+ 京大人気講義シリーズ--バイオサイエンスの新戦略/京都大学農学部編
キャッチーなタイトルについ惹かれて。
+ AspectJによるアスペクト指向プログラミング入門/長瀬嘉秀監修・天野まさひろ/鷲崎弘宣/立堀道昭著
かなり前から気にはなっていたのだけど、たぶん最初の日本語書籍(解説記事の載った雑誌を買っても読まなかったくせに)。
+ チャンス発見の情報技術--ポストデータマイニング時代の意思決定支援/大澤幸生監修・著
長く続いたAIの冬にもいよいよ春の兆し?
+ 史上最強科学のムダ知識/平林純
あのhiraxが本になっていた!
+ インドのソフトウェア産業--高収益復活をもたらす戦略的ITパートナー/小島眞
すぐにインド出張はなさそうだけど、CMMハイレベルのところがごろごろしているとか。
+ 技術経営の考え方--MOTと開発ベンチャーの現場から/出川通
他人事だからおもしろい? いや、逃げちゃいかん!
+ グーグる!--Googleで知識が100倍増える本/インターネットマガジン編集部編
雨後の筍のごとき類書の中で、いちばん使えそうだったから。
+ 売れる理由/長田美穂
この手の本は、おもしろいかつまんないか極端なんだけど。
+ 国語力もっとアップ400問/NHK放送文化研究所日本語プロジェクト
時間つぶしにピッタリ。って、どこにつぶす時間があるんだ?
+ 神の系譜特別篇 竜の秘密/西風隆介
シリーズが進み、途中から読む読者が着いていけなくなったので、ここら辺でひと整理、ではないかと想像。著者はわたしの友人なのだが、知り合いの姓をかたっぱしから登場人物に使っている。もちろん、わたし(の名前)も出演している。
- 日本人が食べたいほんもの/向笠千恵子
いまさら舌が肥えたらきっと不幸になる... やっぱり本物指向には距離をおいた余生を送ることにしよう。いや、こういう本を読むのは嫌いではないんだが。
今週はめずらしく本屋へ行かなかったが、それでも量販店で本を購入。
+ SELinux徹底ガイド--セキュアOSによるシステム構築と運用
たまには仕事の本も買わないと。買っただけではだめなんだが。
- 英語の看板がスラスラ読める
期待はずれ。高校生向き? "Business Service Center"の項で、三つの単語の意味や用法の説明があるのに、肝心の"Business Service Center"がどういうところかという説明がまったくなかったりする。看板の写真にある単語をダシにして基本単語の説明のみ。
+ マリス博士の奇想天外な人生/キャリー・マリス
前から買おうと思っていたPCRの父の自伝が文庫化されました
+ カタコト・イタリアーノで旅しよう--食べたりしゃべったり極上イタリア/貝谷郁子
ホントはスペイン・フリークなのですが、イタリア本に比べてスペイン本の少ないこと。しかたがないので(?)、イタリア本もよく買います。
+ 日本人が食べたいほんもの/向笠千恵子著・松村映三写真
これからうまいものの味を覚えるような年齢でもないので今さらなのですが。
「効率性と多様性のあいだ」というエントリのタイトルを見て(内容的には直接関係しないので恐縮なのだが)、これまでずっと考えていたことを書いてみたい。
はるか昔、就職したての頃、1ヶ月間の工場実習というのに行った。ビデオデッキを組み立てるベルトコンベアの前に立ち、流れてくる組み立て途中のビデオデッキに部品をいくつか載せたり、ケーブルをコネクタにはめたりする作業だ。最初は教えられた手順を頭に浮かべながらひとつひとつこなしていくのであるが、馴れてくると手が勝手に動きだして何も考えずにひたすら作業をこなすようになる。ラインについている全員がこのような状態になると、時間当りに組み立てられ、検査に合格する台数、すなわち生産性は当初の数倍にもなる。いかにこのような状態に早くたどりつき、維持するかが、すなわち工場の生産性向上ということになり、さまざまなノウハウがあるし、(製品設計も含めて)たえず改善が繰り返されている(はずだ)。
このとき学んだことは、余分なことを考えていてはだめで、ひたすら頭を真っ白にして製造マシーンと化すことが要求されるということだ。ラインに立っている間は、ここをこうすれば良くなるとか、製品の使われ方なんかを考えている余裕はない。こうした作業には人間よりも機械の方が向いているようで、さまざまな自動化やロボットの導入が進められている。
このような生産性の向上を追求するには、いかにムリ・ムラ・ムダをなくすかということがポイントになる。ある時期、会社全体で生産性向上が叫ばれ、ありとあらゆるムリ・ムラ・ムダをなくそうというスローガンが掲げられた。
しかし、新しい商品やソフトウェアの開発をしている部門には悪影響があった。ムリ・ムラ・ムダをなくしてしまっては、創造性の働く余地がない。試作品は必ず製品に仕立て上げることが要求され、いくつものプロトタイプの中から選択するというようなことは難しくなった。すべてのプロジェクトは成功することが義務づけられ、困難なターゲットにチャレンジするモティベーションは失われた。コスト・センターは必要悪とみなされ、みんながプロフィット・センターになることが要求された。
徹底的な効率向上を要求する生産性原理と、模索して新たなものを生み出す創造性原理は、逆のベクトルなのだ。生産性の追求と創造性の追求は、原理的には両立しえない。
今では、極端な生産性志向からすこし揺り戻しがきている。また、部門によって、あるいは時期によって、生産性を重視すべきところと創造性を重視すべきところがあることも認識されている。
生産性は均一化を意味し、創造性は多様性の中から出てくる。管理する側にしてみれば、相手は均一な方が管理しやすい。自分で使うならLinuxかMacだが、他人に使わせて管理する立場になればWindowsの方が楽かもしれないと思う。生徒に制服を着せ、同じように振る舞うことを要求すれば教師は楽ができるが、個性ある人材の育成は期待できないだろう。
組織の中でPCを100台導入することを考えてみよう。一度に同じモデル、構成で100台のPCを導入したとする。すべてのPCで同じことができ(同じことしかできず)、1台が故障しても別の1台をもってくれば代わりが務まる。そのかわり、一旦導入したシステムは、最初はみんな最新式のモデルであっても、次の総入れ替えの時期まで陳腐化していく。1台のマシンでためしてみてできなかったことは、他のマシンをもってきてもやはりできない。管理者としては苦労が少ないが、ユーザとしては不満が残る。
一方、五月雨式に随時新しいPCを導入して100台揃えたとしよう。こちらのマシンでできることがあちらではできない、個々のマシンごとに別の操作方法が必要だったり、振る舞いが違ったりする。管理する側にしてみればやりにくいこと、このうえない。しかし、組織の中にはたえず新しいマシンが導入されるため、どこかを探せば最新の機能を実行できるマシンが存在する可能性が高い。すべての業務が最新の機能を要求するわけではない。
同じ環境が続く場合は、生産性を極端まで追求していくのもよいかもしれない。その環境に最適なものだけ存在するのがいちばん効率がよい。しかし、環境が激変する時期には、一網打尽となってしまう危険がある。そのような時期には、多様な存在の中から新しい環境に適応したものが生き残る混在型の方が有利だ。
そして、これは稿を改めて述べてみたいが、長い目でみれば環境の変化は永遠に加速し続け(てい)るというのがわたしが密かに抱いている仮説だ(「IT革命」が完了して、平穏な時期が再び訪れるなどと期待してもむだだ。「IT革命」ということばは死語になろうとも)。
全体主義に対する民主主義の優位性もこのコンテキストの中で捉えることができるのではないだろうか。そういえば、わたしは制服がきらいだ(自分が着る分には)。