自然石遺物

石造遺物調査報告書の紹介が一段落したので、自然石の紹介をしてみます。いくつか有名な石がありますが、ここでは神様扱いされているものを取り上げます。

1.清滝 神足石
2.岩蔵寺 神足石
3.奥菜畑 馬の足跡石
4.稻蔵神社 烏帽子岩
5.鹿畑 鹿の足跡石
6.生駒山 久曽麻留石

私が知っているものはこれだけなのですが、これ以外にもあると思います。お知らせ下されば、喜んで取材に行きます。


1.清滝 神足石

近鉄生駒駅から1kmたらず、上り坂なのでゆっくり歩いても、30分もかからない大乗滝寺裏手の宝山寺川畔にあります。

近鉄生駒駅から西へ進んで、4差路へぶつかります。正面は大変な急坂で、平和合掌観音跡地から谷田墓地への道です。神足石へは左(南)へ曲がり、昔の近鉄生駒トンネル工事用社宅、現在の帝塚山大学セミナーハウス前を通って細道を進みます。ちょっと珍しい石碑を過ぎて橋を渡ります。渡ってすぐ左に上る坂が一般的なハイキングコースですが、ここは生駒山系最大の滝である清滝を見るコースをとりましょう。右の川沿いの道を進みます。また橋を渡ります。この付近は生駒駅から10分ほどですが、深山幽谷の雰囲気です。まもなく清滝南陽院です。右手にはたくさんの石仏が並んでいます。建物の間を通ると清滝です。

 珍しい石碑。南無法蓮華経と刻んであるようですが、これも六字名号碑に分類するのでしょうか。名号ではないのですが。
追記:この石碑の「妙」字が小さくて見逃していたため、ずっと謎だったのですが、今日(2018/3/26)よく見ると「無」と「法」の間に縦幅が極端に小さい「妙」がありました。謎でも何でもなかったようです。同種のものが少なくて珍しいことは珍しいですが、謎な点はなくなりました。

 清滝は三段滝です。

清滝の上すぐの所が神足石ですが、滝は登れません。外道クライマーのお仲間も登らないで下さい。禁足地です。橋を渡り、急階段を上って、滝寺公園プールの脇を通り、大乗滝寺参道に合流します。大乗滝寺入口には禁札がありますが、その少し手前に右へ下るハイキング道が分岐しています。

 この柵は開けて通過できますが、滝寺へ行くと神足石からは遠ざかります。

右下に清滝を眺めながら進み橋を渡ると、右岸上流すぐの岩に足跡らしいくぼみがあります。

もう少し上流にもあってこちらの方がより足跡らしい。対岸の岩にもくぼみがあり、こちらは下に由緒書が彫り込まれています。この由緒書は石造遺物と言ってよいのですが、「生駒谷」に神足石の写真はあっても、由緒書銘文の言及がないのは残念です。

 

由緒書は苔むしていて判読できません。原文(漢文)を写し取った記事がないかと探しましたが、私の手持ち資料では見つかりませんでした。「ふるさと生駒」に注釈文が掲載されていましたので紹介します。
「元禄十六年(一七〇三年)四月のこと、弟子たちがここに来て、足のしるしがついているのを見た。一体何だろう、といぶかしがるので、私は、これは昔、瓊々杵尊がここに降臨された、ご神足跡なのだと教えた。尊はここで足を洗い、この流れを清滝と名づけられたのである。疑ったりせず、貴ぶべきである。以上のことを岩に記し、後世に伝えてくれ、と湛海和尚は言った。その時、和尚は七十五歳であった。」
1703年以前には誰も知らない伝承であったわけで、湛海律師だけが神通力で真相を看破できたことがわかります。疑ったりしてはならない、とわざわざ諭されていることから、弟子たちが眉にツバを付けている様子が想像されます。ニニギの尊は確か日向の高千穂峰に天下ったと思っていましたが、生駒にも天下っていたのか。しかし、湛海律師というお方は、このような岩の様子からすぐにありがたいお墨付きを与え、観光に役立てるというなかなかの傑物であったことがわかります。

神足石の先は、岡村家墓所を通り、八丁門峠越参道に合流します。

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2.岩蔵寺 神足石

岩蔵寺は南田原のページで紹介していますので、地図は省略。国道168号バイパスの岩蔵寺参道入口は目立たないのでよく注意して下さい。

高所に阿弥陀様のいらっしゃる岩壁の左に、奈良県で4番目に古い(天文14年=1545年)十三仏石碑があります。その手前少し離れて半ば埋もれた岩があります。小木が割れ目から生えているので、これが成長すると岩を破壊する心配があるのですが、よく見ると5本指がある足跡が刻まれています。

 少しわかりにくいので部分拡大しましょう。

 両足並んでいますが、左足は小さいですね。

さて、これがどなた様の足跡かというと、役小角様だそうです。この岩の上に裸足で足をのせられたわけですか。きっと、岩壁からわき出る泉で足を洗われたのでしょう。岩壁右手の方には役行者の磨崖仏もあります。

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3.奥菜畑 馬の足跡石

経路については奥菜畑薬師堂ページで詳しく紹介していますので省略です。

 写真も奥菜畑薬師のページと同じです。何という手抜き記事か。

さて、この足跡を付けた馬はどういう馬かということです。「生駒谷」には馬の素性が書かれていません。「生駒の古道」P.133では「馬に乗ってきたお薬師さんが石の上に降りたときの馬の足跡」ということになっています。菩薩様は文殊菩薩の獅子や普賢菩薩の象のように、結構動物に乗られますが、如来様というのは山中で霧の中に顕現されることが多く、動物に乗って現れることが少ないようで、このときは特別な事情があったのでしょう。救急患者を救うため、薬壺を持ってお急ぎになったのかもしれない。ありがたいことです。

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4.稻蔵神社 烏帽子岩

これも、経路は稻蔵神社参道のページで紹介しているので省略。写真も同じものです。

この円錐形の花崗岩はすばらしいですね。神様になるのも当然です。さて、この岩に天下った神様のお名前はというと、饒速日命と共に天下った、生魂(いくむすび)明神、大宮能御膳神(おおみやのめみけつのかみ)の二柱の神様と言うことです。神名の読みは稻蔵神社HPによっています。一石二鳥ならぬ一石二神ですか。効率的ですね。神様の御利益については同HPをご覧下さい。

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5.鹿畑 鹿の足跡石

かわいい足跡です。文献資料を探したところ、生駒市誌にありました。【「菜畑」という東の方の丘に、鹿ノ足跡と思える窪みをつけている奇岩があった。村の人たちはこの不思議な石を神として祀ってきた。祠を立て村中の神として、大昔から今日まで祭りつヾけられている神は、龍王四天で雨の神様である。ご神体は、鹿の足跡のある高さ一米程の岩石である。】

「菜畑」は鹿畑の小字で生駒山東方の菜畑とは別です。この石をご神体としている神社は「龍王社」という名前です。鹿畑の鎮守社「素盞鳴神社」の末社らしい。鹿畑村の東の外れであったのが、その東の丘陵が鹿ノ台として開発されたため、鹿ノ台住宅地の西外れという位置になっています。龍王四天ということは東海、西海、南海、北海の四龍王様と言うことですか。降雨の御利益がありそうです。しかし、なぜ鹿の足跡が龍王様なのだろう。

鹿畑村の神社ですから、西からお参りする道が本道だと思いますが、細く入口もわかりにくい。鹿ノ台中央公園の北の道を西へ直進し、住宅にぶつかる三差路に達したら、右(北)へ曲がり、西へ行く一筋目の道を入ると、龍王社です。こちらの東からの道の方がわかりやすい。簡単にたどり着けますし、途中に見所もないので、地図は省略します。今昔マップの統合目印ファイルにはマーキングしておきました。

 

祠の左右に石が並んでいます。左の石に、くっきりと足形があります。

大抵これで感激して、気づかないことが多いのですが、実は足跡石はもう一個あります。上の写真では賽銭箱にかくれてわからないのですが、この祠は高床式になっていて、下部に空間があります。そこにもう一個の足跡石があります。つまり、石の上に祠を建てている形です。

 祠の右からの写真です。

祠の形から考えると、こちらの方がご神体あつかいということですが、祠前の石の方が足跡っぽい。どちらもご神体ということでしょう。

鹿畑の鹿については、春日大社に連れて行かれ、奈良公園の鹿さんのご先祖様になったということが、素盞鳴神社の記録に書かれているそうです。もっとも、足跡の主と、春日大社へ行った鹿が同鹿かどうかなどということはわかりません。しかし、春日大社の鹿は鹿島神社の神様が乗ってきた鹿のはずなんですが、その鹿の子孫はどうなったのでしょう。

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6.生駒山 久曽麻留石

 これが神様扱いかどうかは疑問ですが、役小角様がカミソリを研いだ砥石だそうです。岩蔵寺の小角様の足跡は神足石なわけですから、お道具も同様としていいのではないかと、紹介することにしました。何よりも、生駒民俗会の方たちが、草を刈って、登山道からよく見えるようにした努力に敬意を表して、ここで紹介することにします。
 「生駒の古道」P.130で言及されている「ふるさと生駒」NO.10の記事では、苦労して探しまわった旨が報告されており、それを読んでしまうと、登山道から離れた所かと思ってしまいますが、何のことはない登山道のすぐ側です。ただ、以前は笹が茂っていて、気づきにくい状態でした。実はこの石があることは以前から知ってはいました。といっても簡単に見えるわけではなく、私のように「生駒の道は全部歩くのだ」などと考えて、歩けそうな所を探しまわっているアホは見付けていますが、普通の方はまず気づいていなかったでしょう。あるとき、通りかかって、「おや、笹が刈られている。」と思った記憶がありますが、その時点で、その石がありがたい石なのだなどとは露知らす、後に「生駒の古道」を読んで、「そうだったのか、ガッテン、ガッテン」したというわけです。
 たどり着くには、自動車でスカイラインのパノラマ展望台へ行き、そこからほんの少し降るのが楽ですが、やはり、暗峠から登りましょう。私の育った田舎では、神社仏閣へお参りする際、楽をすると、「おかげが薄い」と言って、堅く戒める風習がありました。(おかげとは御利益のことです。)皆様も折角のおかげが薄くならないように苦労して登りましょう。
 地図が必要な所ではないのですが、途中の見所紹介のため、地図を掲示します。

 暗峠西にある、地蔵堂の地蔵様は調査報告書のNO.681で江戸時代のものです。地蔵堂隣には2本の道標が並んでいて、右側の大きい方(NO.684)には「矢田山二里」、左の小さな方(NO.683)には「矢田三里」と刻まれています。幸か不幸か小さい方の道標は読みにくいのでほとんどの人は不一致に気づかないのですが、面妖です。矢田と矢田山は違うという解釈もありますが、まあ、矢田寺ではないでしょうか。一体どちらが正しいのだ。ここは事を荒立てず、小瀬橋から先はいくつかの経路が考えられるので、二里の道と三里の道があってどちらも正しいとしておきましょう。(森友学園か。)私の測定では榁木峠から子供の森を経由して南下(近畿自然歩道ルート)すると約10km、2里半となりました。ますます森友化してきます。おまけの話をしておくと、ここから約1.2km東進した、万葉歌碑脇の道標(NO.673)には矢田山五十丁(約5km)とあり、これはちょっと近すぎます。この道標はもっと下(東)から移動して来たのでしょう。なお、NO.684の道標は調査報告書記載の遺物で最西端ということになります。ただし、東大阪市区域でして、生駒市内で純粋に最西端の遺物はこれから、訪れることになります。

NO681
峠西地蔵堂
NO683・684
2つの道標
NO673
万葉歌碑脇

 地蔵堂の右後方にはなかなか味のある燈籠がありますが、台座に多くのくぼみがあります。さてこれは一体何でしょう。

 

 おそらく昔のお子さんが遊んだ痕跡です。ほかの石灯籠や石柱でも見たことがあります。台石を石臼代わりにし、草の葉や花を石でこねて色水作りをした痕跡だと思います。これだけくぼむには何世代もかかっているでしょうね。寄り道はいい加減にして、久曽麻留石に向かいましょう。まずは、日本の道百選の石碑とNO.682の道標の間の生駒縦走路を北上します。百選の石碑隣には「暗峠」と刻んだ石碑もあります。

NO682 暗峠碑・日本の道百選碑

 このNO.682が生駒市最西端ではありません。最西端遺物はもう少し先にあります。北へ進んでいくとすぐ、道が分岐します。右への道は「生駒の古道」によると旧鶴林寺を経て、宝山寺へ至る旧参道に比定しています。すぐスカイラインにぶつかってその先がありません。左の坂を登ります。すぐ右手に地蔵堂があらわれます。NO.678の文永(鎌倉期)地蔵です。巨大な錫杖をお持ちですが、この錫杖は分離していたのをくっつけて修復したものです。調査報告書写真では分離していました。堂の右手には大石を屋根にした石仏が並んでいますが、その屋根の右の柱がNO679の道標です。NO.682と同様、旧鶴林寺と宝山寺への道標ですから、先ほどの分岐の所にあったのでしょう。移されて、消失は免れていますが、道標としては役立たずになったので、新しい任務が与えられたようです。さて、この2遺物が最西端でもない。もう少し先へ進みましょう。

NO.678
文永地蔵
調査報告書資料写真 NO.679
石屋根支えの道標

 地蔵堂から北上すると、すぐに左手(西)に畑が見えます。現在は休耕畑のようですが、この畑を過ぎてすぐ、左(西)に林に入れそうな所があります。上ると石組みなどがあり、木陰に種子碑が建っています。これが生駒市最西端の石造遺物、NO.680の圭頭状種子碑です。この場所は庚申森と言っていたらしく、西畑7森の一つです。

 ここを過ぎてしばらく進むとスカイライン沿いの道になります。少し開けた所で、再びスカイラインと離れる所に髪切山慈光寺の案内道標があります。

 役行者の砥石を訪ねるわけですから、ここは一つ研いだカミソリを使った慈光寺も訪れましょうと考えて、道標の所から降ろうとすると道が無い。この道標場所が悪いです。もう少し南で関電道(火の用心掲示があります)の付近から降ります。開山堂には役行者像があります。行者自作だそうです。寺付近の雰囲気はいい所で、「ホトトギスの里」として知られています。もっともよく聞こえてくるのはキジの声が多いです。いつ行っても聞こえます。元に戻って登山道の方はもう見所はありません。久曽麻留石にたどり着くだけです。しばらく進むと右手に大石が見えます。

 表面が平らなので砥石ということになったのでしょうね。この砥石で研ぐカミソリというのはどんな大きさなのでしょう。髪切らないで首切ってしまいそうです。昔はこの石の上で休んで食事をしたとか古老が語っていますが、広さはあれど傾斜があって座り心地がよくありません。今はすぐ上にパノラマ展望台がありますから、食事ならそちらがおすすめです。展望台で休んだらもうひとがんばりして山頂に向かいましょう。

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