西菜畑薬師堂への道

 「生駒の古道」信仰の道編のトップに生駒・京道として西菜畑薬師堂への参道が取り上げられています。この薬師堂は奥菜畑薬師堂とも呼ばれ、生駒市教育委員会発行の「生駒市文化財map」にも紹介されています。「生駒市文化財map」の地図は大雑把で、あまり役に立たないのですが、まあ、大体の見当を付けてたどり着くことができました。なかなかわかりにくいところです。
 さて、「生駒の古道」でどのように紹介されているかと読んでみると、「細い道が縦横に錯綜し、初めての人は難渋します。出合川の橋の近くに西菜畑案内図の看板がありますので、どの道順が適当かよく調べてから歩いてください。」とあります。巻末の地図を見ると、なんと薬師堂の位置が書いてない。参道も途中までしか書かれていません。下の地図をご覧ください。赤十字が薬師堂、赤線が巻末地図で参道として書かれている部分です。

 これでは現地の西菜畑案内図だけが頼りじゃないか。しかし、この手の住宅案内図は実際に手に持って歩かないとよく分からないんですね。看板を持って歩くわけにはいかないし、メモをとるのも大変だ。うろ覚えで歩いて結局分からない・・・。まあそんなところです。
 というわけで参道をご案内します。下の情報満載の地図をご覧ください。クリックするとPDFファイルで印刷用の地図になります。

 赤の破線が「生駒の古道」が省略した薬師堂への参道です。もっともこの道は古道ではありません。一番わかりやすい道を紹介しています。さらに、赤実線が紹介されている道ですが、わかりやすいのは点線の道です。実線の道には紹介されていない見所がいくつかあるので捨てがたいのですが、帰りに見ることにして、まずは迷わず薬師堂にたどり着きましょう。ポイントは「出合川に沿って進む」です。
 「生駒の古道」の記述に従って、「郵便局から二つ目の辻を右にすす」んだ方は出合川の橋(出合橋)の直前で住居案内板に出会います。古道でなくても良い方はさらに南下した出合川と京道がぶつかる地点からスタートしてください。「円光寺駐車場」という看板があります。ここから出合川左岸をたどり、同じ案内板に到着します。出合橋を渡ります。南へ直進する道が紹介されている道ですが、出合川の右岸を進みましょう。右に小川、左に田んぼを見ながらののどかな道です。緑ヶ丘中学校が近くなるところで出合川を渡ります。橋の右手でキトラ川が合流しているのですが、キトラ川に樹木が茂っていて合流に気づきにくくなっています。この川の最上流は滝行で有名な岩谷滝大聖院です。
 左岸に移って進むと緑ヶ丘中学校方面への広い道と交差します。さらに川沿いに進むと、ほとんど読めない石道標があります。「右・・・」という程度しか読めません。「生駒市石造遺物調査報告書」に記載されていないので、年代も字面も分かりません。

 この道標の左の道を出合川に沿って進みます。「右・・・」は宝山寺をあらわしていたようです。ただし、ほとんど廃道です。
 ここから70mほどは少しだけ出合川と離れます。70m先で、左へ大きく曲がり出合川べりに復帰します。直進路もあって、実はそちらが古道なのですが、わかりやすい方を進みましょう。この付近から、道前方を注意していてください。「円応教」の看板が右折の目印です。

 この看板より少し手前(北)に右(西)への分岐があります。看板のところには道がありません。円応教へ行くのも同じ道です。西への道を進むと左手(南)にお地蔵様の後ろ姿があります。円応教生駒道場です。円応教はなかなかユニークな宗教で、仏教でも神道でもない諸教に分類されていますが、拝む対象は自由だそうで、ここの道場はお地蔵様を熱心に拝んでいるようです。裏手にもお地蔵様が祀られています。さらにすすむと山道に入り、深山幽谷といった雰囲気の漂う参道を進むと薬師堂です。

 

 上写真右が「馬の足跡石」です。薬師堂の左から裏手に回りますが、左へ進むゆるやかな道と、尾根を進むやや急な登りがあります。左のゆるやかな方を進んでください。すぐに、足跡石です。見るべきものを見たら、帰ることにしましょう。石道標のところまで戻ります。石道標のところからは来た道を降らず、右(東)の水平な道を進みます。まもなく右手に石仏が現れます。顔面が摩滅しているのとよだれかけで胴体が見えないため正体が分からずお地蔵さんかと思ったのですが、「生駒市石造遺物調査報告書」によると「阿弥陀如来石像 桃山時代」とのことです。仏像の左には五輪塔があり、室町時代の作だそうです。ところが右手の新しい石柱には地蔵真言(オンカカカビ・・・)が書いてあります。昔はすべてお地蔵さん扱いということで建てられた石柱かとも思ったのですが、石柱が新しく、円応教のお地蔵さんに添えられているものとそっくりということを考えるとその関係でしょう。今でもすべてお地蔵さんというわけです。

 阿弥陀様を拝んだら、さらに東へ進みます。阿弥陀様すぐ脇の道も含めて3つめの右へ曲がる辻を登ると大融寺山門前に出ます。ところで、地形図の卍マークと、実際の寺は少しずれていますね。圓光寺も同じで、地形図でお寺参りをすると、ほとんどの場合近くまではいけるが入口がわからないハメになります。太融寺は石造遺物が多いのですが、何度行っても山門が閉じられていて、境内にも入れません。残念です。さらにすすむと、石道標があります。

   
 大融寺山門 閉まっています  石道標

 この道標も遺物調査報告書に記載が無く、何も分かりません。おそらくどちらも宝山寺への道標だと思いますが、こちらなどはほとんど埋もれています。ここから左(北)へ下れば出合橋、直進して、東へ進めば生駒神社のそばです。

追記:大融寺山門は大抵山門の閂が下りているのですが、先日(12月6日)散歩で通りかかりますと開いていました。早速お邪魔して、多くの石造遺物を確認できました。山門を入って正面の本堂左手を進むと、石像遺物が並んでいます。ところが、私が侵入した時、ちょうどお寺の方が外出しようとしていたらしく、お寺の方は侵入者が居るとご存じありませんので、山門を閉めようとなさっていました。写真撮影を終えて退出しようとした時、閉められる直前で、危うく中に閉じ込められかけました。声をかけてから拝見すべきだったと反省しています。皆様もお気を付けください。

     
六字名号碑( 文禄四年) 種子碑(寛永七年) 圭頭状種子碑(享保七年)

「生駒谷」に西の方の道標についての記述がありました。

現在は草が生えて違う場所のような感じですが、後の石垣が同じです。記銘は「右 ほうざん寺」、裏面に「和泉屋吉兵衛」とあるそうです。紀年がありませんが、江戸時代と推定されています。

東の方は「生駒谷」にも記述がありませんが、「歴史に残る信仰の文字」(生駒民俗会発行)に埋められる前の写真が残されていました。正面だけですが、「右 ほうざん」まで読み取れます。多分、その下に「寺」があるのでしょう。

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