さが残るだけな気がします。「媚びる=読者の快楽原則を守ること」に徹しながら「自己表現」を模索する赤松建とは対照的だと考えざるをえないでしょう。
■ (映画)『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』
Date / 2003-08-04 (Mon)
 フルスロットル見てきました。ほんとにフルスロットルでした(主に車とかバイクが)。
 バカ映画というよりより「バカを狙ってる」映画なんですが、そこらへんの故意感をスルーできれば面白いと思います。面白かったです。
 なにげにCGワーク(もう「SFX」って言わないんだなあ。そういえば)が気合い入ってて、最近の映画の中でもかなりの高レベル。あと、「格闘技の素人の役者を格好良さそう見せる演出技術」でいうと、リローデッドの3倍くらいはあったと思います。というか、アレはキアヌがカンフー下手なだけなんですけどね……。
 デミ・ムーアと敵キャラの男は格好良かったですね。
 とは言っても根っこはバカ・パロディ・コスプレ・お色気の映画だしストーリーは観た直後につるつる脳からすべりおちていくくらいどうでもいい話だ。
■ 佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第2回
Date / 2003-08-02 (Sat)
 さて、第2回の感想です。
 危惧してた通り、対決シーンとか書くの下手ですね。佐藤友哉はバトルじゃなくて「一方的な暴力」の方が得意なんだろうなあ。あ、『フリッカー式』のラストバトルは面白かったですが。
 ファンはこの後の展開が読めないから期待して読めるんですが、初めて読む人で、ある程度ライトノベルにスレちゃってる人からすると「下手なラノベ」としか思えずに離れていってしまうんじゃないだろうか。作戦的にそれはどうなの? これからどんどん売れる予定なんでしょ、とちょっと心配になったりも(←すっかり佐藤友哉ベッタリな発想ですね)。
 でも実質的にラノベ度を上昇させてるのは、浩之ちゃん一人だけなんですが。
 今回のハイライトは“誘惑式幼女”佐奈のキレっぷりと“悪魔憑き”那緒美の顔見せ。

イングスレその5、虚無に荒らされて終了
 荒らし叩きAAがかわいい。
 たまらん




 トップ画更新。チャイナ分と貧乳分が足りない!状態だったので補給ついでに塗り練習ー。うーんそれなりには見れる絵なんだろうけど、見れるだけっていうか、どうも「味」がない。歪みが伝わってこない。もっと大袈裟にディフォルメできるように気をつけよう。


 がらぱおんさんとこの絵掲より。
 ちまちま。
■ 無題
Date / 2003-07-31 (Thu)
ファウストのちらしのこされたことばのかけら
 期間限定公開だそうなのでお早めに。

 「イラストーリー」ってあんた……。それはあらまぁってやつだぜ。
 佐藤友哉には鬼頭莫宏のイラストがつくらしいです。すると、さすがに楽屋小説のセンは今回無さそう。
 舞城は本人に絵を描かせてる予感。

 「全人物写真撮影」ってことは舞城や西尾の写真も見れるんでしょうか?(顔を隠したりはするかもしれませんが)




 たぶん、同人誌を買うトコまでは行かないと思うんですが。
 月姫とマリみてのwebコミックを発掘したり再発掘したりしてました。どの人も笑えるなあ。パロディとはいえ、ギャグ漫画が描けるのは才能だと思います。
 月姫で面白かったのはここここ。前者は同人誌のサンプルが面白い。後者のサイトは以前読んだことがあるんですが、管理人の人がミステリ好きらしいことに気付いたので今後も捕捉しようかと思います。
 マリみては有名どころですが、GUNPさんとこが面白いです。スっトレートな下ネタとかが。
 他のサイトの漫画でも大笑いしてるんですが、アドレスを保存しそこねたので紹介はここまで。




 今バキはバカの父親が瓦割り童貞を捨てて終わり。
 バキスレの職人ネタの方が面白いのでそっちを紹介します。

寂海王
徐海王
■ 無題
Date / 2003-07-30 (Wed)
 サタスペのページを更新しました。




 『天使な小生意気』が次週最終回。作者の予定通りの大団円、といった感じになりそう。
 サンデーもやっと終わらせてくれたか、と。まぁ、今まで連載が間延びしてた分は脳内圧縮すれば問題無しです(大和撫子杯編あたりとかが個人的に要らない……いや、そーでもないか……)。
 テーマ的には好きなんですよこの漫画。

 週刊少年漫画といえば、今まで触れてこなかった「ネギま」について少し。
 ネットアイドル生徒が出てきた辺りで「ネギまは、アスカ属性のキャラが3人以上出てくる漫画。ちぃ、覚えた!」とか思ってたんですが(たしか赤松さんはアスカ派)、それとは別の法則があるような気がしてきました。
 前作ラブひなが「ギャルゲーの構造を基礎とし、過去のラブコメ作品の黄金パターンを超高速で反復する漫画」(これは作者がそう言っている)だとすれば、ネギまは「複数の縦ライン(ネギ自身の目的、ダンジョン、スポーツ等)に、せつない系、いい話系の個人ドラマを横ラインとして挿入する漫画」と考えられるんじゃないかなと。
 ドラマの内容は、たぶん作者の好みと無意識的な引用の組み合わせなんでしょう。赤松さんは「本当はドタバタよりも心理ドラマを作る方が好きだし得意」と言っていたこともあるので、ネギまはラブひなに較べて、少しは好きなことを描けているのかもしれません。
 その心理ドラマがパロディ以上のものになってたり、ドタバタを脱しているかというと、まぁ別の話なんですが。
 しかし、主人公とヒロインが公然と同じベッドで寝てるのは凄い少年漫画だなあ、と今思いました。ある意味ママ先生は最高!よりも凄いかも。
■ 新コーナー
Date / 2003-07-29 (Tue)
 新しいサタスペのページを作りました。
 通称は「テヤアシ」。それもハル子さん声で。てやあし(あの声)。

 きっかけはHARD-WIREDさんが作ったスクリプトで、今のところ卓上板でしか手に入らないし紹介ページ欲しいですねーっていう話になったからです(そしてHWさんは多分ページをつくらない)。突発企画の制作期間7時間! です。
 あと、なぜか PDSPって、Googleで「サタスペ」を検索してもひっかかりゃしないんですよ。でも「サタスペ いずみの」「サタスペ REmix」や「サタスペ REmix99」で検索するとひっかかる。されど「サタスペ」や「サタスペ REmix+」ではひっかからないという……なんだよそれ! そんな理由もあって、新しいページにしたかったんでありました。
 これからのサタスペに関しては、暫くここでフォロウしたいと思います。なんか妙に、公開してないサタスペ絵が溜まってたりするので、それも吐き出せればいいかなと。

 しかし、ますます何のサイトを運営してるのか解らなくなってきました。管理人は変態らしいですし。
 レヴュー関係も別ページに切り出したくなってきましたし、絵置場も作り替えたいところなんですが。




四文字熟語心理テスト
 ぼくは「七難八苦」「以心伝心」でした。出題者の意図通りの模範解答をしてしまった……って感じですね。
■ 上京予定
Date / 2003-07-28 (Mon)
 RAITAさんがコミックメガストアに描いてる。

 夏コミの上京予定ですが、最長で、8月の11日〜23日まで滞在できる感じです。実際は少し短くなると思いますが(さすがにね)。そろそろバスチケット買っておかないと。 
 遊んだり泊めたりしてください。特に後者。お返しに色々奉仕します。




夏服絵 冬服絵
 黙って勝手に描いてみた、私立清浪女子高校(サタスペに出てくるお嬢様学校)の白セーラー。
 ちなみに眼鏡の人のニックネームは「かかと」といいます。俺設定で。
■ ウエダハジメ『Qコちゃん THE地球侵略少女』
Date / 2003-07-27 (Sun)
■ウエダハジメ『Qコちゃん THE地球侵略少女』  
 ウエダハジメについて何か書こうと思っても、書いては消し書いては消しなので何も書けませんなー。内容に関してはスルーします。面白いんだからそれでいいでしょう。
 情報量多い読者説明少ないシーンはウエダ節で印象的でもフォローは無し媚びてない。噛むとちゃんと味が出てくるタイプの漫画。
 リピート読みする時の楽しみ方としては、アニメの絵コンテ集とかフィルムコミックを読むのと同じ要領で「脳内アニメ再生」するのも面白いです。ハイクオリティの作画・美術で。




 以下は最近読んだマリみて。ネタバレは特にしないつもりですが、感想を書くにしては遅いタイミングだと思うので、多少つっこんで書いてます。

■今野緒雪『マリア様がみてる 涼風さつさつ』
 これでもかというような絆の強化。ディスコミュニケーション性もなりをひそめ、主にキャラクターの成長が描かれているのが爽快です。
 (くわねさんの覚え書きにあるような「第一部完」でもって)一人の人間を救済させた後、「救済が行われた後の世界」もきっちりと書き終えよう、という姿勢も感じます。大抵、大きな救済をひとつ終えたシリーズは、その後のテーマ付けが冗長になりがちですが、この巻で示されているような在り方は面白いと思います。
 ところで YU-SHOWさんの感想の、

 それにしても、確かに祐巳は成長してますな。ある意味、『ダイの大冒険』のポップばりに。弄ったり親しんだりしやすいキャラクターはそのままで、しかしふと、より広い視点で見てみると、うお、お前、いつの間にやら大魔王バーンにすら認められる実力を!? という感じすら。

……という喩えは的を射ていて面白いです。
 あぁ、疑似一人称である作中において、祐巳の容姿は謙遜した表現が多く、実際に「キャンディキャンディ的ルックス(美人じゃないけど性格が魅力、というパターン)」なんだと認識してたんですが。今回は頻繁に美少女認定(※外見重視)されるのはなんでだろ……? そうか! 今までのは叙述トリックだったのか!! と、感心しなくていい所で感心してしまいました。
 というわけで、実は容姿端麗だったらしいです。

 あと、色々メタな読み方をしてる人も多い巻ですね。
 男性読者にとって、「自分はもしかして、単なる『腐女子の男性版』なんでは?」という痛いところを突かれた様子で。フェミニズム論の「おぞましきもの(アブジェクト=女性性)の噴出」っぽい(笑)。これも面白い話題です。

■今野緒雪『マリア様がみてる いとしき歳月』後編
 卒業イベントということで、しんみりするのはまぁ反則なんですが、ケリの付け方としては矢張りうまいと思います。泣かせにくるというよりは、誠実にイベントを通過させている印象。
 個人的には、卒業と関係の無いおまけ短編の方がじわじわと泣けました。こちらは『パラソル〜』と並べて高い評価をしたいです。
■ 無題
Date / 2003-07-26 (Sat)
へんじゃぱの中の人にも捕捉されていたらしい四季折々のかおるさん
 ぼくはハルヒ騒動のおっかけをしていたクチなので、なんか複雑な気分に。

 おっと、これ書いた人だったのか。気づきませんでした。
 しかもぼくと同い年でした。




 丸一日絵を描かなかったわけでもないのに、突然、絵が描けなくなってうわーって感じ。どうも(最近苦労して培ってきた)立体認識力が故障した模様。
 まぁ、故障なんてこの先何度でもあると思うので、リカバーするまでのプロセスを観察するくらいの気持ちで。とりあえず保存療法から試そう。
■ 戯言シリーズとエヴァ
Date / 2003-07-25 (Fri)
 ヒトクイを読む前にちょっと一席。



 自他共に認める「アンチ西尾維新」のぼくですが、それは「面白いけど嫌い」というなんとももどかしいスタンスなわけで、これはなんでだろうか、とまぁ、いつも考えているわけです。

 んで最近思いついた理由は「エヴァと似てるからじゃないか?」ということ。
 「ベタベタに誘惑する表層と、マイノリティ的に内向的な内面」が戯言シリーズの特徴(とりあえずそう仮定)であり、また、エンターテイメントのみを求めている客は表層だけを楽しめばよく、少数のコアな客は深読みして両面を、または内面のみを愛でればいい……、というこの構造は、まさに90年代アニメの業界に蔓延していたカタチじゃないでしょうか。んで、エヴァがこのカタチに従いつつスタートし、シリーズが進むにつれて「表層と内面の主従関係」をブチ壊し、「内面のテーマは内面、表層のカタルシスは表層のままケリつけないとダメだろう! それでもプロか!」という良識的なアニメファンの方々から大いにブーイングを買った……というのはご存じの通り。
 と、すると、戯言シリーズは一冊ごとに「エヴァ」をやっている、と思えなくもないわけです。ぼくから見ると。
 「メカと美少女」は「超人と萌え」に置換され、物語後半で萌えキャラは酷い目に遭わされ、テーマは<戯言>で埋め尽くされる。



 「エヴァ(死語)」と呼ばれるようになってから何年も経ってるんで、「○○=エヴァ説」なんてのを主張するのは、「○○=オウム説」を主張するのの何倍も恥ずかしいわけですが。ぼくだって恥ずかしい。
 でもこれは逆に、「○○=エヴァ」とつっこまれにくい環境でもあるわけで。特にアニメではなく、小説(キャラノベル)という違うフィールドでやること自体、戯言シリーズは「新しい」、と世の中には映るでしょう。
 これは、「グリーンウッド」を女子高に置換した「マリみて」が、「まったく未知のもの」と認識されてしまう(特に、男性向け商品しか知らない男性オタクにとっては)感覚と似てるかもしれません。
 ……とまぁ、ここまでは、エヴァを引き合いに出した自分に対する弁護ですが。それに、グリーンウッドの存在でマリみての価値が下がることがないのと同様、エヴァの存在で戯言シリーズの価値が落ちるわけではない、とは言っておきたい。



 で、おそらく、「エヴァ世代」という世代的意識は佐藤友哉の方がよっぽど強いでしょう──ぼくもそうですが──、だからこそ、「神仏を尊んで神仏をたのまず」という宮本武蔵的思想が身に付いているのであって、エヴァをパクる場合でも一歩引いたようなパクり方になるわけです。ぼくだって、エヴァのようなものを作りたい、という意欲はまったくと言っていい程無い。だから『ラーゼフォン』のようにエヴァそのものを意識した作品は、出渕裕という「おじさん」だから作ることができたんだと思います(それ自体の価値は否定しませんが)。
 反面、西尾維新はといえば、いかにも「エヴァ? だっせえ。でもエヴァ用語はカッコイイのが多いよね」という程度の評価をしてそうに見えるじゃないですか。いや、偏見ですが。
 でも、そうやって「だっせえ」とか言ってる作家のほうがよっぽど「エヴァって」しまうんじゃなかろうか、とも思うわけで。その上で、エヴァとは違うものを書いてるわけで。

 そしてなんでぼくがイライラしてしまうのかというと、そういう作家に対して、どういう反応をすればいいのか解らないからです。
 と、つまりそういう理由で西尾維新が嫌いなんでありました。

 うーん、やっぱり私怨なんだな
 あー、あれか。庵野さんは叩かれたけど、西尾維新は叩かれなかったからダメなのか。それはありそうだ。それだと、ただの判官贔屓になっちゃいますが。

 毎回、絶妙なタイミングで「いーちゃんを読者に嫌わせている」のは、「表層に期待している読者」に「作品自体の反感を買わせないため」なんだろうなーとか。うまくエヴァと同じ非難を受けないようにしてるんじゃないかとか。それはクレバーな手法だから評価すべきなんじゃないかとか。
 そんなことばっかり考えながら読んでたら、そりゃ嫌いにもなるわな。
■ 無題
Date / 2003-07-24 (Thu)
メモ人生という憂鬱のためのアーカイヴズ
 知ったのはウリオさんとこですが、ウチでもこれを紹介しないわけにはいかないでしょう。
 ライ麦→グランジ→エヴァ→90年代→佐藤友哉→舞城王太郎?
 ワー!?

 これは凄くストレートな見立てですが、こうやってズバッと言葉で表現されると、それだけで、それこそ「キャッチャーのようなもの」を感じてしまいます。

 例えば佐藤友哉が「フラニー」を書いて、舞城王太郎が「ゾーイー」を書く。うわー、夢かしら。
 夢といえば、以前から「それはないだろう」と思っていたことですが。『群像』の「現代小説・演習」シリーズ(「藪れません」と「僕のお腹の中からはたぶん『金閣寺』が出てくる。」)が一冊の本で一緒になって出版されたらいいなあ……と思っていました。これは実現してほしいんだけどなあ。
 たぶん、売り上げ的には佐藤友哉がトクする形になると思いますけど。
■ 京極夏彦『姑獲鳥の夏』
Date / 2003-07-23 (Wed)
■京極夏彦『姑獲鳥の夏』
 今更ですが、京極夏彦を初めて読みました。
 ぼくが読んで凄い面白い、ということは無かったです。続刊を読めと言われたら微妙。
 京極堂が語る蘊蓄部分は良かったです。9年前の作品ですが、古さを感じませんでした。
 逆に云うと、蘊蓄以外の部分が古くなってるのかも。元ネタにされすぎというサムシング。
■ 無題
Date / 2003-07-22 (Tue)
今日の検索ワード(MSN サーチ)
 ごめんなさい。




 最近は走圏の真似事で歩法を練ることに執心しているのだが、走圏を行うことで、体重を両儀(右半身、左半身)に分けられるという「気付き」を得た。両儀に分けられるということは、身体を使って太極図を再現できるということなのかもしれない。

 道家思想の太極理論を体重移動に当てはめると、以下のように言えると思う。

1.体重は「有限のリソース」である。自然の状態では、増すこともないし減ることもない。左右の身体にかけられた体重の和は常に一定である

2.故に、半身に体重を傾けた場合、もう半身の体重は必ず抜ける。半身の体重を抜くと、もう半身は必ず重くなる。この当たり前の現象は相互に発生する

3.また、充分に重くなった半身はそれ以上重くなれないため、「自身が軽くなる力」が内在し、充分に軽くなった半身はそれ以上軽くなれないため、「自身が重くなる力」が内在する

4.「2.」の現象で言い換えれば、「自身が軽くなる力」は、「もう半身を重くする力」でもある「自身が重くなる力」は、「もう半身を軽くする力」でもある

5.つまり、重くなった半身には、自身の「軽くなる力」と他方の「軽くする力」が同時に働く。軽くなった半身には、自身の「重くなる力」と他方の「重くする力」が同時に働く。このふたつの力は鶏卵議論と同じで、どちらが先に働くというものでもなく、循環しつづける(この相反するもの同士が干渉しあう力を表現したのが、太極図の中に含まれた「黒点と白点」である)

 ──このように言葉にすることはできる。だが、理論を「体感」することの価値は高いだろうと思う。言葉では複雑だが、肉体をシンボルにすることで単純化できるからだ。
 それにしても、道家思想は「リソースに対する諦め」が非常に早い。唯物論的ですらある。効率第一だ。常識的な考え方だと「より重く」や「より強く」の発想が先にくる所だが。
(余談だが、ぼくが Mt:Gの名プレイヤーやミニ四駆の選手に道家的なものを感じるのは、ここらへんの理由だったりする)

 ちなみに、この循環をスムーズに運行させることで「体重移動そのものの力」を引き出すことができる。足の踏み締めは安定するし、前進力が増え、力が一斉に通るようになる。
 武術として正しいのかどうかは(口訣を得ていないから)解らないが、この変化は桑田投手が新しい投球フォームについて語っていた内容とよく似ている、と思った。

 また、ここから更に発展させると(まだ研究途上なので多少怪しい点は目を瞑っていただくとして)、両儀は更に四象に分けることができる筈だ。
 両儀の場合は両半身を「○と●(陽、陰)」に分けるが、四象の場合は両足が「○○と●●(太陽、太陰)」、両腕が「○●と●○(少陽、少陰)」に分かれるのではないか。
 この場合、足が「他方を重く/軽くする力」を司り、腕が「自身が重く/軽くなる力」を司ることになる。
 つまり、

右足→左腕→左足→右腕→右足→……

矢印の順番に「体重を移動させる力」が順行することになる。この力は全身で同時に働くので、正確には、

右足→左腕→左足→右腕→右足
       +
左腕→左足→右腕→右足→左腕
       +
左足→右腕→右足→左腕→左足
       + 
右腕→右足→左腕→左足→右腕

これら四通りの「力」が一斉に身体を動かしていることになる。こうなってくると「身体を動かしている」というより「身体に動かれている」という感覚に近い。
 じゃあ、その時、脳(意識)は何をすればいいのかというと、「呼吸」をしていればいい筈だ。
■ 無題
Date / 2003-07-21 (Mon)
 あびゅうきょが連載しているのに、バーズを置いてる本屋がない_| ̄|○

 まぁ、影男シリーズは「福本伸行ファンにとっての『最強伝説黒沢』」みたいなもんなんで、微妙なんですけどね。
■ 絵の練習日記
Date / 2003-07-20 (Sun)
 自分は人物のアタリをとる時に、かなり変な手順で描いているんじゃないだろうか、と思って、一度その行程を晒してみることにする。
 独学で絵など描いていると、こんな風になってしまう訳である。

下描きの行程(タブレット版)

 根幹から描く、という手法はおおよそ正しいとは思う。
 まぁ、解剖学的な正しさを求めて、例えば山本貴嗣さんみたいな絵柄になるのもどうか、と思うし(貴嗣さんのデッサン論は割と好きだけど)。そこらへんはアドリブで。

 あと、パッと見、年齢がいまいち掴めないような体型で描いてしまうことが多いので、その辺りの描き分けが今後の研究課題だと思う。
■ Kagami Sistre's Flying Classrooms
Date / 2003-07-19 (Sat)
佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』第1回

(※ウェブ連載なんで、「みんな読んだ後」という前提で書いてますよ。書きますよ)

 読みました。これは佐奈&那緒美の話、ということで間違いなさそう。
 まぁまだ始まったばかりなので、本編よりも著者近況の方が面白いですね(笑)。

 たぶん、今までよりライトな文体を意識してるのか、随分読みやすくなっています。やっぱり『人間試験』の読者層もようこそ、ってことでしょうか。それにしてはどっちつかずな印象はあります。
 まぁ、どっちつかずということは「後からどっちにでも移行できる」ということですから、期待はできるでしょう。

 しかし、シンプルな対立構造(キャラとキャラの対決)を最初に持ってくるあたりも、ライトノベルの構造っぽい。特に、その対決シーンに於いてオーソドックス極まりない「煮え台詞(それこそ西尾維新とかが使いそうな)」を喋らせた後、キャラクター自身に「空虚」と言わしめるあたりが非常に「らしい」と感じます。
 そもそも「特定の構造をデッドコピーする→その構造を壊す」が佐藤友哉の持ち味か? すると今回はラノベ?

 あと、「Kagami Sistre's Flying Classrooms」という英題のセンスだけでも高ポイントですね。ぼくの中でだけですが

アニメ板にガンスリスレたった
 14の原作説明に大笑いしましたよ……。あながち間違ってないし。




 カット2点目あがり。本当に怠けまくりながら描いていた。
 2点とも、先方に喜んでいただけたようで何より。第一にクライアントに満足してもらえれば、それで事足りると考えているのでぼくも満足である。
 しかしこうやって最後まで仕上げること自体が稀なので、自分でも「俺ってこんなに絵がうまくなってたのか……」と思うくらいの出来だった。最近の練習の成果がきっちり反映されている気がする。

 当然、これはただ「自分を上限に近づけた」だけであって、「上限を発展させた」わけではない。本当にうまくなるには、上限を維持したまま仕上げを繰り返し、その中で工夫しなければならないだろう。
 それは「練習」ではなく「試合」や「実戦」と呼ぶべき行程であり、その「試合」を日常化できるようになればとりあえず一人前、という気がする。

(※前半が「描く人」側の意識、後半が「見る人」側の意識)
■ 無題
Date / 2003-07-17 (Thu)
 明日! 明日!

・唐突ですが「今バキ」
 なんか太極拳っぽい動きの新キャラが登場。というか板垣センセが内家方面の中国武術を漫画に出すのは初めてなんじゃないでしょうか。
 バキ世界では烈先生その他がリアリティを壊しまくってるので、こういう等身大の人が出てくるとどうも頼りなく見えます。
 ……と思ったら鉄砂掌が完成しすぎでした。
 でもやっぱり噛ませ犬っぽい。

バキ世界ルール:鎬昂昇とか後半の柳とか、「当たると切れるし、血とか出て致命傷になるんじゃねえ?」的な技を持ったキャラほど効果的なダメージを与えられない。ジャックだけ例外。





「Webマガジン幻冬舎」で乙一の適当日記が再開
 やけにストックが多いですな。ちょっとずつ読むことにします。

ガンスリの義体 vs マスター・キートン相田裕「GUNSLINGER GIRL」#10
 ネタ秀逸で笑えます。ホントにこんなオチでやりそう。

今日の検索ワード(Google)
 見た瞬間吹き出しちゃいましたよ。どうやったらこんな検索語が思いつくんだ……。
 ウチが1件目っていうのもどうかと。

キノの旅特典レポ(日記7/17)
 やるな、メディアワークス! 面白いよ!
■ 無題
Date / 2003-07-15 (Tue)
ピンポン
 すげー。

リローデッド風
 これも面白い。




 カットがやっと1点あがり。あと6日以内にもう1点あげたい。
 いつも汚い鉛筆絵ばかり描いているぼくだが、仕上げが必要な絵となるとやたら慎重に描いてしまうなり(急に練無っぽく)。

レイアウトをきる→絵に必要な部品(オブジェクト)を別々に描いておく→レイアウトとオブジェクトを見ながらアタリを取る→アタリやオブジェクトをトレスしながら下描き→最初の下描きは必ず(゚д゚)マズーな出来なので、マシになるまでトレスを繰り返す→下描きにピグマでペン入れ→仕上げ

 万事この調子なり。
 トレスを繰り返すとカタい絵になるのはしゃあないのだけど、ここまでやらないとペン入れできそうな絵にならないのである(ラフな下描きの上からペン入れ、という技も当然使えない)。まぁ、「仕上げ」に対する慣れが足りないってことだろうけど。
 趣味のイラストも、いつもこのくらい頑張ってれば、このサイトも見栄えが良くなるかもしれない。
■ J.D.サリンジャー『サリンジャー選集2 若者たち<短編集I>』
Date / 2003-07-13 (Sun)
■J.D.サリンジャー『サリンジャー選集2 若者たち<短編集I>』
 サリンジャー本人が「出版を禁止」している初期の短編を、こっそり和訳出版した短編集。
 出版を禁止した理由が、単純に「つまんないから」ではないことは解りました。個人的に凄いと思える作品が何本か入っていて、呻きそうになる辛さや酷薄さは、ここでも健在でした。『ナイン・ストーリーズ』が好きな人なら、積極的に読んでいいんじゃないでしょうか(Amazonで注文できます。値段的にはユーズド商品があるのでそっちの方がお得)。
 ただ、『フラニーとゾーイー』式の救済が殆ど用意されていないため、初期の作者の「救われない」傾向が窺えますね(発表したがらない理由はこのあたりなのでは)。

 最近になって佐藤友哉と舞城王太郎とサリンジャーを通して読んだ、という人ならすぐ思いつく構造だと思いますが、『ライ麦畑でつかまえて』で見られるような人間不信やディスコミュニケーション性を更に救われない形に推し進めていたのが佐藤で、逆にその救われなさを暴力的な手法で救済(圧倒)してしまったのが舞城だということができると思います。
 特にリスペクト度合いの高い『世界の終わりの終わり』と『世界は密室でできている。』を読み比べればそれが顕著ですね。
 両作品の肝心の部分を引用したくなる誘惑がありますが、激しくネタバレということで我慢。

余談1:「サリンジャー繋がり」の中に西尾維新を入れちゃうと魔のトライアングルができてしまうので、ここでは割愛します(ヒトクイ未読。読む予定はあります)。

余談2:『世界は密室で〜』で得られる感動と、マリみての『パラソルをさして』で得られる感動が凄く近い気がするのはぼくだけでしょうか。佐藤友哉風に言えば、「象徴的交換」と「代替的救済」が劇的に発動する話であって。まぁ、『パラソル〜』の方には「愛情の告白」という別ベクトルのカタルシスが含まれるのですけど。




イングリッドたんのエロ画像キボンヌ5
 イングリッド本人よりもAAの方がかわいいのでずっとウオッチしてるスレ。
 集大成

小学校の机、いすを格安販売
 「学校の机が好き。仕事場に学校の机が欲しいくらいだけど、新品で注文すると凄く高いのね」ってなことをあとがきに書いてた女性漫画家の人が居たような気がするけど、あれは誰だったろうか。
 →正解は「日本橋ヨヲコ」でした。情報提供者はHARD-WIREDさん。
■ 津田雅美『彼氏彼女の事情』16巻
Date / 2003-07-12 (Sat)
■津田雅美『彼氏彼女の事情』16巻
 伏線と布石が増えてますね。何をもってして「終わり」とするんでしょう。……家庭?

 前巻から雪乃の超人的な「強さ」が気になっていたんですが(超人ばっかの漫画だとは思ってたけどまさかここまでとは、という)、これは作者の視点が非常に高いせいかなあと思うようになりました。舞台こそ現代の学園ドラマですが、登場人物の一人一人は、ヒロイックな舞台(歴史ロマンや超能力合戦レベルに劇的な)にも耐えられるように性格付けられているのではないか、と。
 津田さん本人の読書感想を読むと、そういう登場人物が出てくる話が好きそうですし。




 文章化したいことは少しずつ増えてきていて、特に早くやっつけておきたいのは「今、オタクだと感じているものは直系ではなく傍系のオタクである」ということと、「オタクは性質的に、新しいものに対する耐性や感度が低い」ということ、あと以前から考えだけはあった「絵の説得力構造について」辺りがあります。
 こんなことを自分が書いていいのか、というのはいつも思うことですが、「自分が読みたいものを自分で供給する」という姿勢を忘れなければ大丈夫かな、と言い聞かせてます。
 その上で、実際に「使える」ものを書かなければまったく意味のないことですが。
■ 今野緒雪『マリア様がみてる いとしき歳月』前編
Date / 2003-07-11 (Fri)
 次のコミケでは、またカット描きのお手伝いをすることになりそうです。どこの本かは、例によって内緒ですが。





 ロクさんのHPで挨拶する時に描いた絵板絵。
 最近練習してた要素を色々詰め込んでます。あんまタブレット直描きはしない方なんですが、パソ上だと消しゴムで汚さすに描き直せるからいいなあ。
■ 無題
Date / 2003-07-04 (Fri)
 ケーブルテレビで『くらげが眠るまで』っていうドラマをやっていたので見入ってしまう。こういうの凄い好き。面白い。
 永作博美演ずる「奥さん」がうわーっ、好みだーっていうキャラでまいってしまいました。ちょっとやばかった。あと劇中で「ノブくん」って呼ぶし。ピンポイント攻撃ですか(違う)。
 ところで、イッセー尾形って吉井さんに似てません? 顔とか声とか。





 トリエラ先生を描くつもりが、小さく描きすぎた。
 この後アムステルダムへ行くんだろう(鬱)。

■ 無題
Date / 2003-07-03 (Thu)
 なんか一日に3回日記を書いてますが。

『フリッカー式』、重版!
 うわー、買わーなきゃーだめーなのーかー。
 笹井一個の絵は合うのかな、どうかね、と思ってましたが、これならアリですね。
 しかし、二度目の「登場人物がヴィジュアル化されてるメフィスト賞受賞作」になってしまった(初っ端はクビキリサイクル)。
 そして、

web連載の入口ができたー
 「右が稜子」の他に、「左が稜子」の可能性もあるんじゃないかと思ったり(ハァハァしすぎ)。
■ 今野緒雪『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物』前編,後編
Date / 2003-07-03 (Thu)
■今野緒雪『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物』前編,後編
 全巻読破も時間の問題か。
 ぼくは『パラソルをさして』を先に読んでいるのでパンチは弱かったんですが、シリーズを通して見れば「徐々に盛り上げていくところ」なんでしょうね。構造的な流れについてはくわねさんの覚え書きが詳しいです。




 今回は作品自体から離れて、男性オタクから見た「全年齢対象の萌えブームにおける大雑把な流れ」を考えてみます。
 まず当初に恋愛シミュレーションがあり、世紀の変わり目に「ラブひな(こっちはギャルゲーを漫画界に輸入)」と「シスプリ」が登場。
 特にシスプリによるショックは絶大なものだったと妄想しているんですが、主な影響は「凡百の大量生産ギャルゲー」にとどめを刺したこと、そして、「18禁でなくてもエロいものを作れるんだ」ということを示したことで、18禁ゲームの優位性を奪ったことでしょう。特に、当時は「適当にエロ入れてあとは絵と音楽で。売れたらコンシューマ化」みたいなヌルい雰囲気があったため、余計このショックは大きかったはずです。妄想ですけど。
 こういう状況で頭を使わないメーカーというのはダメで、当時は「シスプリが存在する以上、とにかく質のいいもの、面白いものを作るしかない」という切迫した空気があったと思います。妄想ですけどね。
 ただシスプリ以降、オタクがエロゲーを見る「眼力」が変化したのは確かで、それに耐え得たのが、あのゲームやあのメーカーなのではないかと。

 んで今では、全年齢の世界では「電撃」系の雑誌がヌルく萌えを強化する一方、18禁の世界ではロリやらお姉さんやらエロ方面の「揺り起こし」が活発になっているわけで。コミケに行けば解りますが、オタクの消費活動にはやはり「エロとしての質」が深く関わっているのは間違いないし、それは一定鬱陶しくもあります。

 エロエロ言い過ぎたので話を巻き戻すと、一連の「マリみて」ブームは男性読者の性的欲求が完全に払拭されているという点で、「シスプリ」ブームや「電撃」系の上位にあると解釈することもできます。「マリみて」の18禁同人誌は絶無で、もし『百合姉妹』が18禁だったら男性にも売れなかっただろう、と憶測ですが言うこともできます。
 こうやって男性オタクの消費のバランスが取られることは、好ましい変化でしょう。この「流れ」を一過性にして手放すか、手放さないかは、実に、供給と消費者の実力が試される機会だと思います。
■ 大原まり子『処女少女漫画家の念力』
Date / 2003-07-03 (Thu)
■[雑誌]『百合姉妹』
 発売日の午前中にゲットですよ。フライングの評価が良かったのでつい買ってしまいました。
 小野塚カホリ、タカハシマコ辺りが描いてるのがおトク感高いか。紺野キタを読むのはたぶん初めてですが、過去の作品も読みたくなってきました。

 あまり良く知らない世界なのでちょっと状況を整理しておくと。この雑誌はボーイズ系雑誌の編集部が、やはり女性向けに編集しているということ(中の広告もソッチ系しかない)。ボーイズの人は、潜在的に逆のパターンも好む傾向があるとのこと(まぁ、マリみての表紙の人もソッチの人だったりするし)。
 その一方で、日本橋のオタク書店に行くと「レジ前に平積み」されているわけです。確かに「あー売れるんだなー」って感じですけど、ここで一概に「ほとんど男しか買ってない」とニヒルに決めつけるのもどうかと思いますが……。
 ただ、編集部サイドの「(そりゃあ売れた方がいいけど)好きで雑誌つくってます」っていう態度は良いものです。

 『百合姉妹』を含めて、女性向けのジャンル誌を調べて気づくのはコラムのボリュームが多いこと。女性漫画読者(編集者)は根が文系なのか、女性は歴史モノが好き(=資料を好む)なのとも関係あるのか。まぁ、原稿の数が集まらないので、穴埋め企画が増える伝統、みたいなのがあるかもしれませんが。
 最近の男性向けジャンル誌の弱い部分はここで、オタク商品の出荷ペースが速いためニュースに誌面を奪われ、読者も「いっぱしのオタク気取り」が多いので豆知識的なコラムは喜ばれず、なにより「絵と萌え」を求めた読者に無駄なテキストの必要はないわけで。
 要は、デモンベインやマブラヴの宣伝はしても、「ロボットアニメの系譜!」とかは絶対やらないわけです(読者の大半は知ってることだし、確かに即実的な意味はない)。
 これだと後続のオタクは育たんよなーと思わなくもない。でも「無駄なテキスト」はネットで獲得できる時代だからいいのかな。いや、それ以前に「ネットしない若いオタク」っていうのはどのくらい居るのか?
 やはり、今風の「オタク→ギャルゲーマー→パソコン持ってる→ネットする→ネット上のオタク的な人々」っていう連なりにはちょっと違和感を感じ始めています。大局的には「部分」なんだけど、それが「全体」に見えているかのような。

 そういう意味でも、『百合姉妹』は微妙に「今風オタクの外」からやってくる文化なので興味深い。たぶん、興味のない人には興味なく終わるジャンルでしょうけど、「ジャンル」っていうのは元々そういうものですし。

■大原まり子『処女少女漫画家の念力』
 以前から大原まり子は読んでおきたかったので、入門用に、ライトそうな『処女〜』を読んでみました。んー、こんなものか。一般に「サイバーパンク作家」と呼ばれる大原まり子(あからさまに言うと、小谷真理と対談してそうな大原まり子)に興味があるので。次を読もう。


火星探査機が撮影した、地球、月、木星、木星の衛星がひとつのフレームに収まった写真
 ちょっと部屋に飾りたい。
■ Comic Communication
Date / 2003-06-30 (Mon)
■土日はコミコミに参加
 といっても、東京からサークル参加する人達につきあっただけですが。

 まず、大阪で結城さん、柴刃さん、ありよしさん(この人は京都の人)と合流することになりました。
 合流する前に『百合姉妹』(後述)を購入し、カプコンギャルズコレクションを一回まわしました……うおっと、一発でアキラ先生が。念力だ! 合流後、アキラ先生を見せびらかしたらみんな欲しがってました。プチブーム発生。そしてここは日本橋。みんなまわす。

 京都の宿泊先へ移動すると、なぜか『日本の総て』という自主制作映画のビデオ(オタアミの本とかで有名な、『国防挺身隊』が収録されてるビデオ)を観せて頂きました。なるほどなーっ。いや、観たかったものが偶然観れましたよ。
 あと、この日のメシで、やっぱり肉料理は体が受け付けないことがわかりました。特にトンカツ(使ってる油の質によるらしい)、焼き肉(肉の脂の質によるらしい)がダメみたい。カシワとかハンバーグ辺りなら食べられますが……。何かメシに誘う機会(選択肢の無いコース系とか特に)があれば、気を遣っていただけると嬉しいです。

 この日は合計3時間くらいしか寝てません。起きてる間は結城さんと喋ってました。結城さんもぼくとしかできないような話題があるようで、ぼくも自分の話題のストックを外に出せるのは嬉しい。




 翌日はインテックス大阪へ。
 現地でろどさんと合流してからサークル入場。でも原稿描いたわけじゃないしコミコミなので並ぶようなサークルもないしで、ちょっとブースで留守番する程度で、あとはブラブラしてました。
 夏コミ前に散財グセをつけたくないので、薄い本を中心に買います。

ここのラクガキ本
 サークルカット買い。

ここの千影本
 そうか俺は千影萌えなのか……(今更ですが)。こける千影萌え。

 撤収後、メシ食いに行くんですがせっかく大阪に来たんだから……と、ぼくの提案でお好み焼きを食うことにしました。
 お好み焼き自体はうまかったんですが、店のおばちゃんが大阪的ヴァイタリティに溢れたいかにも戦中派! な人だったので、最初は「しゃべり」だけだったのが、メシを食い終わる頃には「説教」に変化。愛想笑いと渋い顔がミクスチャーされる我々。
 その時は周囲の手前、ぼくも笑って聞いていましたが、最近ひどく落ち込みやすい周期に入っていたので、内面泣きそうになっていました。
 まぁ、東京人にうまいお好み焼きを食べてもらって帰せたんだから、良しとするべきか……。
■ 相田裕『GUNSLINGER GIRL』2巻
Date / 2003-06-27 (Fri)
集英社の乙一OHP
 今日発見。おしゃれすぎてびっくりします。
 あと、サウンドノベルが読めますね。サウンドノベル?

・鈴木央『Ultra Red』最終回
 実は皇友に萌えていました。かなり。
 最初女にしか見えなかった→女にしては描写がおかしい(「実は女でした」は一回やってるし)→どっちでも萌えるからいいやと覚悟してググる→どっちでも萌えれた
 俺って……。

・和月信宏『武装練金』新連載
 安西信行といい勝負してます。
 悪いのは作者じゃなくて、没にできなかった編集者でしょう。弱い。

ビっ子さん
 というかこの637がぼくなんですけど(閑散としたスレに住む人)。
 ぼくの萌えポイントとは微妙に外れるんですが、絵柄はとても好きさ。
 雅寿丸さんなんかは喜ぶかしら。




・速水螺旋人『馬車馬戦記』第四回
 今までコラム形式だったのが、いきなり漫画になっててびっくり。ツカミも含めて、うまく機能していると思います。ヒロインもちゃんとかわいい。
 誰でも宮崎駿を祖としていることに注目するでしょうが、「祖」が明確に伝わる、ということは結構有利な点だと思います。一例を挙げると、水木しげるを「祖」とした「妖怪モノ」の流れが存在したように。また、「祖」があることで、読者は思想的背景を勝手に妄想し、裏付けるものです。
 その「思想的うねり」を、どう扱うのかも気になるところ。
 とか書いてみた。個人的に、速水さんは思想的な強さがもっと出ていたらいいと思ってます。

・おかゆまさき『撲殺天使ドクロちゃん』
 サラっと立ち読み。あー、ドラなのか。ここまで真っ向からドラをやったライトノベルは珍しい、のかも(※単なる「お助け同居人」パターン、という意味ではない)。作者のやりたいことには一定共感できました。
 観念的には、「幸福な日常」について書かれた小説だと思います。

■相田裕『GUNSLINGER GIRL』2巻
 一応連載で読んでるんですけど、購入。
 結構直し入ってますね。良い直しもありますが、クラエスのあのカットは連載時の無表情な描写の方が良かったな。
 「A kichen garden」と「How beautiful my Florence is!」がポイント高いです。ストーリーを含め、「空気感」をつくるのが非常にうまいと思います。
 特に「A kichen garden」が好きなんですが、おそらくインプリンティングがテーマのお話であって……作者の

「萌え作品の男キャラが、『少女から無条件に好かれる』っていうことはこういう意味なんだぞ、自覚しろよ」

という、無言の圧力を感じなくもないです(※いつもの妄想ですのでご容赦ください)。
 とにかく、時代的に必要性の高い作品だと認識してます。
 
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