高山町
資料番号 1-156

あまりにも広いので地図が3枚です。

今昔マップ目印ファイル   (右クリックして対象をファイル保存)

NO2の道標がなかなか見つからなかったのですが、神社東から県道に降りる分岐の北東角にブロック壁の一部になって存在していました。てんの道道標のページで説明しています。
No.153から156の芝の権現神社もやっと見つけることができました。YAMAPレポで紹介しています。
No.5の狭戸墓地は、最初(2017年)訪問したときは存在して、マップにも位置を記載しているんですが、その後(2018年10月、11月)に行くと見つかりません。2019年2月地元の人に話が聞けて、墓石を撤去して墓地が消滅したことがわかりました。2018年に墓地撤去したとのことです。私が持っている写真が狭戸墓地の最後の姿のようです。

 撤去前の狭戸墓地(2017/4/4撮影)

このほかに3ヶ所の遺物が確認できませんでした。NO.60の「大北(おおぎた)の庚申さん」、NO.125、126の「久保の7843番地、宝筺印塔と役行者像」、NO135から137の「芝の愛宕山神社」です。
このうち、「久保の7843番地」は高山郵便局北の道を東に進んだ所ですが、大規模開発工事が進行中で、石造遺物どころではない状態です。どこかに移設されたのか、失われたのかはわかりません。2019年1月の時点で工事はすっかり終了していますが、さっぱりわかりません。
「芝の愛宕山神社」は所在地の見当もついていません。そもそも芝には権現神社と、調査報告書には記載のない天満神社があります。愛宕山神社もいれて3つも神社があったのかと驚いています。
「大北の庚申さん」も所在地の見当がつきません。人里なのか山中なのかもわからない。捜索範囲を絞れないのでお手上げです。我が家の近くならそれでも見つけるのですが、ちょっと遠いなあ。
というわけで、かなりの遺物が未確認ですが、このページのアップで生駒市全地域を網羅したことになります。未確認遺物については今後の課題とさせていただきます。

NO10-13の西方寺上墓地の先へ進むと三角点があります。畑の端で農作業の邪魔になるので三角点の運命が危ぶまれます。

NO14-16の3遺物は西谷墓地下としてありますが、NO14の磨崖仏は他と離れてかいがけ道の路傍にあります。15、16は並んでいます。なお、西谷墓地は「生駒谷」では傍示墓地と記述しています。

NO45-50の本願寺は参道が2ヶ所ありますが、どちらもロープが張ってあって入りにくい感じです。建物の工事中で、子供の危険防止の意味だと思います。工事は終わったようで通過に支障はありません。そのうち取り除かれるでしょう。今のところはむしろロープが入口の目印です。

NO51-54の本願寺上墓地は困ったことに本願寺から上れません。裏手の高い所で、藪の向こうに見えているのですが、道がありません。藪こぎできないことはありませんがかなりの急斜面です。一度本願寺を出て回り込みます。東からも入れますが、西からの入口を表示しました。

NO106-110の阿弥陀寺墓地の遺物は、ほとんど阿弥陀寺と東に整備された妙法寺跡のほうに移されています。NO106の板碑だけが阿弥陀寺で確認できなかったので墓地位置の表示を残していますが、墓地の方でも確認できていません。

NO114の高山八幡宮にあるはずの道標は、道路工事のために一時避難していたものです。現在は元の位置に近い所に帰還しています。「生駒の古道」P.99では出店橋西と表記してありますが、もう少し南で、田原越道が富雄川とぶつかる三差路です。ところでこの道標の上面がくぼんでいるのはどうしたことでしょう。私の想像では昔の子供の遊びの結果ではないかと推測しているのですが、どんなものでしょうか。似たようなくぼみを暗越奈良街道の砂茶屋西の燈籠で見つけて、地元のお年寄りから、解説していただいたことがあります。何でも、昔の子供は草や花を石でこねて色水を作って遊んだとか。その結果すり減ったのだということで、この道標も上面が平らだっため、格好の石臼になったのではないかと想像しています。

NO116の奥谷墓地は地元で「しるし墓」と呼ばれています。地図で奥谷墓地入口と表記した地点に山へ入る細道があります。入ったらすぐ左折してください。直進すると、民家の庭に出ます。通行止めがしてあって、迷惑を被ったことがしのばれる掲示がしてあります。通行止め掲示を越えて進まないでください。

 ここから入ってすぐ、左折します。

NO144、145は仏像形道標です。俵口の宝生寺が行方不明なので、報告書記載で見物できる仏像形道標はこの2点だけになっています。NO144は山門を入ってすぐの右手に他の石仏と並んでいます。NO145は山門直前左手の小堂の中です。完全に仏様として扱われています。
NO144仏像形道標の後にいる、NO141の石龕阿弥陀如来像は西光寺下叢に転がっていたものだということが「生駒谷」に書かれています。今はちゃんとした場所に収まっています。

NO132の宮方神社は生駒市文化財mapでは、杜山神社という名称で紹介されています。

NO133、NO144の2つの墓地は申し訳ありませんが、どちらもはっきりした道を紹介できません。(能力がありません)畑の畦のような所を進みます。近くまで行って上れそうな所を見つけてくださいと紹介するぐらいしかできません。

高山溜池南端、北倭土地改良区事務所北西に北倭村道路元標があります。
ここへは、東から回り込むしかありません。溜池からの放流地点にかかる橋は通行禁止で、人間も通れません。高山溜池南の道を進む方はご注意ください。

国道163号北の稲葉に天満神社があります。石造遺物は鳥居と金毘羅大権現銘の燈籠ぐらいで調査報告書に記載はありませんが、法楽寺から移設したということで、落ち着いた雰囲気の境内です。生駒市文化財mapで紹介されています。

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