Who is Dr. Pangloss?


パングロス博士とは誰か?(適応主義の戯画)

ダーウィニズムは基本的に適応の説明をなによりも重視する。この姿勢は、1970年代の後半にE. O. ウィルソンが提唱した「社会生物学」(動物の社会的行動の多くは生物学的適応として説明できるとみなし、人間にも同じような説明を適用しようという提唱)でも引き継がれ、強調された。これに猛然と反対を唱え、「反ウィルソン・キャンペーン」を繰り広げたのが、同じハーヴァード大学の同僚だったグールドとルウォンティンである。彼らは、このたぐいの(彼らの見解では)「行き過ぎた適応主義」を、ヴォルテールの作品『カンディド』に出てくるパングロス博士になぞらえてパングロス流パラダイムと名づけ、痛烈に皮肉った。

グールドとルウォンティンは「適応主義のプログラム」を次のように描いてみせる。

このプログラムは、自然淘汰のはたらきがきわめて強力で、それに対する制約がきわめてわずかしかないので、その作用によって直接生み出される適応が生物のほとんどすべての形態、機能、および行動の主要な原因になるとみなす。・・・

1. 生物は個々の「形質」へとアトム化され、これらの形質は、自然淘汰によりそれぞれの機能のために最適設計された構造であると説明される。・・・

2. 部分ごとの最適化が失敗したなら、生物は他の部分の犠牲なくして各々の部分の最適化はできないのだという格言によって、相互作用が認められる。そして、「取り引き」の概念が導入され、生物は競い合う複数の要求の間での最善の妥協の産物だと解釈される。かくして、部分の間での相互作用も、適応主義プログラムの中に完全に居場所を得るというわけだ。・・・(76-77)

グールドとルウォンティンの批判は、このプログラムでは説明できない反例を列記し、このプログラムの「非科学性」と「不毛性」を暴いていく、というものである。See The Spandrels of San Marco

もちろん、彼らの批判には聞くべきところもあったことは否定できないが、これによって進化生物学での適応主義が崩壊したわけではない。依然として適応の説明は進化生物学の重要な部分であることには間違いがない。ただ、「適応」「機能」「設計(デザイン)」「最適化」といった(古くからの目的論がらみの)概念には明晰な意味を与えて、きちんとした取り扱いをしなければいけない。

For a good adaptationist account, see Williams on Pony Fish; also see my Structure of Adaptationism.


グールドの影響は日本でもかなり大きいと見受けられるので、彼と対立する見方の一例をここであげておくのが公平というものだろう。

Over the years, Gould has mounted a series of attacks on aspects of contemporary neo-Darwinism, and although none of these attacks has proven to be more than a mild corrective to orthodoxy at best, their rhetorical impact on the outside world has been immense and distorting. (Daniel C. Dennett, Darwin's Dangerous Idea, Simon and Shuster, 1995, 262-3)

If you believe:

(1) that adaptationism has been refuted or relegated to a minor role in evolutionary biology, or
(2) that since adaptationism is "the central intellectual flaw of sociobiology" ..., sociobiology has been utterly discredited as a scientific discipline, or
(3) that Gould and Eldridge's hypothesis of punctuated equilibrium overthrew orthodox neo-Darwinism, or
(4) that Gould has shown that the fact of mass extinction refuted the "extrapolationism" that is the Achilles' heel of orthodox neo-Darwinism,

then what you believe is a falsehood. (op. cit., 265)


参考文献

ウィルソン『社会生物学』新思索社、1999。

グールド『ダーウィン以来』下、早川書房、1984。

Gould, S.J. and Lewontin, R.C., "The Spandrels of San Marco and the Panglossian Paradigm: A Critique of the Adaptationist Programme", Proceedings of the Royal Society, B205, 1979; reprinted in E. Sober ed., Conceptual Issues in Evolutionary Biology, MIT Press, 1994, pp. 73-90. [References are to the reprinted version.]

グールド『ワンダフル・ライフ』早川書房、2000(原著1989)。

[この本の中で、グールドはいわゆるカンブリア紀の爆発を論じ、バージェス頁岩に含まれる奇妙な生物化石をネタにして自らの進化観を擁護しようとした。この本の前半部分はすばらしい。しかし、後半部、自説の展開部分は、彼が批判した「ウォルコットの靴べら」──自分が信奉する見解に事実を無理やり押し込めようとする方策──と大差ない論法だと筆者には思える。生物の歴史にいくつかの顕著な大量絶滅の時期があったことはすでに認められているが、だからといってこれが適応主義にとくに不利に働く事実だというわけではない。何よりも、その後の古生物学での研究の進展により、グールドの認識ないし推測は多くの点で覆されつつあるように見える。ちなみに、バージェス頁岩をはじめ、カンブリア紀の新しい研究をリードしてきたコンウェイ・モリスは、グールド批判の急先鋒である。彼の

『カンブリア紀の怪物たち』(講談社現代新書、1997)

においてだけでなく、2001年12月5-6日に京都で行われたシンポジウム──三葉虫とバージェス動物群研究の権威ウィッティントンの国際生物学賞受賞記念──での、コンウェイ・モリスの講演でもグールド流の「偶然史観」は手厳しく批判された。コンウェイ・モリスは適応主義について直接語っているのではないが、彼が強調する収斂ないし相似、すなわちconvergence は、適応を前提しなければ理解不可能である。

余談となるが、筆者にとってこのシンポジウム中の圧巻と思えたのは、Dieter Waloszekが発表した、カンブリア紀の小さな節足類が3次元の形態を保ったまま、内部構造ともに化石化したOrsten動物群である(電子顕微鏡で見事な写真が撮れる)。これを含むシンポジウムのabstractsは、京都大学総合博物館でまだ入手できるかもしれない。]

Stephen Jay Gould (1941-2002)

He was one of the most famous science writers, as well as a professor of paleontology.

Stephen Jay Gould died at 60, May 20, 2002
Our deep regrets. For an obituary, see New York Times. "Famed for both brilliance and arrogance, ..." by C. K. Yoon (need registration)

Last modified Oct. 1, 2003. (c) Soshichi Uchii

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